『熱波苦悶開脚走』が終わると、茜と京子たちは『砂漠の幽霊船』でザハまで送り届けられた。
商人ギルド会館へと戻った茜と京子は、レオやチーム茜の戦士たちと一緒になって帰り支度を始めた。
結局、『郵便システム』の構築はならなかった。これからレッドバロンに悲報を届けなければならない……そう考えると、誰もが無言になっていた。
失意の中でみんなが荷造りしていると、これまで存在感が皆無だったバッバーニが慌てた様子で駆け寄って来た。
「勇者さま!! 『郵便システム』について、サーシャさまがお話が有るそうです!!」
「サーシャが??」
──今頃、ウチらに何の用だ??
茜が訝しんでいると、話を聞きつけたレオが進み出た。
「勇者さま、油断なさいますな。また何か企んでいるやもしれませんぞ」
「レオさんは面倒くさい人ですな。勇者さまに危害を加えるつもりなら、砂船でここまで送り届けますか? 砂漠で放り出すでしょうよ」
「ム……それは……そうだが……」
黙りこくるレオを放置して、バッバーニは茜と京子を見る。
バッバーニは片眼鏡をクイッと上げて二人に顔を近づけた。
「これは……もしかすると、勇者さまの願いを聞き届けてくれるチャンスかもしれませんよ……」
バッバーニには思うところがあるのか、意味深に呟いた。
「んな訳ねーだろ。ウチらは負けたんだ……」
茜の隣で京子も頷いている。
「勇者さまも疑り深いですな。とりあえず、会議室まで足をお運びください。皆様、お集まりです。ほら、早く!! レオさんも来てください。どうせ来るんでしょ!!」
バッバーニは急き立てるようにして三人の背中を押した。
× × ×
会議室に入ると、サーシャの隣にはテレサやクルドも座っている。サーシャは巨大な特注の椅子に座り、煙管を咥えて煙をくゆらせていた。
茜、京子、レオは長机を挟んでサーシャの正面に腰かけた。すると、もみ手をしたバッバーニが進み出る。
「皆様、『熱波苦悶開脚走』では、大変お疲れ様でした。このバッバーニ、勇者さまとテレサさまの死闘、そして友情に、感動して涙が枯れ果てました!!」
大袈裟に言うバッバーニを見て、みんなが「お前、どこで見てた?」という顔をする。
みんなの疑問をよそに、バッバーニは続けた。
「さて、勇者さまがご提案なさった『郵便システム』について、サーシャさまからお話があるとか……。それでは、サーシャさま。お願いいたします!!」
バッバーニに促されると、サーシャはその巨躯を傾けて口を開いた。
「勇者よ、『熱波苦悶開脚走』は無効試合となった。じゃが……『郵便システム』の構築、ガルタイ族が一役買おう」
「え!? マジか!?」
茜は驚いて思わず立ち上がった。聞き間違いかと思って隣を見ると、京子も目を丸くして驚いている。
「ほ、本当に協力してくれるのか!?」
「そうじゃ。ただし、条件が有る」
「ほら、やっぱり……条件が有るんじゃねーか」
落胆した茜は、ドカッと腰を下ろした。
「もう勝負事はしねーぜ……」
ため息交じりに言う茜を見て、サーシャはクスリと笑った。
「最後まで聞くが良い。お主らの申す『郵便システム』とは中々素晴らしい思いつきじゃ。手紙は息災を記し、想いを伝えるもの。人々の想いを届けるならば、ガルタイ族の名誉となろう」
「それに、お金にもなりますぞ!!」
バッバーニが余計な口を挟むと、レオとクルドがギロリと睨んだ。さすがのバッバーニも口を噤む。
「ふふ、確かにバッバーニの申す通りじゃ。遠方との文通を願う者は巨万とおる。ガルタイ族の通商網を使って『郵便システム』を広めれば、莫大な利益となろう。もちろん、勇者にも『郵便システム』の着想料をちゃんと支払おうではないか」
にわかには信じられない話に、茜と京子は顔を見合わせた。サーシャの申し出は破格であり、願ったり叶ったりだ。しかし……条件が気になる。
「サーシャ、条件を言ってみてくれないか? 返事はそれからだ……」
茜が告げると、サーシャは隣に座るテレサにチラリと視線を送った。
「条件が有るのはわらわではない……テッサなのじゃ……」
「「え!?」」
茜と京子は声をそろえてテレサを見た。
みんなの視線が集まると、テレサは躊躇いながら口を開いた。
「京子……わ、わたしに……走り方を教えてくれないかな……」
テレサの言葉に、茜と京子は再び驚いた。レオもその太い眉を思い切り上げている。
「京子が走る姿を見てて思ったんだ。速いだけじゃなくて……なんて綺麗で、格好いい走り方をするんだろう……って」
