「だから、恩返しなどよろしいのですがな……」
「頼みますわデネボラさん、三日もお世話になりお金の稼ぎ方まで教えて貰いましたのよ? 恩を返さないと気がすみませんの」
翌日の朝、デネボラ邸では何かしらの恩返しをしたいと有栖が頼み込んでいた。
デネボラからしてみれば、困っている人間に助け船を出すという当然の行いをしただけで特別なことをしたつもりはないのだが……。
しかし、はいそうですかと納得することは出来ない。
このまま出発しては一方的に恩だけを得た形になってしまう。
目には目を恩には恩を、礼節には礼節を以て対応し、義理には義理をお返しする。
これはデネボラが当然のことをしたと思うのと同じ、有栖からすれば至極当然のことなのだ。
「ふむ……では、プシュケーまで行くついでに、届け物をして頂いて構いませんかな? 彼の街に有る魔術研究機関、そこに知人がいるのですが、一つ商品を頼まれているのです、しかし私は別の商談で1週間ほど空けるため行けないもので」
「本当は私一人で行く予定だったんですけど……トラブルに巻き込まれるかも知れませんし、一緒に来てくださると嬉しいです!」
「なるほど……用心棒という事ですわね、承りましたわ!」
ドンと胸を叩き、サムズアップする有栖。
そんな彼女へシャハルも嬉しそうに跳ねる。
ダルメシアンの獣人が跳ねているのは、まるで飼い主に懐く犬のようなかわいらしさだ。
などという若干失礼な感想はさておき……どうやらこれで恩返しと次の目的地への旅を両立できるらしい。
まさしく一石二鳥、一挙両得というものだろう。
「そういえばさ、移動手段どうするの? 徒歩?」
「道中には小村がいくつか有るんだよ、そこを経由してくのさ、馬車もあるっちゃあるが……高価すぎてオレらじゃ手を出せねえよ」
「へえ、なるほどねえ」
プシュケーとレプレを繋ぐ道、東西街道には数個の小村が存在する。
基本はそこを経由地としながら3日間の旅路を歩むのだ。
勿論小村を無視して野宿しながら一気に進むことも出来るが……街道には山賊などもいるためあまりオススメは出来ないだろう。
あと一つの道としては川下りもある。
レプレからしばらく歩き、一つの山を挟むとプシュケー側へ下る川が見えてくる。
そこを下ると少し早くプシュケーに向かうことが出来るのだ。
「川下り……でも、バイクがある以上それは難しいですわよね」
「んあ? あの鉄の乗り物持ってくのか? 重くないか?」
「そりゃ重いですけど、大事なものですもの……持ってきますわよ」
真白以外は知らないが、有栖にとってあのバイクは大事な母親の形見……。
一人目の母親との繋がりを感じ続けられる数少ない品なのだ。
あのアスペンケードに乗っていれば、母のことを少しでも感じていられる。
だからどれだけ型落ちしても、ずっとレストアし、カスタムし……ずっと乗り続けているのだ。
それ故に、この世界でも置いていくわけにはいかない。
「そういえばガソリン大丈夫?」
「ええ、あの朝給油したばっかですわ、携行缶もついてますししばらくは安心のはず」
「速度出しすぎてすぐ切らさないでよ?」
確かにこの世界には標識がないから、つい出し過ぎてしまうかも知れないが……今は同行者が徒歩なのだ。
ならば万一走る必要が出てきても、そう速度を出すことなどあるまい。
よほどのトラブルが起きない限り、燃料はまだまだ安心とみて大丈夫のはずだ。
「じゃあ……もう出発する?」
「そうですわね、朝ご飯も終わりましたし、本当にありがとうございました、デネボラさん!」
「サンキューおっさん、世話になったぜ」
「おじさまどうも、お元気で!」
「いやいや……皆さんもお気を付けて、シャハルも気を付けるんだよ」
「はい、気を付けて行ってきます!」
席を立ち上がる有栖に続いて、他の面々も席を立ち挨拶をする。
そんな彼らを見ながら、デネボラは赤い瞳を細めて笑う。
兎獣人特有の赤は、まるで天にきらめく赤い星のようだ。
もしくはきらびやかな宝石か……兎も角、その輝きはまさしく美麗。
そう考える有栖……一方、真白は梅干しみたいだな、等という情緒もへったくれもない事を考えていた。
「うーん、梅おにぎり食べたくなってきたなあ……」
「おにぎり? なんだよそれ、食べたいってことは料理なのか?」
「熱々のお米を、乾燥させた海藻で包む食べ物だよ、で……中に色々具材を入れるの、でも塩だけのシンプルなのも美味しいんだよね」
