その日、モストロ国の一角……特務部隊の拠点。
その机にて、一人の少年が頭を抱えていた。
名前は戌井紘、幼く小柄だが……こう見えて特務部隊の一員だ。
そんな彼に一人の女性が歩み寄る。
彼女は大岡雅、同じく特務部隊の先輩で少し年上のお姉さんである。
「どう、覚えられた?」
「な、なんとか……」
戌井が手にしている本、それはモストロ国軍の沿革について記された本だ。
何故そんな本を読んでいるかというと、戌井は今朝軍基地を歩いていた際、軍属であることを照明するための徴証を家に忘れていて身分確認が出来なかった。
その際に、代わりとして軍人なら分かることを聞くということになり総司令官の名前など聞かれるもまあものの見事に他部署の名は全く分からない。
弁明しようにも秘匿の必要性から特務軍人だとは言えず、大岡がやってくるまでちょっとした騒ぎだったのだ。
そんなこんなで直接の上席として大岡が監督責任を問われたため、現在戌井に勉強をさせていた……ということになる。
「ええと、総司令官が黒石麗さんで、その直下補佐官が梅林寺能螺さん……」
「そうそう、私達はたまに黒をプルミエ語に訳してブラック司令なんて呼んだりもするけどね」
「なるほど、軍内部だけで使われてるあだ名を知ってるのも説明に役立ちますね……」
語らいながら勉強を進めていく二人。
そんな中、大岡はふと机になにか置かれていることに気付く。
肖像画……いや、まるで現実をそのまま切り抜いたかのように精巧な何かだ。
「ん、これは……?」
「あ、これ拾ったんですよね……」
「ええと、USAF Colonel Lacy Black……? プルミエの方で使われてる言葉ね、ええと……訳すと、USAFのレイシー・ブラック大佐……?」
「この描かれている女性の名前なんでしょうか? そして階級が記されているなら、これは階級章……?」
レイシー・ブラック。
その名前には覚えがないが女性の顔には見覚えがある。
黒石総司令官に瓜二つなのだ。
裏面にはもう一つ、表とは異なる絵が貼り付けられているらしい。
見慣れぬ鉄の鳥と並び敬礼をする黒髪の女性……。
やはりその顔は、黒石総司令官を少し若くしたように見える。
せっかくだ、黒石総司令官に届けに行くのもいいだろう。
大岡はそう考えながら、階級章と思しきものを手で弄ぶのだった。
戦闘機があれば、パイロットも当然いる。
これはそのパイロットのお話。
砂漠に刺さった墜落機体……その中にいた者の物語……。
「コマンダー・ブラック、戦況を報告します……」
「……構わん、聞かずとも分かる、我が軍の敗北だろう」
その日、アメリカ軍臨時司令部αベースにて、一人の女が項垂れていた。
長く美しい黒髪は、彼女が日系人であることを覗わせるが……同時に、日本人目線からすると白磁か何かのように白く見える肌は、白人系米人との混血である証しとも言える。
名はレイシー・ブラック、United States Air Force……アメリカ空軍の若き軍人で階級はコロネル、つまり大佐だ。
何故一佐官でしかない彼女が将官や元帥を差し置いてコマンダー、つまり司令と呼ばれているかというと……勿論理由がある。
(……人類誕生より数千年あまりの歴史が過ぎたあと、世界は人類の大敵により未曾有の危機に達していた、国家の枠組みも意味をなくすほどの厄災だ)
空から来た神を名乗る敵、それが本当に神なのか、神を騙る悪魔なのか、はたまたそういった更なる上位者が遣わす天使のような存在なのかは知らない。
世界中の人々は文明の進歩に伴い神の存在を次第に忘れ、神を崇める者も次第にカルト化していった……そんな人々への何かしらの警告者という線も有るのだろうか。
何はともあれ、この危険すぎる敵はその身から放つ炎でアメリカすら焼き払った。
その際に本来の司令部が破壊され、上位者は全滅。
出撃中だったことにより難を逃れた兵士達が緊急用の臨時司令部に集まるも、一番階級が高い者は佐官のレイシーという有様。
そんな中レイシーは指揮官として懸命に指示を行った、残存兵力による民衆の守護、避難補助に際しての大敵への牽制……。
だが、それも上手くはいかなかった。
避難補助に向かわせた部隊は絶望感からかAWOL……ようは無断で離隊し逃亡、牽制部隊は全滅……基地に残っているのは3機の戦闘機と六人という少なすぎる兵だけ。
