「あーいたたた、誰かさんが突き飛ばしたせいで腰がいてーなー」
「……悪かったですわね、ですからそういう嫌みったらしいのやめませんこと?」
「へんっ、だったらその乗り物……バイクだっけ? 上に乗せてくれよ、歩くの疲れた」
「はあ? これ、だいたい350キログラム……って言っても分からないか、ええと……軽く見積もってもあなた5・6人分くらいの重さですのよ!? その上にあなたまで乗せて押せるわけねーですわよ」
プシュケーへの道中……不安になる要素は多いが、気にしても仕方がないと今は無心で歩くことにした有栖に、オノスがちょっかいをかける。
その様子を見ながら真白は「んー」と顎をさすった。
今朝何があったかを有栖からしっかり聞いたため、その事について考察しているのだ。
考えるのは有栖ではなく真白の役目、それは羅美吊兎叛徒の頃から変わらない。
とはいえ、真白の考えにも時に抜けは有るので、そこに欠けたピースをはめるのは有栖の仕事。
双方決して、どちらかに任せきりとはならないのが二人の生き様だ。
(有栖ちゃんは勇者に瓜二つで、魔王は私にそっくりな雰囲気か……)
「マシロさん、どうかしましたか?」
「ん? あー……私って怖い? ちょっとね、世間的に怖いイメージが有るっぽい人と似てるって言われたんだよね」
「え、それはその……」
真白に向け、問いかけるシャハル。
そんな彼女を見ながら真白は問いかけに問いかけを投げ返す。
そのキラーパスに、シャハルは思わずまごついてしまった。
怖いか怖くないかで言われると、人の持つアライメントと言った物が見えるシャハルにとって真白のような明るく笑いつつ裏に何かを秘めている人間は正直怖い。
元ギャンブラーとしても、飄々として裏の顔を見せない……一種のポーカーフェイスの持ち主は怖いのだ。
しかしシャハルとてこれでも元ギャンブラー。
この気持ちは裏に隠したまま、笑顔で首を左右に振った。
「いいえ、怖くないですよ」
「んー、そっかあ……」
シャハルの答えに、真白は小さく「忖度されたら逆に怖いって分かるんだけどなあ」と呟きを漏らす。
何はともあれ……やはり人を見る目が有るシャハルからしてみれば真白は怖いようだ。
流石は羅美吊兎叛徒の笑いながら人を殺してそうな方、と言える。
それはさておき怖いイメージがあると言われた真白は、魔王こと窮奇も同様のイメージなのか考え込む。
実際に会った有栖からしてみると二人の雰囲気は似ているらしいが……実に謎だ。
これを確認するのにちょうどいいのは、やはり朧に会って話を聞くことだが……そんな状況はどうすれば作れるのだろうか。
そう考えていると、目の前で突如大きな音がした。
見るとバイクが倒れ、誰かが街道沿いの山に向け走って行く……。
その手にはガソリンの入った携行缶が握られているようだ。
「有栖ちゃん! 大丈夫!?」
「ってえ……! 何とか平気ですわ!」
横転したバイクの下敷きになった有栖を助け起こす真白。
その隣で、オノスが「おっも!」と言いながらバイクを起こす。
一方シャハルは天の慧眼を発動しようとするが……相手の方が一足早く、射程範囲外に出てしまったようだ。
どうやら盗人は携行缶だけに目を付けていたらしく、それ以外に盗まれた物はない。
それは幸運のようでいて……実際はかなりの不運だろう。
有栖は内心、金が盗まれた方がマシだったとすら思ったくらいだ。
「やべえ……! ガソリン入りの携行缶が盗まれちまいましたわ!」
「マジ? それはまずいよね……」
「は? アレってそんなヤバい奴なのか?」
「まずいに決まってますわ! 山なんかに持っていきやがって……下手をすれば辺り一帯山火事になるような火薬ですわよ!」
ガソリンは静電気一つで発火の可能性がある危険な液体。
更に沸点が低くとも30度とかなり低く常温でも常に気化する可能性がある、それの何が恐ろしいかというと、引火性の液体の燃える原理だ。
こういったものは液体自体が発火するのではなく、蒸発燃焼と呼ばれる現象によって燃え上がる。
可燃性蒸気が蒸発で生まれ、それが着火するのだ、そうなれば周辺温度は急上昇し、更なる蒸発燃焼を招く……負の連鎖の始まりだ。
故に、携行缶や給油口にはきっちりと蓋をすることが重要となる。
「ええと……でも山の中にも水魔法の使い手くらいはいると思いますよ、山火事に備えて一人くらいは配置する政策が出てますので」
「ダメだね、油火災って水厳禁なんだよ……油は水に溶けないし、水より軽くて浮いちゃうから……だから燃え広がっちゃうの」
「火が水の上を通って移動する……っていうのか!?」
対処法としては、いずれも霧状の粉末、強化液、泡、ガス……そういった消火器で鎮火することだろう。
所謂窒息効果で火に酸素が行き渡らないようにして鎮火するのだ。
