ハァ、ハァ、ハァ。
タッ、タッ、タッ。
規則正しい息遣いと足音以外は何も聞こえてこない。
歓声を上げる人々はすぐに視界の隅へと消えてゆく。
京子の集中力は研ぎ澄まされ、その視界はテレサの背中だけを捉えていた。
『熱波苦悶開脚走』は折り返し地点を過ぎ、京子にとっては未知の領域へと突入していた。京子は陸上部で培った体力と技術を武器に、テレサを追いかける。
暑さと砂丘の高低差が京子の体力と気力を容赦なく削り取る。
満足に呼吸できず、京子の整った顔が苦悶に歪む。
──なんでわたしがこんな目に……。
テレサを追走する京子は、疾駆しながらそんなことを思った。
見知らぬ異世界。しかも砂漠のど真ん中を、必死になって走っている。
──全部、あのバカゴリラのせいだ。
茜の顔が思い浮かび、京子は眉を顰めた。
──いっつも、いっつも、適当なことばっか言って……そのくせ、大事なことは全部、自分一人で勝手に決めるんだ!! だいたい昔から茜は……。
京子の脳裏に今度は幼い頃の茜の面影が去来する。
そもそも……。
京子が陸上競技を始めた理由は茜に起因する。
小学校時代、京子は駆けっこや幅跳びで茜に勝ったことが一度も無かった。
走って良し、跳んで良し、泳いで良しの茜は、クラスに一人は必ず居る、「特に何もしてないのに何でもできるタイプ」の生徒だった。
運動会のクラス対抗リレーで活躍する茜は京子にとって眩しい存在だった。そんな茜に憧れ、認められたくて、京子は中学校に入ると同時に陸上競技を始めたのだ。
そして、それは篠津中学校3年生のマラソン大会……。
必死になって練習した京子はついに校内のマラソン大会で茜に勝利した。
茜がどんな顔をしているかと見てみれば……茜は、「京子、スゲーな。速いじゃねーか」とあっけらかんとして白い歯を見せている。
心の何処かで茜に「悔しがって欲しい」と願っていた京子は拍子抜けした。
対抗心を剥き出しにして、必死になっていた自分がアホらしくなった。
「どうせわたしなんて眼中に無いか……」と、勝利しながら肩を落として落胆する京子。しかし、そんな京子に茜は「凄いよ京子、尊敬するぜ」と笑いながら右手を差し出したのだ。
無邪気な笑顔で手を差し出す茜。その手を握った瞬間、京子は心の中を爽やかな風が吹き抜けるのを感じた。そして、「茜の悔しがる顔を見たい」と願った自分が恥ずかしく思えた。
勝負事に夢中になる茜が、悔しくない訳がない。それでも、悔しがるより京子を讃える方を優先した。その事実が嬉しかった。
新鮮な感動に包まれながら、京子は「ありがとう、茜」と言って、茜の手を強く握り返した。
何時だって、好敵手と思う相手からの称賛は嬉しく、誇らしい。その感動が忘れられなくて、京子は篠津高校へと進学した今も陸上を続けている。
──わたしは……茜の影響を受けてばっかりだな……。
「絶交する」と茜に言ってはみたものの、やはり、茜が気になって仕方が無い。
大事な喧嘩相手を。
勇人を巡る恋敵を。
幼馴染の親友を。
異世界の住人にできるだろうか? できる訳がない。
──あの暇ゴリラはわたしが救う!!
これは、高橋茜を賭けたレースなんだ。どんなに苦しくても、大切な友人を救うと思えば、いくらでも我慢できる。
京子の眼光はテレサを震え上がらせた時と変わらず、そのままだ。
京子は闘志を胸に、脚を鼓舞して加速する。
少しずつテレサとの距離が縮まってゆく。
前方のテレサが後方を確認する頻度が多くなった。
タッタッタッ。
温存していた体力を少しずつ解放し、ラストスパートに備える。
今の京子はまさに弾丸ランナーだった。
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