バスターミナルのある札幌駅の地下街に正義と沙希は居た。二人は、篠津町方面のバスが発車する時刻までの間、カフェで過ごすことにしたのだ。カフェの中は夕方の時間帯にも関わらず、空いていた。
正義と沙希は窓際のテーブル席に並んで座った。注文をした正義が二人分のカフェラテとドーナツを運んで来る。
「はい……」
「ありがとう……」
正義がトレーを置くと、沙希が微笑みながらガラスコップにストローを差しこむ。
正義は沙希の隣席に腰かける。気になるのはやはり、若槻優香のことだった。
「あのさ……シュトラス・カインハートって……若槻先輩が戦ったゼノガルド帝国の皇帝だろ? その名前を口にしたってことは、バルザック王国に居る若槻先輩と、こっちの若槻先輩が繋がっている証拠だよな?」
「うん……多分……」
「じゃあ、両方の世界に若槻優香が存在して……二人は同じ記憶を共有してるってことか?」
自分で言っておきながら、正義は思考がこんがらかった。こっちの世界にも、異世界にも若槻優香が居る。何がどうなっているのか全くわからない。
「かっちゃんが言ってたでしょ……肉体が現世に残されたまま、魂や精神だけが異世界に召喚されることもあるって……」
「でも、それは小説や漫画の……」
言いかけて正義は言葉を呑みこんだ。レッドバロンに行っている自分たちだって、非現実的なことなのだ。
沙希は深刻そうな表情で正義を見つめた。
「こっちの世界の一時間が向こうの世界の一日だから、若槻先輩はあっという間に年を取っちゃう。このままだと……事件や事故に遭わなくても、病気か老衰で……」
「死んでしまう」と、沙希は言えなかった。それは、優香が目覚めるのを信じて待つ八重の顔を思い出したからだ。向こうの世界で若槻優香が死ねば、こちらの世界の若槻優香も無事では済まないだろう。
沙希の言わんとすることを察した正義は静かに頷いた。
「なあ、沙希。ロッカーを越えるかどうかを決めるのは、若槻先輩しだいだけど……せめて、ロッカーの存在は若槻先輩に伝えないと……だよな?」
「うん……それに……」
沙希はガラスコップに差しこまれたストローをゆっくりと回した。カランカランと氷のぶつかり合う涼しげな音がする。
「……ガンバルフさんに会って、若槻先輩がロッカーを越えても大丈夫かどうか確認してみないとダメだよ」
「ガンバルフさんにわかるのかな……また『知らん』って言われるのがオチなんじゃ……」
「そうかもしれないけど……でも、召喚魔法について知っているのは、大賢者って呼ばれてるガンバルフさんだけだから……」
困り顔で答える沙希を見て、正義は頷くことしかできなかった。
「そっか……やっぱり、そうなるよな。ガンバルフさん、帰ってるといいんだけど……」
正義は古代都市に消えた大賢者を思い浮かべてため息を吐く。どうしても嫌な予感しかしない。
「とにかく今は、ガンバルフさんと、バルザック王国の女王になってる若槻先輩に会って……」
ヴ、ヴ、ヴ。
沙希の言葉を遮るように、テーブルに置かれた正義と沙希のスマホが同時に振動する。スマホを手に取り、画面をスワイプさせた沙希の顔が曇った。正義も眉間に皺を寄せる。
画面には、グループチャットでの茜の発言が表示されていた。
『沙希、正義、ヤベーことになった。すぐに連絡してくれ』
茜からの急報を目にした正義と茜は顔を見合わせると、慌ててカフェを出た。
× × ×
正義と沙希は篠津町方面のバス乗り場まで急いだ。バス乗り場に人影は少なく、バスの到着を待っているのは数人のご老人だけだった。
人気の無いバス乗り場の片隅まで行くと、沙希はショルダーバッグからスマホとコードレスイヤホンを取り出して、片方を正義に手渡した。
沙希が茜の番号をタップすると、すぐに茜の声が聞こえてくる。
「沙希、デート中にわりぃ……」
デートという単語に正義が照れた顔つきになる。すると、沙希に肘で小突かれた。
「茜、どうしたの? 今、大丈夫だから話して。正義も聞いてるから……」
「そっか。そりゃ、ちょうどいいな……今、ウチだけ作業から離れてるんだ……」
茜の声が少しだけ密やかになった。
「農業祭りの作業なんだけど……後、数日で終わっちまう……」
「「え!? なんで!!??」」
沙希と正義は思わず声をそろえて驚いた。
「それがさ……」
茜の説明によれば……『篠津町農業祭り』の準備を、野球部や陸上部、果ては農家さんの青年部も一緒になって手伝ってくれたらしい。音頭を取ったのは、『ももちゃん』先生だった。
千葉桃子は「生徒たちの夏休みが、農業祭りの準備で潰れるのはおかしい!!」という、もっともな理由から、他の生徒や農家さんの青年部にまで協力をお願いしたのだ。
勇人や京子の人望も手伝って、部活の先輩や後輩がすぐに集まり、敬の演劇仲間である大人たちも駆けつけた。当然ながら、農業祭りの準備は圧倒的な速さで進み、このまま行けば後数日で終わってしまう。
いつもの夏休みなら、嬉しい悲鳴を上げて大歓迎だが、今回ばかりはそうとも言ってられない。他の生徒や町の大人が一緒だと、レッドバロンには向かえないのだ。
「勇人やみんなもどうするか悩んでて……沙希に聞いてみることになったんだ……」
茜が話し終えると、正義は「どうする?」といった目つきで沙希を見る。沙希は一瞬だけ考える素振りをしたが、すぐに口元を動かした。
「茜、勇人にまた『秘密基地』を使わせてもらえないか頼んでくれるかな? それと、京子やかっちゃん、敬にも集まれるか聞いて」
「わかった。で、いつ集まるんだ?」
「今日、わたしと正義が戻ったら……そのまま合流して、これからどうするか、みんなで決めよう」
「了《りょ》。じゃあ、待ってるぜ」
「うん。茜、教えてくれてありがとう」
沙希はお礼を言って通話の終了ボタンをタップする。
「農業祭りの準備が終わったら……体育館に入れなくなるな……」
「……」
正義が呟くと、沙希は沈黙したまま頷いた。
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