北海道でも夏は暑い。特に内陸部に位置する篠津町は夏場、うだるような暑さが続く。
篠津高校の体育館はさながら蒸し風呂の様相を呈していた。その体育館で正義たちは『篠津町農業祭り』の行灯や看板の制作を行っている。
「勇人、金具は全部留めたぞ!!」
巨大な『レタス侍』の顔をしたスサノオノミコト。その行灯の補強を終えた正義は、滴り落ちる汗を拭いながら反対側へと声をかけた。
「お疲れ!! こっちも終わったよ」
行灯の隙間からこちら側を覗き見る勇人からも白い歯がこぼれている。
手に持ったスパナを工具箱にしまいながら、正義はちらりと沙希の方を見た。沙希は佳織、茜、京子と一緒になって看板に『レタス侍』を描いている。
みんなと談笑しながら楽しそうに筆を走らせる沙希が、正義には今までと全くの別人に見えた。その愛らしい姿に正義は思わず見とれてしまう。
やがて……。
正義の視線に気づいたのか、沙希もこちらを見た。
「!?」
視線が合った瞬間、何とも言えない気まずさを感じて、正義は慌てて視線を外した。
× × ×
前日、正義は一世一代の告白をした。勇気を振り絞って沙希に「好きです」と告げたのだ。
しかし……。
沙希から返って来たのは「ありがとう……」という言葉だけだった。
「ありがとう……」──それは便利な言葉だと正義は思う。異性として肯定されたのか否定されたのか、全くわからない。
「付き合って下さい!!」と明確な意思表示もすれば良かったのかもしれないが、想いを告げることで精一杯だった正義はそこまで頭が回らなかった。結局、告白はうやむやになったままだ。
正義は沙希の仕打ちが残酷に思え、少し恨めしく思った。しかし、いつの時代も告白された側が優位であり、強者であり、勝者なのだから仕方がない。
「お昼にするよー!!」
沙希の朗らかな声が体育館に響き渡った。
みんなはそれぞれお弁当を持ち、体育館の扉からグラウンドへ出た。
× × ×
蒸し暑い体育館での作業から解放された正義たちは、グラウンド脇のベンチに思い思いに腰掛けてお弁当を広げた。吹き抜ける涼風が心地良く、暑さで減退していた食欲も復活してくる。
正義の横に座る勇人は食事の合間にも蒸気機関の設計図を見ていた。レッドバロンに向かうのは明日だ。勇人にとっては少しでも時間が惜しいのだろう。正義は勇人の真剣な眼差しを見ていると声をかけられなかった。
しばらくすると……。
「なあ、正義……昨日、沙希とどうなったんだよ??」
予期せぬ角度から質問が飛んできた。顔を上げると、早々と昼食を済ませた茜が立っている。
突然の質問に正義は口に含んだミートボールを喉に詰まらせて昇天しかけた。
「なっ!?、ゴホゴホ。どうも……ゲフッ……水……取って」
「落ち着けよ……」
ペットボトルを差し出す勇人は苦笑していた。
「どうもなってないよ」
「そうか? でも、沙希と正義、朝から様子が変じゃん」
「様子が変!?」
正義は慌てた。しかし、幼馴染の集団なのだ。些細な変化に気づいて疑問に感じても不思議ではない。
「だってさ、二人とも朝から全然、話してないだろ? 昨日の帰りに何か有ったとしか思えねーよ」
「やめろよ茜」
設計図をしまいながら勇人が窘める。
「あまり無神経なことを聞くなよ……正義が可哀想だろ」
「そうだぞ、暇ゴリラ。少しは気を遣え」
聞き耳を立てていたのか、隣のベンチから京子の鋭い声も飛んだ。どうやら、みんなは『正義が告白→振られる』という図式を想像しているらしい。それはそれでショックだった。
「そうだな……悪かったよ……。ん!? 京子、またゴリラって言ったか!? ……なんだよその暇ゴリラって??」
「そのまんま。暇なゴリラだから暇ゴリラ」
