目を細めて若槻優香の冒険譚を語っていたビンスは、優秀な聞き手を務めてくれた沙希と佳織をあらためて見つめた。
「わたしは不思議でなりませんでした……。優香さまはわたしとの旅の途中でよく『この戦いが終わってバルザック王国に平和が訪れたら、レッドバロンで静かに暮らしたい……』と仰っていたのです。けれども、ゼノガルド帝国との戦いが終結しても、レッドバロンには戻らず、女王となる道を選ばれた……」
ビンスは深いため息を吐いた。そして、「きっと……」と続ける。
「ジャンヌ・ダルクの最期を知っていた優香さまは、このまま自分がレッドバロンで平穏に暮らすことは無理だと悟られたのでしょう。理不尽な未来へ抗うために、自ら立ち上がって剣を取る……もしかすると、リーハ村で虐殺を目撃してから、優香さまはそう決意なさっていたのかもしれません」
ビンスは納得するように頷きながら語る。それはどこか、自分に言い聞かせているようにも見えた。
沙希と佳織は、壮絶な運命を辿った若槻優香に対して想いを馳せると、すぐに言葉が出てこなかった。のほほんとした自分たちとは、あまりにもかけ離れている。
少しの沈黙の後、沙希が顔を上げた。
「あの……お話を聞かせてくれて、ありがとうございました」
お礼を言うと、隣では佳織も「ビンスさん、ありがとうございました」と頭を下げている。
「なんの、なんの。30年も前の話。昔話に付き合ってくれて、こちらこそ嬉しい限りです。久しぶりに優香さまの話ができて楽しゅうございました。聞きたいことがあれば、いつでもお尋ねください」
ビンスは微笑みながら立ち上がると、空になったコップを片付けた。
沙希と佳織は前勇者について語ってくれたビンスに感謝して部屋を後にした。
× × ×
「なんだか……すごいお話しだったね……。いきなり召喚されて、戦争指導者になって、女王にまでなって……想像できないな……」
廊下を歩きながら佳織が感想を言った。
「うん……そうだね……」
「……沙希ちゃん?」
佳織は沙希の気のない返事に首を傾げた。
沙希は何か考え事をしている様子で、難しい顔をしている。そして突然、何かを閃いた顔つきになった。
「かっちゃん、ビンスさんは30年前の話しだって言ってたよね!?」
「う、うん。若槻さんが召喚されたのは30年前で、魔族との戦争中だったって……沙希ちゃん、どうしたの?」
「かっちゃん、わたしたちは若槻さんを知っているはずなんだよ!!」
「えっ!? 確かに、若槻さんは篠津高校の生徒かもしれないけど、30年も前の話だよ。それに、沙希ちゃんも知らないって言ってたでしょ……」
「そうなんだけど……こっちの世界では30年でも、わたしたちの世界とは時間の経ち方が違うから……」
「そっか!!」
佳織は沙希の言わんとしていることに気づいた。
沙希は頷いて続ける。
「計算してみようよ!! 多分、わたしたちの世界だとそんなに時間が経ってない!!」
「う、うん!!」
沙希と佳織はそろばんの置いてある会議室へと向かって駆け始めた。
会議室へと戻った沙希はさっそくドグに作ってもらったそろばんを素早く弾いた。その隣では佳織が緊張の面持ちで見つめている。
「えっと……こっちの世界にうるう年とかが有るかわからないから、とりあえず1年を365日で計算するね」
「う、うん」
「30年は……365×30で10950日。ということは、レッドバロンの1日がわたしたちの世界の約1時間だから……10950時間を24で割ると……10950÷24で……456.25日……」
「じゃあ、若槻さんがこっちの世界に召喚されたのって……わたしたちの世界だと約1年3ヶ月前??」
「うん。こっちの世界の1年が365日だとそうなるかな……」
「……わたしたちが入学した頃に召喚されたんだ……でも、篠高の生徒なら、わたしは知らなくても、沙希ちゃんなら知ってるはずじゃ……」
「そうなんだよね……」
篠津高校は全校生徒が200人に満たない小さな高校だ。田舎特有のネットワークもあり、全学年が顔見知りと言っても過言ではない。それに、生徒会の書記と会計を兼任する沙希は立場上、顔も広く、全校生徒のほとんどを知っている。
しかし……。
沙希は若槻優香という在校生の名前に心当たりが無かった。いや、厳密に言えば、どこかで若槻優香の名前を聞いたことが有る気がするのだが、どこで聞いたのか、どうしても思い出せない。壁画を見た時に感じた記憶の違和感に、沙希は顔を顰めた。
