胸、人間であるからには……いや、動物にだって必ずやその部位が存在する。
形は千差万別だ、デカいの普通の……小さいの。
これはそんな胸のサイズに関する一喜一憂の話……旅路の途中に有ったかもしれないお話である。
「でっけーのです!」
プシュケーへ向かう旅の途中、ある街の宿屋にて……。
ミラはふと声を上げた。
そのきっかけは、部屋での着替えに際して、旅装束を脱いだ真白の胸を目にしたことだ。
普段あまり目立たないものの、真白は隠れ巨乳の類いである。
なのでこう言われるのは慣れている、羅美吊兎叛徒の仲間達と風呂に行ったときもまあ騒がれたものだ。
「ま……母親譲りかな、でも父親の胸も高学歴インテリヤクザのくせに脱ぐと筋肉でそれなりにあったから、そっちの遺伝も有るのかもね」
巨乳を通り越して爆乳、学生時代にはバレー部の試合でおっぱいブロックをしたという伝説すら持ち、故にいつだって着物がはだけている母、稲葉春音……。
そして、普段はスーツとメガネできっちりとキメているくせに、脱ぐと発達した筋肉が露わとなる父、稲葉厚志……。
そんな二人を思い出しながら、真白は苦笑する。
両親のことは嫌いなので遺伝も嬉しくはないのだが、己が肉体を賞賛されるのはまあ悪くない。
そんな風に複雑な胸中を巨乳の下に抱えているのだ。
「遺伝と言えば、そっちだっていずれはお母さん譲りになるんじゃない? セラさんって結構な大きさじゃん」
「うーん、だとすると凄く嬉しいのです! お母さんに近づけるのならそれだけで嬉しいといいますか!」
ミラの母親、セラはかなりの巨乳だ。
まるで男を誘惑して搾り取るために誕生したかのような蠱惑的ボディ……。
きっと、あの村に移住する前は引く手数多だったに違いない……そう確信できる体つきだ。
ミラもきっと、将来的にはそれを引き継いだ魔性の女となるに違いない。
そんなことを考えながら真白はうんうんと頷く。
その姿を見ながら、クリスは静かに息を吐いた。
「なんというか、君たち若いな……胸が大きいだの小さいだのと」
「そういうクリス先生も白衣脱ぐとおっきいよね、サキュバスみたい」
「サキュバァス……? ふう……人をそんな名前で例えないで欲しいところだけど……まあ色気があるって褒め言葉だと思っておくよ」
愕然としつつも、息を吐いて自分を落ち着かせるクリス。
どうやらサキュバス扱いはお気に召さないらしい。
そういえばこの世界ではサキュバスとはどんな存在なのだろうか?
脇から彼女達の着替えを見ていた有栖は、そんなことをのんびりと考えていた。
ちなみに有栖はミラに傷だらけの体を見せたくないので、とっとと着替えている。
なので今はのんびりと会話をするなり、先ほどまでのようにボンヤリと聴きに徹するなり出来る時間だ。
折角なので、有栖は気になったことを聞いてみることにした。
「サキュバスって、私達の居た国じゃ男の精気を交尾で吸う有翼の女型怪物でしたわね、こっちの国じゃどんな存在ですの?」
「……私、随分なものと同じ扱いを受けたな!? こっちの国では偉人の名前だよ、聖サキュバス……聖地には記念館や銅像すら有る偉大な方さ」
「せ、せんとさきゅばす……?」
聖サキュバス、偉人の名前。
どうやら、愕然としていたのは嫌だからではなく畏れ多いという謙遜だったらしい。
果たしてサキュバスとはどのような偉人なのだろうか?
