茜、京子、テレサ、バッバーニ、そして茜と京子の身を案じたレオは、『砂漠の幽霊船』と呼ばれる三本マストの砂船に乗り込んだ。
ギ、ギ、ギ。
帆が満帆の風を受けると、マストが軋む音を立てて砂船が進み始める。
どのような仕組みになっているのかはわからないが、砂船はどんどんと加速して砂の上を滑るように進んでゆく。
「イィヤッホー!! 砂丘も乗り越えるなんて、この船はスゲーな!!」
船首から身を乗り出した茜は、砂漠の熱風を肌に感じて歓声を上げた。そんな茜を見て、テレサが声をかける。
「茜、お前は砂船に乗るのが初めてか?」
「ん? ああ、ウチは遊覧船くらいしか乗ったことがねーからな。それに、砂の上を進む帆船なんて、ウチらの世界にもねーよ!!」
「そうなのか!? 勇者の世界に砂船は無いのか!?」
テレサはどこか嬉しそうに言うと、何か思いついた顔をして茜を見た。
「茜、マストに登ってみる??」
「え!? いいのかよ??」
「構わないよ!! 茜、ついて来て!!」
テレサは茜の手を引き、船首付近にある帆柱に近づいた。
「結構高いから、気をつけて!!」
そう言ったかと思うと、テレサは帆柱に取り付けられた縄梯子をスルスルと登ってゆく。
「マジかよ……楽しそうじゃねーか!!」
茜は一瞬だけ怯んだ表情を見せたが、すぐに目を輝かせて縄梯子を登り始めた。
やがて……。
茜は檣楼と呼ばれるマストの最上部にある物見場所へとたどり着いた。
「茜、手をつかんで!!」
先に檣楼へとたどり着いたテレサが手を差し出して茜を引き上げる。
「……!?」
マストの最上部から砂漠の全貌を見渡した茜はその絶景に息を呑んだ。
辺り一面を支配する黄色い砂。その黄金の大地が遥か地平線の彼方で真っ青な空と二分割されている。
十分に加速した砂船は波を乗り越えるように砂丘を越えてゆく。
靡く髪を押さえて振り返ってみると、ザハは既に遠くなり、小さくなった家々の白い輝きだけがその存在を教えていた。
「茜、最高の眺めでしょ?」
「ああ。最高過ぎるよ……」
「……茜はガルタイ族に入ってもうまくやっていけると思うよ!!」
感動した面持ちの茜を見たテレサは満足そうに頷きながら言った。
× × ×
テレサと打ち解け、嬉々としてマストに登ってゆく茜を京子は苦々しげな顔つきで見ていた。容姿端麗な京子の眉間に深い皺が刻まれる。
──ナントカと煙は高い所が好きって本当だったな……。
勝手に勝負を決めたかと思えば、今度はその相手と仲良くなっている茜の神経が京子には信じられなかった。
──どうせ、わたしが陸上部だからマラソンの勝負を引き受けたんだろうけど……わたしを無視して安請け合いばっかり!!
茜に対する不満は大きくなり、やがて不安へと変わる。
──負けたら、ガルタイ族に入るんだぞ……バカゴリラ。
京子がため息を吐くと、同じく心配な顔をしたレオが話しかけてきた。レオは壮年の戦士であり、茜のことを隊長と呼んで慕っている。
「大丈夫ですか?」
「え? あの暇ゴリラなら大丈夫ですよ。基本的にバカですから」
「……いえ、わたしが心配してるのは京子勇者さまのことです」
「わたし?」
京子は首を傾げた。
「ええ……。テレサ・アディールと言えば名高い剣士で、その勇名はレッドバロンまで轟いています。いくら京子勇者さまと言えども、そのテレサ・アディールと対決なさるのは……」
勝負内容の全てを知らされていないレオは京子のことを心配していた。
──そっか……普通に考えたら無謀なことをしてるって思われるよね……わたしたちが戦えないのはみんな知ってるし……。
京子は妙に納得できた。
ただ……。
次の瞬間、言いようの無い悔しさが心の中で湧き起こった。
レッドバロンの運命が双肩にかかる沙希。
こちらの世界で演劇をやってのけた敬と、そんな彼を純粋に応援する佳織。
蒸気機関をもたらそうと勇んでメヴェ・サルデに向かった正義と勇人。
そして……。
『郵便システム』の為に刃を向けられても屈しなかった茜。
みんな、精一杯、自分に出来ることをやっている。
──わたしって……何かした?
