「こりゃスゲー。ヤバイな、京子?」
「ああ……こんなの初めて見た……」
茜が感嘆の声を上げると、京子も頷く。
巨大な円形闘技場の姿を目の当たりにした茜と京子は、巨大な建築物を見上げながら、歴史の教科書で見た古代ローマのコロッセオを思い出していた。
円形闘技場は所々崩壊しているが、その姿からはかつての荘厳さが偲ばれる。周囲を圧倒する威厳の溢れる佇まいに茜と京子は息を呑んだ。
円形闘技場の周囲には煉瓦の建物や天幕が幾つも並んでいる。そして、少ない樹々の合間には小さな市場も設けられ、泉では先程まで砂漠を疾駆していたバクダに戦士たちが水を与えていた。
茜と京子はこの場所がちょっとしたオアシス都市に思えた。
「ここはガルタイ族にとって神聖な場所で、『無慈悲な終焉の地』って呼ばれてるんだ!!」
風景に見とれる茜と京子にテレサが声をかけた。
「茜、京子、着いて来てよ!!」
朗らかな声で言うと、テレサは軽やかに砂を蹴って歩き始めた。
テレサは獅子に似た獣が口を開ける円形闘技場の出入口に二人を誘った。
× × ×
暗くて長い通路を抜けると、急に視界が開けて眩い光が差し込んでくる。その光に目が慣れてくると、茜と京子は目を細めて辺りを見回した。
そこは巨大な円形の砂地だった。そして、砂地に沿ってぐるりと高い壁が築かれており、その更に上には観客席が設けられている。
壁の東西南北には入り口と同様に獅子が雄叫びを上げる姿を模した出入口が設けられている。そして、その出入り口の上部には、盾や剣を持った巨大な戦士の石像が建てられていた。
観客席や石像は円形闘技場の外観と同じく崩れかかっており、往時の姿を留めていない。しかし、その全貌は異世界そのものが迫ってくるようで、茜と京子を威圧した。
「こっちまで来てみてよ、勇者さん♪」
砂地の中央部へと歩を進めながら、テレサは茜と京子を手招いた。
「このバクラマカン砂漠では昔、王国が栄えていたと言われているんだ。ここ、『無慈悲な終焉の地』はその王国の王都だったと言われていてね……」
テレサは屈んで砂を握ると、それをサラサラと零した。
「今は……防砂の魔法がかかっているこの闘技場や、軍用道路の『熱砂回廊』くらいしか、面影が残ってないんだ。後はもう……砂に埋もれちゃった」
指のすき間から落ちた砂は、闘技場の中を渦巻く風に撫でられて斜めに落ちる。零れ落ちる砂を見つめるテレサの瞳には寂寥感が漂っていた。
「なあ……ガルタイ族って、その王国の末裔だったりするのか?」
茜が周囲を見渡しながら聞いた。
「ご先祖さまが? まさか!」
テレサは一瞬、キョトンとした顔をしたかと思うと、すぐに顔をほころばせて笑った。
──ん? じゃあ、どうして寂しそうな顔をしたんだよ……。
茜はテレサの心中を計りかねて首を傾げた。
テレサはパンパンと手を払うと、立ち上がって茜と京子を見た。
「遥かな昔、ガルタイ族は……闘奴だったんだ……」
「闘奴!?」
「うん。あれを見て」
テレサは四つの入口に仁王立ちする石像の一つを指差した。
その石像は顔や左腕の一部が欠けているが、剣を握った右手を雄々しく天へとかざしている。そして、その腕にはテレサやサーシャと同じ炎の紋様が彫り込まれていた。よく見ると、石像の足下には砂漠だというのに、色とりどりの花が供えられている。
「あの石像はレギリオ・バンデラって言う古代の剣闘士で……ガルタイ族のご先祖さまって言われているんだ」
「へぇ~勇ましいご先祖さまじゃねーか」
茜は厳めしい顔つきで天を睨むレギリオの石像を見上げた。
「そうでしょ!? レギリオは連戦連勝を重ねた超強い剣闘士だったんだけど……魔族との混血だったから、差別されて辛酸を舐めた。そもそも、ガルタイ族自体が魔族との混血って言われてるんだけどね」
「え!? そうなのかよ??」
茜は驚きながらも、テレサの姉であるサーシャの人間離れした巨躯を思い出した。魔族をまだ見たことは無かったが、魔族との混血と聞くと、サーシャの規格外の体格も納得できる気がする。
沈黙し、顔を見合わせるだけの茜と京子を見てテレサは意外そうな顔をした。
「さすが勇者さん。魔族との混血って聞いても、あまり驚かないんだね」
茜と京子にしてみれば、どう反応すれば良いかわからず、困惑していたのだ。もしかすると、異世界に来た時に驚くという感情を使い切ったのかもしれない。
魔族との混血を特別視しない茜と京子に気を良くしたのか、テレサはガルタイ族の出自について語り続けた。
「剣闘士と言えば聞こえが良いけれど……結局のところは闘奴、それに農奴……奴隷だったんだ。ガルタイ族は虐げられて生きてきた。そんなガルタイ族を解放したのが、レギリオなんだ。レギリオは虐げられるガルタイ族や他の部族を率いて、独立の為に蜂起した。そして……戦って自由を手に入れたんだ」
テレサはそう言って誇らしげにレギリオの銅像を見上げた。
茜はテレサがさっき一瞬だけ見せた寂し気な表情の意味を理解した。
この円形闘技場には、闘奴として散っていったガルタイ族の数多の血がしみ込んでいる。かつて流れた先祖の血に、テレサは想いを馳せたのだろう。
茜と京子は自分たちと同年代のテレサが先祖を尊ぶ、誇り高い女性に見えた。自然と、茜と京子の背筋が伸びる。
茜と京子から敬意を感じ取ったテレサは感謝の気持ちを抱いて頷いた。
「何事も、簡単には手に入らない……戦って勝ち取るからこそ価値が有る。そう考えるガルタイ族にとって、勝負事は特別なんだ。……勝負で物事に決着を付ける。それはわたしたちの誇りであり、相手への最大限の敬意なんだよ。まあ、何でも勝負、勝負って言うと、野蛮に聞こえるけどね」
テレサは少しだけ苦笑いを浮かべた。
思わぬ形で茜と京子は新しい価値観に触れた。
わかったことは、テレサを含めたガルタイ族が悪意を持って『熱波苦悶開脚走』での勝負を言い出した訳では無いということだった。
きっと、ガルタイ族にとって『熱波苦悶開脚走』は神聖で誇り高い行為なのだろう。
「あ……あのさ……」
京子は進み出るとその口元を開いた。
テレサは「ん?」という表情をして、京子を見る。
「熱波苦悶開脚走……だっけ? 明日は、正々堂々と勝負しよう」
涼やかな目元に静かな闘志を湛えて、京子は右手を差し出した。
テレサは一瞬だけ困惑の表情を浮かべたが、すぐにその顔が喜びへと変わる。
「うん!! 京子、勇者さんだからって手加減しないよ!!」
京子とテレサは互いに敬意をこめて固い握手を交わした。
「二人とも、カッケーな!!」
茜は笑顔で二人を見つめている。
明日、京子とテレサは『郵便システム』と『茜のガルタイ族入り』を賭け、熱波苦悶開脚走……つまりマラソンで勝負する。
円形闘技場では、二人の激闘を予感させるかのように一陣の風が砂埃を巻き上げて吹き抜けた。
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