「沙希ちゃん、みんなが帰って来たら、みんなにも若槻さんのこと聞いてみようよ」
「うん、そうだね……」
二人が頷き合っていると、窓の外が何やら少し騒がしくなった。レッドバロンの人たちが歓声を上げている。
窓辺まで様子を見に行った佳織が声を張り上げる。
「沙希ちゃん!! 正義君と勇人君が帰って来たよ!!」
「本当!?」
佳織が笑顔で言うと、沙希は慌てて立ち上がった。
× × ×
「正義君、勇人君、お帰りなさい!!」
正義と勇人が馬車から降りると、勇者の宿から駆け出て来た佳織が満面の笑みで迎えた。
「「かっちゃん、ただいま!!」」
佳織の笑顔につられて正義と勇人も微笑み返した。
正義が沙希の姿を探すと、少し遅れて沙希が現れた。
「お帰り、早かったじゃん……」
「ま、まあな……」
正義と沙希は視線が合うと、何故か沈黙した。
沙希は「無事に帰って来て嬉しい」の一言が言えず、正義も「心配かけて悪かったよ」と声をかけれなかった。二人とも、何故か気恥しかったのだ。そんな二人を見て、勇人と佳織がクスクスと笑う。
勇者の宿からドタバタとせわしない足音が近づいて来た。
「お帰りなさいませ!! 正義勇者さまに、勇人勇者さま!!」
ビンスは一直線に正義と勇人のもとまで両手を広げて駆け寄って来る。
「「!!??」」
ギュッ!!
正義と勇人はビンスと熱い抱擁を交わすこととなった。
「ささ、勇者さま。旅の垢を落とし、ごゆるりとなさってください。その後にメヴェ・サルデでの首尾をご説明くださいませ」
勇者の帰還に喜ぶビンスは正義と勇人を勇者の宿へと誘った。
× × ×
温泉に浸かり、軽食を取った正義と勇人はビンスの部屋を訪ねてメヴェ・サルデでの出来事を説明した。その場には沙希や佳織も居る。
旅の話に聞き入っていたビンスは、ガンバルフの無責任な行動に目を丸くした。
「ガ、ガンバルフ先生が居なくなった!?」
「はい……ガンバルフさんに悪気はなかったと思うんですが、結局『ラ・サ』に行くと言って出掛けたまま帰らなくて……」
「ねえ、正義。その『ラ・サ』って何?」
「ああ、それは……」
沙希が尋ねると、正義は『ラ・サ』について説明を始めた。
『ラ・サ』はビフレスト山脈の最奥に存在した伝説上の古代都市であり、ガンバルフはかつての勇者と共にその古代遺跡を発見したのだ。そして、ガンバルフはその『ラ・サ』に再び向かって消えてしまった……。
正義の説明を聞いていた沙希が「かつての勇者」という単語にピクリと反応する。
「そのガンバルフさんと一緒に『ラ・サ』を発見した勇者って……若槻優香さんですか?」
沙希がビンスに視線を送ると、ビンスは頷いた。
「さようです。ガンバルフ先生は優香さまと共に『ラ・サ』を発見なさいました。伝説上の古代都市とされていた『ラ・サ』を発見したのです。お二人とも大賢者、勇者として名声をさらに高めたのですよ!!」
例によってビンスは自分の手柄のように語った。
沙希とビンスのやり取りを聞いていた正義が 何かを思い出した顔つきになる。
「若槻優香? 俺たちの前に召喚された勇者の名前が? 俺たち、メヴェ・サルデで気づいたんだけど……かつての勇者って、篠津高校の生徒だと思うぜ……」
今度は正義が尋ねる番だった。正義と勇人はかつての勇者が篠津高校の生徒だと気がついたが、名前までは知らなかった。
「うん。かっちゃんがレッドバロンの壁画に気づいて……ビンスさんに教えてもらったんだ。若槻優香さんって言うらしいの」
「そうなんだ……」
「もし、こっちの世界がわたしたちの世界と同じで、一年間が365日なら……若槻さんは一学年先輩になる。わたしたちは若槻さんを知っているはずなんだよ……」
「若槻優香……」
正義は名前を反芻して考え込んだ。生徒会長の正義にも若槻優香の名前に心当たりが無い様子だった。沙希と佳織は残念そうに顔を見合わせる。
すると……。
「俺、若槻優香って人を知ってる……」
それまで黙っていた勇人が口を開いた。
「「「えっ!!??」」」
正義、沙希、佳織は一様に驚いて勇人を見た。
「……剣道部の先輩だろ? ……知ってるよ」
答えた勇人の顔は何故か曇っていた。
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