どのくらい睨み合っていただろうか……。
異様な存在は、いよいよその全貌を水面から現した。地面に仁王立ちしたソレは、水ではない黒い粘液を滴らせている。そして、2メートルを優に超える巨体を有していた。
「オ……オォォ……」
低い唸り声を上げ、ソレは正義へとゆっくり向かって来る。
その時。
「勇者さまを世迷人から守れ!! 放てぇ!!」
ヒュッッ!!
大音声とともに、煌めく幾つもの閃光がソレの足下に放たれた。それは火矢だった。数本の火矢が世迷人と呼ばれる巨体の足下に突き刺さる。
ボオォッ!!
火矢が地面に刺さると、火柱が立ち、大穴が明るく照らし出された。
「オ……」
世迷人は炎を嫌って後退った。
「勇者さま、早くこちらへ!!」
正義が慌てて振り向くと、サリューがすぐそこまで来ていた。サリューの後ろではゲオルグに率いられた兵士が弩を構えている。
「早く!!」
「は、はい!!」
正義はそのまま駆け出した。
サリューは正義が近づくと、その手を引いて自身の後ろへさがらせる。
「あ、ありがとうございます!!」
「もう大丈夫です、勇者さま」
サリューは頷いて腰から剣を抜き払った。そして、世迷人に向かって剣を構えながら声を張り上げる。
「ゲオルグ、世迷人を威嚇せよ!! だが、決して当てるな!!」
「畏まりました!! 弩、構え!! 威嚇射撃用意!! 世迷人の足下を狙え!!」
サリューが指示を出すと、後方のゲオルグは太い声で応じた。
「放てぇ!!」
バシュッッ!!
ゲオルグの号令一下、弦の弾ける音がして火矢が斉射される。火矢は再び世迷人の足下に突き刺さり、火柱が上がった。
「オォ……」
恨めしそうに唸ると、世迷人は緩慢な動きで後退を始めた。
そして。
水辺まで戻ると世迷人は上体をのけ反らせて天を仰ぎ、その赤い口をめいっぱいに開いた。
「オオオオオオオオオオ!!!!!!!!!!」
世迷人は正義が聞いたことの無い咆哮を発した。その咆哮は大穴にこだまして、坑道の隅々まで響き渡る。
プラットの窓からことの成り行きを見守っていた勇人、グレイ、ジョルジュ、ドグは得体の知れない叫び声に身震いして互いに顔を見合わせた。各々の表情に心配と不安の影が浮かぶ。
やがて……。
世迷人は黒く波打つ水面の中へと消えて行った。そして、消え去る瞬間、一度だけ振り返った。その不気味な赤い眼は正義を捉えていた……。
「正義、大丈夫か!?」
正義がプラットへ戻ると、真っ先に勇人が駆けつけた。聞けば、正義のランプが一向に動かないのを不審に思った勇人が、サリューに異変を知らせたらしい。
「ああ。なんとか……」
「さっさと戻らないからだ。……心配したぞ」
勇人の後ろでは、グレイ、ジョルジュ、ドグも心配した顔つきで正義を見つめている。勇者に異変が起きたことで、レッドバロン一行に動揺が走ったのだ。
「ご心配をおかけしました……すいません」
正義がみんなに謝っていると、サリューやゲオルグたちが戻って来た。サリューたちは安全が確認されるまで殿《しんがり》を務めてくれていた。
「みなさん、もう大丈夫です」
サリューが宣言すると、プラットに安堵のため息が広がる。
正義は剣を鞘に収めているサリューに歩み寄った。
「サリューさん、救ってくれてありがとうございました。みなさんも……本当に、ありがとうございました」
正義はあらためてみんなに頭を下げた。すると、大斧を担いだゲオルグが角張った顎をさすりながら進み出た。
「ご無事で何よりです。それにしても、世迷人と対峙して怯まないとは……さすが勇者さまだ。胆力が違う!! 我が君、そうは思いませぬか?」
ゲオルグは豪快に笑ってサリューを見た。
サリューは頷いていたかと思うと、突然、正義の前で片膝をついた。
「勇者さま、誠に申し訳ございません。元はと言えば、世迷人の危険を教えなかったわたしが悪いのです……どうか、わたしの不明をお許しください」
サリューが威儀を正して頭を下げると、ゲオルグも慌てて跪く。他の兵士たちも同様に跪いた。
予想もしない展開に、正義は焦ってサリューを抱き起こす。
「た、た、立って下さい!! ボンヤリしていた俺が悪いんです!! みなさん、気にしないで下さい!! むしろ、ありがとうございます!!」
謝ったり、謝られたり……忙しい正義の隣に勇人が並んだ。
「正義の言う通りです。みなさん、コイツがアホでボンヤリだから危険に巻き込まれたんです。コイツはアボーです」
──アボー??
密林の毒草みたいな名前に、正義は腹が立った。
「勇者アボーは寛大なお方だ」
「勇者アボー!? ちょっと、変な名前で憶えないでください!! 俺は……」
ゲオルグは正義の名前を勘違いして覚えたようだ。
慌てて否定しようとする正義を制して、勇人が疑問を投げかける。
「サリューさん、ゲオルグさん、世迷人ってなんですか?」
「それはですな……」
勇人が尋ねると、ゲオルグは小さなため息をついてサリューを見る。
ゲオルグと視線が合うとサリューは小さく頷いて説明を始めた。
「世迷人は……鉱山で亡くなった方の幽霊、または地中に巣食う魔物とも言われていますが、その正体ははっきりせず、不明です。一説によれば、地中深くに眠る門を守る『番人』とも言われていますが、定かではありません。わかっていることは、火を恐れていることと、攻撃されたら仲間を呼ぶということくらいです」
サリューはプラットの窓から大穴を見た。
「坑道に人の火が消えて久しくなりますが、この辺りで世迷人を見たのは初めてです……」
サリューは下唇を噛んで俯くと、剣の束を強く握り締めた。その顔には悔しさが見て取れる。
やがて……。
「もはやここに長居は無用です。勇者さま、みなさん……早く戻って、熱いお風呂で汗を流しましょう!! 美味しい食事も待ってますよ!!」
サリューは顔を上げると、努めて明るく振る舞った。
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