テレサは少し照れくさそうに京子を見た。
「今はまだ、京子の背中は遠いけれど……いっぱい練習して、いつか並んで走りたい。だから、京子の走法とか、練習方法を教えて欲しいんだ!! ……ダメかな?」
想いを伝えることに慣れていないのか、テレサの頬はその髪と同じく真っ赤に染まっている。
懇願する純粋な眼差しに、京子は困ってしまった。こんな時、なんて答えて良いか全く見当がつかない。茜に対する時のように、気軽に言葉が出て来ないのだ。
「テ、テレサ……あ、あの……」
京子が返答に困っていると、隣の茜が助け船を出した。
「そんなの、交換条件にしなくたって京子なら、ちゃんと教えてくれるぜ。なあ、京子? そうだろ?」
「え? そ、そうだよ。わたしで良ければいくらでも教えるよ!!」
「……ほ、本当!?」
「本当だよ!! だって、テレサは健闘を誓い合った仲間だろ」
「ありがとう、京子!! 茜もありがとう!! やったー!!」
テレサはその場に飛び跳ねそうなほど喜んだ。テレサの喜ぶ姿は会議室の空気を明るくする。
「でも、コイツは肉離れと脱臼をしてるんだぜ? 教えてもらって大丈夫か?」
「よ、余計なことを言うな、暇ゴリラ。ちゃんと教えるよ」
茜と京子がいつものやり取りをしていると、テレサも嬉しそうに微笑む。
「やっぱり、頼んでみて良かった……」
「遠慮してんじゃねーよ、友達じゃねーか」
笑いながら言う茜を見て、サーシャが頷いた。
「わらわもそう言ったのじゃがな……勝負があんな形になってしまった手前、最後まで言い出せなかったみたいなのじゃ。可愛いではないか。テッサはわらわに似て、慎ましやかな女子なのじゃ」
慎ましやか!? 似てるって!? 「砂漠の塵にするぞ!!」とか凄んでたのは誰だ?? 誰もがそう思ったが、沈黙を選んだ。余計な口をきけば、今度こそ砂漠の塵になってしまう。
「本来、テッサの願いは『郵便システム』と関係ない話じゃ。じゃが……何せ、可愛い妹の願いじゃ。わらわも叶えてやりたくてな……勇者よ、感謝するぞ。しっかり教えてやってくれ。……さて……」
サーシャはその場に立ち上がった。腰かけていた特注の椅子が、ギ、ギ、ギという音を立てて後退する。
テレサやクルドがサーシャに続いて立ち上がるのを見て、茜、京子、レオは起立した。
テレサは炎の刺青が施された太い腕を茜の前に差し出した。
「条件は成った。勇者よ、これから宜しく頼むぞ」
「こちらこそ。宜しくお願いするぜ」
茜はサーシャと固い握手を交わした。
すると……。
茜とサーシャの握手の上に、あろうことかバッバーニも両手を添えた。
「ついに、勇者さまとガルタイ族が手を結びましたな!! このバッバーニ、こうなることを予測して、勇者さまとガルタイ族を引き合わせたのです!!」
みんなは呆気に取られてバッバーニを見ている。
バッバーニは茜への仕返しを考えていたことなど、忘れたかのようだ。
「こうなったからには、ザハの商人ギルドも協力を惜しみませんぞ!! 不肖ながら、このバッバーニ……『郵便システム』のために心血を注ぐ覚悟です!!」
調子の良いことを並べ立てて、バッバーニは手を放した。そして、片眼鏡をクイッと直すと、茜とサーシャを交互に見た。
「必要な書類や場所は全てこのバッバーニが用意いたします。勇者さまやガルタイ族の皆様は、どうか安心なさって、『郵便システム』の構築に邁進してください!!」
「あ、ありがとう。バッバーニさん……宜しく頼むよ……」
茜がお礼を言うと、バッバーニは大嘘つきの顔になった。
「なんの、勇者さま。人々に感動を運ぶ事業に、わたしの良心が黙っていられなかっただけです。かねてから、人々の役に立ちたいと願ってばかりいました。それでは、さっそく準備に取りかかりますので、これで失礼いたします」
バッバーニは捲し立てるように言うと、大急ぎで会議室を出て行く。
みんなはポカンとした顔でバッバーニを見送った。
結果として……。
『郵便システム』の事業に乗り遅れまいとしたバッバーニは、一番美味しい所にありついた。
以前、沙希がバッバーニのことを「利に聡い人」と評していたように、バッバーニは『郵便システム』にお金の匂いを嗅ぎ取っていたのだ。
バッバーニは老練な世渡り上手に見える。
しかし……。
後日談になるが、バッバーニはこの時の誓約のせいで、胃に穴が開く思いをする。
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