一つの年が過ぎ去れば、また次の年が始まる。
それで何かが急激に変わるわけではないけれど、でも気持ちを切り替えるには良いタイミングだ。
だから皆、新年の変わり目にかけてやり残した仕事を終えたり、散らかった部屋を片付けたりと心機一転をする。
さて、そんな風習はティエラ世界でも同じようで……。
「はー、あと少しで年明けかあ……書類仕事はこれで粗方どうにかなったかな」
「お疲れ様です、領主様」
「日下さんもお疲れ様、手伝ってくれてありがとうね」
大きく伸びをして立ち上がり、真白は窓から外を見る。
雪の積もった外の景色……そして美しい月、これで花があれば雪月花揃い踏みだ。
風流な景色というのは仕事の報酬にちょうど良いだろう。
俗にいう雅、優雅さ、そういった美的価値というのを楽しむ気持ちも忘れてはいけない。
最近はそう考えることが出来る余裕というものが身についてきたように思う。
少しは自分も成長できた……ということなのだろうか。
なんだか感慨深くなる真白、その後ろで日下は魔力時計をじっと見つめた。
魔力時計とは体内の生体気バイオリズムを記録し、その動きを参照して時間を計る装置だ。
体内バイオリズムに狂いがなければ、もう二十分ほどで年明けが来るらしい。
「そちらの世界では、どんな年明けを迎えていたのですか?」
「ん? んー……テレビって、ほらファイアーデッセイ号の艦内で見せたモニターっていう装置があるよね、あれの家庭用みたいな奴があるんだけど……それでお正月の番組を見てたかなあ、あ……番組っていうのはテレビに通信を受信して見る大衆演劇みたいな感じ」
「なるほど……こちらでも特定の記念日に日付にちなんだショーの類いをする事がありますが、そういう物がそちらの世界にもあるのですね」
ファイアーデッセイ号の存在を家臣団に明かした際、真白は自分が異世界人だということも同時に明かした。
そんな真白がどんな年越しを過ごしてきたのか日下は興味津々らしく、返ってきた答えを自分なりに解釈して頷いている。
その様子を見ながら、真白はやはり異世界となると皆興味を抱くものなのだな……と感じつつ、日下の言葉を反芻していた。
「しかし、ショーね……」
ショー、そう呟きながら真白は領地を通過した旅の劇団が置いていったチラシを見る。
魔術印字と呼ばれる出版技術で刷られたチラシには、ラコーン&サヌク歌劇団と団長・副団長の名前が連名で記されていた。
首都への道すがらこのチラシを配りに来たという彼らは、確か首都の大劇場で年越しショーを行うと話していたか。
こんなご時世に……と言う者もいるだろうが、むしろこんなご時世だからこそなのだろう。
災害、陰謀、皆心が暗くなる時勢だからこそ歌劇で人を癒やすのだ。
その考え方に触れたことで、真白は少しだけステラとラーミナを思い出した。
彼らは元気にしているのだろうか……まあどちらも殺しても死ななそうな連中だが。
そんな半ば失礼な事を考え、真白は静かに笑う。
一方日下は、時計を再度見ると「そろそろ……」と呟いた。
「領主様、そろそろ食堂へ向かいましょう、水行寺が年越し用のメニューを作っているそうですので」
「ほんと? それは良いね、じゃあ皆で食べようか」
「ええ、団欒の時を過ごすとしましょう」
年越し用のメニュー、そう聞いた真白は腹を鳴らしながら部屋を出る。
仕事が忙しい日だと食事も簡素になりがちなのだ、無論そこは水行寺なので栄養価をしっかり考えたうえで速く食べられるメニューなのだが。
しかし、それでも食べ足りなさはどうしても感じてしまう。
そんな現状に年越し用のメニューが作られていると聞くのは、まさしく渡りに船。
真白のテンションは今最高潮まで高まっていた。
「恐らく他の家臣団は集まっているはずですが、金城さんだけはまだ警備任務中でしょうね」
「そっか、じゃあ食休みに呼んであげようか」
