「……戦争の才能……」
沙希と佳織は思わず顔を見合わせた。同年代の女の子が戦争指導者になるなんて、想像の範疇を超えている。
果たして、戦争の才能とはいったいどんな才能なのだろうか?
戦場での若槻優香は無力に等しいとビンスは言っていた。それなら、剣技の修行を重ねて戦場の勝敗を決する剣士にでも成長したのだろうか? それとも、実は若槻優香は天才的な軍略家で、バルザック王国軍の軍師を務めた……とか?
沙希と佳織は首を捻るばかりだった。
二人の疑問に気づいたのか、ビンスは続けた。
「優香さまは戦場を舞う戦乙女にも、机上で勝敗を決する大軍師にもなれませんでした。ただ、優香さまは……本当に……人を惹きつけるのです……」
ビンスは目を細めて昔を偲んだ。その視線の先にはきっと、往時の若槻優香がいるのだろう。
「戦争は前線の兵士たちや勇猛な指揮官、天才的な軍師だけではできません。それらを後方で支える文民がいて、はじめて戦争ができるのです。生まれながらの軍人なんておりません。人は必ず文民から軍人になります。文民を集め、武器を持たせ、戦地に向かわせる……不敬を承知で申し上げれば、優香さま『人々を戦争へと導く才能』に秀でておいででした……」
ビンスは少しだけ身を乗り出した。
「勇者という特別な存在にも関わらず、分け隔てなく人と接して、その気持ちに寄り添う。そんな平等で優しい優香さまを誰もが尊敬し、大好きになっていました。その優香さまが健気に戦いながら『一緒に戦ってください!!』と頼むのです……軍人たちは『最後の一兵まで戦え!!』と死を恐れずに戦い、文民も『祖国と優香さまのためだ!!』と競って軍需品を提供し、協力を惜しみません。軍人と文民が一体となって戦争を完遂する……その先頭に立つ優香さまは、まさしく勇者でございました」
語り終えると、ビンスは深く感嘆のため息をついた。それほど、若槻優香の勇者としての功績が大きいのだろう。
──でも……それって……。
ビンスが語り終えると、沙希はその整った眉を顰《ひそ》めた。
沙希は歴史の授業で習った、プロパガンダという言葉を思い出した。プロパガンダは大衆を特定の考え方へと政治的に誘導することだと先生は言っていた。
もし、若槻優香が勇者という名前と立場を利用して人々の戦意を意図的に高揚し、戦地へ向かわせたのなら、それはもう立派な戦争プロパガンダだ。若槻優香はその広告塔になる。
──勇者という名の扇動者だよ……。
沙希は若槻優香が集団心理を操り、扇動したように感じて嫌悪を覚えた。
「……若槻さん……嫌だったんじゃないかな……」
突然、佳織がポツリと口を開いた。
沙希とビンスが佳織に視線を向けると、佳織は胸の前でギュッと手を組み、悲しそうな顔をしている。
「『戦ってください』なんて、言いたくなかったんじゃないかな……でも、リーハ村で虐殺を見ちゃったから……戦争を早く終わらせるために仕方なくて……本当は戦争の指導者になんて、なりたくなかったんだと思う。戦争の才能が有るって言われても嬉しくないよ……」
「かっちゃん……」
「沙希ちゃんごめんね……若槻さんの置かれた状況を想像したら、上手く考えがまとまらなくて。ビンスさんも、話を遮ってすいませんでした……」
「いえいえ、とんでもありません!! それにしても、佳織勇者さまは本当にお優しいのですね……」
優しく微笑んで佳織を見ていたビンスは、急に何かを思いついた表情になった。
「そうだ!! お二人にいいものを見せましょう!! これは貴重ですぞ!!」
ビンスは立ち上がると、収納書棚を開けて中から額縁に入った大きな絵を取り出した。
金色の額縁を大事そうに抱えてテーブルまで来ると、ビンスは沙希と佳織の前に絵を置いた。ゴトッという音を立てて、絵がテーブルの半分以上を占領する。
「どうぞ、ご覧ください」
ビンスに促されて沙希と佳織は絵を覗き込んだ。
そこには、レッドバロンの中央広場に集結した兵士たちが描かれていた。壁画と違って派手な色彩では描かれていないが、人の顔立ちや鎧の陰影、服の皺まで緻密に描写されている。美術の教科書で見かけた写実主義の絵画に似ていた。
兵士たちは煌びやかな甲冑を纏い、その中心にはやはり若槻優香がいる。青と白を基調とした板金鎧を身に着け、羽根飾りの付いた羽根兜を小脇に抱えている。その姿は沙希や佳織から見ても凛々しく、美しかった。大人びた雰囲気も相まって、とても同年代には見えない。
しかし……。
兵士たちが満面の笑みで描かれているのに対し、若槻優香はどこか険しい表情をしている。兵士たちとの表情の温度差に、沙希と佳織は若槻優香に冷たい印象を覚えた。それに、良く見ると壁画では若槻優香の近くに描かれていたガンバルフが絵画の隅へと追いやられている。ガンバルフは厳めしい顔つきで腕を組んでいた。
他にも、壁画で描かれていた人物とみられるのは尖った耳の女性しかいない。その女性も、ガンバルフと反対側の隅に描かれている。絵画の持ち主であるビンスですら、若槻優香と離れた後方に緊張した面持ちで描かれていた。
「どうです……素晴らしい絵でございましょう? ギュスターヴ・ミレーという大画家が描いたものでございます。題名は『バルザックの夜明け』と申しまして、ゼノガルド帝国との決戦に向かう優香さまと将校たちを描いています。王都の美術館に収蔵されていてもおかしくない名画……」
「ビンスさん……この絵に描かれているのはいつ頃なんですか?」
得意気に説明するビンスを制して沙希が尋ねた。
「時期でございますか? 確か……決戦直前でございましたから……冬だったと思います」
「じゃあ……英雄広場の壁画に描かれている時期より後ですか?」
「はい、かなり後になります。……沙希さまは英雄広場の壁画をご覧になったのですね……あの絵も素晴らしい出来です。名も無き旅の画家が、レッドバロンで奮闘する優香さまやガンバルフ先生、そして仲間たちを讃えて描きました。……わたしはあの絵の方が好きかもしれません……」
そう言うと、ビンスは寂し気な眼差しで絵画を見下ろした。
「……この頃の優香さまは……わたしやレッドバロンにとって、遥か遠い存在となっておられました……」
何か思うところがあるのか、ビンスは哀愁漂う口調になった。
「あの……ビンスさんはどうしてこの絵を飾らないんですか?」
佳織は部屋を見渡しながら尋ねた。
若槻優香との大切な思い出を描いた名画をどうして飾らないのだろうか? と佳織は素直に思ったのだ。
「……この絵を見ていると、色々と思い出してしまいますので……」
言いにくいことでも有るのか、ビンスは困った顔になった。その表情を見て、佳織は慌てて謝った。
「す、すいません!! ビンスさん……わたし、余計なことを……」
「いいのです。佳織勇者さまや沙希勇者さまには、優香さまについて、いつか全てお話ししなければならないと思っておりました……」
ビンスは『バルザックの夜明け』を収納書棚にしまうと、再び若槻優香について語り始めた。
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