茜は事態の理不尽さを逆手に取ろうとしていた。それは、初対面ではあるが、サーシャに自分と似た雰囲気を感じ取ったからだった。
サーシャは筋の通らないことを嫌う性格なのではないか? と茜は考えていた。
こちらの世界では勇者といえども剣を向けられる……それはサリューの襲撃で学んでいる。それならば、下手に取り繕おうとせず、おかしいものはおかしいと真っすぐに糾弾した方が良いと考えたのだ。
無鉄砲な茜の言動を京子は額に汗を浮かべて見守っている。その汗が頬を伝って顎から落ちた頃、サーシャはおもむろに口を開いた。
「……わらわが剣を引かせるとでも期待しておるのか? ならば無駄じゃ」
「んなこと期待してねーよ。でも、悪名が轟くのは気にするだろ?」
「……」
茜は「ふふん」と笑って辺りを見渡した。
「ウチらの世界じゃ物流ってのは信用が第一なんだ。それは、こっちの世界だって同じだろ? 荷物を届けるってのは信頼が有って初めて成り立つんだ。きっと、ガルタイ族も信用が高いから、みんなは安心してアンタらに荷物を預ける……でも、それが丸腰の勇者を襲ったとなったら……信用はどうなるんだろうな?」
茜は挑戦的に言ってのけた。
茜に剣を向ける兵士はもちろん、他の兵士たちの顔にも動揺の色が浮かぶ。
「……くっくっく……あは……あははははは」
サーシャは声を殺して笑っていたかと思うと、すぐに堪えきれずに哄笑した。
「剣を向けられてなお、わらわを脅すか? 面白い。勇者よ、気に入ったぞ……クルド、剣を引け」
「は、はい……」
クルドと呼ばれた戦士が剣を鞘に納めると、緊張した面持ちの京子の口から安堵のため息が漏れた。そんな京子を見た茜の口元がニヤリと綻んだ。
──無茶し過ぎなんだよ!! デンジャラスゴリラ!!
京子は茜を睨みつけながら冷汗を拭った。
サーシャは台座に腰かけると、茜と京子を見た。
「勇者よ、用件を聞こう」
「じゃあ……」
サーシャに促されると、茜は京子を見た。
「え、えっと……き、今日伺ったのは……」
極度の緊張のせいで言葉がなかなか出て来ない京子は、やっとの思いで『郵便システム』について説明した。
サーシャの態度は先程までと打って変わり、穏やかな表情で京子の話を聞いている。
やがて……。
話を聞き終えたサーシャは「手紙か……」と言って、興味深そうに顔を上げた。
「手紙専門とは思いつかなかった……勇者よ、名案じゃな。きっと、人々に支持される事業となるであろう。それは認めよう」
サーシャが『郵便システム』を名案として認めると、茜と京子は顔を見合わせて喜んだ。しかし、サーシャがすぐに言葉を紡ぐと、二人の顔は翳った。
「……じゃが、わらわたちにも砂漠の民としての矜持が有る。勇者に好き放題言われたまま、すんなりとは協力できぬ」
サーシャの言葉は本音だった。
『郵便システム』は確かに素晴らしい。しかし、茜がガルタイ族をその言葉で「煽った」のもまた事実なのだ。
サーシャは少し考えこんだ後、茜と京子を見た。
「どうじゃ、我がガルタイ族とそなたら勇者で勝負せぬか?」
「「しょ、勝負!?」」
茜と京子は口を揃えて驚いた。
「そうじゃ。そなたら勇者が勝ったなら、ガルタイ族は手紙について、全面的に協力しようではないか」
「もし負けたら……どうなるんですか?」
「……二人にはガルタイ族に入ってもらう」
京子が尋ねるとサーシャは真剣な眼差しで答えた。
──ガ、ガルタイ族に入る!? 砂漠の民として生きろってこと!? そんなの無理に決まってる。断らなきゃ……。
京子が断ろうとしていると、隣から茜の能天気な声が聞こえてきた。
「別に構わねーよ。ウチも勝負事は好きだからな!!」
京子は目を丸くして茜を見た。茜はそんな京子を無視して話を進めた。
「じゃあ、なんの勝負で決着付ける??」
「熱波苦悶開脚走で勝負じゃ」
サーシャは不敵な笑みを浮かべて言った。
──熱波苦悶開脚走!?