金城はファスラと一体化した時点で肉体的には抗体となっている。
実を言うとスライム系の抗体というのは構成する概念にもよるが基本的に食事も睡眠も必要としない……三大欲求が不要な種だ。
なんなら体力という概念だって特にない。
そのためハードスケジュールで働いてばかりなのだが、事情を知らない真白達からするとブラック勤務を自ら望む変わり者にしか思えないのだ。
そのため、誰かが休憩に入る際はなるべく誘う、働きづめだと気付いたら上席命令で休ませる、というルールが出来ている。
そうすれば金城は新人なので逆らえない。
もちろん金城からすればまだ働けるのに休むのは微妙な気持ちにはなるのだが、開き直ってファスラと話したり買い物に向かったりしているそうな。
「お、いたいた」
「あっ、領主様、休憩ですか?」
「そうそう、年越し用のメニューを水行寺さんが作ってくれたんだって、皆で一緒に食べようよ」
「ええと、分かりました、じゃあ行きます」
真白の提案を受け、金城は見回りを中断する。
食事に呼ばれたのであれば、休憩もやぶさかではない。
先ほど食事を必要としない肉体と言ったが、実のところ必須でこそないものの食事をする意味自体は存在しているのだ。
スライム化した肉体は味覚というものが……というより五感のうち味覚・嗅覚・触覚自体が存在しないため何を食べても味はない。
ついでに言えば生命維持に栄養も必要としない……しかし、食べることの意味はある。
スライムの肉体は有機物無機物問わず体内に入れて溶かした物からエネルギーを回収出来るのだ、そしてファイアースライムである彼女達は体の炎をエネルギー消費により更なる高火力へと変えられる。
それを聞いて以来、有事に備えてエネルギーをチャージするべく床の埃を歩きながら吸収したり、野良ネズミや虫を取り込んだりしているのだが……。
しかし、補充できるエネルギー量は栄養価の高いもの程大きいこと。
そしてエネルギーは時間が経てばそれすら溶解されていくのだが、高エネルギーであるほど長持ちする事が分かったのだ。
感覚としては現代人がより長持ちする電池を選ぶような考え方なのだろう。
そんな一種の合理主義により食事は積極的に行っているのだ。
ただ、味の感想は上手く伝えられないので水行寺からは味音痴と思われているようだが……。
それでも特に怒られないのは、食事という行為における本質の一つである栄養補給を大の目的としているからなのだろう。
『あーあ、人間と同化したら私も味とか感じられるかと思ったのになあ』
脳内に響くファスラの愚痴に苦笑しつつ真白達についていく金城。
その視界に食堂のドアが入り込んできた……。
どうやら、日下の言うとおり中には家臣団が勢ぞろいしているらしい。
……そして、若干酒の臭いがする。
どうやら月岡は既に出来上がっているらしい。
気が早くないか、真白はそう内心で考えながら、机に突っ伏した月岡を揺さぶった。
「ほらほら……まだ年明け前なんだから寝るには早いよ」
「は、はひい……すいませえん……」
「火折、どうしてこんなことになっているの?」
「……俺が先に飲んでいたらヒョウリがな……暗殺カルト教団育ちで一通りの毒に耐性のある自分なら酒もいけるはずと言いだして、一杯飲んだらこのザマだ」
琥珀色の米酒が入ったグラスを傾け、火折は呆れた顔をする。
種族柄、火折と水行寺は酒が強い。
そのため二人は強い酒をジュースのような感覚で飲むことが出来るのだ。
それを見てきたヒョウリは毒に耐性を持つよう育てられた自分ならば同じように飲めると考えたらしい……が、その結果がこれである。
恐らくは、好きな男と同じ事をしてみたいという乙女心も含んでの行動なのだろう。
恋というのはいつだって複雑なものなのだ。
真白だって有栖の真似をして始めたものは幾つか有るのでよく分かる。
