ビンスとガンバルフが去ると、正義たちは『勇者の宿』の従業員と名のる老婆に宿泊部屋へ案内された。
鼻歌を歌う敬とは対照的にみんな無言だった。みんなの足取りは敬を除いて、誰も彼もが重い。
五階に四人部屋が並びで用意されており、正義たちは自然と男女別々になって部屋へ入った。
× × ×
部屋は思ったより広く、ベッドが二つずつ対になって置かれてある。
正義は窓際に置かれたソファーに座ると、ぼんやりと外を眺めた。朝、目を覚ましてから四時間と経っていないはずだが、もう日が沈み、窓からは青白い二つの月が見て取れる。現実世界とかけ離れた状況に、正義は深い溜め息をついた。
「糊の効いたシーツ。勇者である僕にふさわしい! さすが『勇者の宿』!!」
ベッドの上では敬がはしゃいでいる。
「みんなで旅行するなんて中学校の修学旅行以来だ。今夜は大いに語ろうじゃないか!! ……あ、先に温泉入る!?」
敬からすれば今回の一件は『旅行』らしい。
「敬、お前のその順応能力、本気で尊敬するよ……」
敬の向かいのベッドに座る勇人が言った。普段は頼れる勇人の顔もさすがに疲労の色が濃い。
「あれ? ご飯ってどうなってるのかな? 運んでくれるの?」
甚兵衛に似た薄手のバスローブを持ち、敬が尋ねる。
現状にへこたれない敬を見ていると、正義は授業で習ったライプニッツさんの『最善説』を思い出した。
偉大な先人の教えによると、今、正義が置かれた現状は予定調和であり、正義の人生にとって最善ということになる。
しかし……。
ライプニッツさんは高校生最大の敵、微分積分を確立させた数学者の一人だ。油断はならない。
「なにをボンヤリしてるんだい?? さあ、温泉に入って身体と友情を温めようじゃないか!!」
楽観的な敬に引っ張られて、正義と勇人は温泉へと向かった。
× × ×
大浴場は同じ五階にあった。銭湯と同じような作りになっており、先程、正義たちを部屋へ案内した老婆が番台を務めている。
「もっと明かりが欲しければ、入り口横の魔導石に触れて下さいな」
脱衣所に入ると、そう老婆は声をかけた。
「明かり? 魔導石?」
呟きながら敬が入り口横に設置された石に触れた。石は黒曜石に似ており、敬が触れたとたん、天井一面が強く光り輝いた。
「流石、勇者さま、魔導石の反応も素晴らしい。でも、魔導石の節約にはご協力下さいまし。使わない時は消す。これ基本でございます。それでは、お食事の準備がありますので、わたしゃこの辺で……」
老婆は捲し立てるように言うと、番台を降りて去って行った。
「ねえ!! 見た!? 今、僕、魔法を使って光を強くしたんだよ!!!!」
「……そういうシステムになってるだけだって。異世界に来たからって、いきなり魔法が使える訳ないだろ」
感激してはしゃぐ敬に勇人は呆れ気味に言った。
「そんなにハッキリ言わなくても……」
「いいから、さっさと入るぞ」
正義は肩を落とす敬の背中を押した。
大浴場は広く、大きめの湯船が幾つも設けられていた。どの湯船も大理石のような白い光沢を放つ石でできており、立派な作りになっている。
豪華な温泉施設に正義たちは目を見張った。
しかし……。
普段からそうなのか、それとも正義たち『勇者様御一行』が滞在しているからなのか、客の姿はまばらだった。
閑散とした大浴場を見た正義は『篠津町健康ランド』を思い出した。
× × ×
温泉から部屋に戻ると、食事が用意されていた。
不思議なもので、こんな状況でも温泉に入ってくつろぐと、今度はお腹が空いてくる。
鮎を連想させる川魚の塩焼き。
ほうれん草やハクサイに似た葉物のお浸し。
多分、トマトか何かがベースになっているのであろう、ジャガイモやブロッコリーが入った真っ赤なスープ。
得体の知れない肉。
取り合わせは別として、テーブルには豪華な食事が並んでいた。そして、箸とナイフとフォークが三人分、綺麗にそろえて置かれてある。
ただ……。
これが異世界の食べ物であると思うと、正義は食べるのをためらった。
「いただきます!!」
敬は全く気にしない様子で食事を始めた。
「食あたりとか水あたりになったら、その時はその時だ!!」