しかし、この世界にそんなものと互換する存在が有るかどうか……。
歯噛みする有栖、バイク用車載消火器はあるが、飽くまでこれは車体といった狭い範囲を消火するための物、山火事には太刀打ちできない。
兎に角今は、火事が起きる前に盗人を捜すのが先決だ。
「やべえ事になる前に、行きますわよ真白! あのシャバ僧が火事を起こす前に、なんとしても見つけねえと……! アンタ達もついてきやがりなさいまし!」
「うん、飛ばそう!」
バイクに乗り、ヘルメットを纏い真白を後ろに乗せて有栖はキーを回す。
そして二人を退去させるとそのまま山へ入り込む。
危険なオフロードだ、木の根……石、動物、虫……。
動けばバイクはガタガタと揺れ、動物や虫が行く手を阻む。
枝が顔面に当たる事もあるし、フルフェイスのヘルメットを着用したとはいえ衝撃は感じる。
だが、それでも走らなくてはいけない、ここで我が身可愛さに躊躇えば沢山の命が失われるかもしれないのだ。
そう考えながら走っていると、段々と道が開け……男の姿が目に入った。
黒髪の中年男で、手には携行缶が握られている。
今にも蓋を開けそうな様子だ。
「待ちやがれ! アンタ、それをすぐ返すんだよ! アンタの手に負える代物じゃねえ!」
「あ……!? さっきの女か、へへっ……どうやらコイツはよほどの良いもんらしいな」
下卑た笑みを浮かべる男。
その様子に有栖は思わず舌打ちをし、激しく苛立つ。
一方の真白は現実を何も分かっていない姿に呆れているようだ。
兎にも角にも、取り返さないことには始まらない、まずは携行缶を開けさせないところからだ。
力尽くで取り返そうとしてこぼれれば元も子もない、なんとか説得して返させる……それしかないだろう。
「良いか、その携行缶を開けばもしかするとこの山一面向こう数日は焼け続けるかもしれないんだ、それだけ危険な液体が入ってるんだよ!」
「ほう、そいつはまさか伝説のファイアースライムでも封じられてるって事か?」
「違う! そういう話じゃない、それは危険な火薬なんだよ! 絶対に開くな! テメエも死ぬぞ!」
現実を理解していない様子の男、その身を案じる気持ちも有り有栖は制止する。
だが……案じたことが逆効果だった。
男は盗人の自分を案じるはずなどないと決め込み、はったりを言って騙そうとしていると踏んだのだ。
「へっ、そんな嘘通用しねえよ!」
「……! 馬鹿野郎!」
蓋を開ける男。
こうなれば力尽くで蓋を閉めさせるしかない。
そう考えた有栖は突撃し、蓋を力尽くでしめる。
そして男から携行缶を奪い返すと男の顔面に拳をたたき込んだ。
「なんで言うことが聞けない!? 死にたいのか!」
「い、いてえ……! やりやがったな!」
苛立ちから与えられた一撃に、男もまた苛立つ。
そして反撃に裏拳をし……それが携行缶を持つ手に当たり、蓋が開いた。
そのままガソリンが男にかかり……男は顔をしかめる。
「うげえっ、くせえ……!」
「しまっ……!?」
体に付着した液体を男は拭おうと手でこする。
それがいけなかった……男の纏っていた毛皮の服、そこに静電気が生じてしまう。
そして……男の体から火が上がった。
「え……?」
「馬鹿野郎、だから言ったんだ! アタイの忠告を無視しやがって!」
「あ、い、いぎっ、ぎゃああああ!!!!」
全身に燃え広がっていく火。
なんとか消火スプレーを使おうとするも、男が悶えるせいで狙いが定まらない。
このままでは燃え広がってしまう……そう考えるが、男の動きは止まらない。
男はそのまま走り、悶え……山の崖際から下へと……木々に燃え移った火と悲鳴だけ残して転げ落ちていった。
街道側のような追っていける場所ではない……山のもっと深い場所、溝の中だ。
周りにはやはり、燃え広がる原因になるような木々がいっぱい生い茂っている……。
もう遅い、そんな言葉が頭をよぎる。
そして、有栖は叫んだ。
「火事だ! 山火事が起きるぞ! 逃げてくれ! 水じゃ消せない火事が起きてしまう!!! 逃げるんだ!!!」
近隣の住人に届くよう、避難を求める叫びを……腹の底からの大声で。
何故こうなった、そう考えそうになるが今はそんな場合ではない。
有栖は山の奥、崖側へと走り出した。
「えっ、どこ行くの!?」
「崖下近くに住んでいる奴がいるかもしれない、あの道から避難を促しに行ってくる! 真白はこの辺りを頼む!」
「ええ、ちょっと!?」
これは一種の賭けでもある。
窮奇は自分を重要視しているのだから、いざとなれば転移で救出するだろう。
そう踏んだ大バクチ。
命をチップにした一世一代の賭けだ。
今は兎に角一人でも多く救う。
そう考えながら有栖は車載消火器を片手に奥へ走って行くのだった。
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