最期の最後に贈る うた

毒親の母さんは私に「殺して欲しい」と言った。私は母さんを殺せるか?
植田伊織
植田伊織

”わたし”の独白

公開日時: 2022年9月11日(日) 17:00
文字数:4,207

 洋子さんの話をするのには、妹の令子さんの病気のことは避けて通れないと思っているの。

 納骨式の時に、令子さんの話をしたのは覚えてる?


 ――わたしは一人っ子だったからね、令子さんと洋子さんのやりとりを見ていると、姉妹って良いなぁって羨ましく思ったものよ。


 確かに洋子さんは、少し口調がキツい所があったわ。でもね、本当に、家族想いの優しい人だったわよ。

 令子さんに小言を言っていても、なんだかんだで、手助けしないなんてことはなかったの。面倒見が良くて鷹揚で、けれどどこか繊細なところのあるとても優しい人が、玲奈ちゃんのお母さん。


 病気が、あなたのお母さんの良いところをどこかへやってしまって、悪いところを一層強化したのだと思っているわ。


 人には色んな顔があって。

 玲奈ちゃんの立場から見たお母さんと、わたしの立場から見た洋子さんは、まったく違う人のように見えるのかも知れないね。



 例えばね、令子さんはとても重い病気を患っていたって、柏木家のご親族は口を揃えて言うけれど、玲奈ちゃんはその病名を知っている?



 うん、そうね、わたしも知らないわ。


 知っているのは、心を病んでしまったということ。それと、幻聴が聞こえていた期間があるらしい、ということよ。



 それがどういう意味か、玲奈ちゃんには判るかしら。



 人の心はね、壊れてしまうと完全には元に戻らないの。

 薬を飲んで、症状を抑えて、ゆっくりと出来ることをするしか無い。


 病気の症状が一番酷かった頃、令子さん、とても攻撃的だった時期があったわ。

 それは反抗期の子供が家族に暴言を吐くような生やさしい攻撃性じゃない。生存権を確保するための戦いなの。


 令子さんにとっては、周囲の人たちが皆、彼女の命を狙っているように見えた。

 そんな事実は無いのだけれど、彼女にとってはそれが真実なの。


 そう、認識してしまう病なの。


 だからね、手負いの獣が外敵から身を守るために周囲を威嚇するように、令子さんも家族に牙を剥いた。勿論、姉の洋子さんにもね。


 そうしなければ、自分の命が守れないとしか思えない状態だったから。

 

 勿論、令子さん本人が一番苦しいのよ。でも、それを支える家族だって、筆舌し難い経験をしたでしょうね。

 柏木のお母さまだって、どうしようもなく苦しかったと思うの。

 家業の苦労、好き勝手に振る舞う姑……それだけでも大変なのに、自分のこどもが、完治しない病にかかってしまったなら。わたしだったら、動けなくなってしまうかもしれない。

 それでも、投げ出すわけには行かないから、無我夢中で毎日を生きたと思うの。


 そうするとね、洋子さんとお母さまとの関わりは、必然的に後回しにされてしまうのよね。

 それが、巡り巡って洋子さんを守ることに繋がるのだとしても、満たされない想いは必ず生まれてしまう。

 こどもの洋子さんだって、令子さんが患った病気の深刻さはわかっていたはずだもの。とてもじゃないけれどお母さまに「もっと私を構って」なんて言えないわよね。


 だからきっと洋子さんは、自分の本心を常に、飲み込んでいたんじゃないかって思うの。


 たまには自分のことを一番に愛して欲しいという本音を隠して、妹さんを支えて、お母さまの役に立つ子として振る舞って……。

 それは心底家族を愛していた、優しい洋子さんだったからこそ、できたことよ。

 同時に、そう振る舞わない限り、家庭に自分の居場所が確保できなかったとも解釈できてしまうわね。


 洋子さんはずっと、精神の深いところで、ひとりぼっちだったのよ。


 令子さんはすぐに精神病院へ入院されたし、当時のことはわたしも直接は知らないから、うまく説明できていなかったからごめんなさい。


 でも、玲奈ちゃんにも覚えがないかしら?