そう考える有栖の隣で、シャハルが一冊の本を取り出した。
どうやら、宿の部屋に暇つぶし用として置かれていた偉人伝のようだ。
「聖サキュバスは、山羊の獣人ですがコウモリの翼を持っていたとされていますね、それはもう……魅了されるほどの美しさを持つ煌びやかな獣人だったとか」
「へえ……綺麗な毛並みの獣人……服を脱いだときのシャハルみてえな感じですの?」
「うーん、山羊獣人である以上複乳だとは思いますけど……そこは分からないですね」
シャハルの複乳ボインを思い出しながら顎をさする有栖……。
そんな彼女に、シャハルが頬を掻いて笑う。
何はともあれ、今はサキュバスの話が先だ。
果たしてこの世界のサキュバスとは如何にして聖人と呼ばれるようになったのか……。
自分達の世界では悪魔とされていた存在がこちらでは聖人なのだから、実に興味がある。
「聖サキュバスは酪農で名を残した聖人だね」
「酪農……ってなんですの?」
「牛や山羊を飼育して牛乳を取ることだよ有栖ちゃん、私達の近場なら……岐阜の方にはそういう農林の専門学校で愛知よりも有名なとこが有るんだって」
うんちくを語る真白。
その手には牛乳入りのグラスが握られている。
今滞在している街はちょうど件の酪農で有名な街であり、宿でも牛乳がサービスで出されているのだ。
「聖サキュバスは、白い液体を好まれる方で、男女問わず引き寄せる不思議な色香に溢れた女性だったという話だ」
「白い液体……ねえ」
「白い液体? 牛乳のことですの?」
白い液体……そう言われてしまうと、自分が知るサキュバスの逸話もあって保健体育の授業を思い出してしまう真白。
一方、有栖は白い液体と言われても何かは思いつかなかったようだ。
ただただキョトンとしながら牛乳を飲んでいる。
ピュアと言えば良いのか、それとも中学の保健体育で習っていたことを高2でもう忘れていることに呆れるべきか。
何はともあれ、真白は苦笑しながら目を細める。
(……ま、私達はどれだけ激しく楽しんだって無色透明のしか出ないもんね、私だって保健体育の授業を覚えてただけで実物は見たことないしなあ……)
見せられたらへし折ってやるけれど、などと考えながら真白は腕を組む。
別に有栖も真白も好きな相手が偶然同性だったというだけで同性しか愛せないわけではないが……。
だが、真白はそもそも有栖愛者、つまり単に有栖が女だろうと男だろうと愛せるというだけで有栖以外は愛していないので、もし男がそんなものを見せたら即蹴り潰す。
有栖も同様に真白なら男女問わないだけで真白にしか性愛を向けられないので、もし変態がそういったものを見せつけてきたら確実に咄嗟の蹴りで潰すだろう。
それもバイク用の頑丈なライディングブーツを使って、踏みにじるようにキッツいヤクザキックをする形でだ。
「彼女が訪れた村の人々も恐らくは牛乳だろうと考え、聖サキュバスに献上しようとしたよ」
「でも……人々は酪農技術が当時は未発達で、牛に蹴られたりして上手く乳を取れなかったんです」
「それで……女性の一人がこう言った、白いのを搾り取ろうとしたら抵抗されて怪我をしてしまいました、何か良いやり方はありませんか? とね」
「で……聖サキュバスはその女性に、牛を刺激せず丁寧に搾り取るやり方を教えてくれたんです」
クリスとシャハルの説明を聞き、真白は顔をしかめる……どうやらだんだんと話が読めてきたようだ。
一方、有栖とミラはワクワクした顔で話を聞いている。
無知とは幸せなことなのだ、いや本当に。
「牛乳を受け取った聖サキュバスは……なんと言ったんだっけ?」
「ええと……ンっ、ヤダ〜! 超イケてる味じゃない! 私これ、スッゴいはまっちゃうかも! 皆にもこの村のこと教えよ〜っと!」
「ぎゃ、ギャル……!?」
偉人伝に星マーク付きで書かれた台詞を、シャハルは情感たっぷりに読み上げる。
果たしてこのギャル感あふれる台詞をほんとに聖サキュバスとやらが言ったのだろうか。
もしかすると、後世による捏造の可能性も有る。
有栖達が元いた世界にだってそういった捏造の例は沢山有った……たとえば「敵は本能寺にあり」など、軍記小説から出たとされる有名な捏造だろう。
「ええと……それから彼女は街を去り、しかし彼女やその血縁と思しき獣人がよく村に牛乳を求めてくるようになったらしいです」
「それもあってか、村は牛乳の名産地として大発展……恩人である彼女を、人々は酪農技術を伝えた聖人として讃えたわけだね」
「ちなみに、牛乳を好んでいた聖サキュバスが巨乳だったことから、牛乳を飲めば胸が大きくなるという俗説も生まれたんですよ」
牛乳を飲めば胸が大きくなる……。
有栖達の世界では既に科学により否定された俗説なのだが……どうやらこの世界にもその俗説は存在するらしい。
また不思議な符合が増えたな、でもこれは由来がハッキリしてるから不審がらなくても良いのか、などと考える真白……。
その後ろでオノスが立ち上がった。
「ハッ、何が胸だよ馬鹿馬鹿しい!」
吐き捨て、部屋を後にするオノス。
彼女は不機嫌そうな顔で宿を出ると、そのまま街の市場まで歩いていった。
別に、自分の胸が小さいから僻んでいるわけではない。
単純に、乳などガキのしゃぶるものでいい歳して話題にするようなものではない、と考えているのだ。
だから馬鹿馬鹿しくてイライラしただけ……だが同時に少し、考えてもしまう。
(……ガキの頃、もっとしっかり栄養が取れてたら……胸も背丈も伸びた健康な体になってたのかな……)
そう考えながらオノスは街の橋に立ち、水面に映る小さな体を見つめる。
21歳だというのに15歳とそうそう変わりない体つき……。
気にならないと言えばそれは嘘だ、オノス流の強がりだ。
それは自分自身が一番理解している。
そんなことを考えていると……水面に一人の通行人が映った。
それと同時に、橋を硬いものが踏む音がする。
だが……ヒールといった類いではない、これは蹄の音だ。
(……!? あ、アイツは……!)
