「そういえばメイドのお嬢さん、お名前は?」
「はい、私はここレプレの街で一番の商人デネボラ様のメイドをしている、シャハルと申します!」
「へえ……良いお名前ですわね、シャハルさんか……アタ……くしは有栖、こいつが真白ですわ」
「アリスさんにマシロさん……よろしくお願いします!」
軽く自己紹介をしながら、三人はのんびり街を歩いて行く。
先ほどまでのひったくり騒動が嘘のように平穏な光景だ。
有栖が肩にひったくりを担いでいなければ、完全に優雅なお散歩だったろうに。
そういえば犬の獣人はやはり散歩が好きなのだろうか、などと考えてしまう。
何せ獣人というのはどこまでが獣に近く、どこまで人間に近いのかがよく分からない。
この辺りは獣人初体験ゆえ仕方がない部分ではあるのだろう。
「そういえばせっかくだし、この街のこととか聞きたいな」
「はい、良いですよ!」
真白の質問に尻尾を振りながら喜ぶシャハル。
その姿は実に愛らしい……。
背丈は160の有栖や157の真白より少し大きいくらいだが、仕草も相まってまるで人懐こい大型犬のようだ。
そういえば、このような形容をしてしまうと獣人には失礼に当たるのだろうか、その辺りも今後学んでいかなくてはいけないな……と有栖は考える。
一方、真白は持ち前の人当たりの良さからシャハルの説明を積極的に聞きにいっているらしい。
「まず、この街は近隣に川や森を多く有する豊かな土地に出来ていまして、非常に多くの資源に恵まれているんです」
レプレにおける主産業は、農業、畜産、果実、そして何より養蜂だ。
どうやら二人が通ってきた森の辺りにはミツバチが多く生息しているらしく、それを飼育して得た蜜で蜂蜜酒などを作っているらしい。
それらを輸出して得た金で諸都市の主産業を輸入し、それをこの地で販売する……。
そういった貿易業で一財を築いたのがシャハルの主君である男性、デネボラだという。
元々は小さな商家だったが、彼はそのフットワークによって一代で街一番の商家に上り詰めた。
しかしそれでも暮らしはどちらかといえば質素な方で、メイドに関してもシャハルしか雇っていないという。
「運気には上下があり、常に好調とは限らない、過剰に人を雇いすぎて運が下を向いたときに失職させ路頭に迷わせるようではいけない……という理由なんですって」
「へえ……マジで立派な方なんですのね、尊敬しちまいますわ……あっ」
つい素が漏れてしまい、口を押さえる有栖。
異邦の地でも……いや、異邦の地だからこそ本性は隠そうと思っているのだが。
しかしどうも三つ子の魂百までといった話。
ついつい素が漏れ出てしまうらしい。
そんな自分を有栖は恥じるが……しかし、シャハルの反応は予想外のものだった。
目を輝かせ、口を開いているのだ。
「あのあの、ひったくりを倒したときの格好良い口調……いつもはしないんですか?」
「え……いやそれはその……あ、あんな荒くて雑な口調普段使いするわけねえですわよ」
しどろもどろになる有栖、その脇腹を真白が肘で小突く。
ニヤニヤとした……悪戯っ子のような表情だ。
その顔つきに、有栖は思わず口をすぼめてしまう。
「んだよ、その目は……いやらしくってよ」
「いや別にぃー? こう言われてるんだし、こういう場所でくらい素を出しても良いんじゃない? 私もあっちのが馴染み有って好きだなー」
「るっせ……こういう場所だからこそ、気を遣うんだろうが……ですわ……」
さしものスケバンも幼馴染みに好きといわれれば赤くなるようだ。
すっかりタジタジといった様子になり頬を掻く有栖。
そんな彼女の前で、シャハルが足を止めた。
「つきました、ここがデネボラ様のお屋敷です!」
「ここが……大分立派なところだねえ、バイクどこになら駐めていい?」
「そこの来客用厩舎にどうぞ!」
来客用厩舎、そういいながら指さした先には確かに厩舎が有る。
馬が止まる場所というが、馬糞などで汚れている様子もなく手入れが行き届いているようだ。
これならバイクを駐めても安心だろう。
そう考えていると、屋敷の方から一人の男性が歩いてきた。
モノクルをかけて、紳士的な黒いタキシードに身を包んだ白兎の獣人……如何にもやり手の中年紳士といった雰囲気の人物だ。
見た目で人を判断するのは浅はかかもしれないが、それでも彼の放つ雰囲気……言うなればオーラだろうか、それは侮れない人物である事を示しているように感じる。
「お帰りシャハル、遅いから心配したよ、そちらの方々は?」
「はい、デネボラ様! こちら金髪の方がアリス様、黒髪の方がマシロ様です! 私がひったくりに荷物を奪われたところを、助けてくださったんです!」
「おお、それは……うちのメイドがお世話になりました、心から感謝を申し上げます」
深々と頭を下げるデネボラ……。
有栖にしろ真白にしろ、人のために動くのは初めてではない。
何せ羅美吊兎叛徒は元々、近隣を脅かす悪質な者達を老若問わず警察に代わってお仕置きすべく結成されたチームなのだ。
やがてそれは他に居場所のない者や強い怒りを抱く者を集めて大規模なグループとなり、義侠に篤い伝説のレディースとまで呼ばれるようになった。
