……遡ること、今より数年前。
流浪の傭兵ラーミナ・ダオレンはとある自警団に雇われていた。
依頼内容は山賊討伐……。
その仕事を同じく雇用された者達と共に終え、傭兵達の貸し切りとなった酒場のカウンターにて一人酒を楽しむラーミナ。
そんな彼女の隣に、一人の女が座る。
今回の依頼で出会った傭兵……矢車陽子だ。
「隣、良いですか?」
「ああ、構わない」
問いかけに短く答え、ラーミナは酒をあおる。
そこまで味の良い葡萄酒ではないのだが……安酒は酔えるので嫌いじゃない。
バカのように飲み、バカのように酔い……そうして過ごす時間は色々なものを流してくれる……。
そういうものだ、だから金のある傭兵達にとっても安酒は安酒なりに需要があるのだろう。
「矢車だったか、お前も酔いに来たのか?」
「まあ、そんな感じっすねえ……今日は浸りたくて」
「そうか……お前の過去は噂に聞いている」
矢車陽子、モストロ出身でありながらプルミエで国籍、軍籍を得た女……。
現在は気ままな傭兵暮らしに戻っているが、そのきっかけは決して穏便ではなかったという。
世間的には人間関係のトラブルとされているが……彼女と同じ軍人崩れが話していたところによると、きっかけは実に理不尽。
軍の上席から相談事を受けた彼女は親身になるものの、それを理由として上席は……本気になってしまったのだ。
勿論矢車側はただの善意だったため、それを拒絶。
結果……弄ばれたつもりになった上席は逆上し、矢車から軍籍を剥奪したのだ。
これを理不尽と言わずなんと言うのだろうか。
「しかし……過去の割りにお前は明るいな」
「傭兵はバカであれ、を実戦してるっすからねえ」
「傭兵はバカであれ……か」
矢車の言葉にラーミナは目を細める。
誰かの受け売りなのか、はたまた自分で行き着いた答えなのか……。
いずれにせよ、ラーミナが思う事は一つ。
懐かしい言葉だ……そう考えながら、ラーミナは過去を思い返すのだった。
遠い遠い、過去を……。
「お父さん……お母さん……どうして、どうして殺したの!?」
「そういう仕事だからだ、悪く思うな」
子供というのはいつか、親元を離れる日が来る。
ラーミナの場合はそれが10になるよりも早い時期に訪れた。
さる小国にて小さな領地を有する領主であった両親……彼らをやっかむ何者かによる暗殺……。
それにより、ラーミナの両親はこの世からいなくなった。
下手人では紅い刀身を持つ刀を振るい暗殺をこなす傭兵……その姿は、ラーミナにとって生涯忘れられない思い出だろう。
「絶対に、絶対に許さない……!」
仇敵への憎しみを糧に、ラーミナは親類のもとで剣技を学んだ。
来る日も来る日も剣技を磨き……そして、それらが形になってきたタイミングでラーミナは家を飛び出した。
自らも傭兵となり、弟子入りの名目で仇に近付いたのだ。
勿論目的は、技を盗み仇より強くなっていつか傭兵やその依頼人へ復讐するため……。
正直、子供の浅知恵としか言いようがないだろう。
「弟子入り……? 私に?」
「ええ、あなたの戦いで私は……人生が変わったんです、覚えてないと思いますけど……」
だが、存外上手く事は運ぶものらしい。
傭兵はラーミナの顔を見て少し考え込んでいたが、誰なのか覚えていなかったようだ。
故に、彼女は首を縦に振った……。
そして、仇を刺すために仇のもとで修行をする日々が始まったのだ。
「剣はもっと力を込めて持つんだ、そして位置は……」
「はい!」
真意などいざ知らず、剣術を教えていく傭兵……。
そんな彼女に少しでも追いつこうと、ラーミナは毎日研鑽を重ねていく。
だがそんなある日のこと……。
「ラーミナ、今日は休め」
「……ですが、師匠……」
突如、ラーミナは傭兵に休むよう声をかけられたのだ。
正直な話、内心どれだけ焦ったことか……。
復讐心に勘付かれたのではないか、それで指導する気をなくしたのではないか……。
そう考えるラーミナ、だが傭兵は笑顔で彼女の肩を叩く。
「疲れで肩が震えているぞ、強くなりたければ適度な休息が必要だ、食事とおやつが用意してある、食べたら散歩でもしてのんびりするがいい」
「え……は、はい……」
「明日は近くの秘湯にも連れて行ってやろう、いいかラーミナ……傭兵はバカであるべきだが……しかし頭の使えるバカでないといけない、体を壊さぬ程度に頑張り、戦術をしっかり考え、しかし依頼人には深入りしない……良いバカになるんだ」
頭を撫でられ、ラーミナは内心複雑な気持ちを抱く。
だが……この気持ちがどんな理由なのかはよく分からなかった。
あの日、悪鬼外道のように感じた傭兵が思いのほか優しい事への困惑?
