長い一日だ。
そう思いながら、正義は実家の居間にあるソファーに寝ころんでぼんやりプロ野球中継を見ていた。
異世界に呼び出されたのに大した冒険もせず、温泉に入って美味しい料理を食べて帰って来ただけ。敬の言うように、旅行に行って帰って来た感覚だった。
正義は欠伸を噛み殺しながら、大きく伸びをした。
居間では正義の他に姉の真実と母親が一緒になって野球を見ている。
北海道に地元のチームが出来てから、野球に興味の無かった真実までテレビ中継を見るようになった。今では贔屓の選手が居るらしく、はるばる札幌ドームまで観戦に出かけることもある。
リ、リリン!!
珍しく階段脇に置いてある固定電話が鳴った。「ハイハイ」と言いながら母親が立ち上がって居間から出て行く。
やがて……。
「まさよしー!! 沙希ちゃんからだよ!!」
廊下から正義を呼ぶ声がする。
「え!?」
「沙希ちゃんってあの『西園寺ストア』の沙希ちゃん?」
驚く正義に野球を見ていた真実が声をかけた。
「そうだよ」
「美人さんじゃん!! あんたやるねぇ~♪」
真実はいたずらっぽい笑みを浮かべてからかってくる。
正義はそんな真実を無視して廊下へ出ると、母親から受話器を受け取った。
「どうした?」
「スマホ、見てよ」
「悪い、二階に置きっぱなしだった」
そういえば、家の電話に沙希から電話がかかって来るなんて何年ぶりだろう。もしかすると、小学校の時以来かもしれない。普段はスマホばかり使い、家の電話で沙希と話すことは全く無かった。妙に新鮮で、どこか気恥ずかしい気がする。
「あのね……考えたんだけど……レッドバロンに行こうと思うんだ」
「!?」
沙希の言葉は正義の感慨も、何もかもを吹き飛ばした。
「えっ!? なんでだよ!? 行くな!!」
大きくなった正義の声に、居間では母親と真実が同時に廊下の方を見る。
「……行くなって……わたしが心配だから?」
受話器の向こうの声は真剣だった。
「ま、まあ、それもあるけど……」
──世間一般に知れ渡ったらパニックになる事柄に、自分から深く首を突っ込むなんて……どう考えてもおかしいだろ!!
のど元まで出かかった言葉を正義はやっとの思いで呑み込んだ。
「言いにくいんだけどさ……」
沙希は続けた。
「……みんなも行くって……」
「は!? なんで!!??」
「……わたしがみんなを説得した訳じゃないよ。そんな無責任なことしない」
「それはわかってるよ……でもなんで……」
「……何も思わなかった?」
「……何が?」
「わたし……向こうの世界が篠津町と重なって見えたんだ」
それは正義も思ったことだった。
「よくお父さんが言ってるんだ。『篠津町の皆さんに必要とされて初めて商売が出来る。だから、必要とされることに感謝しなきゃ駄目だ』って。……なんかさ、異世界とか勇者とか関係なくて、困ってる人たちをただ見捨てて逃げてきたみたいで……嫌なんだ……」
力の無い声色に、正義はレッドバロンでの夜、沙希が一瞬だけ見せた顔を思い出した。
きっと……。
沙希にとって、必要とされていながら何にもしないで諦めることは、今までの自分を否定することに繋がるのだろう。それが例え『勇者』としてであっても。
幼馴染の正義には沙希の気持ちが痛いほど理解できた。
昔からそうだった。沙希はみんなの期待に対して過度に応えようとする。生徒会の書記と会計を兼任しているのだって、先生やクラスメイトに強く望まれたからだ。
普段のハキハキとした物言いやリーダーシップとは裏腹に、沙希はどこか押しに弱い側面があった。
「……正義には言っておきたかったんだよね……」
「……」
話が急過ぎてついて行けない。正義は言葉に詰まった。
「……みんなのメッセージ、ちゃんと読んでね。じゃあ……」
そう言って沙希は電話を切った。
あまりの衝撃に正義は崩れるようにして階段に座り込んだ。
──偶然、俺が帰り道を見つけたから良かったものの、また向こうの世界に行こうとするなんて……。
何を考えているんだ!? と理解に苦しむ自分と、それを沙希に問い質せない自分が居る。
「どうした少年、失恋か?」
顔を上げると、真実が腰に手を当てて仁王立ちしていた。
「沙希ちゃん、美人でしっかり者だもんねぇ~。あんたにゃ荷が重いか?」
「だから、そんなんじゃないよ……」
正義は悪ノリをする真実を疎ましく思った。そんな正義の気配を察してか、真実の口調が柔らかなものへと変わる。
「何が有ったか知らないけど……あんた、もう高校生だろ? 女の子の期待の一つや二つ、応えてやんな」
正義を励ますように言って、真実は階段先の自室へと消えて行った。
「気軽に言うなよ……」
視線を落として呟くと、正義も自分の部屋へと向かう。
正義の背中。居間のテレビからは、誇らしげなヒーローインタビューが聞こえていた。
× × ×
自室に入り、ベッドの上に置きっ放したスマホを確認すると、沙希からの着信履歴があった。
正義は『篠津町農業祭り』を準備するメンバーの為に、連絡網代わりとしてコミュニティサイトを開設している。このコミュニティサイトにログイン出来るメンバーは、ちょうどレッドバロンに召喚された七人だけだった。
パスワードを入れてサイトに入ると、みんなのコメントが表示される。
最初にレッドバロン行きを言い出したのは、やはり敬だった。
『僕はレッドバロンへと向かう。勇者で救世主。まさに僕の望んだ世界!! アディオスアミーゴ!!』