これを敗北が確定したと言わずして何というのだろう。
「……いや、まだだ……最後のあがきは一つだけ残されている」
「……コマンダー、足掻きとは……」
「科学班が作っていたという未知の新弾頭、威力は高い代わりに安全保障確認がまだされていなかったという代物だが……最後の手段に使ってみよう」
未知の新弾頭、威力が高い代わりに予測では島一つ吹き飛ばす威力があるためテストが軽率に行えず、採用保留となっていたものだ。
その弾頭は全てこの臨時司令部に補完されているという……恐らく、何事もなければこの場所が試験場になるはずだったのだろう。
こんな都市部近い基地でどこへ向けどのような試験をするつもりだったのかは知らないが……何はともあれこれが最後の手段だ。
「作戦はこうだ、敵は前面にバリアを持つが……後部への防御が甘いと分かっている、そこを突く……3機のうち2機が前方で牽制を行い、その隙に私が後ろから当てよう、最も確実な当て方で……だ」
最も確実な方法、それは……一つしか無い、どんな射撃よりも確実に当たるのは……突撃だ。
ありったけの弾頭を積み込み、機体を直接ぶつけるのだ。
レイシーの宣言にみなざわめく。
だが異論のある者はいなかった、こんな状況で他の案が思いつく者などいないのだろう。
「コパイはいらん、確実に死ぬ役割は私一人で行う、みなは僅かでも生きる希望のある側に賭けろ、以上!」
レイシーが家名通りの黒い軍帽に手をかけて敬礼をする。
それにあわせ、皆も敬礼を行った……彼女の決意を止められはしないと察したのだろう。
こうして、レイシーの機体であるF77 Phoenixへの弾頭詰め込みがはじまり……最後の作戦が行われることとなった。
最終作戦の舞台はモハーヴェ砂漠上空。
沈痛な……しかしどこか落ち着いた面持ちでレイシーは地上を見つめていた。
(……民衆を巻き込まないため、砂漠を戦いの舞台にする……ここまでは上手くいった、あとはどうなることか……)
息を呑むレイシー……。
その後ろでガサガサと音がする。
まさか故障なのか……そう考えながら慌てて振り返ると、そこには一人の女がいた。
丸二つと三角による簡単な顔が描かれた赤い軍帽で顔を隠し、同じく赤のマントを羽織った変わり者丸出しの軍人……。
彼女の名はノーラ・バーミリオン、階級はファースト・ルーテナント……つまり中尉だ。
本来ならばもっと上を目指せるだけの実績があるのだが、ガス作戦などの汚れ仕事を得意とすることや同僚の殉職率が高いことから、周囲に「死を呼ぶ」だの「赤いアサシン」だのと言われ出世を逃している。
「どーも」
「どうもじゃない! 何故そこに居るんだ、コパイロットは不要と言っただろう!」
「その優しさはみんな有り難く感じてますけどね、コパイがいた方が確実でしょ」
コパイがいた方が確実、それはそうなのだが……。
何はともあれ、ここでイジェクトするわけにもいかない。
敵はもう前に見えてきたのだ……黒くて、山のように大きい……こちらからは見えないが、前面には黄色い発光体が数個存在し、足は白い二足歩行の怪物、人類の大敵が……。
ここで脱出させては、狙ってくださいと言っているようなものだ。
……せっかく気を遣ってやったのに、と内心毒づく……。
だが、最期に一人でないのは少し有りがたいかもしれない。
折角だ、敵が隙を見せるまで……会話でも楽しむとしよう。
「バーミリオン中尉、家族は?」
「施設育ちです」
「そうか、入隊前は何を?」
「ホワイトハッカーを、それなりに有名な会社でクラッキング対策をしてたらもっと稼げる場所とかいう名目で軍に無理矢理紹介されて、クラッキング対策班のはずだったのに人手不足でオペレーターやらコパイやらガス散布作戦やらもやらされました」
愚痴気味だが、死を前にしたからか「まあ悪くはなかったな」とこぼすノーラ。
その言葉を聞きながら、レイシーは笑みを浮かべた。
レイシーが30代前半の若さで佐官なのはそれなりの功績を挙げてきたから、というのも有るが……最大の理由は家柄だ。
代々エリートを輩出してきた軍人の家柄、なんて理由で有無を言わせず大手軍学校に入れられ、なまじ生真面目なものだから首席卒で家柄も良いなどという意に添わぬポストを得てしまった。
