「ふう……やっと出られましたわね、どこの世界でも取調室は肩がこりますわ……ま、自業自得ですけど」
「おつとめご苦労様、有栖ちゃん」
「真白! 待っててくださいましたのね」
「へへ、なーんか身元引受人気分だよねえ」
釈放され衛兵詰め所から出てきた有栖は、外の空気を吸いながら伸びをしていた。
そんな彼女に対して、真白が笑いながら肩を叩く。
しかし他の面々は見当たらないようだ。
「他の連中はどうなさいましたの?」
「シャハルちゃんとオノスちゃんは先にデネボラおじさまんち、朧ちゃんはあの店員さん……えっと確かマドレーヌちゃんだっけかな、あの子と今後のことを相談してるよ」
マドレーヌ、どうやらそれが店員の名前らしい。
実に女性らしく可愛らしい名前だ。
それはさておき……何だかんだで久々の二人きり。
二日しか経っていないとはいえ、激動の二日間だったため大分経ったように感じてしまう。
そんなことを考えて息を吐いていると……真白が有栖の肩に手を乗せ、ゆっくり揉み始めた。
「へへへ、お疲れ様!」
「あら、ありがたいですわね……こうやって肩を揉まれるのも大分久々ですわ」
「ねー、羅美吊兎叛徒時代以来かなあ」
昔は、一仕事終えた後にアジトでゆっくり肩を揉まれたものだ。
そんな懐かしい時代を思い出して有栖は息を吐く。
思えば、当時から真白の腕前には目を見張るものがあった。
指の動かし方、力の入れ方まで完璧なのだ。
「ほんと、流石の腕前ですわね」
「でしょ? 昔からお父さんの肩をよく揉んでるからね」
真白の父、それは稲葉組の若頭。
その肩が疲れる機会がどういったものなのかはさておき……。
体格も大きく、それ故ツボもわかりやすい人物である彼の肩を揉んでいたことは、良い経験となっているようだ。
一気に肩の疲れが抜けていくのを感じる。
「かあぁーっ……! たまりませんわねぇ……コイツぁ……!」
「へへ、でしょでしょ? お客さん」
このまま風呂としゃれ込んで、一気に疲れを落としたい気分だ。
そう考えるほどの快感の中……有栖は息を吐いて顔を赤くする。
と……そこに歩いてくる影が二つあった。
朧とマドレーヌだ。
「おっと……あら、気が抜けてるところを見られましたわね」
「見ない方が良かったですかね……とりあえずすいません」
「良いですわ、それより朧さん達の話し合いとやらは済みましたの?」
「ええ……これから私は転移によりモストロへ戻り、モストロで生きることに決めました、ここに居ると辛いことを思い出すので、それを忘れたくて……その話し合いをしていたんです」
モストロ、冷戦中の国の名を出したことに有栖は驚きながら周囲を見るが……どうやら人はいないらしい。
ほっと胸をなで下ろすが……同時に一つ疑問も生まれた。
彼女はモストロをああも嫌っていた、それこそ命の恩人である朧を拒絶するほどに。
それがどういう風の吹き回しなのだろうか。
「それが……朧さんは、私に何があったのか聞くと我が事のように怒り、私費で転移装置の起動までしてくださって……」
「良いんですよ、当然のことじゃないですか」
「でも……作戦外の起動はお金がかかるんでしょう? 中間管理職のお給金はそんなに高くないはずなのに」
「ぐぅっ……! い、いや、いいんですよほんとに……同胞のためですからね」
どうやら、モストロには転移が行えない者でも転移をするための装置があるらしい。
しかもそれは金さえ有れば個人利用も可能なようだ。
それを聞き、真白と有栖は顔を見合わせる。
それを利用すれば……きっと、家に帰るのも夢じゃないはずだ。
何とかして彼らのもとへ向かう必要があるだろう。
勿論、デネボラへの恩義を返し終わってからの話だが。
「へえ……また私達へ恩を売りに来たのかと思ったら、完全に私用で来てましたのね」
「ええ、あの醜く肥え太ったゲス野郎には痛い目を見させないと気が済みませんでしたので」
「ほんと……おかげで私も、心からスッキリしました、ありがとうございます有栖さん、私の分も怒ってくれて」
「い、いえその……私は自分の怒りが抑えきれなくなっただけですわ」
「でも、その怒りのおかげでスッキリした気持ちになってる人間もいるんです、胸を張ってください」
マドレーヌの褒め言葉に、有栖はなんて言って良いのか分からなくなってしまう。
ここまでストレートに褒められることなど滅多にないのだ。
特に今は自分の行動を反省していたところ、どう反応すれば良いのか困り果てるしかない。
そんな有栖に、真白は笑みを向けた。