しかし、それでもやはり義のために結成されたところで愚連隊は愚連隊。
私刑行為のため集まった集団など周囲に敬遠される存在ゆえ、こうしてストレートに礼を言われるのは慣れていないのだ。
どうもこそばゆいというか、ソワソワしてしまう。
「えーと……デネボラさん、頭など下げなくても大丈夫ですわ、私は私の信ずる義侠と筋の精神に従い、すべき事をしただけですもの……あの男は盗みを行った、なら返すのが筋ってえ話……それだけですわ」
「もう、恥ずかしがらずに素直に受け止めなよ、どういたしましてデネボラおじさま」
「はぁ? べ、別に恥ずかしがってなんざねえですわよ! 舐め腐りやがんないでくださいますこと!?」
肩をすくめる真白、そして顔を真っ赤にしながらバタバタする有栖。
その様子を見ながら、デネボラは若さが眩しいのか微笑ましげに目を細めた。
そして……こっそりと有栖達の服装を確認する。
貿易商の目利きだ、彼らがこの近辺の服を纏っていないことはすぐ分かるらしい。
「失礼ながら、お二方は諸外国のお生まれで?」
「あ、ええ……外国からこの地に迷い込んでしまいましたの」
「なるほど……それは大変ですね、大方宿もないのでしょう? よろしければ一晩我が家に泊まりませんか、来客用ベッドには事欠きませんのでな」
「わあ、それ良いですね! 是非来てください!」
デネボラの申し出に歓喜するシャハル。
これは言うなれば、渡りに船といったところだろう。
そろそろ日も暮れてきて……このままでは野宿になるところだった。
ひったくりが横行するような場所での野宿がどれだけ危険かは言うまでもない。
それを避けられるというのはまさに重畳、断る理由はないだろう。
「では、よろしくお願い致しますわ、デネボラさん」
「一晩お世話になります、デネボラおじさま!」
「ええ、ぜひぜひ、シャハル……二人を客室へ」
「はい! ではこちらへどうぞ!」
シャハルの言葉に従い、二人は歩き出す。
が……ふと有栖はひったくりを担いだままな事に気付いた。
ずっと荷物を持っているとそれが自然になり、持っていることすら忘れることがあるのだ。
肩掛け鞄をかけたまま鞄がどこか探す時のような感覚と言えるだろうか。
「あー……そういえば、このシャバぞ……御方はどうしましょう、気絶させたひったくり犯なのですけれど」
「おお、それは……! では私の方で拘束し、衛兵に突き出すとしましょうか、ありがとうございます」
礼を言い、ひったくり犯を受け取ろうとするデネボラ。
しかし……突如ひったくり犯が目を開くと暴れ始めた。
デネボラに掴みかかり、彼を人質に取ろうとする。
「む……意識があったのですな、いや快復していたのか……」
「うるせえ! 黙って人質に取られろ! 街から出たら解放してやる!」
「あ、あああっ! デネボラ様!!!」
慌てた声を上げるシャハル。
その隣で有栖はじっと、二人の様子を見ていた。
真白もまた慌てた様子がない。
「ダメです、おやめくださいひったくり犯の方!」
「うるせえ! 黙ってろクソメイド!」
「いえ、ダメです、デネボラ様はダメなんです!」
シャハルが叫ぶが、ひったくり犯は抵抗をやめない。
だが有栖と真白にはやはり慌てた様子は無く、デネボラも冷静だ。
彼はひったくり犯の目をじっと見ながら問いかける。
「彼女……アリス殿の言葉をお借りするなら、このまま大人しく出頭すれば余罪は増えず、ここで抵抗すれば余罪が増えるのが筋というもの……抵抗は終わりにしませんかな?」
「うるせえジジイ! 黙って協力しやがれ!」
「……まったく、少しお灸が必要か……反省しなさい!」
聞く耳を持たないひったくり。
そんな彼の足にデネボラは自らの足を引っかける。
そしてひったくり犯の肩を掴んで引っ張ると、そのままひったくり犯が宙に舞った。
実に華麗な柔術の技……そのすご技にひったくり犯は何が起きたかも分からないまま回転し、地面へ背中から落下する。
その際に後頭部を強かに打ち付けたらしく、また白目をむいて気絶してしまった。
「ああ……だから言ったのに……デネボラ様は、このティエラでも屈指の柔術家なんですよ……」
「ふふ、中年と侮るのは若人の悪癖……ですな」
タキシードを払い、整えるデネボラ。
そんな彼の隣で、シャハルは再度の抵抗ができないようにロープを持ってきてひったくり犯を縛る。
見事な流れだ……有栖は思わず感心し、拍手をする。
「お見事ですわ、デネボラさん! なんてすげえ柔術ですの、私のような剛の技術では出来ない柔の動き……感服致しましたわ!」
「いつまでも捕縛できない時点で気付くべきだったのに、なんというか未熟だねえ」
「ははは、いやあ照れますな……若い娘に褒められるというのは」
兎らしく周囲に飛び出た髭をさすり、照れ笑いするデネボラ。
有栖は武に覚えのある者として、彼の技術を是非聞いてみたいとすら考える。
しかし、それは何とかグッと堪え……首を左右に振る。
そして、案内を再開したシャハルの後ろについていくのだった……。
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