正義たちは『勇者の宿』の大会議室へと案内された。しかし、大会議室とは名ばかりで、20畳程の部屋に木でできた長机と椅子が置かれてあるだけの簡素な作りだった。
どうやら、正義たちを牢屋のような場所に監禁するつもりは無いらしい。異世界へと連れ去られた正義たちにとって、目の前に居るビンスとガンバルフが悪人ではなさそうなのがせめてもの救いだった。
「勇者さま、適当におかけください。すぐにお茶を持ってこさせますので」
ビンスに促されるまま、みんなは椅子に腰かけた。とにかく、状況が理解不能であることに変わりはない。正義たちはビンスの言葉を待った。
「話は今から約30年ほど前に遡ります」
ビンスは正義たちをぐるりと見回し、話を始めた。
「30年前。こちらの世界では、きっかけが何だったのか今でもまだわからないのですが、人間対魔族の熾烈な戦争が行われていました。ここレッドバロンも例外では無く、魔族の襲来を受ける最前線だったのです。戦況が不利になり、苦境に立った人間側はあの聖堂で勇者さまを召喚し、魔族と対峙しました。やがて、勇者さまの活躍もあって、対魔族戦争は終結したのです……」
「……だったらなんで俺たちが呼ばれたんですか??」
正義が尋ねるとビンスは一瞬、下唇を噛んだ。
「……言いにくいのですが……魔族との戦争による恩恵もあったのです。魔族との戦争はレッドバロンに活気をもたらしていたのです。数多の戦士や魔法使いが町を訪れました。武器や防具は飛ぶように売れ、鍛冶屋、道具屋、紋章師といった様々な職種の人たちも住み着きました。レッドバロンの宿屋という宿屋は常に満杯で、酒場には日夜、吟遊詩人や踊り子の謳う声が溢れていました……」
ビンスは活気溢れる往時を思い出したのか、目を細めて虚空を見つめた。
「しかし……終戦後の平和が訪れる中で軍縮が進むと、戦士や魔法使いといった戦闘を生業とする人たちが段々と職を失っていきました……。更には、彼らに武器や道具、または医療を提供していた専門職の人たちまで仕事を失っていったのです。人々はレッドバロンを離れて行きました。そして、気付けば次代を担う若者たちまで王都や商業都市ザハといった都市に出稼ぎに向かい、レッドバロンに残ったのは職を失った戦士や魔法使い、そして老人たちだけとなってしまいました。わたしたちの町を、魔族という目に見える敵ではなく、緩やかな衰退という気付きにくい問題が襲っていたのです……」
レッドバロンの現状を語るビンスの顔は苦渋に満ちている。ビンスは両手をギュッと握って正義たちを見た。
「このままではレッドバロンは廃れ、滅びてしまいます。レッドバロンの中興を目指すためには、最早、勇者さまのお知恵と勇気をお借りするしか無いのです!!」
ビンスが力強く演説を終えると、いきなり怒声が飛んだ。
「魔族と戦う時も勇者。町が廃れる時も勇者。勇者、勇者、勇者。お前らいったい何様なんだよ。てめーらの問題じゃねーか!! ウチらに何の関係が有るんだよ!!」
声の方を向くと、茜がビンスを睨んでいる。
茜の鋭い眼光にたじろぎながらも、ビンスは説明を続けた。
「で、ですから勇者さまにはレッドバロンの復興をお願いしたく……。そ、それにわたくしたちだって、黙って見ていわけではありません。仕事を創出するために、この『勇者の宿』や演劇鑑賞のための『勇者ホール』を作ってみたのです。ですが……結局、ダメでした……」
「あの……ちょっと質問、良いですか??」
肩を落とすビンスを見て沙希が手を上げる。
「はい。なんでしょう??」
「あの……。この『勇者の宿』とか、『勇者ホール』でしたっけ?? ちゃんと作る前に需要とか調べたんですか??」
「そ、それは……勇者さま、申し訳ございません。特に考えておりませんでした……」
「そうなんですか……。でも、それってハコモノ行政って言うんですよ……」
「ハコモノ?? クセ者の仲間ですか??」
「さ、沙希ちゃんが言ってるハコモノ行政って……作ることが目的になって、その先を全く考えて無いって意味です」
沙希の横に座る佳織が恐る恐る補足した。
正義は沙希と佳織の説明を聞きながら、現代社会の授業を思い出した。篠津高校では先生がハコモノ行政の説明に『篠津町健康ランド』を具体例として取り上げていた。
「勇者さまに考えが無いとまで言われるとは……。いっそのこと、もう一度魔族との戦争が始まってくれれば……」
「なんじゃと!?」