「ふふふ……有栖ちゃん、こういう時は素直に喜べば良いんだよ、ミスもあったけど、結果的に喜んでる人もいるんだよ? 迷惑かけたことも事実だけど、それだけじゃなかったって事じゃん、物事には清濁がある……だから良い結果も悪い結果もあった、それだけのことでしょ? なら今は良い結果の部分を喜ぼうよ」
「……なるほど」
真白の言葉に、少し心が落ち着いてくる。
何となく胸の中のモヤモヤが晴れた気分だ。
人に迷惑をかけてしまったが、自分の怒りは完全な間違いではなかった。
自分の怒りで救われた者もいるのだ。
そう思うと……マドレーヌのお礼も素直に受け止められる気がする。
「こちらこそありがとうマドレーヌさん、なんというか……アタイは、こう……嬉しいよ、アンタみたいに肯定的に受け止めてくれる人がいて、すげえ満たされた気分になってますわ」
「いえ、こちらこそ改めてありがとうございます、あなたのお役に立てたようで何よりです」
笑顔で一礼し、お礼を言うマドレーヌ。
その姿は盗賊のアジトでつながれ、毛皮を剥がれ、怯えきっていた彼女と同一人物とは思えない明るいものだ。
この笑顔を救った一因が自分の怒りなのだ。
そう思うと心が温かくなって、満たされてくる。
そんな風に考えていると……朧がマドレーヌの肩を叩いた。
「そろそろ行きましょうか、皆待ってると思いますし」
「あ、はい、そうですね……もう最後の心残りも果たしましたし、行きましょうか」
「皆……?」
「ああ、うちには数名使用人がいまして、マドレーヌにもその一員になって貰うんです」
そう言うと、朧はじっと有栖達を見つめる。
その視線には言外の圧があると言えば良いのだろうか……。
一緒に来ないかという問いかけが含まれている気がした。
「まだ行きませんわよ、デネボラさんへ恩を返しきってませんもの」
「……まあいいですけど、早くしてくださいね、また使いっ走りにされるのいやですし……」
「ええ、いいですわ……なるはやでちゃちゃっと仕上げてやりますわよ」
そこまで言い、有栖はふと朧の金色の目を見つめた。
帽子を目深に被っていないので、彼女の月のように輝く瞳がよく見える。
吸い込まれてしまいそうな美しい金色で、一種ミステリアスな雰囲気だ。
「そういえば……あの催眠術は使いませんの、マドレーヌさんを落ち着かせるのに使ってた……」
「ああ、鎮静の魔眼ですか、あれはあなた達には効きませんよ、全く効果が無いと上席に言われてるんで、なんなら試します?」
「え……私達、効かないの……?」
「ええ、上席曰く外なる理を抱える存在には、この世界の理である魔法が殆ど通用しないんだとか……せいぜい効くのは情報を探るとかそういう、相手の状況を動かさないようなものだけ……なんだったかな、だから転移も自らが転移するのではなく、空間を操作するタイプの高等魔術……光の道が必要なんだそうですよ」
外なる理を抱える存在、それが何のことかは分からない。
異世界人という意味なのか、それとも全く違う意味が存在するのか……。
何はともあれ、自分達には殆どの魔法が効かないようだ。
半信半疑だが、試す機会があれば試してみるのも良いかもしれない。
そんなことを考えていると……朧達が光に包まれる。
今回は光の道ではなく転移装置だと言う言葉を証明するように、前回のような光の道は開かれていない。
どうやら本当に作戦外の個人行動だったようだ。
「それじゃあ、私はこれで」
「またお会いしましょうね! 絶対来てくださいね!」
「ええ、いずれ会いましょう、あなたが自信をくれた分の恩義もいずれお返し致しますわ!」
「またねー、元気でねー」
挨拶して手を振り、光と共に消えていく二人。
そんな彼女達に有栖と真白もまた手を振り返す。
そして……二人が消え去ると、後には有栖と真白だけが残された。
「行っちゃったね……」
「そうですわね……アタイ達もそろそろ、デネボラさんちまで戻りますか」
「うん、そうしよっか、お夕飯何かな?」
「そういえば聞いてくださる? 実は取調室でまさかのカツ丼が……」
料理談義に花を咲かせながら、二人はデネボラの家へと歩いて行く。
こうして最初の街……レプレでの慌ただしい二日間が終わりを迎えようとしていた。
最初からトラブル続きの二日間だったが、きっと明日は平和な一日が来るだろう。
そしてその先には、いずれ故郷へ帰れる日が来るはずだ。
そう信じながら、二人はデネボラ邸へ歩いて行くのだった……。
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