砂漠に怒声が響き渡ると、全員の視線が茜に注がれる。
みんなの注意が茜に集まったせいで、不穏な空気が幾分か和らいでいた。レオやサーシャも茜に顔を向けている。
「当事者はウチなんだ。約束は守るって言ってんだろ……何も戦うことはねーじゃねーか。戦いとか……もうウンザリなんだよ……」
茜は一人一人の顔を見ながら言葉を絞り出した。
「茜さま……」
レオは深刻な事態を収めようとする茜を見て、帯剣から手を放した。
しかし……。
サーシャはその口元を歪めて、「ふふん」と不敵に笑った。
「勇者よ、それは通らぬ道理ぞ。我らは売られた喧嘩を買ったまでじゃ」
サーシャにしてみれば、勇者の治療まで行ったのに約束を反故にされかかった。あまつさえ、剣を向けられそうになったのだ。激怒して当然だ。
「こうなったからには、戦で決着をつけるのも一興じゃ。ガンバルフの召喚した勇者。勇猛果敢と名の知れたレッドバロンの戦士。相手にとって不足は無い」
サーシャはバチバチと放電する右手を茜に向けた。
茜や京子、レオの額に汗が浮かび上がる。レオは再び帯剣に手をかけ、引き抜こうとした。
その時。
「もうやめて……」
砂塵を巻き上げる風に乗って、静かな声がみんなの耳元に届いた。みんなが声の主を探すと、そこには走り去ったはずのテレサが立っている。
テレサはサーシャに歩み寄ってその顔を見上げた。
「サシャ姉、もうやめて……」
「……いくら可愛い妹の頼みといえども、そうはいかぬ。こ奴らは勝負事の約束を破ろうとした」
サーシャの言葉にテレサの顔は曇った。
「サシャ姉、まだ『熱波苦悶開脚走』は続行中だよね?」
「……そうじゃ」
「……わたし、棄権する……」
「……」
サーシャはテレサの意図を図りかねて沈黙した。代わりに、大剣を担いだガルタイ族の戦士が進み出た。
「テレサ姫、何を言ってるんです!? 勝利は確定してるんですよ!! 後は歩いてだって……」
「……」
テレサは戦士を無言で睨みつけた。その刺すような視線に、戦士はギクリとした表情になって押し黙る。
「次に口を開いたら……その首、胴体とサヨナラさせるから」
テレサの静かだが怒気を含んだ口調に、ガルタイ族の戦士は恐れおののいて引き下がった。
テレサはサーシャに向き直って近づいた。そして、そっとサーシャの上腕に触れる。その瞬間、放電が止まった。サーシャが戦闘態勢を解いたのだ。
テレサは茜に向けられたサーシャの右手をそのままゆっくりと下ろさせた。
「わたしも第三者に触れた。これで……この勝負に勝者は居ない」
「……不慮につけこんでの勝利を嫌うか。……ふふふ……あははははは!!!!」
サーシャはテレサの真意を汲み取ると、天を仰いで豪快に笑い始めた。その笑い声に熱砂の大地が揺れ、空気が震える。
「確かに。テッサ、お主も失格じゃ。じゃが、どこまでも誇り高い……さすが、わらわの妹ぞ!!」
さも面白そうに言うと、サーシャはテレサの頭を撫でた。そして、身を翻してガルタイ族の戦士たちに号令をかける。
「見ての通りじゃ!! 『熱波苦悶開脚走』は両者失格により無効とする!! 観戦の客人たちにはそれ相応のもてなしをしてご帰宅願え!!」
サーシャはそう宣言すると、ガルタイ族の戦士たちを引き連れて颯爽と『砂漠の幽霊船』に乗り込んだ。
戦闘を回避できたことで、茜と京子はやっと胸を撫で下ろした。レオもその顔に安堵を浮かべている。
茜と京子は一人残ったテレサに近付いた。
「テレサ、勝負に水を差しちまった。本当にごめん……」
茜が申し訳なさそうに謝ると、京子も「わたしたちを庇ってくれてありがとう」と言って頭を下げる。そんな二人を見たテレサの顔が憂慮で暗くなった。
「……謝るのはこっちだよ」
テレサはやるせない気持ちになった。
事情がどうあれ、怪我をした友人を見捨てたことに変わりはない。その事実がテレサの胸を締め付ける。
信頼できる友人を得るのは難しいが、手放すのは簡単だ。
茜と京子はまだ友達でいてくれるかな? という不安がテレサの心を支配していた。
「テレサ、何を謝ってるんだ?」
テレサの不安をよそに、茜は顔中に「?」を浮かべている。
「テレサは何も悪くねーだろ。なあ、京子?」
「ああ、テレサは何も悪くない。無茶な走り方をしたわたしが悪い」
「そうそう。自己管理ができてなかったコイツが悪い」
「コイツとか言うな、変態ゴリラ」
「なっ!? そのゴリラシリーズやめろ!!」
「いーやーだ」
茜と京子は何事も無かったように悪態をつき合って笑っている。二人とも、事も無げに振舞うことで、テレサを気遣っているのだ。
茜と京子の優しさに触れたテレサは自然と笑顔になった。
テレサの顔から険しさが取れると、京子が右手を差し出した。
「とにかく、『熱波苦悶開脚走』はわたしの負け。砂漠を走りきるなんて、テレサは凄いよ」
「こちらこそ。京子、めっちゃ早かった。体調が万全になったらまた勝負しよう!!」
「おーやれやれ!! でも、次は心配しねーからな!!」
三人は笑顔で握手を交わした。
二人の手を握ったテレサは、心が砂漠の快晴のように晴れ渡っていくのを感じた。
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