獣人の月、二十五日。
ティエラ世界の暦において12個目の月の25日。
その日付を見た真白は少し苦い表情をした。
本来なら有栖と二人で楽しいクリスマスパーティーをしていたのだろうなあ、と考えると実に惜しいのだ。
「しかし、激務に追われて気付かなかったけどもうそんな時期か……」
真白は呟きながら立ち上がり、窓から庭を見る。
すっかり雪の積もった庭はまさしく冬景色だ。
来たばかりの頃に見ていた景色とは全く別物で、雪化粧とはまさにこの事だと深く感じる。
こういう景色を見ていると、上に寝転がって雪に埋もれてみたくなるが……。
しかし、不死者たるもの病の心配はないとはいえ、冷感はキチンと存在する。
たぶん行った瞬間死ぬほど後悔するだろうからやめておこう、真白はそう考えながら首を左右に振って馬鹿な考えを吹き飛ばした。
「そういえば……ティエラにもそういった風習はあるのかな……クリスマス的な、そういう」
旧世界が滅びティエラとなる際に、古い文明の記念日はその多くが存在を抹消された……とは窮奇から聞いている。
これは旧世界への未練といったものを消すための優しさ、とも言っていた。
だが同時に……窮奇曰く、偶然か運命かバレンタインという風習がまた出来上がったという、それも2月14日……旧世界と全く同じ日にだ。
もしかすると、記念日といった風習は忘れても心中に本能として宿るものなのかもしれない……とは窮奇の弁だ。
俄には信じがたい話だが、実際にそういう出来事が起きているのだから仕方がないところはあるだろう。
「聞いてみるかな、皆に」
真白は呟きながら伸びをし、体をほぐし始める。
ここ数時間デスクワークを続けていたが、とりあえず今日やるべきと決めた分は終えた。
今日はもう一日中フリータイムを楽しんでも良いかもしれない。
「よし、折角のクリスマスだ! 仕事なんかしてられるか! 遊ぶぞ!」
決心と共に真白は部屋を出る。
そして勢いよく誰かにぶつかった。
執務室のドアが内開き故に起きた事故だ。
ぶつかった相手は……月岡だ。
「おっと……領主様、タイミングが絶妙ね」
「あ、ごめん月岡ちゃ……いや、ヒョウリちゃんか」
真白の言葉に「ご名答」と返しながらヒョウリは手に持っていたお盆を見せた。
そう、トレーではなくお盆、木で出来た和風の一品だ。
なんでも西部草原にはお盆などの和風木工工芸品の技術が残る場所が有るらしく、そこから取り寄せた物らしい。
その上に乗っているのは……ケーキだ、どうやらこれを守るために咄嗟の人格チェンジを行ったようだ。
流石は月岡リオを守るために生まれた人格……と賞賛せざるをえないだろう。
「それ、ケーキ? 随分美味しそうだけれど」
「そりゃね、水行寺先生の自信作だし」
水行寺の自信作、そう言って真白は生唾を飲みこむ。
水行寺は新レシピを作る際、試行錯誤を繰り返してようやく人前に出せるレベルに至ったと判断してようやく客や雇用主へ出す。
それまでは食べるのは本人とよほど親しい試食係のみだ。
そういえば最近、日下が体重を気にしてジョギングや腹筋を繰り返していたが……それはこういうことだったんだな、と納得する。
何はともあれ、そこまでの試行錯誤を繰り返したケーキ……。
そう言われてしまえば、甘党としては心躍るに決まっている。
「これ、私に?」
「ええ、いつもの傾向的にそろそろ仕事も終わるだろうからって」
どうやら仕事時間の傾向が把握されていたらしい。
よく、相手を掴むなら胃袋から掴めと言うが……。
それは存外、相手の行動時間を把握できるという意味も含んでいるのかもしれない。
まあ、それはさておいて折角貰えるのなら大歓迎だ、是非頂くとしよう。
「見たところ……これはタルト?」
「タルトレットらしいわよ、通常よりも小さいタルトで……今回は果物を詰めてお菓子にしたけど、肉とか詰めれば前菜にもなるんだって」
「へえ……タルトなんて一括りに考えていたけど、色々種類あるんだなあ」