それとも、悪鬼外道の分際で優しくするなどという怒り?
ただただ戸惑い、ラーミナは息を吐きながら一礼する。
そんな彼女を傭兵は静かに見つめていた……。
……姉か何かのように、静かで優しい目で……。
「ラーミナ、今日は座学を私が教えてやろう……ほら、新品の戦術書だ」
「はい、ありがとうございます師匠!」
それからも傭兵は、親身になって指導をしてくれた。
時に座学を、時に実技を、時には実戦を……。
彼女の作った料理を同じ釜から食べ、彼女と同じ布団で眠り……。
戦場にて背中を預け合い、共に戦ったことすら有る。
その度に複雑な気持ちのざわめきは増えていった。
(まただ……また……)
「ラーミナ、後ろに気を配れ!」
「……! はい!」
注意されながら、ラーミナは周囲に気を配る。
自分に気を配りながらも、傭兵はその卓越した剣技で周囲の敵を斬り伏せていく。
庇いに入ったというのに傷一つ負わない動きはまるで芸術……見事としか言いようがない。
雑念が有ってはこの人物を討つなど不可能だ……。
そう考え、ラーミナは更なる高みへ登ることを誓う。
遥かなる頂へ、彼女のいる場所へ……。
そのために数年かけて修行を重ねつつ、同時に彼女は一つの企てをしていた。
傭兵にはすぐ剣を向けられずとも……依頼主の方はすぐ殺せるかもしれない。
そう考えたのだ。
「ええと……過去の契約書は、これか……本当にマメに記録しているんだな……日付はっと……」
依頼日、受領日、完遂日……それらがまとめられた書類の束。
傭兵はそれをしっかりとまとめている。
曰く、ビジネスの場において前歴をみせることは大きな力になるらしい。
それ故にこうした書類はしっかりと溜めておくべき……だそうだ。
俗に言う、ポートフォリオというやつだろう。
ただし、半人前扱いであるラーミナは書類を確認してはいけないと言われている。
それが何故かは分からないが……しかし、見ずにはいられなかった。
「……家が襲撃されたのは、王国歴1060年の……獅子の月22日……あった!」
「ラーミナ? そこにいるのか? 食事が出来たぞ」
「……! は、はい!」
咄嗟に書類を隠し、振り返るラーミナ。
そんな彼女を傭兵はじっと見つめる。
内心冷や汗ものだ、もしバレたら何を言われるか……。
そう考えながら、ラーミナは息を呑む。
だが、傭兵は笑みを浮かべると食卓へ向かっていった。
思わず胸をなで下ろし……ラーミナは書類を取り出す。
「依頼者は……シルト家……! 大貴族じゃないか……!」
歯ぎしりをしながら、ラーミナは書類を睨み付ける。
シルト家は知らない家ではない、いや……むしろよく名を知る家だ。
このような名家が、自分の家を襲う理由などないと言いきれるくらい……。
政敵の排除と紙には書かれている、恐らくはいずれ脅威になるかもしれないという可能性だけで狙われたのだろう。
こんな理不尽が何故許せるか、そう思いながらラーミナは涙を流す。
そして……そのまま立ち上がった。
シルト家の邸宅が有る町は傭兵と暮らしている山の麓に存在する。
ラーミナは、そこを襲撃すべく飛び出したのだ。
……その時、傭兵が家にいないと気付かぬまま……。
「……? 何だ、町が騒がしい……?」
「おい、アンタ! 来ちゃダメだ!」
「え……? ど、どうかされたんですか?」
「人斬りが出たんだ! シルト家が、衛兵諸共皆殺しだ!」
辿り着いた町の喧噪……。
そんな中で、町民の一人が叫ぶ。
それを聞き……ラーミナは口を唖然と開いた。
仇を知ったのに、その仇が死んだ?
