木々が低くなり、平坦な草原地帯を緩やかに下りながら進むと、前方に高い城壁に囲まれた都市が見えてきた。城壁の向こうに建ち並ぶ家屋は、レッドバロンと同じ白い外壁に、橙色の三角屋根をしている。そして、高くそびえる白い塔が一定の間隔を空けて建てられていた。
「「「地中海の都市みたい!!」」」
馬車から見える景色に、沙希、茜、京子が口をそろえて歓声を上げる。
ただ……地中海とは違い、都市の向こうには海の代わりに砂漠が広がっていた。
ガンバルフの説明によれば、ザハから先には『魔王の鍋』と呼ばれる灼熱の砂漠が広がっており、そこを砂船と呼ばれる砂上を走る帆船で越えると、バルザック王国の王都『バルティア』があると言う。
馬車の車列は砂塵を巻き上げて、ザハの入口を目指した。
× × ×
レッドバロン一行は幾つもある巨大な城門の一つをくぐった。
ザハへと入った正義は、外観からは感じ取れなかった熱気に圧倒された。
メインストリートの一つと思われる道には露店が所狭しと立ち並び、商品を求めて行き交う人々で溢れ返っている。
人種も様々で、レッドバロンで見かけるような人たちや、ターバンを巻いて駱駝に跨る浅黒い肌の人たちも居る。かと思えば、上半身全体に燃え盛る炎を連想させる文様を彫り込んだ人たちも居た。
怒声や何かの金属楽器を吹く音も飛び交い、正義はまたどこか違う異世界に来たのではないかと錯覚する。
正義が物珍しそうに辺りを見回していると、鋭い角を持つ像より巨大な一角獣に、二階建ての店そのものを引かせた隊商とすれ違った。
正義が驚いて見上げていると、ガンバルフが、「あれは、バシュ族のキャラバンじゃ。二階が居住区になっておる。引いているのはボーという動物じゃ。大人しい性格をしておる」と教えてくれた。
目の前に広がる光景には、人と物が溢れている。正義たちはザハが交易都市、商業都市と呼ばれていることに納得した。
やがて……。
一行はメインストリートから少し外れたところで止まった。そこは、三階建ての建物の前だった。
ザハを統一する色彩と違わない白い壁面。窓から突き出た棒の先には、派手な文様が縫い込まれた旗がひらめいている。
「ここが商人ギルド会館です」
正義たちが馬車から下りると、ビンスが説明を始めた。どうやら、ザハの市場で店を出すには、許可書に商人ギルド会長の署名と印が必要らしい。
「それでは、許可書に署名と印を貰ってまいりますね!!」
ビンスは意気揚々と商人ギルド会館へ入って行った。そして、あまり時間の経たないうちに外へと戻って来た。世界の不幸全てが襲ってきたかのように、その足取りは重く、しょんぼりとしている。
「署名と印を貰えませんでした……」
肩を落したビンスの言葉に正義たちは驚いた。
「え!? 店が出せないのか!?」
「なんでだよ!?」
「バロンプリンはどうするんだ!?」
みんなに動揺が広がると、ビンスは恐る恐る説明した。
「あの……ですね。袖の……下と言いますか、大人の事情と言いますか……つまりはですね渡すものが……」
「つまり、賄賂を渡せって言われたんですね」
言いよどむビンスに代わって沙希がハッキリ口にした。
「ま、まぁ……そんな感じです。みなさんの滞在費や明日のお釣りのこともありますから、幾分多くは持ってきているのですが……とても要求額には届かなくて……」
「それで大人しく帰って来たのか!?」
茜がこめかみに青筋を立ててビンスに詰め寄る。
「で、でも、ここの会長さん……バッバーニさんて言うんですけど、怖い方なんですよ……強面の護衛も居ましたし……」
「チッ、情けねーな。要はハンコを貰ってくりゃいいんだろ? ウチが行く!!」
沈む空気を払いのけるように茜は切り出した。
「隊長が行くならわたしも!!」
「俺も!!」
元戦士や騎士の売り子たちも進み出た。接客訓練以降、何故か売り子たちは茜を「隊長」と呼んで慕っている。
「ここはチーム茜に任せてみようよ」
茜と売り子たちを見た沙希が言った。
× × ×
商人ギルド会館へと足を踏み入れた茜は、外とは違った涼やかな空気を吸い込んだ。石造りの建物は外気を遮断し、吸熱効果があるのか、外より大分過ごしやすい。
少し進むと、大きな広間に出た。広間には外光を取り入れる天窓が幾つも設けられている。その天窓から幾筋もの光が差し込んでいた。
コツコツと乾いた足音を響かせて進むと、広間の先に廊下が見えてくる。廊下には、等間隔で扉が並んでいた。
「思ったより広いな」
そう言って茜は奥へと進んだ。茜の後ろには元戦士、騎士の売り子たちが続く。
しばらく進むと、茜は中庭に面した通路で書類を抱えた女性を捉まえた。女性はベリーダンスの踊り子を連想させる格好をしており、口元が透けて見えるスカーフをしている。
女性は茜と売り子たちを見て、「傭兵か賞金稼ぎの方たちですね。登録所は二階の……」と勘違いをして勝手に案内を始めた。
「あ、いや違うんだ。ここの一番偉い人の部屋って……」
「バッバーニさんですか? 会長のお部屋でしたら三階の一番奥になります」
手の塞がっている女性は、視線を中庭近くの階段へと送った。
「ありがとな」
お礼を言うと茜は階段へと向かった。
階段を上り、中庭を見下ろしながら通路沿いに奥へ進むと、ひと際豪華な扉が目に入った。どうやらここが商人ギルドの会長、バッバーニの執務室らしい。
ガチャッ!!