「ああライスボールですか、良いですな……我が家はパン食がメインなのであまり作りませんが、この先にあるリーゾ村は近隣最大の穀倉地帯、ライスも多く有りますよ」
「へえ……それは嬉しいなあ、ちょっとワクワクしてきちゃった」
ライスボール、穀倉地帯、米……。
そう言われて、真白は純粋に喜んでいる。
一方有栖はカツ丼を思い出して少し訝しげな顔をした。
思い返してみると、カツ丼に使われている米は明らかに日本米だったのだ。
何故異世界に日本米があるのか……それが謎でしかない。
やはり自分達のように飛ばされてきた人間が置いていったのだろうか。
「ん? アリスさんどうかしましたか?」
「え、ああ……その、取調室で自国に似た食材……件のライスを使った自国と同じ料理が出ましたの、それはなんでだろうか、と思いましたのよね」
「ほう……なるほど、それは興味深いですね、どこからか飛ばされてきた異邦の方と同じ、か……」
呟き、デネボラは一冊の本を出す。
どうやら歴史書のようだ。
表題は、プルミエ国食糧史。
そこには食糧に関するあらゆる歴史が書かれている。
「我が国は百年前に飢餓で滅びかけ、共食いにまで手を出しました」
「……チッ、それがどーしたんだよおっさん」
「その際、共食いをやめるきっかけになったのは……ライスなど、どことも知らぬ場所からもたらされた未知の食材だったとされているのです」
未知の食材、そう書に記されているとおり……米はこの世界にとって唐突に現れた存在。
ある時を境に突如として現れた道の食材群が突如飢餓を救い、人々を満たした。
それまでの歴史には影も形もなかったにもかかわらず、だ。
これはいったいどういうことなのだろうか。
「なので、もしかすると本当に……これらの食材は、あなた方の世界からもたらされたものなのかもしれませんな」
「米が、私達の世界から……?」
「飽くまで歴史書を見ての推察でしかありませんが……しかし、以前も転移者がいた、そしてその転移者が人々を救っていたと考えるのは夢の有る話ですな、もしかすると……あなた方も何かを救うため、ここに呼び出されたのかもしれない」
何かを救うために呼び出されたのかも知れない。
そう言われると、まるで気分は伝説の勇者だ。
もしかすると自分達は世界を救う逸材なのだろうか?
そう思うとワクワクしてくる……。
高校生にもなって何をと言われるかもしれないが、それでもだ。
しかしオノスは少し不満げらしい。
「ハッ、何が国を救っただよ、ペクス人のこと何も助けちゃくれなかったのによ、もう少し解決が早ければ家畜扱いだって……」
「まあまあ、落ち着いて……」
「確かに……少しタイミングが遅かった感じはしますわね」
確かに国を救うために呼ばれたというのであれば、もう少しタイミングが早くても良かった気はする。
それならペクス人が家畜として扱われ肉を貪られることもなく、済んだはずなのだ。
ならば確かに、都合の良い救いとして呼び出された……などというのは勘違いかもしれない。
もちろん、この推察すら結局のところ真偽はよく分からないものなのだが……。
「まっ、そういう取り留めない妄想話は歩きながらにしてさ、そろそろ行こうよ、早くおにぎり食べたいし」
「アンタ……さっき朝食ったばっかだってのに食欲旺盛だな」
「育ち盛りだからね、皆こんなもんだと思うよ」
歩き出した真白にオノスがついていく。
恐らく、雰囲気を改善しようとしてくれたのだろう。
それを察したシャハルは笑顔でついていき、後には真白とデネボラが残された。
「改めて、ありがとうございましたわ、用心棒が終わってもこの恩は一生忘れません、地獄の底まで持っていきますわ!」
「ははは……ありがたいですが、そこは天国にしてほしいですな、こちらこそありがとうございました、とても楽しい時間でしたよ」
握手を交わし、二人は笑い合う。
短い間だったが、こうも賑やかな時間は羅美吊兎叛徒時代以来かもしれない。
そう思うととても名残惜しく、お別れしたくなくなる。
だがアリスはぐっと堪えると一礼して歩き出すのだった。
その背中にデネボラの視線を受けながら……。
ゆっくりと、一歩一歩力強く……。
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