「なるほど……って、調子乗ってんじゃねーぞ!! 決着つけてやる!!」
「二人とも暑いのに喧嘩するなよ」
ゴジラ対キングギドラが始まり、勇人が止めている。ゴジラ対キングギドラが始まると、普段止めに入るのは佳織だ。しかし、今回は珍しく止めに入って来ない。正義は佳織の姿を探した。
佳織は沙希と一緒に体育館の出入り口の階段に腰掛けていた。二人は真剣な話をしているらしく、真顔で会話している。会話の内容までは聞こえてこないが、佳織が一方的に話し、それを沙希が頷きながら聞いていた。
時折、佳織が不安そうな顔つきになる。正義はその表情に心当たりが有った。
「あのバカ……本当に一人で行ったんだな……」
正義が呟くと、みんなも沙希と佳織を見た。正義の言う「あのバカ」とは敬のことである。
敬は何を思ったか、前日、勇人の家から帰宅するその足でレッドバロンへと向かった。両親に「生徒会長殿の家で勉強合宿する」と嘘をつき、グループチャットに『レッドバロンで会おう。アディオス、アミーゴ』とだけ残して。やはり、敬は学校へコッソリ忍び込む秘密のルートを知っているらしい。
両親へのアリバイ工作のために、正義は事前に敬から連絡をもらったが、止める間も無かった。いや、止めたところで……敬のことだ、勝手にレッドバロンへ向かったに違いない。正義も他のみんなも、敬の行動を追認するしか無かった。
しかし……。
明日、敬に会えると言っても、向こうでは一か月以上の時間が経っている。その間、敬が無事でいる保証は何処にも無い。「敬のことだから、きっと大丈夫だ」と、楽観視する正義たちをよそに、佳織は本気で心配していた。
「アノヤロウ……かっちゃんに心配かけやがって……」
「かっちゃんは敬が大好きだから……余計に心配なんだと思う」
気の強い茜が苦々しげに言ったかと思えば、京子の顔にも憂いの影が差す。佳織のこととなると、茜も京子も同調する。
「明日、向こうで会ったらウチがキッチリ制裁しとく」
「わたしの分もお願い」
めずらしく、ゴジラとキングギドラの意見が一致した。
──敬、死んだな……。
正義は心の中で手を合わせて、敬の冥福を祈った。
× × ×
「そろそろ終わりにしよう~」
午後四時頃になると、沙希が作業の終了を告げた。
みんなの頑張りも有り、『篠津町農業祭り』の準備は一定の目途がついた。これなら明日、レッドバロンへと向かっても大丈夫だろう。みんなはそれぞれ帰り支度を始めた。
すると……。
「俺は野球部の練習に合流するから……」
「あ、わたしも陸上部のミーティングに参加してから帰る」
「ウチはかっちゃんと一緒に帰る。マンガを借りる約束してるからさ」
「うん! 茜ちゃんに『デッドマンズハンド』の新刊を貸す約束してるんだよね」
「!? みんな、用事が有るの??」
戸惑う正義を尻目に、みんなは申し合わせたように帰途に着く。それはどこか『正義と沙希を二人きりにしよう』と暗黙の了解でも有るかのようだった。
結局、正義は沙希と二人きりで帰ることとなった。
× × ×
田園に囲まれた田舎道を正義と沙希は昨夜のように並んで自転車を押した。
のどかな田園風景とは対照的に正義の心はさざ波が立っていた。
──か、会話が見つからない……。
みんなと作業をしていた時は何とも無かったが、いざ二人きりになると、どうしても沙希を意識してしまう。そのせいかどうかはわからないが、普段通りに沙希と会話できないのだ。今までどうやって自然に会話していたか、全く思い出せない。
二人の間に会話は無く、沈黙が続いている。その沈黙は正義に言い知れぬ緊張と不安を与え続けていた。
──こんなことになるなら、告白なんてするんじゃなかった。なんで俺は……告白なんて……。