時代が時代ならば宝石商にでもなって水晶玉を研磨しながら生きるような人生を望んでいたのだが……。
まあそんな生き方だったからか、他者の人生にはどうも興味があるのだ。
「バーミリオン中尉はこの星は好きか?」
「地球が、ですか?」
「そうだ、私はこの星が……宇宙に輝くエメラルドのように思える、その煌めく未来……まだ失わせるには惜しすぎる」
そこまで呟いたところで、目の前の怪物に隙が生まれる……。
光弾を前面側にいる二機へ放ったのだ。
果たして二機が無事なのかどうかは分からない、だが光弾は確実に砂漠へ着弾し……大量の砂を巻き上げた。
その中を、フルスロットルの戦闘機が飛んでいく。
そして……怪物の背中へと、機体前部に搭載された弾薬ごと突撃していった。
(……かつての世界大戦にて、連合軍側の者達は日本の民が行った特攻をバカボムと嘲ったというが……不思議だな……私個人としては、日本の民が抱いていた気持ちがよく分かる)
激しい衝撃が機体を襲う、もはや計器もモニターも作動しないが、怪物に衝突したのだけは分かる。
それを感じながら、レイシーは弾頭の起爆スイッチに手を伸ばした。
もはや迷いはない、全ては自国の民の……いや、この地球に住まう全てのため。
(……アメリカにでもない、人類にでもない、地球に……栄光あれ!)
悔いはなかった、光に包まれる視界の中でレイシーは満足感を抱く。
このまま行くは光の中か虚無の縁か、はたまたカロンの待つ川べりか……。
いずれにせよやれることはやった、後悔はないはず……レイシーはそう考えながら、目を閉じた。
……本来なら、これでもう目覚めるはずなどなかったのに。
「コマンダー、コマンダーブラック、起きて下さい」
「う……この声は、バーミリオン中尉……?」
頬をはたかれ、レイシーは目を覚ます。
どうやら自分は砂の上にいるらしい。
天国とはどうも砂っぽく暑苦しいようだ……。
思わずそう呟くが、ノーラは首を左右に振る。
「どう見ても天国じゃないでしょ、こんな帽子で顔隠したトンチキ天使なんていないですって」
「……そうか、ならここはモハーヴェ砂漠なのか……? 何故生きている、戦いはどうなった、世界は……?」
「……何も、ただ一つ言えるのは……ここはモハーヴェじゃありません」
「……じゃあなんだ、モハーヴェじゃなくてモハビだと発音に拘る派か?」
「違います、私が斥候で見たのを確認すればわかりますよ……来て下さい」
ノーラに促され、レイシーは砂漠へ突き刺さった愛機の傍を離れる……。
ご苦労だった、ゆっくり休めと内心で祈りながら……。
もし機械にも魂があるのなら、その冥福を祈るのもアリだろう、レイシーはよくそう考えるのだ。
「ほら、早くして下さい」
「急かすな急かすな……どこまで見に行っていたんだ?」
ノーラに手を引かれ、レイシーはゆっくり歩く。
……その視界の先に都市が見えてきた。
彼女にとって馴染みのない家屋が並ぶ都市だ。
「これは……どこの国の建築物だ?」
「……日本です、電柱には愛知県と……」
「に、日本……!? 何故そんな遠くへ、モハーヴェで死んだはずの私達が!?」
戸惑いを隠せないレイシー。
その隣でノーラは静かに腕を組む……。
そして、意を決したように口を開いた。
「……あの弾薬、クラッキング対策中に少し情報を見たことが有るんですけど」
「……盗み見したのか、いや今はそんなこと言っている場合じゃないな、で……どんな爆弾だと?」
「……次元の壁を砕く爆弾、だそうですよ……名付けてCuatro D……まあそんな格好付けたスペイン気取りの名前はさておいて重要なのは」
「次元の壁……か、じゃあなんだ? そんな爆弾を爆ぜさせたことで……私達は遥か日本まで飛ばされたというのか?」
呆然としながら電柱にもたれかかるレイシー……。
その隣でノーラが腕を組む。
それなりの日本通であるノーラは、この事態におけるもう一つの異常に気付いているようだ。
(日本における砂漠はただ一つ、裏砂漠と呼ばれる砂漠だけだ……そしてその場所は愛知じゃなくて東京らしい、つまり今異常なのは土地の配置も……ということ)
何故廃墟と化した愛知の隣に砂漠が有るのか。