「さらば友よじゃねーよ……」
正義は迷いのない敬に呆れながら画面をスワイプさせる。
意外にも、敬に続いたのは佳織だった。
『敬君が行くならわたしも。ビンスさん、本当に困ってたみたいだし……。それにね、実は向こうの世界を見てイラストを描く時の参考にしたいんだ!!』
泣いていた佳織が気丈にもレッドバロンへ向かおうとしている。それも、積極的に。そして、そんな佳織に沙希が続く。
『じゃあ、かっちゃん。わたしと一緒に行こうよ!!』
『本当!? 沙希ちゃんが一緒だと心強い!!』
沙希と佳織がレッドバロン行きを決めると、茜や京子、さらには勇人までもがレッドバロン行きを決断した様子だった。
『あ、ウチも行く。手紙頼まれたままってのは後味が悪い』
『暇ゴリラが行くのは心配だからわたしも行くよ』
『京子、そのヒマゴリラってのヤメロ!!』
『結局お前ら行くのかよ……仕方ないな』
勇人の『仕方ないな』の語尾には多分、『俺も行く』という言葉が隠れている。
『みんなも来るの!? 超絶グラシアス!! ところで……生徒会長殿はどうするんだい??』
敬の発言後、みんなのコメントはされていなかった。
正義は、沙希やみんなが自分の方を見ている感覚に陥った。
幼馴染の集団においては、みんなが自分だけ疎外されることを極端に嫌い、恐れる。正義も例外ではなかった。
『明日、朝九時に学校集合。鍵は俺が借りる。遅刻すんなよ』
正義は一瞬躊躇った後、発言ボタンをタップした。
レッドバロンへと向かう明確な意思や目的が有るわけでは無い。
きっと勇人や京子と同じで、みんなが行くから行くのだ。
正義が発言して間もなく、『遅刻したお前が言うな』という勇人のコメントが書き込まれた。
『そうだよね』
『遅刻すんじゃねーぞ』
沙希や茜のコメントも続く。
『生徒会長殿も一緒に旅立つとは!! まさに旅の仲間、ムチャスグラシアス!!』
『敬、意味わかんないカタカナばっか使うな』
『わからないの、暇ゴリラだけだ』
『何だと!!』
『茜ちゃん、京子ちゃん、ケンカしないで~』
みんな、正義がどうするか気になっていたらい。ほっとしたのか、陽気な発言が続いた。そして、それぞれが『また明日!!』と書き込んで、サイトでのやり取りは終わった。
明日、正義たちは再びレッドバロンへと向かうことになった。
今度は自分たちの意志で。
× × ×
スマホを机に置くと、正義はベッドに仰向けになった。
おかしな話だ。と、正義は思う。
大好きなアニメやゲーム、漫画や小説では異世界に召喚された現代の高校生たちは超人的な活躍をする。だが、どう考えてみても、正義たちは普通の高校生だ。
向こうの世界へ行ったところで、魔法を使えるようになったり、特殊能力が身に着くわけでもない。どんなに願ったって、アニメや小説の主人公たちみたいな活躍は出来ないのだ。
──結局、俺は……どうしたらいいんだ……。
漠然とした不安を抱えながら、正義は瞼を閉じた。
結局……。
『俺はどうしたらいいんだ?』と考え込んだ正義は、『人生とは何か?』という哲学的問いに行きつくまで悩み、『わかんね。寝よう』と結論を下した時には夜が白み始めていた。つまり、寝坊して遅刻した。
──やっぱり、俺はアホだ。
自転車を乗り捨てて体育館に駆け込んだ時には、全員がもう集まっていた。
またしても、非難の視線が正義に集まる。
「本当にごめん……」
「なんとなく、遅刻する予感がしたんだよね。でも、これで全員そろったね」
笑いながら言う沙希は、体育館の鍵は自分が先生から借りたと付け加えた。
「優秀な補佐官だな、生徒会長さん」
勇人が皮肉を込めて正義に言った。
「俺もそう思う……」
肩身の狭さを感じて小声になる正義をよそに、沙希は注意事項があると言って話し始めた。
「みんな、なんとなくルールがわかった気がするんだよね……」
「「「ルール?」」」
みんなは首を傾げた。
「向こうの世界での一日がわたしたちの世界の約一時間。そして、自分たちの服装以外、つまりスマホとか時計は持って行けないんだよ」
「そっか、文明の利器は持って行けないのか……まあ、なんとなくそう思ってたけど」
京子がなるほどと頷いた。
「それとね、次、先生が見回りに来るのはお昼だから、三泊四日以上は滞在出来ないよ」
「そんなに居ることないだろ?」
茜が肩を竦めた。
「放って置くと、ずっと向こうに居そうな人が一人いるでしょ?」
沙希が言うと、みんなは一斉に敬を見た。敬は自分で自分を指さして、「え!? 僕!?」という表情をしている。
「最後なんだけど……自分たちの世界のこともちゃんとしようね」
「?」
言葉の真意がわからない正義に勇人が、「農業祭りの準備だろ」と小声で耳打ちした。
沙希は大きく息を吸い込むと、みんなを見回した。
「レッドバロンも、『篠津町農業祭り』も、自分たちに出来ることを精一杯やってみようよ!!」
「「「「おー!!!!」」」」
茜、京子、佳織、敬が笑顔で拳を上げる。正義と勇人も少しばかり気恥ずかしそうにしながら、「お、おー」と拳を突き出した。そんな正義の背中を茜が笑いながらバンバンと叩く。
「誰が生徒会長か、わっかんねーな!!」
茜の一言に若干、傷つきながらも、正義はみんなと一緒に体育準備室のロッカーを目指した。
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