そんな疑問が胸中で渦巻く度に、京子の悔しさは大きくなった。
──……わたしだって……。
京子は木でできた甲板を履いていたスニーカーのつま先でトントンと叩いた。そして、次に大きく屈伸をすると、あらためてレオを見る。レオは京子の動作を訝しげな顔で見つめていた。
「わたしの心配ならいらないよ、レオさん」
京子は爽やかな笑顔で言った。
× × ×
広大な砂漠の上を蛇が這うような形で鼠色の一本道が伸びている。この砂丘の合間を縫う石畳の道が『熱砂回廊』だった。
『砂漠の幽霊船』は熱砂回廊に沿って進んだ。すると、砂丘の向こう側からダチョウに似た動物に乗った一団が現れ、『砂漠の幽霊船』に並走を始めた。
ダチョウに似た動物は身体に小さく退化した羽と前足が有り、顔は凶暴な鳥類を思わせる風貌をしている。まるで、砂漠を疾駆するプテラノドンだ。
サソリの紋様が描かれた旗を靡かせる一団を見て、京子は不安気な顔になった。すると、そんな京子の隣にガルタイ族の戦士であるクルドが並び立った。
「あれはガルタイ族の騎馬隊で、テレサさまの親衛隊です。あの動物はバクダと言って、砂漠にのみ生息する魔獣ですが、見かけほど凶暴ではありません」
このクルドという戦士は、茜と京子が砂船に乗船してからは丁寧に接してくれた。しかし、クルドは茜に刃を向けた張本人である。そのため、勇者の親衛隊を自認するレオは警戒を怠らない様子で、すぐにクルドの前に立ちはだかった。
「なんだ、てめぇ……」
レオの態度が気に入らないのか、クルドは炎の刺青が施された太い腕を組んでレオを睨みつけた。
「そんなに警戒してんじゃねぇ。お前たちは統領であるサーシャさま、テレサさまの客人だ。無体な真似はもうしねぇよ」
「ふん。貴様の言うことなど信じられんな。聞けば、勇者さまに剣を向けたそうじゃないか……」
クルドに凄まれたレオは対抗するようにその腕を組んで睨み返した。
『砂漠の幽霊船』の船首でガルタイ族の戦士とレッドバロンの元戦士が睨み合う。
険悪な雰囲気になる二人に京子は焦って辺りを見回した。そして、わざと話題を変えて姿が見えないバッバーニのことを尋ねた。
「あの、バッバーニさんはどうしたんですか? 姿が見えないようだけど……」
京子が尋ねると、クルドは「ふん」と笑って、船室へと続く出入り口を見た。
「あいつなら船酔いで倒れてるってよ……」
「そうなのか? 勇者さまを案内するって張り切っていたくせに……だらしないな」
「まったくだ。それに、あの野郎はどうも気に食わねぇ」
「おっ!? 意見が合うな」
クルドとレオはバッバーニに対する感想が一致すると、顔を見合わせて笑い始めた。
砂漠で船酔いとは不思議な話だが、倒れたバッバーニのおかげで、険悪な雰囲気がこじれずに済んだ。
京子はホッと胸を撫で下ろすと、船首付近にある帆柱を見上げた。
茜はテレサと一緒に帆柱に登ったままだ。テレサとよほど仲良くなったのか、降りて来る気配は一向にしない。
──……あのバカゴリラ、外務大臣失格だ。
京子が茜に対する呪いを心中で呟いた頃、砂船はゆるやかな減速を始めていた。
× × ×
『熱砂回廊』の先に、壊れかけた石造りの円形闘技場が見えて来た。円形闘技場の周りには幾分かの樹々が生い茂り、小さな泉も見受けられる。
減速を始めていた砂船はそのそばで停泊した。
「やっと着いたのかよ……意外と長かったな」
帆柱から降りて来た茜は、タラップで京子たちに合流すると能天気に言った。
「茜、観光に来た訳じゃないぞ……」
「そんなの、わかってるって!!」
京子の肩を叩いて茜はタラップを降りて行った。京子はため息を吐いて茜の後に続く。
船酔いでダウンしたバッバーニを除き、レオやクルド、そしてテレサも下船した。
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