「おっじゃまっしまーす!!」
茜は扉を勢い良く開けると、無遠慮に言って部屋へ入った。
「なんだ貴様は? 部屋を間違えてるぞ。小娘の来る所じゃない」
一人で入って来た茜を見て、バッバーニは吐き捨てるように言った。
バッバーニは痩せ細ったスキンヘッドの小柄な男で、金縁の片眼鏡をかけている。そして、ビンスが言った通り、人相のあまり良くない護衛が二人、バッバーニの後ろに腕組みをして控えていた。
「つまみ出せ」
バッバーニが呟くと、二人の護衛は腕組みを解いて茜に近づこうとした。しかし、茜に続いて屈強な売り子たちが入ってくると、驚いて目を見開き、後退った。
バッバーニも片眼鏡をクイッと直し、売り子たちを驚愕の顔つきで見る。
「どうもー!! レッドバロン町長ビンスの代理、勇者の茜です。ハジメマシテ」
気軽に挨拶を済ませると、茜はバッバーニの執務机の前に置かれた椅子にドカッと腰を下ろした。
茜の後ろには精強な雰囲気を醸し出す元戦士や騎士たちが手を後ろ手に組んで整列している。今の彼らはプリンの売り子ではなく、完全に茜の親衛隊だった。バッバーニの護衛も彼らとは目を合わせようとしない。
「ゆ、勇者? ……本当に?」
茜の挨拶にたじろぎながら、バッバーニは尋ねた。
「ああ、ガンバルフに呼ばれたんだ」
「だ、大賢者、ガンバルフ……」
「今、表に居るぜ。なんなら呼んでこようか?」
「いえ……結構です」
いつの間にか、バッバーニの言葉使いが丁寧になっていた。
× × ×
茜には決めていたことがある。
せっかくみんなで頑張って作ったバロンプリン。それを足元を見るような行為で邪魔なんかさせない。
元々、茜は曲がったことや筋の通らないことを極端に嫌う性格だった。
──そっちがその気なら、こっちも『勇者』というネームバリューをフルに使って交渉してやる!!
茜は意を決して身を乗り出した。
「さっそく本題なんだけどさ……市場の片隅でいいんだ、店を出させてくれよ」
「いくら勇者さまの申し出でも、それは出来ません」
「それは困るなぁ。こっちはもう遠路、品物を運んでるんだ」
「そう言われましても……」
「ここで店出せなかったら……ウチら、勇者廃業して、海賊か山賊か馬賊にでもなるしかねーんだよ」
「ぜ、全部、強盗じゃないですか……」
「……人の弱みに付け込んで賄賂を要求するとか……お前らも強盗みたいなもんじゃねーか」
声のトーンは抑えてあるが、茜の目つきが鋭く変わった。
「そ、それは……」
痛い所を突かれ、バッバーニの広い額に汗が浮かび上がる。
「ちゃんと場所代を納めるから、お互い気持ち良く商売しようって言ってるんだ」
「は、はあ……」
「強盗したり、ここで暴れるって言ってるわけじゃないんだ。わかってくれよ」
茜は『暴れる』という単語を強調して言った。
「う……」
生唾を飲み込むバッバーニの額に、さらに玉の汗が浮かんで流れ落ちる。
そんなバッバーニを見た茜は横を向いて小声で「ハンカチ」と呟いた。すると、後ろに控えていた男の元戦士が進み出て茜にハンカチを渡した。そして、男は下がる瞬間、物凄い形相でバッバーニを睨んだ。目つきが『俺たちのボスをあまり困らせるな』と言っている。
バッバーニは勇者の要求をはねつけた場合の未来を想像して震え上がった。
「そんなに緊張しないでくれよ。ホラ」
茜は笑顔でハンカチを差し出した。笑顔だが目は笑っていない。
「遠慮しないで使ってくれよ」
「あ、ありがとうございます……」
渡されたハンカチで汗を拭くと、バッバーニは目を瞑った。
「わ、わかりました。バロンプリンの出店を許可します」
バッバーニはついに観念した。
「さっすがー!! ギルドの会長さんは話が早い♪ じゃあ許可書にサインを」
茜はバッバーニの前に許可書を差し出した。
バッバーニは執務机の引き出しから印を取り出すと、未だに震える手でサインし、印を押した。
許可書を受け取ると、茜はバッバーニを見る。
「そのハンカチ、記念にやるよ」
そう言い残すと、茜は売り子たちを引き連れて部屋を後にした。
× × ×
商人ギルド会館から許可書を掲げて出てきた茜を見て、レッドバロン一行から歓声が上がった。
「さすが勇者さま!! でも、いったいどうやって!?」
歓喜したビンスが茜の袖を引いて尋ねる。
茜は証明書を渡しながら意味深な顔をした。
「どうやって説得したかは企業秘密。……あ、ビンスさん。あいつにハンカチを買ってやってくれないか?」
茜は元戦士の売り子を呼んだ。
「ハンカチ? 別にかまいませんが……どうしてですか?」
「説得に使ったんだよ」
「説得にハンカチ……ですか?」
腑に落ちない顔のビンスをよそに茜は元戦士の売り子に話しかけた。
「ハンカチのタイミング、完璧だったな」
「光栄です。勇者さま」
「売り子も頑張ってくれよ!!」
「はい!!」
爽やかに笑うと、茜は歓喜の輪に加わっていった。
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