ビンスの不用意な発言にガンバルフが鋭く反応する。その目つきにビンスは慌てて口を噤んだ。どうやら、ビンスは思考回路と口が直結しているらしい。
過疎に悩んだレッドバロンの町長ビンスが、「そうだ!! 町の危機なんだから勇者さまに助けてもらおう!!」と安易な考えを思いつき、大魔法使いガンバルフに頼み込んで正義たちを召喚してもらった。
状況は概ね理解できたが、「自分たちの世界に帰ることは出来るのか?」という肝心な問いの答えはまだ出ていない。
「あの……召喚された理由はわかりました。じゃあ、僕たちが帰るにはどうしたら良いのですか??」
正義は一番知りたいことを口にした。すると、ビンスは慌ててガンバルフを見る。つられて、みんなも一斉にガンバルフを見た。
「ウム……勇者たちよ……そなたたちが帰る方法は……」
ガンバルフは思わせぶりに言って目を閉じる。
全員、息を呑んでガンバルフの言葉を待った。
「…………知らん!!!!」
長い沈黙の後、ガンバルフは目をカッと大きく見開き、自信に満ち溢れた表情で言い切った。
次の瞬間。
ガンバルフの正面に座っていた茜が机を飛び越えてガンバルフに掴みかかった。
「ふざけてんじゃねーぞ!!」
茜は両手でガンバルフの胸ぐらを掴み、締め上げる。
「グ、グルジイ……ダ、ダズゲデ……」
ガンバルフの顔色が苦悶で赤から青へと変化した。
「「おい、茜!! やめろ!!」」
正義と勇人が慌てて止めに入る。
茜の剣幕に気圧された正義は敬にも声をかけた。
「敬!! お前も見てないで手伝え!!」
「任せたまへ!!」
敬は茜の腰に縋りついた。
普通、男が三人がかりで女性に掴みかかったら犯罪だ。しかし、この場合は仕方がない。放っておくとガンバルフは昇天し、茜が犯罪者になってしまう。正義たちはやっとの思いで茜をガンバルフから引き離した。
「……本当に帰る方法を知らないんですか??」
憤る茜を押さえながら正義が聞いた。
「ゲホゲホ……し、知らん……す、全ては時の女神フィリスの思し召し……」
咳き込みながらガンバルフは答えた。
「だから、何を無責任なこと言ってんだテメー!! だったら、そのフィリスって女を連れて来い!!!!」
再び怒りが頂点に達した茜は正義たちを振り切ってガンバルフに迫ろうとする。ドンッ!! という音がして、茜の腰に縋りついていた敬が蹴られて後方へ吹っ飛んだ。
慌てて正義は茜の右肩と右腕を押さえる力を強めた。反対側では同じ様に勇人が左肩と左腕を押さえている。
しかし……。
『帰る方法を知らない』というガンバルフの言葉は、みんなの心をしたたかに打ちのめした。
正義が茜を制しながら辺りを見回すと、沙希と京子が佳織に寄り添っている。よく見ると、俯く佳織の肩が小刻みに震えていた。佳織は泣いている。しゃくり上げる佳織の姿が一層、小さく見えた。
「とりあえず……警察に連絡っていう訳にもいかないし、今日は休んで、明日、聖堂とか見てこようよ。何か帰る手がかりがあるかもしれないだろ??」
ガンバルフが「帰る方法を知らない」と言っているのに、聖堂に手がかりがあるとは考えにくい。それでも、正義はみんなを励ますために言った。
「……そうだね」
佳織を慰めていた沙希がこちらを見て頷く。
沙希は正義の傍まで来ると、両手で茜の右手を握った。
「茜が怒るのも無理はないけど、今は落ち着こうよ」
口調は優しいが、どこか有無を言わせない雰囲気で沙希は茜に告げる。
「……わかったよ……沙希」
正義と勇人は茜の肩と腕から力が抜けるのを感じて手を放した。
「……敬、ごめんな」
茜は蹴り飛ばした敬に謝ると、静かに自分の席へ戻った。
普段から勝気な茜の滅入る姿は、正義たちを暗澹たる気持ちにさせた。自然とその場は沈黙が支配する。
酷く落ち込む正義たち『勇者』を見て、ビンスは不安気な顔になった。
「も、もしかして……とんでもないことをしてしまったんじゃ……」
ビンスは困惑の眼差しでガンバルフの顔を覗き込んだ。
「知らん!! 今さら遅い!!」
茜に首を絞められた怒りが冷めやらないのか、ガンバルフはにべもない。
「あ、あの……お話はまた明日ということで……。勇者さまもお疲れのことと存じます。今日は温泉にでも浸かって、ごゆるりとなさって下さい」
ビンスはその場を取り繕うように言うと、ガンバルフを伴って部屋を出て行った。
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