仇討ちの機会が一つ消えた?
訳がわからない、全く……理解できない。
一体誰が、誰が自分から仇討ちの機会を奪った?
震えながらラーミナはシルト家の邸宅を見やる。
血にまみれた邸宅は騒がしい町と裏腹に、異常なまでに静かだ。
「目撃者はいないんですか……?」
「目撃者は、下手人の紅い刀身をした剣を目にしたらしい……名前は忘れたが変わった形をしている異国の剣だ」
「……!!!」
「ただ、血で赤く見えたのかそうじゃないのか……っおい! あんた!」
目撃証言を聞き終える前に、ラーミナは山へ再度登る。
紅い刀身を持つ変な形の剣……その心当たりはただ一つだ。
傭兵が使っている、刀と呼ばれる異国の刀……それは紅い刀身をしている。
彼女が何の意図か……シルト家を皆殺しにして仇討ちの機会を奪ったのだ。
許せない、許してなるものか。
その一心を胸にラーミナは走る。
そして……剣を引き抜きながら家へ押し入った。
「どこだ、どこだぁ! 師匠……いや、ダオレン! どこにいるんだ!」
「ここだよラーミナ」
「よくも……よくも仇討ちの機会を!」
「奪ってくれた、か……ふふっ」
傭兵……ダオレンはキッチンで、笑いながら剣を抜く。
その切っ先からは血が滴り落ちており、辺りに臭いが漂っている。
肉を切っていたなどという言い訳は通用しない。
ラーミナは、自分が内心で彼女に温もりを感じていたことを後悔していた。
やはり彼女は悪鬼外道のゲスなのだ。
そう確信し、相討ち覚悟でラーミナは剣を振るう。
肉を貫く感覚が手に伝わる中……死を覚悟する。
だが、痛みは一向に来ない……それどころか、後頭部を優しく撫でられた。
「……最初から知っていたよ、お前の目的も全部」
「……え?」
「……その日が来ればいつだってこうしていた……お前がシルト家の衛兵に負けないくらい強くなれたら……情報だってちゃんと渡してたんだぞ、まったく……」
ダオレンはそう言い、血を吐きながら笑う。
ラーミナには彼女が理解しきれなかった。
最初から目的を理解していた?
忘れたわけではなかったというのか?
なら、何故?
何故殺しにきたと分かっていて弟子入りを受け入れた?
