貴族に生まれし者、貴族たる誇りを持ち貴族らしく有れ。
それこそが彼女へと最初に与えられた義務だった。
原因不明の出生率低下現象により、平均8つ子は産むはずの犬獣人でありながら4人しか生まれなかったシャレム家。
その一番上の姉……勿論4つ子なので序列など明確にはないが、健康さから一番上ということになった娘シャハルは、下の子達がまだ母の複乳を並んでしゃぶっている中で一足早く乳離れをさせられ教育が課された。
娯楽のない毎日、後に彼女がそう語る日々はまさしく異様そのもの。
子が少ない事への焦りもあったのだろう、世継ぎである彼女には朝から晩まで休むことない勉強がついて回った。
弟妹が乳をしゃぶるのを見ながら、代替品を摂取し教育を受ける毎日……。
しかし他所を知らない彼女は、それを異様と感じることもできなかった。
娯楽のない日々、それは彼女がある程度成長しても変わらず、遊ぶことができる弟妹に哀れまれても何が哀れなのかすら理解できない。
ただただ、親が教え込んだ貴族は民を守るため尽くし、民は代価として貴族に金を出すという概念に従うだけの存在だ。
言うなればその頃の彼女は一個の生物ではなく、ただ貴族と民というシステムを構成する部品でしかなかったのだろう。
だが……生物はシステムの部品になどなれない。
意思を持つ生物にはそんなことを強いていれば、いずれガタが来るだろう。
その日は、意外にもあっさりと……突然訪れた。
「入りたまえ」
「失礼致します、コンペール家で賭博場への案内をしていると伺い、是非私もご一緒したいと訪問させて頂きました」
「おや、これは珍しい……シャレム家のお嬢さんか、真面目堅物一辺倒の子だと思っていたが……意外と興味があるのかな、悪い遊びに……」
「ええ、真面目をしているとストレスが溜まるんですよ」
適当な理由をでっち上げ、不正を働く貴族に査察を行う……。
そんな任務を受け、シャハルはとある貴族の元へ向かった。
曰く、その貴族は不正賭博を斡旋し、胴元から斡旋料として掛け金の半分を分け前に受けている悪徳貴族……。
真偽を確かめたら後は報告するだけ、そんな簡単な仕事のはずだった。
だが……。
(賭博場をしっかり確認し、どう行き来してどこから入るか確かめないと、逃げられる可能性も有りますよね……)
冷静な思考ではあった、だがこの思考が仇となったのだろう。
狭い世界で生きてきた彼女にとって、世界の殆どは未知でできている。
そして、未知を知る瞬間というのはいつだって強く興奮するものなのだ。
そして……未知を知るという快楽は、彼女にとって初めてのものだった。
「ここが賭博場……」
「どうです、やってみますか」
「ええ……それでは」
招かれたのに何もしなければ怪しまれる。
そう考えたシャハルは手持ちの金を少し出し、賭博に挑戦した。
賭けの内容は単純……ディーラーと客は互いに配られたカードをシャッフルし、双方の手札を比較することでどちらの数字が上かを競う賭け。
シャッフルのし直しは3回できるため、完全に運任せの賭けではあるものの試行回数は存在する。
正直、聞いた限りでは何が彼らを夢中にさせるのかも分からない賭博……。
戦略性のかけらでもあれば理解できるのかも知れないが……。
そう考えながらシャハルはシャッフルされた手札を眺める。
そんな彼女を煽るように、ディーラーはニヤニヤと笑いながら顔を見つめてきた。
「な、なんですか……?」
「いえ、どうやらお嬢さんはこのゲームの真髄……理解していらっしゃらないようだ」
「真髄……? 運任せの賭けにそのようなものが?」
「ええ、コツは……相手の顔をよく見ることです」
そう言うと、ディーラーは自分のカードを確認した。
表情はあまり芳しくはない……。
数字があまり良くなかったのだろうか、シャハルはそう考えながら手札を眺めた。
現状の手札は合計16……このゲームにおける数字の最大は21だという。
ならば向こうの顔つきからしてこのままいってもいいかもしれない。