熱波苦悶開脚走という言葉の響きに、京子は死を予感した。
× × ×
「クルド、テッサを呼んで参れ」
勝負が決まると、サーシャは近くで控えるクルドに言った。クルドは「ハッ!!」と短く答えて、駆け足で天幕を出て行く。
しばらすると……。
「サシャ姉、どうしたの?」
サーシャほどではないが、身長の高い赤髪の女の子が天幕に入って来た。女の子は茜や京子と同年代で褐色の肌をしており、サソリの紋章が印された軽装の甲冑を身に纏っている。
女の子は気の強そうな眼差しをした美形で、どことなくサーシャに雰囲気が似ていた。
サーシャは女の子の姿を見ると、笑顔で手招いた。
「テッサ、こっちへ参れ」
「サシャ姉……」
女の子がサーシャの元まで歩くと、居並んだ戦士たちが次々に頭を下げる。戦士たちの反応は、女の子の位が相当に高いことを教えている。
「勇者よ、こやつはテレサ・アディール。ガルタイ族最強の剣士にして、我が妹じゃ。……テッサ、挨拶をいたせ」
「へぇ~あなた達が新しい勇者さんか……。初めまして、わたしはテレサ・アディール」
テレサは微笑みながら右手を差し出した。
「ウチは高橋茜よろしくな」
「わたしは伊藤京子……」
茜と京子はかわるがわる、テレサと握手を交わした。
「勇者さん、バロンプリン、最高に美味しかったよ!! ザハに来る楽しみが増えて感謝してる!!」
サーシャは白い歯をこぼして、爽やかに言った。その嫌みの無い真っすぐな態度に、茜と京子の緊張は幾分か和らいだ。
テレサは打ち解けた雰囲気になると、サーシャを顧みた。
「で? サシャ姉……熱波苦悶開脚走をするって聞いたけど、もしかして勇者さんと勝負するの?」
「さよう。色々と有ってな……勇者と勝負することになったのじゃ。そこで……テッサ、ガルタイ族を代表して、そなたが勇者と戦うのじゃ」
「わたしが!?」
テレサは自分を指差して目を丸くした。その顔が次第に歓喜へと変わる。
「わたしが勇者と熱波苦悶開脚走で戦うの!? ……最高でしょ!! ありがとう、サシャ姉!!」
テレサは双眸に闘志の炎を揺らめかせて声を張り上げた。
「オイオイ、ちょっと待てよ!! 勝手に話を進めて盛り上がってんじゃねーよ!!」
茜がサーシャとテレサを牽制する。
「勝負するとは言ったけどよ……何で勝負するかまでは決めてねーぞ。何だよ、その熱波苦悶開脚走ってのは?」
茜は眉を寄せてサーシャとテレサを見た。京子も不安を隠せないでいる。
「我がガルタイ族に古くから伝わる競技でな……なあに、武器は使わぬ……安心いたせ」
サーシャは「ふふふ」と笑って熱波苦悶開脚走の説明を始めた。
『熱波苦悶開脚走』……それはガルタイ族に古くから伝わる競技のことだった。
バクラマカン砂漠を支配するガルタイ族ではその昔、砂船ではなく、徒歩で砂漠を移動していた。自然と、砂漠で遠距離を移動できる者は部族の英雄として尊敬された。その名残で、砂船での移動が確立された今でも、炎天下での雄姿を競う競技として熱波苦悶開脚走が行われている。
「バクラマカン砂漠には『熱砂回廊』と呼ばれる石畳の道が設けられておる。『熱砂回廊』は古代の軍用道路の名残じゃが……そこを走って速さを競うのじゃ」
一体、熱波苦悶開脚走とは何の勝負だろうか? と思っていれば、マラソンでの勝負だった。
マラソンでの勝負だとわかると、茜はチラリと京子を見る。その視線に京子はギクリとした。
「いいぜ。その熱波苦悶開脚走とやらで決着を付けようじゃねーか」
茜はニヤッと笑いながら言うと、「ただし……」と付け加えた。
「……ウチらが負けた場合……ガルタイ族に入るのはウチだけにしてくれねーか?」
──!?
京子は驚いて茜を見る。茜は平然とした顔でサーシャを見据えていた。
「茜、何また勝手なこと……」
思わず声を上げた京子を茜は手で制して続ける。
「勝負するのはコイツ。敗北の責任を負うのはウチ。それでどうだ? 敗北の条件として釣り合ってるのかどうかはそっちで決めてくれて構わない。でも……この条件を飲めねーなら、勝負はしないぜ」
茜はサーシャが勝負を提案してきた時から、敗北の責任は自分一人で負うと決めていたのだろう。淀みなく勝負の条件をサーシャに伝えた。
京子は困惑するばかりで、事態の推移をただ見つめることしか出来なかった。
視線を落として茜の申し出を考えたサーシャはゆっくりと顔を上げる。
「わらわとしては勇者が二人だろうが、一人だろうが構わぬ。要は『ガルタイ族に勇者が居る』という事実が欲しいのじゃ。良かろう……条件は成立した」
「よっしゃ!! 決まりだな!!」
──茜、ちょっと待って!!
京子は茜を止めようとしたが、一瞬、茜が鋭い視線でこちらを見た。幼馴染の京子にはその視線が「黙ってろ」と言っていると、瞬時に理解できた。
茜は言葉を呑み込む京子を見て小さく頷くと、サーシャと固い握手を交わした。
「勝負は明日でいいか? ウチらも忙しくてザハには長居できねーんだ」
「わらわたちは何時でも構わぬ」
「じゃあ、ウチらに一度、その熱砂回廊とやらを見せてくれよ。どういった場所を走るか、知っておきてーんだ」
「なるほど、もっともな申し出じゃ。……クルド、勇者たちに熱砂回廊を案内いたせ」
サーシャが近侍するクルドに申し渡すと、「わたしも行く!!」と言ってテレサも進み出た。
クルドに連れられ、茜、京子、テレサ、そしてバッバーニが天幕を出て行くと、サーシャは巨大な台座に座り、煙管を持った。すると、直立していた兵士が燭台の蝋燭を持って近付き、煙管に火を点ける。
サーシャは吸い込んだ煙を吐きながら、天幕の入口を見た。
「勇者ゆえの自信か……それとも小娘の蛮勇か……明日が楽しみじゃ」
サーシャの呟きは紫煙と共に天幕の中を揺らめいて消えた。
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