三重時雨は筋金入りの鈍感である。
西尾工業専門学校の頃から……いや、それよりも前の義務教育時代から、それはそれは多くの者を無自覚に振るなどして男女問わず泣かせてきた女だ。
校舎裏に呼び出されれば、何か喧嘩にでもなるのではと勘違いして教師を呼んだせいで告白がオーディエンス付きになってご破算。
付き合って欲しいと言われれば「何処まで行くんだ? ツーリングなら良いけど、あんま時間かかるとこは今日無理だぞ」と言い出すわ。
一緒に帰ろうと誘われれば「お前んち真逆だろ、忘れてるなんてドジだなアンタ」と本人としてはごくごく真剣に空気を読まなかったり。
挙げ句の果てに、後輩に告白されたら笑いながら「ああ、あたしも好きだぞ、アンタ弟みたいだしな、あたしは孤児なんだけど……育った施設にも似たような奴がいてさ」と語り出して泣かせる始末。
そんな性格からか、ついたあだ名は鈍感女王、男女泣かせ、恋愛感覚幼稚園児、ミス不感症コンテスト一位、その他諸々……。
だというのに、三重の外見と性格に惹かれて告白しようと挑む男女は今も昔も絶えないというのだから、本当に罪な女である。
……露没斗同盟HPに掲載予定のメンバー紹介……その下書きに失礼な文章を書いている二十間川。
彼女の後頭部を視界に捉え、三重が丸めた雑誌を片手に歩み寄る……そしてバットスイングの要領で勢い良く振りぬくが、二十間川は体をすかさず下に動かして殴られるのを回避した。
「うおっ、ちょこざいな! 避けるな二十間川! 待てよ!」
「へへーん、残念でした! 衣擦れ、足音、丸める音! それだけ鳴らしちゃねえ、二十間川様は音に敏感なんだよーっと! ぎゃはは!」
三重の攻撃を回避し、逃げ出す二十間川。
彼女の耳は常軌を逸しているほどに敏感である。
本人曰く、目を閉じていたとしても、ぎゃははと一笑いしようものなら音の反響で周囲にある物の位置が分かる……といったレベルらしい。
……それは俗に言う、反響定位、エコロケーションと呼ばれるそれであり、人間が持っていたらおかしい技能なので十中八九間違いなく嘘なのだろうが。
だがそれはさておいて、二十間川の聴覚が優れていることや、彼女が物事によく気付く敏感な性質をしているのは確かだ。
今のような背後からの攻撃を衣擦れなどの細やかな音だけで回避するなんて神業も然り。
物探しをしているとすぐ見つけてくれるし、なんなら死角に置かれている物ですら何処に有るのか即座に言い当てることがある。
ただ奇人・二十間川の事なので、自分で変な場所に置いてから「そこに有るよ」と言っている自作自演の可能性もまた然りではあるのだが……。
何はともあれ、二十間川が音に対して非情に鋭敏な感覚を有しているというのは事実らしい。
もしも彼女が誰かから不意打ちを食らうような事があれば、それはわざとなのではと言われるくらいだ。
……そんな彼女を見ながら、一宮は皮を剥いた柑橘類を口に運ぶ。
そして口の中で咀嚼すると……果肉から、甘い汁が勢い良く飛び出て舌を濡らした。
「はあ……美味い、ほんと美味い……一宮家にいた頃からずっと大好きですわ……」
「ぎゃはは! 一宮っち、素の口調が少し漏れ出てるよ! おばさんも居ないのに、珍しいじゃん」
「っと……! まあ、そうなるのも仕方ないくらい好きなんだよ……しょうがないだろ? 誰だって好物の一つや二つ有るんだから」
一宮の好きな果物はポンカンである。
柑橘類の中では酸味が少なく、濃厚且つまろやかな甘みが特徴的なこの果実、長い歴史を有し、今なお根強い人気を誇るミカンの一種だ。
原産地はインドであり、アジア各所で栽培されているこのミカン……一見皮が厚めに見えるため、剥きにくそうと思われることも多い。