そう考えるのは今日、何度目だろうか。
正義は心ここに在らずだった……。
「……だよね。って、正義、聞いてる!?」
「え!? 何だっけ!?」」
自問自答を繰り返していた正義は沙希が話しかけていることに気づかなかった。慌てて返事をすると、沙希は少し呆れた顔をして続けた。
「だから……敬を連れ帰らなきゃダメだよね。って言ったんだよ」
「え!? あ、ああ……敬か……」
正義は忘れかけていた名前を思い出した。
ももちゃん先生は『篠津町農業祭り』の準備が生徒の自主参加であるため、敬の不在を特に咎めなかった。
正義は胸を撫で下ろしたが、いつまでも敬の不在を隠し通せるとは思えない。それに、こっちの世界で一日と言っても、向こうの世界では約一か月近く時間が経過する。その間に、事故や病気にならないとも限らないのだ。
「敬を連れ帰るのは必須だな……」
「うん……。かっちゃん、すごく心配してた……可哀想だよ……」
沙希は少し目を伏せた。
「かっちゃん……敬のことになると、自分以上に考えちゃうから」
「そっか……そうだよな……」
佳織が敬のことを好きなのは周知の事実だ。しかし、佳織本人は自分の気持ちが周囲に筒抜けになっていると気づいていない。
佳織は小学校低学年の時に本州の都会から篠津町へと転校してきた。当時の佳織は周りに馴染めず、休み時間にはいつも一人で絵を描いて過ごしていた。そんな佳織に声を掛けたのが敬だった。
敬は佳織に『かっちゃん』というあだ名を付け、「一緒に遊ぼうよ!!」と声をかけたのだ。引っ込み思案の佳織は最初こそ遠慮していたが、次第に敬と一緒になってみんなと遊ぶようになった。
それからだ。
佳織はいつも敬の後をついてまわるようになり、みんなとも打ち解けて仲良くなった。
佳織はよく「敬君が居なかったら、みんなと仲良くなれなかった。だから、敬君にはとても感謝してるんだ」と言う。しかし、それを当の本人である敬には言った様子が無い。
きっと、言えないのだ。
今、正義は佳織の気持ちが痛いほど理解出来る。気持ちを告げることで今までの関係性が変わる……それ程怖いことは無い。
──昔はこんなこと、考えもしなかった……。
何の疑問も抱かず、みんな無邪気に笑いながら遊んでいた頃が懐かしい。自然と、正義の表情は憂いを含んだものへと変わった。
正義の顔に影が差すを沙希は見逃さなかった。
「正義? どうしたの?」
「え!? い、いや……べ、別に。何でも無いよ……」
正義を見つめる沙希の瞳はまっすぐで、正義の気持ちを全て見透かすようだ。正義は心情を悟られまいと、視線を辺りへと泳がせた。そんな正義が面白かったのか、沙希はクスクスと笑った。
──沙希は平気なのか?
正義は不快だった。まるで、昨日の告白など無かったかのように振る舞う沙希。その大人びた余裕が正義を苛立たせた。
「……もう行くよ」
不機嫌そうに言うと正義は自転車に跨った。
ペダルに足を掛け、出発しようとした時。
その言葉は唐突に正義の耳元へと届いた。
「好きだよ……わたしも」
「そうかよ、俺もだよ。じゃあな……って、ファイッ!?」
正義は言葉の意味を理解すると、思わず沙希を二度見した。そして、状況が飲み込めないまま、茫然と沙希を見つめる。
「ファイッてなに? わたしと戦うの?」
「ち、違う、違う。ハイ!? って聞き返したんだよ、ビックリして」
「ファイッ!! って聞こえたよ」
「言ってないって」
二人は自然と笑い合った。
いつの間にか、正義の不安や焦燥は消え去っていた。今は沙希の笑顔がいっそう愛らしく、そして眩しく見えた。
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