高身長の体躯を持ち、巨大な翼を有し、立派な角を輝かせ……白い毛皮も日光にきらめき、そして高露出の服を纏った、たわわに実る複乳を持つ山羊獣人……。
まさしく、伝承に伝わる聖サキュバスそのものの女性が歩いている。
彼女は牛乳を販売する露天に近づくと、カウンターに銅貨を一枚置いた。
「ハアイ、こんにちは! 今日もその牛乳1杯いただける?」
「おお、貴女は噂の牛乳ソムリエ様……! 貴女のアドバイスを聞けば店が発展するという噂、かねがねお伺いしております! ぜひぜひ、我が店の牛乳をお召し上がりください!」
牛乳を受け取り、情感たっぷりにすする女性……。
その様子を見ながら、オノスは思わず生唾を飲み込んでしまう。
牛乳ソムリエ……となれば、きっと沢山の牛乳を飲んできたのだろう。
それと同じ栄養を取り込めば……自分もあれくらい、大きな背丈と胸を手にすることが出来るのだろうか……?
そんなことを考えていると、女性は牛の成育に関するアドバイスを行い、飛び去っていった。
……長躯から行われる飛行はまさしく優雅。
種族差もあり、背丈が伸びたとしてもああはいかないが……それでも、憧れてはしまう。
気付けばオノスは魅入られたように目を輝かせ……金貨一枚分の牛乳を買っていた……。
(これだけ飲めば……これだけ飲めばオレもきっと、ああいうでっかい体に!)
オノスは、でっかくなれた自分を想像しながら牛乳を一心不乱に飲んでいく。
だが……オノスは体質上、どうしても食事量の少ない身だ。
そんな彼女が無理をして大量の牛乳を飲めばどうなるだろうか?
……答えは一つだ。
「あれ? オノスさんは? さっき血相変えて宿に飛び込んだのを見たのですが」
「ん? ああ……オノスなら下痢と吐き気だよ、こればかりは治癒術よりも中のものを粗方出した方が良いからね、トイレに向かわせてる」
「はあ……下痢、なのです?」
下痢と吐き気、そう言われて何故先ほどまでピンピンしていたオノスが急病にかかったのか疑問を抱くミラ。
そんな彼女に、クリスは片目を開いて肩をすくめ、首を左右に振る。
聞いてやるな……ということなのだろう。
「誰にだって……憧れは有るのさ」
「はあ……憧れ?」
今頃……オノスはシャハルに背中をさすられながら、便所で号泣しつつ苦悶の声を上げていることだろう。
本来なら説教をするところだが、それはまたにしてあげるのが世の情けだ……。
そんなことを考えながら、クリスは息を吐いて笑うのだった。
……その頃、モストロでは。
「ミケちゃんとお風呂に入ってると思うんだけど……」
「はあ……どうかされましたか?」
窮奇とミケが同じ風呂に入っているが……。
そんな中、窮奇がふと何かを思い出したかのように口を開く。
だが、いったい何を思いついたというのだろうか?
視線はミケの胸に向いている。
この時点でミケからすると嫌な予感しかしないのだが。
「胸が小さいのって我孫子一族の遺伝? おかしいなあ……知る限り、記憶にある一番初めの子はでっかかったのに」
「……窮奇様、一つばかり上申させて頂きたいのですが……窮奇様って歯ぁ食いしばれますか?」
「……やだ、痛いのやだ、修正されたくない……」
「いいから食いしばりましょう? 心の準備って大事だと思うんですよ、ほら……黙って殴るのは士道に反するでしょ? だから私……趣味じゃないんで、ねっ?」
歯を食いしばるよう推奨しながら握り拳を作るミケ。
その笑顔に気圧されながらも窮奇はなんとか危機を脱しようとする。
だが、ミケはよほど気にしていたらしく完全に張り倒す……どころかグーでぶん殴るつもりのようだ。
無論、その程度で怪我をしたり死んだりする窮奇ではないが。
シンプルに痛いのは嫌なのだ。
……ここで教訓、軽口感覚でセクハラをするのはやめましょう。
窮奇がそう考えるのと「オラァ!」という叫びと共に複乳辺りへとボディブローの重たい感覚がやってくるのはほぼ同時だったとさ……。
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