だが実際は果肉と皮の間に若干の隙間があり、皮はとても剥きやすくなっているのだ。
そんなポンカンを子供の頃から好んで食べてきたため、柑橘類好きではあるのだが、酸味が強めの柑橘類は苦手というのも一宮の特徴だろう。
逆にポンカンはじめ甘みが強めで酸味の薄い柑橘類に関してはかなり好んでおり、露没斗同盟アジトの冷蔵庫には常に三個ほど入っているし、食べ途中のを一房欲しいと言われただけでも葛藤するくらいだ。
そんなポンカン大好き一宮の傍らで……PCで麻雀を打っていた四日市はその鉄面皮を少ししかめた。
「ポン、カン、ついでにチーも、出来る状況になった……どれをしよう、悩ましい……」
「……んむっ、また麻雀やってんのか?」
「こういう遊びは、状況に即した判断力を、磨くのにちょうどいい」
一宮に問われ、説明を行う四日市。
ポンは相手の打牌含めて同じ牌を三つ、チーは順番の数字を三つ、カンは相手の打牌と自分の手牌三つもしくは引いた牌と手牌で四つ同じのを揃えること、なんて解説も御丁寧に行っているが……。
……そんなことをしている間に、彼女の放置していた画面の中で入力待機時間が終了してスキップされてしまう。
結局、ポンもカンもチーも出来なかったようだ……しかも用意された入力待機時間を使い切ったことにより、次の手からは最小の待機時間となってしまった。
「あ……」
無慈悲にも進んでいく卓を見ながら、四日市が声を上げる。
切なく悲しい、そして話しかけて集中を切らしてしまった一宮としても少し気まずい瞬間だ。
だが……四日市はすぐに気持ちを切り返るとその頭脳をフル回転させ始めた。
たとえば将棋なら、優れた棋士とは一分将棋になろうとも勝利をもぎ取っていくもの。
それと同じで、入力待機時間が最小になろうともこの卓で勝利を掴んでみせる。
四日市はそう決意したのだ。
今、四日市宇井は燃え上がっている。
もちろん物理的にではなく比喩表現的な意味でだ。
「おー、燃えてる燃えてる、ぎゃはは! 実際に炎が見えるかのようじゃん!」
「おいおい、そんなに熱くなって……オーバーヒートすんなよ?」
そんな燃え上がる四日市の元へ、軽口を叩きながら集まってくる二十間川と三重。
ポンカンを貪りつつその様子を見ながら、一宮はぼんやりと「鈍感、敏感、ポンカン、ポンとカン、ついでにチー、カンカン音の鳴る集団だな」と考える。
せっかくだ、アジトである廃工場の入り口にインターホン代わりの小さな銅鑼でも付けてみたら面白いかもしれない。
カンカンなる一行にあわせて、建物もカンカンカンカンと鳴らしてやるのだ。
……そこまで考え、一宮は自分がとてつもなく馬鹿馬鹿しいことを考えていると気付いた。
こういう馬鹿なことのために金を使うのは嫌いじゃないが、節約が趣味の三重にはまた「こら金持ち、いらん事に金使うんじゃない」と言われて怒られてしまうだろう。
ただでさえ、買い物に向かう際も余計な物を買わないようにと監視役についてくるくらいなのだ。
確かに一人でお使いに行った際、露没斗同盟の共有資金を使って「駅前で座っているおじさんが作った何か良い感じの語録を書いてある色紙」を三枚ほど購入したのは自分も悪いと思っているが。
あの時「知らんおっさんのオリジナルかも分からん言葉に何数千円も出しとんじゃ!」と怒られたのは正論だし、怒りのサブミッションを極められたのも全くもって仕方のない話ではあるのも分かってはいる。
しかしだ……だからといって、これ以上買い物に際しての監視を強められてはフィギュア漁りすら心安まらず、たまったものではない。
それは極力避けたいため、一宮はこの馬鹿馬鹿しいプランを胸の中へしまい込むのだった……。
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