むかあしむかし、あるところに……。
一人の女の子がいました。
女の子は天才で、なまじ頭が良いだけに何をしても満足が得られません。
そんな彼女の目に映る世界はとても色あせて見えます。
しかし彼女はある日、唯一無二の親友に出会ってその運命を大きく変えたのです。
「懐かしい童話を読んでいるねえ」
「あっ、窮奇様!」
童話を一人読む少女、その元へ四足歩行の虎がやって来る。
頭にティアラを付け、尻尾にはリボンをしたメスの虎……。
彼女の名は窮奇、この国モストロの女王であり、魔王と呼ばれる存在だ。
少女は立ち上がり、窮奇へと一礼する。
秘書官の一族に生を受けた彼女にとって、窮奇は王であると同時に将来仕える直轄の主君なのだ。
「いいよいいよ、子供は子供らしく読んでなさい、しかし本当に懐かしい童話だ」
「窮奇様もこの童話をご存知なのですか? 初代国王……創世王と呼ばれる方の逸話だと伺っていますが……」
「まあね、結構馴染みがあるんだ」
窮奇はそう言うと、横になり顔を洗う。
その様子を見ながら少女は不思議そうに首をかしげた。
モストロの民は大概が魔物として持って生まれた本来の姿ではなく、脆弱ではあるものの生活しやすい人間形態をとる。
しかし彼女はどうだろう、四足歩行の虎という本来の姿を一切崩さず生きている。
獣人型の連中には同じように人間形態をとらない者もいるが、暮らしにくさでは比にならないだろう。
この姿で玉座に座っていることもよくあるが、正直とても歪な絵面だ。
「窮奇様、失礼ながら私は窮奇様の人間形態を目にしたことがありません、窮奇様は何故人間形態をとられないのですか?」
「ん……? ああ、私は知っての通り、他の魔物より長生きだからね、長く生きてると色々有るんだよ……思い出も色々とね、人間形態にはそれが詰まっているが……思い出に浸るのは私の主義じゃない、だから封印してるんだよね」
窮奇はそう言うと、静かに目を細める。
少女は窮奇の年齢を知らない……いや、少女だけではなく他の者もだ。
誰一人として彼女の年齢を知らないが、長く生きているのは確か。
そんな彼女のため込んできた思い出というのは、いったいどれだけの量があるのだろうか?
計り知れない思い出が彼女の内に有るのなら、それを知る事ができるのはきっと、彼女と同じくらい生きた者か彼女が全てを打ち明けられるほど親しい者だけなのかもしれない。
「長い時間、ですか……即位より数えて25年と伺っていますが、当然それより前から生きている訳ですよね……窮奇様はいったいおいくつなんですか?」
「ん? 私は17歳だよ」
「……それ、長生きって発言とも即位年数とも矛盾してますよ」
「ほんとだよ、永遠の17歳なんだってば」
永遠の17歳、冗談めかしてそう言いながら窮奇は笑う。
少女は永遠などという存在に関しては半信半疑だが……もしそれが実在するとすれば、彼女はどれだけの時を生きてきたのだろうか?
それを知る事ができれば、もしかすると彼女の中にある深みへ入り込むことができるのかもしれない。
心躍る好奇心に少女は思わず舌舐めずりをした。
一方、そんな彼女に窮奇は呆れたような目を向ける。
「こんな言葉が世の中にはある、好奇心は猫をも殺す……まあ私に殺す気は無いけれど、あまり物事に深入りしすぎないように」
「はっ、分かりました!」
好奇心は猫をも殺す、そう言いながら窮奇は少女の目を見つめる。
瞳孔が縦に割れた、ネコ科の瞳……。
そういえば彼女は真の姿が猫の魔物だったな……などと考えているようだ。
「まあ、全ては話せなくとも同じネコ科なんだ、いつかは酒でも酌み交わそうじゃない」
「はい、その時を楽しみにしています!」
虎の手と人の手が固い握手を交わす。
その感覚を噛みしめながら、窮奇は「友情は良いものだ」などと言っているようだ。
友情……その言葉に、もしかすると彼女は一家言あるのかもしれない。
「ゆ、友情ですか……?」
「ダメかな? いいじゃない、側近なんだから」
クスクスとイタズラげに笑う窮奇。
そんな彼女に少女は困った顔をしている。
結局、少女は「友人になるなど滅相もない」と遠慮するばかりで友人にはなれなかった。
これも王の宿命、なのかもしれない。
「……ん、っと……寝てたか」
呟きながら窮奇は起き上がる。