急遽の砂漠化が起きたか、それとも……砂漠がどこかから飛ばされてきたか。
謎だらけの中困惑だけが深まっていく。
そんなレイシー達のもとへ……足音が近付いてきた。
足音の主は虎だ、だがただの虎ではない……ティアラを付け、尻尾にはリボンを巻いている虎。
ノーラは彼女へと、護身用に調達した農家の鎌を構える。
だが虎はご丁寧に腹を晒すと、ハンズアップ……いや、フロントレッグアップで害意がない事を示した。
……しばし沈黙。
そんな中、先に動いたのは虎だ。
彼女は起き上がると二人へ向けてゆっくり口を開いた……。
「やあ、私は窮奇……確認なのだけれど、君達の名は?」
「どーも、私はUSAF所属ノーラ・バーミリオン中尉、こちらはSupreme Overlord Black」
「……誰が最上位君主ブラックだ、なんだその大仰な肩書きは」
「いえ、虚仮威しで牽制をしておくべきかなと」
「いらん、私はUSAFのレイシー・ブラック、階級は大佐だ」
ノーラの虚仮威しに、絶対楽しんでトンチキな発言をしているだろうと不機嫌になるレイシー。
何はともあれ、自己紹介はこれで済んだ。
ならばあとは会話を続けて状況を理解するのみだ。
「やはり思った通りの名だね、君達の写真は見せて貰ったことがある、ようこそアメリカの英雄よ……ティエラの大地へ」
「ティエラ……エスパニョールで地球、ではここは……」
「もしかすると、地球の成れの果て……?」
どういうわけか、レイシーとノーラは虎が喋ることには違和感を持っていないらしい。
ただ静かに、虎に伝えられた言葉を頭の中で反復しているようだ。
そんな二人に、虎は更に説明を行っていき……。
やがて、三つの影はかつて愛知だった廃墟から消えていった。
後日、モストロ軍には黒石麗総司令官と、梅林寺能螺という二人が赴任したという……。
これがかれこれ十年ほど前の話だ。
そして、物語は十年ほど後にもう一度戻る……。
「ほら、アレが黒石総司令官よ」
「うわあ……お綺麗な方ですね」
「でしょ、アレで四十過ぎとは思えない色香よね……私もああいう年の取り方をしたいわ」
黒石総司令官を見ながら、コソコソと話し合う二人。
それとなく拾ったものを渡して話を聞こうと思っていたのだが……いつの間にか黒石総司令官鑑賞会になっていたのだ。
現在四十台初頭の彼女は、良い具合に歳を重ねて女傑……といった雰囲気になっている。
長い黒髪、白い肌、そして鋭い瞳……まるで抜き身の刀が如き生ける芸術。
それでいて……鋭さだけでなく、体にフィットする軍服による落ち着いた色香が漂う雰囲気は、まさしくモストロ軍の抱きかかえられたい女ランキングナンバーワン。
彼女に抱きしめられ、その腕の中から見る口元のホクロはどんなに美しいのか、彼女が秘匿している真の姿はどんな形態なのか……いつも噂の的だ。
「何サボってるの?」
「ふえ!?」
「あ、あなたは!?」
「どーも、モストロ軍所属司令補佐、梅林寺能螺……もう覚えたかな戌井くん?」
「は、はい!」
顔の描かれた帽子で顔を隠した赤毛の女……梅林寺に問いかけられ、戌井は慌てて走り出す。
サボり扱いされてはこうするしかないだろう……実際話に熱中してサボり状態だったのだから尚のことだ。
そんな戌井に続き、大岡も愛想笑いをしながら走って行く。
慌ただしい二人だ……そんな彼女達が去った後、梅林寺は彼らの落とし物を拾って笑みを浮かべていた。
「黒石司令、どうやら懐かしいものを届けに来たみたいですよ」
「ん……? ああ、IDカードを落としていたか……ふ、確かに懐かしいな」
USAFのIDカード、そこに貼られた自分と愛機のツーショット。
それを見ながら黒石は静かに笑う。
そして執務室の窓を開けると、外を走る戌井達をじっと見つめた。
「地球という星が宇宙に輝くエメラルドならば、そこに住まう生物はみな……エメラルドをより輝かせる磨き布達だ、守ろうじゃないか……何度だって」
呟き、穏やかに目を細める黒石……。
その胸中にどんな感情が浮かんでいるのかは当人しか知らないが……きっとその感情は優しいものなのだろう。
彼女の笑顔は、それを物語っている気がするのだった。
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