しかし……その結果がこれでは締まらない、ラブロマンスというよりかはラブコメディーだ。
きっとこれも若さということなのだろう、月岡は真白より年上だが、それでもだ。
「……ヌードルを持ってきました」
「これは……年越しそば?」
「……ええ、北部禁足地より運ばれてきたという地下の物資、その中にあった料理本で年越しメニューとして紹介されていましたので私なりに再現してみました」
私なりに、というのはかつての世界と違い今の世界では手に入らない物が有る事や、内陸のプラード領ではエビなどをすぐ仕入れられない事を指しているのだろう。
また、石臼挽き機などもプラード領には存在しないため、麺の作り方も少し変わっているのだ。
それでも……戻れない故郷を思い出すメニューに、真白は少し涙ぐんだ。
「ありがとうね、水行寺さん……なんかその、凄く嬉しくて上手く言葉に出来ないや……」
「いえ……それより、年がそろそろ明けますよ」
「本当ね……では領主様、祝いの音頭を是非」
「ほら月岡、いい加減に起きろ」
「は、はひい……お、起きてまふよお……」
(こんな人数で祝う年明けは初めてだなあ……ドキドキするなあ)
『私は逆にいつもより少ないうえに家族がいないから新鮮かも!』
魔力時計を提示する水行寺。
それに気付き魔力式拡声機を真白へ渡す日下。
月岡を起こそうとする火折。
一方でベロンベロンとなり突っ伏したまま手をヒラヒラと振る月岡。
慣れない年明けにソワソワする金城。
その内側で金城以外には聞こえない声を上げるファスラ。
慌ただしい年明けの風景を見て、かつて羅美吊兎叛徒の仲間と過ごした時間を思い出しながら真白は涙を拭う。
そして穏やかに笑うと……拡声機を受け取り、時計を確認して声を上げた。
「明けまして、おめでとう!」
声を上げながら、真白は懐かしき日々を思い返す。
そして……来年は、来年こそはここに有栖もいて欲しい……。
そんな事を考えつつ、同時に「でも怪獣用の蕎麦は何人前になるのかな」と想像して笑うのだった。
その頃、山奥の名も無き村では……。
偶然にも立ち寄ったステラが、村人へと新年祝賀用の踊りを披露していた。
ちなみにラーミナは「年が変わろうとやることは変わらん」と言い既に寝ている。
何はともあれ、普段から踊りを練習しているだけありその動きには一瞬たりとも乱れがない。
ラーミナにこの踊りをみせられないのは勿体ないが、今は踊ることに集中するとしよう。
そう心を切り替えて踊るステラ。
その姿を見ながら村人達は声を上げた。
「おお……なんと美しい踊りだ……」
「あの周りをふよふよしてる布はなんなんだ? あれが神秘性を増させているよな」
「あれは紗幕っていうんだよ、舞台劇で霧の表現に使う奴さ」
紗幕の間で踊るステラ、皆がその姿に見とれる中……ふとプルメリアは「紗幕か……」と呟いた。
何故だろう、不思議と紗幕には懐かしさ……そんな感情を抱くのだ。
なくした記憶に関係しているのだろうか、そう考えているとシャムスもまた懐かしそうに頷いた。
「紗幕……懐かしいですね、貴族だった頃は兄弟姉妹と連れだって観劇しに行ったりしたな……」
「観劇、か……」
この懐かしさは過去に紗幕を客席側から見ていたということなのだろうか?
そんな気もする、だが……それだけではない。
自分もかつて、紗幕を使っていたような……そんな気がするのだ。
勿論それは、記憶を失う前のプルメリアであるペガシスの経験と矛盾する。
かつてはプルミエ筆頭貴族とでも言うべきアーヌの家に居た女が舞台に立つなど有り得ないからだ。
では、これは何の記憶なのか、誰の記憶なのか。
元の自分が何者かも知らないプルメリアは、その矛盾にも気付かぬまま自分はかつて役者だったのだろうか……などと考えるのだった。
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