どうやらいつの間にか寝ていたらしい。
勤務時間が長引きすぎるといつもこうだ。
やはりオーバーワークはよくない、仕事量は程々が一番……。
そう考えながら、窮奇は側近に目を向ける。
すると側近は恭しく一礼して笑顔を見せた。
「……似てるなあ」
「似てるとは、誰にでしょうか?」
「ちょうど夢に見ていたんだよね、100年前……ミケちゃんのおばあさん、我孫子シロちゃんと話してた時の夢」
窮奇の言葉に、側近……我孫子ミケは「ああ」と呟く。
代々続く我孫子の家、その血脈を今の側近ミケもまた引き継いでいる。
彼女は「そういえば祖母は最期まで窮奇様の秘密を知れなかった」とぼやいていたな、と思い返す。
それでもきっと、彼女は今の自分よりよっぽど窮奇のことを知っているし、窮奇もまた自分以上に彼女のことを知っているのだろう。
猫の魔物はみな好奇心が強い習性を持ち、他者の深奥を知りたがる傾向にある。
ミケもまたその性質を持っているため、彼らの関係をどこか羨ましく感じていた。
もしかすると、彼らの種族は皆さみしがり屋なのかもしれない。
「寂しいなら一緒に寝てあげようか? ほら虎枕だよ」
「!? そんな滅相もない!」
「ふふ……若造のくせに遠慮するところは祖母譲りだねえ」
仰向けになって複乳が目立つお腹を見せる窮奇に、ミケは遠慮して後退る。
だが窮奇は「ほらほら」と言いながら、その魅惑のお腹で誘惑するのをやめない。
虎の柔らかくそして大きな体に、ミケは思わず息を呑んだ。
当然、真の姿に戻ればミケ自身セルフもふもふができるわけだが……。
それでも、他者の毛並みというのはまた違うのだ。
「いけません、そんな危険な誘惑……!」
「ははは、はいはい」
首を振るミケに、窮奇は思わず笑ってしまう。
そして伸びをすると、ゆっくりとあくびをした。
この姿だけ見れば女王にはとても思えないだろう。
しかし彼女は魔王なのだ、この国を治める偉大な存在……。
もしこの状況で襲撃があったとしても、彼女ならうろたえることなく刺客を食いちぎるだろう、そう言い切れる。
「それにしても……窮奇様はお幾つなのですか?」
「おっと、君もそれ聞く? 17歳だよ、永遠の17歳」
「それ……即位年数と矛盾してますよ」
「ははっ、その反応もおんなじだ……血筋だねえ」
永遠、そんなものは存在しない。
ミケはそう思っているが……窮奇はどうなのだろうか。
もしかすると本当に永遠は存在し、窮奇はそれを体現している存在なのかも知れない。
まあそれを証明する手立てはない以上、真相は闇の中なのだが。
例えば彼女が誕生以来何千年も生きている存在だったとしても、本当に永劫不滅の存在であるかは証明できないのだ。
なんといっても、結局の所不老不死と思われている存在だって偶然まだ寿命が来ていないだけで寿命はどこかに存在するという可能性があるのだから。
無論、そんなことを言い出してしまえば俗に言う悪魔の証明みたいなものになってキリがないのだが。
「ま……確かに私はこの国ができるよりも、ううん……もしかするとこの世界よりも長生きかもしれない、でも17歳なんだよ、17歳、これは冗談抜きの本当」
「はあ……」
「ま……私の深奥を知りたいなら、せいぜい頑張りなさい」
どこまでが冗談でどこまでが本気か分からないのが窮奇が持つ特徴の一つではあるが、不思議と彼女の言うことに嘘がないようにも感じる……。
だが、一々真に受けるのもそれはそれで面倒なのかも知れない。
いずれにせよ彼女には何か秘密があるはずだ、ミケはそれを知りたい……いつか突き止めてみせると心に誓った。
そんな彼女に笑みを向け、窮奇は私室へと戻っていく。
そして……。
壁に飾られているロケットペンダントを魔力で動かすと、中の写真を覗き込んだ。
そこには白衣を纏った黒髪の少女とスカジャンに金髪の少女が写っている。
明らかにこの世界にとって異質な写真だ……。
そもそも、写真という存在自体が文明レベルと比較して異質であると言えるだろう。
彼女が何故こんなものを持っているのか、写真の人物は何者なのか……。
全ては、窮奇のみぞ知るといったところ。
真相は彼女の中だけにあるのだった……。
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