「……では私はこのままで、もうシャッフルはしません」
「ほう……よろしいのですかな?」
「ええ……大丈夫です」
頷くシャハルにディーラーが笑みを向ける。
そして……彼は自分の手札を開示した。
結果は、20……。
ディーラーの方がシャハルの手札よりも上だ。
「……え!?」
「私の勝ち、ですな……それなりにわざとらしい表情を作っていたのですが」
「う、嘘をついていたんですか……!?」
「その通り、この賭けの真髄はこうして相手を騙し……腹の内を探られないようにした上で勝つこと、また相手の僅かな癖や不自然な仕草から腹の内を探り突き止め勝つことです」
ディーラーの言葉にシャハルは脱帽した。
このゲームは運任せのものではない。
相手の表情や僅かな仕草から手の内を読み、伸るか反るかを決める心理戦なのだ。
愕然とすると同時に……悔しくもなってくる。
自分はずっと、一心不乱に勉強をしてきたのだ。
その自分が違法賭博にふける者に負けたなどと、認められるはずがない。
そんなのは今まで費やしてきた時間の否定だ、この十数年が何のためにあったのかが分からなくなってしまう。
それだけは絶対に嫌だった。
シャハル・シャレムのアイデンティティーがそれを許さない、認めないのだ。
「もう一勝負しましょう」
シャハルは気付くと、机に金を叩きつけていた。
思えば、これが初めての我欲だったのかも知れない。
負けたくない、勝ちを譲りたくない……そんな少女らしい執心。
それを胸に挑み続ける事十数回。
ようやくシャハルは初勝利を収めた。
「……! やった!!!」
この時、力強い叫びを上げたこと……。
感じた興奮、まるで脳から汁が溢れ出すような快感は一度味わえばもう忘れられない。
これがギャンブル依存の第一歩だった。
負けたくないという願い、そして得た勝利……。
それは彼女を確実に狂わせていった。
もっと勝ちたい、こんな興奮は家では味わえなかった、生に対する強い……強すぎる実感。
もしこの賭博場を告発すれば、それがもう楽しめない。
それだけは絶対に嫌だった。
故にシャハルはこの賭博場を黙認し、家族を裏切ることに決めたのだ。
自分の中の理性が、親を裏切る子供など親不孝以下だとがなり立てる。
だが、同時にこうなったのは親のせいだという気持ちも有った。
親が自分にずっと勉強を強いるから、貴族たれ貴族たれ……民の上にある者かくあれかし、そればかりの人生を送らせてきたから……娯楽を楽しむという気持ちを洗えてこなかったから……。
だから初めての娯楽にこうも夢中になっているのだ。
これは自分だけのせいじゃない、その気持ちはシャハルの中にある良心を麻痺させていった。
それよりも、賭博中に聞いた他のギャンブルもしてみたい。
頭を使い、失敗の確率を極力減らしていくギャンブル……その先にある絶対的な勝利。
その味は、どんなものなのだろうか。
シャハルの内は、ときめきでいっぱいだった。
「なんとも、満ち足りた顔ですな……」
「ええ……私、ずっと狭い家の中にいましたから……何も知らなかったんです、娯楽って」
「……それはまた難儀な、いつでもここに来て良いですからね」
優しい言葉をかけられ、シャハルは息を吐く。
親は今までこう言った言葉をかけてくれることなどなかった。
貴族の娘だから、義務はこなして当然。
嫡子なのだから人より勉強しなくてはいけない。
そう言ってばかりで、シャハルを慮ることも気遣うこともなかったのだ。
だから……シャハルには彼らの言葉がありがたかった。
もしかすると、この賭博場に入り浸らせるための甘言だった可能性も有る。
それでも心から嬉しかったのだ。
思えばこの頃から……他者に優しさを向けるよう教えながら、自分に優しさを向けてくれなかった両親への不快感があったのかもしれない。
シャハルはそんな気持ちを抱えながら、自嘲気味に笑みを浮かべるのだった。
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