いつかこの日が来る、そんな風に思ってはいた。
ヤクザの息子などしているのだ、父への報復で捕らえられる事などいくらでも……。
だが……よもや白昼堂々、学内で襲われるとは。
「……中々大胆なことをしましたね」
「そういう命令だったからな、仕方ねえ」
人目を避けてはいたようだが、正直目撃者がいそうなものだが。
捕まること前提の鉄砲玉なのか、はたまた教師に金を握らせたか……。
そう考えながら、厚志は殴られた後頭部をさする。
……今居る場所は学校の中ではないようだ。
外に見えるのは……どこの道路なのかよく分からない、何はともあれどこぞの家らしい。
「さて、授業料を無駄にしたくはないので大学へ帰りたいんですけど……」
「そうはいかねえ、うちの組長から人質にしろって言われてるんでな」
「なるほど、父への人質ですか、でも……あの人は僕が死んでもたぶん動揺しませんよ、そんな愛情が有れば将来跡継ぎになることを強要なんてしませんよ」
「それはそうかもしれないが……命令だっつってんだろ?」
厚志はなんとか誘拐犯を諭すが、男は笑うばかり。
……恐らくは対立中である他所の組、それか稲葉組を直系から追い落としたい身内なのだろう。
出来るなら説得して終わらせたい、だがいざという時は……捕縛しなかった油断を後悔させるしかないだろうか。
……もちろんそれは最後の手段、出来るならば避けたいのだが……。
「……稲葉組は、いつか父が死んだら僕が解体するつもりなんですけど、それまで待てませんか?」
「待てるわきゃねえだろ、何年先だよそれ、俺は何歳になる計算だ?」
「まあ……ですよねえ、僕も気の長い話だとは思ってます」
目の前の男が気の長いタイプには見えない。
というのもまあ有るが……一日一日を争う任侠界隈にて何年も待てなんていうのは流石に酷だろう。
こんな促しが上手くいく、などとは流石に思っていない。
では何故こんな話をしているのか、それは……一つの隠し球のためだ。
(……あの仕込みは果たして上手くいってるんだろうか……)
別に厚志は殴られてすぐ気絶したわけではない。
気絶する前に、いざという時のため袖に仕込んでいたものを残しておいたのだ。
緊急事態、警察に連絡をと書いてシュリンクしたメモ帳を。
シュリンクすれば水濡れの心配もないし、メモ帳そのままなら風で飛ぶこともない、ついでにシュリンクによってページも完全固定だ。
そうなればいずれ誰かの目につき、不審者の捜査、目撃情報の聴取、監視映像の確認と進むだろう。
……この算段が上手くいったら、あとは時間の問題だ。
(……いつかこんな日が来るとは思っていた、その為の準備はずっと進めていたけれど……あとは狙い通りに行くか、だな……行くかな、行ってほしいな)
内心不安を抱きながら先行きを祈る厚志、その時……ドアが破られる音が聞こえた。
警察が来たか、そう考える厚志……だが、入ってきたのは予想外の存在。
小柄な体、金色の髪……春音だ。
その手にはバットが握られている。
「な、なんだお前!? 見張りはどうした!」
「とっくに倒したわよ! 剣道部副主将舐めんな!」
……バットで面は流石に死にかねないからか、胴をメインに戦ったらしい、ドアの外では腰を押さえた見張り達が転がっている。
……うん、バットで腰を砕くのは普通に酷くないだろうか、と思わなくもないのだが、死ななきゃセーフという事なのだろう。
そんな事を考えているうちに、春音は神速のフルスイング……もとい胴で厚志の傍らにいた男の腰を打ちつける。
年功を無視して剣道部副主将になれる腕前は伊達ではないのだ。
「よし、一本! ありがとうございましたってね! あっくん無事?」
「無事ですけど……何をしてるんですか!」
「ああ、このバット? あっくん追っかけるのに必死で何も持ってなかったから……何せ急すぎて放置自転車奪って追いかけたくらいだし……息を整えがてら辺り探して見つけたのよ」
「いや、そうじゃなくて! バットなんて気にしてませんよ!」
ヤクザが監禁に使っている場所に一人で突入する無謀さを諫めているのに、春音はどこかズレた返答をする。
別にバットをどうして振り回しているかなんて話をしているワケではないのだ。
そんなのバットだろうが竹刀だろうが変わりはしない。
使いたければ何を使おうが勝手だ。
「こんなところに一人なんて危ないでしょう!」
「む、それなら中にいるあっくんはもっと危ないじゃない」
「それはそうですが……」
「ほらほら、こんな話したって押し問答にしかならないんだから、警察呼んでとっとと行こう」
春音の正論に何も言い返せず、黙り込む厚志。
どうも春音は口の上手さが一枚上手らしい。
そんな事を考えていると……春音は突然笑い始めた。
「しかし……あっくんが私を心配するなんてね、自分の方が危ういくせに」
「ぼ、僕の方がって……いや……」
「危ういじゃない、自分が大事に思えないから大事な他者のために惜しみなく体を張れるんでしょ? そうね……そういうとこが私にもうつった、って事でしょ、そうしておいてよ」
春音の言葉を聞き、厚志はもう黙り込むしかない。
自分の性質を話題に出されるとどうも……。
しかもそれがうつったとまで言われてしまえば……。
「あ……! そうだ、これで私の気持ち分かった? この間心配してた時の私、そういう気分で聞いてたんだからね?」
「……ははは、ほんと田村さんには敵わないですね……」
二人は笑いながら歩いていく。
……その後ろで、腰の痛みからなんとか立ち上がった男が二人を睨んでいた。
見つめる先は……厚志ではない、春音だ。
憎悪、そうとしか言いようがない強い瞳。
それを向けながら、男は「あのアマ、マトにかけてやる……」と憎々しげに呟いた。
マトにかけるとは、ヤクザ用語で標的にするという事だ。
それを聞いた厚志は振り返り、男に詰め寄る。
そして……男の胸倉をつかんだ。
「……ヤクザの息子だからと一大学生を狙い、返り討ちに遭ったからと逆恨みしてカタギをマトにかける……? 貴方に仁義はないんですか?」
「う、ぐ……やめ……!」
「取り消しなさい、さっきの言葉を、それが出来なければ……貴方の首を……」
「わ、わかった、わかったから! すまない、取り消す!」
「それでいいんです……僕はヤクザなんて大嫌いですが……それでも、仁義という精神だけは良いと思ってるんですよ、だから……せいぜい貫いてください」
厚志の威圧感に圧され、男が発言を撤回する。
その情けない様子に、共に来ていた兄弟分らしき者達はみな呆れ顔だ。
……今後、組の中ではどんな扱いになることやら……。
しかし、そんなこと厚志には関係ない。
男を放り投げて尻餅をつかせると、厚志はそのまま歩き出した。
「すいません……待たせましたね、行きましょう」
「あっくん、あなた……カッコいいじゃない」
「ははは……そう言って貰えると嬉しいです、でも……少し恥ずかしいですね」
カッコいい、そんな風にストレートなお褒めを頂くなんて事は滅多にないため、厚志は顔を赤くして頬を掻く。
一方、春音は思ったことをストレートに言っただけといういつも通りの行動をしただけのため、何も恥ずかしがってはいないようだ。
そういった素直さはある種の武器……なのかもしれない。
……そんな二人の様子を、ヤクザの男は羨ましそうに見つめていた。
遠い昔になくした青春を見つめるように……。
……この時、この出来事が春音と厚志の運命を大きく変えていくということ……二人はまだ、知らなかった。
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