“わたし“としては、“私“ともう少しお話ししていたかったのだけれど……ちょっと無理があったわね。
そんなに暗い顔をしなさんな。玲奈ちゃん、あなたはーー“私“はーー気が狂ったわけではないのだから。
ただただ、寂しかっただけ。誰かにかけてもらいたくてどうしようも無かった言葉を、頭の中で創り出していたら、少しだけそれが本物のように聞こえただけよ。
何が現実で、何が虚構か見失ったわけではないわ。安心しましょうね。
さて、智弘君が来るまでの僅かな時間しか無いけれど、もう少しだけ“わたし“とのおしゃべりに付き合って欲しいのよね。他にすることも無いし、そもそも何かをする気力も無いのだから良いでしょう?
要するに“私“はね、あなたが受けた心の痛みに寄り添ってくれて、親の代わりにわたし達を導いてくれる誰かの存在を求めていたのよ。
お母さんの洋子さんにばかり話の焦点を合わせていたけれど、親から無償の愛を与えてもらっていないのはわたし達も同じ。“私“はしきりに自分の話をしたがらないけれど、わたし達の場合、依存で精神をおかしくした母親の言う通りに振る舞わなければ、家庭に居場所が無かった。
アルコールで脳味噌がぐずぐずになった母から、暴力を受けたり行く場所もないのに家から追い出されたりーーそれで怖い思いをしそうになったことも、あったのよね。
そういう恐怖体験を二度と経験しないため、わたし達は母親の顔色を伺って、母の望み通りの「理想の子ども」を演じて生きた。
次第に、それ以外の生きる術がわからなくなっていった。つまり、「自分自身の意志で人生を歩んでゆく方法がわからない」ーーそんな人間に、わたし達はなってしまったの。
それを、“私“自身の言葉で未だ語れないのは、“私“が経験した出来事に、当事者として向き合えない程、傷ついているから。
“私“のお父さんは、わたし達を導く役割を引き受けてはくれなかった。
あの人は、自分に見える物しかわからないから、娘がどんな気持ちでいるか想像出来ないのよ。人の気持ちは見えないものね。そういう脳の偏りを持った人だというのを、あなたは痛い程知っていた。
同様にお父さんは、自分が好き勝手生きることで“私“が敬愛するお母さんがどんな痛みを抱くのかも、慮らなかった。お母さんの気持ちももちろん、見えないからね。
そういう人相手に信頼関係を築くのは、本当に難しい。
そんな時、意味あり気に連絡を寄越したのが、倫子さんだった。
あなたのお母さんが、愛を求めてお父さんにオアシスを重ねたように、“私“は倫子さんに、救世主というオアシスを重ねたのね。無償の愛を求めて。
彼女は昔、わたし達のお母さんが“私“に対して、八つ当たりのように接するのを咎めてくれたもの。他の、見て見ぬふりをした親族達とは違うかも知れない。
お母さんが亡くなって、喪失感で目の前が真っ暗になった“私“の気持ちを、わかってくれるかもしれない。味方になってくれるかもしれない。
母という信仰を奪われ、依存先を必要としていた“私“は、藁にも縋る思いで倫子さんに連絡をしたわ。でも、彼女はあなたの望むような人ではなかった。あなたの弱った心を利用して、詐欺まがいの宗教に勧誘してきただけだったのね。
親身に寄り添ってくれる身内がいたら、良かったわね。
お父さんとお母さんの話を聞いてくれる誰かが、いたら。
深く失望したあなたは、心から欲していた言葉を言ってくれて、次に進むべき道を示してくれる“誰か“を想像上に創り上げた。それが“わたし“。共感者であり、進むべき道を示してくれる“神様"の代わり。
新しい信仰を見出せなかったあなたは、自分の頭の中にそれを創りだしたのね。
“アタシ“が親殺しを演じきれなかったように、“わたし“も最後まで語ることが出来なかった。
でもね、"私"は判っているはずよ。それで良かったって。
こういった類の話しは、自分を主語にして語らないと。
誰かに語ってもらうのを、待っていても、誰もあなたの思い通りには動いてはくれないし、“私“の望む言葉を与えてやれるのは、“私“自身しかいないのだから。
あら、智弘君が来たみたい。
それじゃあね。
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