執務机に戻り、フォークを受け取りながら真白はタルトレットをまじまじと見る。
凹型タルト生地の中にベリーが、その上にはクリームが……と狭い中にきっちりと詰まったタルトは、盛りだくさんの中身でありながらも生地の外周からはみ出ることなく収まっている。
一言で表現するなら……綺麗だ、芸術的とはこういう料理を言うのだろう。
彩りとしてベリーの上に置かれた小さなミントもまた、ベリーの赤やクリームの白と組み合わさって良い塩梅の色味を出している。
このタルトレットを一口で食べてみたらきっと気持ちが良いのだろうな……と感じるが、美味しいと分かりきっている物にそんなことをするのは勿体ない。
ここはゆっくりと味わわなくては損だ。
真白はそう考え、ゆっくりとフォークをタルトレットへ刺した。
「うん……美味しい! このクリーム、使われているミルクが凄く良い! コクがある味で……程よい甘さだ、イチゴの甘酸っぱさと凄く相性が良いし、生地にもこのクリームが練り込まれてるんだね、うん……やっぱり美味しい!」
「そんなに甘いの好きなのに、タルトは一緒くたに覚えていたのね」
「甘いの好きだからこそ、甘い! 美味い! 全部好き! って細かい種類は覚えてなかったんだよ」
自分の大雑把さに苦笑しつつ、真白は頬を赤くしながらウインクする。
実のところ、甘い物は大好きだが細かい種類を覚えようとしたことはない。
何故なら覚えなくとも美味いものは美味いからだ。
しかし知識があればこういう時に恥ずかしい思いをしなくても済む。
そう考えると、自分は今まで勿体ないことをしてきたのだなあ……とひしひし感じる。
このタルト……いや、タルトレットはそんな気付きをくれた良いお菓子なのかもしれない。
「よし、今日はタルト記念日にしてしまおう」
「タルト記念日……?」
「毎年この日にタルトを作ってお祝いするの、仕事も忘れ身分も忘れ、皆でパーティーをする、どうかな」
「へえ……領主様も面白いことを思いつくね、そうだ……折角なら、料理も作って盛大にお祝いする日にしない? タルトだけじゃなくて……そうだ、シメたての鶏を搬入してたから、鳥とケーキでも食べながらパーティーをする日にして」
鳥とケーキでも食べる日、その言葉に真白はハッとなる。
それはまさしく日本における形骸化したクリスマスそのものたる在り方ではないか。
少し……背筋がゾッとした。
運命がそうさせるのか、自分の意思がそう望んだのか。
それは分からないが……出来れば後者だと思いたい。
「……そういえば、どうして水行寺さんは今日レシピを完成させたの……?」
「え? なんか、聖サキュバス印の牛乳行商隊が昨日来てて、納得のいく牛乳を得たかららしいけど……」
「そっか、偶然か……鶏は?」
「ちょうど領地の農場が良いぐらいに肥えたって……」
「そう、そっちも偶然なんだね……うん、よし、じゃあパーティーしようか! 領主命令、家臣団に通達、領主館の備蓄食材を使い、今宵は庭で領民とパーティーだ!」
「イエスマム! じゃあ、皆に伝えてくるわね!」
不安をかき消すように、真白は笑顔で指示を出す。
そして一人になった後……顔を蒼くしながら立ち上がり、机に手を置いた。
これで……もしも、プレゼントを贈りあう習慣も作ろうと誰かが言い出したら?
自分の場合は無意識のどこかでクリスマスを求めていた可能性がある。
だが……そういった習慣のないティエラの人間は?
彼らがもし……プレゼントの習慣を作ろうと考えたら……?
運命がそうさせるのか、世界がそう望むのか、はたまた遺伝子がそうさせるのか……?
恐怖という情動を煽る……ある意味で煽情的なこの状況、結果を見るのが少し怖い……真白はそう考えながら、顔の前で手を合わせて暖かい息を吐くのだった。
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