 家族って時にね、相反する感情を抱くものだと思うのよ。


 大切だけど、恐ろしい。

 仲良くしたいのに、近寄れない。

 愛しているのに、憎らしい。


 洋子さんだって大切な妹さんが変貌してしまって、恐ろしかったと思うわ。愛しい気持ちはそのままで、令子さんの存在が脅威に変わるの。

 妹さんを変えてしまった病を、とても憎んだと思う。


 同時にね、自分のお母様にも、相反する感情を抱いたと思うの。

 大好きなお母さんに愛されたい。役に立ちたい。困っているお母さんを見ていられないっていう気持ち。

 それに反する、「お母さんなんだから、娘に頼ってばっかりじゃなくって、私のことも守ってよ」って、強い怒りがあったはず。

 でも、洋子さんにとっての脅威は、大切な自分の妹に他ならないの。そして、本来その恐怖の原因を取り除いてくれる役目のお母さんは、自分を完全には守ってくれない。


 洋子さんはどうして、己の相反する感情と正面から向き合わなかったのかしら。

 ――向き合えないわよねーー


 自分が愛している家族こそが、ある視点では、加害者だったと、認めたくなかったんじゃ無いかなって、“わたし”は思ってる。


 そう、これはわたしの考えよ。真実は洋子さんにしかわからないし、玲奈ちゃんがこの意見を鵜呑みにする必要は、全く無いからね。


 事実として明らかなのは、洋子さんは逃避する場所を必要としたってこと。そして、一時的な逃避がいつしか依存に変わり、コントロール出来なくなったという事だけよ。


 別に逃避そのものは悪では無いわ、依存先が悪かったのよね。

 絵を描くことはともかくとして、甘いものにアルコール、そして、玲奈ちゃんのお父さんの承認がなければ、自分には存在価値が無いと断じてしまう思考の偏り――。

 どれか一つでも、嗜み程度に抑えられたらよかったのだけれど。


 それが出来ないのにはね、本人を取り巻く環境や、生まれながらの素質、色んな事情が複雑に絡み合って結論が出ると思うのよ。


 玲奈ちゃんやお父さんの、発達障害と一緒。

 発達障害って、ある日突然そう言う名前の宇宙人が生まれてくるわけじゃなくて、誰にでもある脳の偏りが、日常生活に困難を与えるときに診断されるものなの。

 足が速いとか、絶対音感があるとか、いろんな人がいるのと同じで、誰だってある程度の偏りがあるものなの。


 だから、誰だって弱くなりえるし、不運が重なれば、支援の狭間に落ち込んでしまうことも、あるとおもう。

 わたしはね、「お母さんは弱かったから、自分を律する努力が足りなかったからこうなった」の一言だけで、断じて欲しくはないの。

 洋子さんにとって、どうしても努力ができなかった理由こそ、大切じゃ無いかと思ってる。

 「弱かった」のが事実でも、努力で全てを補えるわけでは無いと思うから。


 話を令子さんのことに戻すわね。

 当時はまだ福祉も整っていなかったし、今みたいにインターネットやSNSで、個人が思い立った時、すぐに情報を収集できる時代でもなかった。

 病気に対する偏見も凄まじくてね。うちみたいな田舎町じゃ、障害があるなんてわかったら、人前から隠すようにして育てるのが当たり前だったの。

 でも、柏木のお家は令子さんを差別したりはしなかった。

「少し変わった所のある、個性的な子」として、洋子さんと一緒に育てたわ。その代わり、福祉の恩恵は受けなかった。大きなお家だったからこそ、できた選択でしょうね。


 今しか知らない我々が、当時の柏木家の決断を、現代の価値観という天秤にかけてあれこれ言うのが有益か、“わたし”には判断しかねるから、これ以上言及するのは控えるわ。


 ともかく、令子さんは病気の症状がおさまってきた後、施設に入居するのではなく、柏木のご自宅で生活をされるようになった。

 そうなると今度は、親亡きあと、令子さんの面倒を誰が見るかという問題が浮上するの。


 昔は、身内の面倒を見るのは娘と相場が決まっていてね。勿論、今日もその傾向は廃れていないけれど、今だったら福祉の支援に頼れるものを、全て家族や身内の中でまかなわなければならなかったの。

 だから、身内の介護のために将来を諦めなくてはならない人も、今よりたくさんいたのよ。


 洋子さんが、柏木のお母さま亡き後、令子さんの面倒を見ることになると。お母さまが洋子さんに発したメッセージに、矛盾が生じてしまう。


 お母さまはお姑さんへの反発を原動力に、洋子さんへ勉学をさせたわ。

 洋子さん、かなり頭が良くてね。依存症さえ克服出来ていたら、将来の可能性はぐっと広がっていたと思うの。

 でもね、ある日将来の夢をお母さまに語った時のこと。

「アンタがそんなんじゃ、誰が令子の面倒を見るのよ!」

 って、激しく叱責されたそうよ。

 妹の面倒を見るために夢を捨てろと言う癖に、心の拠り所だった絵筆を折って、勉学はさせるの。


 遊んでいないで勉強しなさい。良い学校へ行って良い仕事に就きなさい。いずれ、あなたが手にした栄光は、手放してもらうけどね、というわけ。


 手堅い会社へ就職した後、数年腰掛けで勤めて、結婚して、令子さんの面倒を見ながら良い奥さんになって欲しいというのがお母さまの希望だったのだけれど、洋子さんはそれに激しく打ちのめされたそうよ。


 男女雇用均等法が整備され出した時代、まだまだ女性の就職といえば腰掛けが主流だったそうだけれど、出来の良い洋子さんの同級生には、最先端の考えを持ち、社会の一線で活躍することを目標に勉学に励むご学友も少なくなかったそうなの。

 そんな同級生が当たり前のように感受している輝かしい未来は、自分には訪れないのだと。

 そう望むことすら、親不孝だと怒鳴り散らされるほどの不義理なのだと。


 これはね、洋子さんから実際に聞いた話。

 時代のせいばかりにするのが正しいかどうかわからないけれど、当時、うちの田舎じゃこどもは親の手足だったから。

 今のように、親がこどもの将来を守らなきゃいけないなんて考え方が、異端だった時代に、“おばちゃん”や洋子さんは生きている。


 洋子さんに焦がれてやまない夢があったかどうかは判らないけれど、ただでさえ、我慢の多い幼少期を過ごしていたのに、自分らしい人生を生きるなと言われて。家族を守るために、未来を使えと言われたら、逃げたくもなっちゃうわよね。お父さんとの結婚に。


 自分のしたい事を押し殺して家族を守ったとして。相手から望むような反応が返ってこなかった時ーー「そんなことして欲しいなんて頼んでない。お母さまの言うことを聞かないで家を出たってよかったのに、将来の可能性を捨てて家に戻る選択をしたのは、お姉ちゃんじゃない」なんて言われた時ーー「私はあんたのために人生を犠牲にしたのに!」と、言わずにいれるものかしら。


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