「何故……私を拒絶しなかった……!?」
「……馬鹿なお前が眩しかったからだよ、人は……年をとるにつれ、眩さを失っていく……光は翳り、宝石は石になる……ただの、石ころに……お前は宝石だ、美しい宝石……」
「宝石……私が……?」
「仇の恐ろしい剣士に、バレバレの弟子入りをする若さ……拒絶し、陰らせるのは容易い……しかしそれは嫌だった……お前の人生を既に無茶苦茶にしたのだから、これ以上陰らせたくなかったのだよ……」
ダオレンはそう言うと、一際激しく咳き込む。
そして血がより一層溢れ出した。
もう長くはない、誰の目にも明らかだ。
「……なのにお前ときたら、勝手に書類を読んで……勝てもしないだろうシルト家に挑むと理解できた、だから先に討った……悪かったな、お前には死んで欲しくなかったんだ……」
「それも……人生を無茶苦茶にした事への罪滅ぼしか……?」
「……そうだな……いや、師としての情が大きいのかも……しれない」
優しい目、どこまでも透き通る空のような目。
家が襲撃された時に闇の中で見た暗殺者の瞳とは違う、優しい瞳……。
その瞳で微笑みながらダオレンはラーミナの頭をもう一度撫でる。
「……できればでいいが、お前はその輝きをずっと持っていてくれ……私が基礎を教えた以上、いずれお前は私すら越える剣士となる、若々しい向上心をいつまでも持ち……ありとあらゆる強者を越え……良いバカになって……ずっと生きておくれ、ラーミナ」
「……ダオレン……分かった、私は……私は……」
「……全く、死は……厄介だな、お前の声がもう聞こえない……顔も、見えない……まあ……身から出た錆、か……」
「私は、私は……っ!? ダオレン……!」
ラーミナが言い切る前に、ダオレンの手が力無く垂れ下がった。
その事に気付いたラーミナは彼女を抱きしめて涙を流す。
冷えていく体が机にぶつかり起こす揺れ……それにより、既に冷たくなった料理の皿が音を立てる。
その音を聞きながら、ラーミナは何故自分は言いつけを守れなかったのかと後悔した。
(ダオレン……親の仇……だが、それでも……貴女は……貴女のことは……)
彼女は親の仇だが……しかし同時に自分を守ってくれた保護者であり、師匠でもある。
そんな相手との関係……そして向ける気持ちは、単純な善悪でも好悪でもない……。
言葉では言い表せない不思議な感情がここにはあった。
だが、もうそれが彼女に伝わることはない。
「……私は、生きるよ……この輝きを保ったまま、貴女の言う良いバカになって……貴女の紅い剣と戦術を引き継いで、ずっと」
手向けの言葉をかけ、ラーミナは静かに微笑む。
そしてダオレンの剣を手に取ると、長い髪を半分切ってダオレンに握らせた。
強くなろう、良きバカになろう……。
この髪は、悪いバカだった私の思いと一緒にダオレンと埋める。
未熟な私も、今日ここでダオレンと一緒に死んだのだ。
そう考えながら……ラーミナはゆっくりと歌い始めた。
ダオレンから受け継いだものの一つ……傭兵が死んだ仲間を悼む時に歌う挽歌を。
たどたどしく、下手くそに……だが、いつかダオレンより上手くなってみせるという決意を込めて。
(ふ……二刀流の剣士、ラーミナ・ダオレンの誕生日……か、懐かしいな)
アシンメトリーの髪、アシンメトリーの服……それがシンボルの二刀使い。
それが今のラーミナ、ラーミナ・ダオレンだ。
彼女はダオレンに言われたとおり、今も向上心を絶やすことなく……高みを目指し続けている。
いずれはこの世界の頂とでも言うべき場所に立つ、最上の剣士になることを目指して……。
「さて……失礼しようか」
「……ん、もう行くんですか?」
「まだ出発はしないが……挽歌を歌いたくなってね、またどこかの戦場でまみえよう、その時は味方か敵かは分からないが……」
「……傭兵は理念より正義より明日のおまんまのため戦う、だから今日の味方が明日の敵になることもある……っすか」
「まあ、そういうことだ……ではな、命があったらまた会おう」
笑いながら手を振り、ラーミナは店を後にする。
行く先はまだ決めていない、今日もまた強者を求めて……あと、依頼も求めて旅暮らしだ。
そのお供に、挽歌を口ずさみながら彼女は歩く。
歌い慣れたその歌は、すっかりと上達してかつての面影などまるで無い。
だが……いつもいつも歌っているから、たまには他の歌も歌いたくなってきた。
そのうち、明るい歌を知る者と出会いたいな……などと考えながらラーミナは笑う。
そんな彼女が明るい歌のスペシャリストと出会うのは、この時から数年先の話だった。
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