言い切って勇人も食事に箸を付ける。
「食あたりですめば良いけどな……」
不安そうに呟くと、正義も敬と勇人に続いた。しかし、食べ物に違和感は感じ取れず、むしろ素材を活かした味付けはかなり美味しいものだった。
「あ、これ牛肉だ」
ローストされた肉を口に運んだ敬が感心した様子で言った。
「こっちの世界にも牛って居るんだね。ドラゴンのお肉とか期待してたのに」
「敬、口に入れたまましゃべるなよ。それに……」
勇人は敬を窘めながら続けた。
「ドラゴンの肉なんて食べたこと無いんだから、出されても解らないだろ」
「あ、そっか……」
なるほどと納得する敬を見て、正義は笑顔になった。しかし、その顔がすぐに真顔へと変わる。
──ドラゴン……か。俺たち、どうなるんだろ……。
心中で呟くと、正義は会話に加わっていった。
温泉に入り、たわいのない会話をしながら食事する……本当に旅行にでも来ている気分になるが、ここは異世界だ。それに、正義たちは帰る術を知らない。
食事が終わり、無為に過ごしていると、コンコンと部屋がノックされた。
ドアに近いベッドに座っていた勇人が返事をして開けると、沙希、茜、京子、佳織がそれぞれ枕やタオルケットを抱えて立っている。
沙希たちも温泉に入ったらしく、浴衣に似た薄手のバスローブを羽織っていた。
「ど、どうした!?」
面食らった勇人が尋ねた。
「あ、あのさ……みんな一緒に居た方がいい気がするんだよね。また何が起きるかわからないし……」
どこか気恥ずかしそうに沙希が答えた。
確かに沙希の言う事には一理ある。攫われたに等しい状況で、スマホも何も持ってない今、頼れるのはここに居る全員だけだ。
でも……。と、正義は思う。
──ただでさえ、高校生が異性と温泉に泊まるだけでも大事件なのに、それどころか同室で寝るって大丈夫なのか!?
正義がそんなことを考えていると、「今さら遠慮する仲でもねーだろ」と茜が無遠慮に言いながら、あっという間にベッドを占領した。
結局……。
正義、勇人、敬はベッドを沙希たちに明け渡すことになった。そして、ソファーを巡って正義、勇人、敬の間で壮絶なジャンケンが行われた。
勝利の瞬間、正義は「よっしゃー!!」と雄叫びを上げ、勇人と敬は「正義、呪ってやる」と言いながらシーツを床に敷いた。
× × ×
どの位経っただろうか。
正義は微かな気配を感じて目を覚ました。
部屋には月と同じ青白い光が差し込んでいる。
ふと……窓際の陰が動いて正義の顔を覗き込んだ。
「……起こした? ゴメン」
陰の主は沙希だった。
「ん? どうした?」
正義が身体を起こすと、沙希は隣に座った。そして、みんなを起こすまいと、小声で話しかけてくる。
「……これから……どうなるのかな……」
「……」
「いろいろ考えてみたんだ……。なんで言葉が通じるのか? とか、なんで文字が読めるのか? とか……。もしかしたら、夢を見ているだけで、気が付いたら体育館で目が覚めて……」
ポツリ、ポツリ、と沙希は言葉を紡ぐ。
「……でも……もう、わかんないよ…………」
沙希は膝を抱えて俯き、黙り込んだ。
少しの沈黙の後、沙希は顔を上げて正義を見た。
沙希の端正な顔立ちが柔らかな月明かりに浮かぶ。
「……お母さん……お弁当、取りに来ないから心配してるよね……」
か細く、消え入りそうな声だった。
佳織を励ましたり、茜を宥めたり、気丈に見えた沙希。でも、実際はそう振る舞っていただけで、沙希だって不安だったのだ。
正義は急に怒りにも似た苛立ちを覚えた。
──何故、沙希やみんながこんな思いをしなければならない??
──俺たちが何かしたか??
──ビンスさんやガンバルフさんに悪気は無かったのかもしれないけど、無責任で理不尽過ぎる!!
そして、その怒りや苛立ちは正義自身にも向けられた。こんな時、励ます言葉の一つも出てこない自分自身に。あまりに情けなくて不甲斐ない。
乱高下する正義の心情をよそに、隣からは規則正しい沙希の息遣いが聞こえてくる。
「……正義が一緒で良かった……」
「え?」
ふと、ついて出た沙希の言葉に正義は慌てて沙希を見た。
正義は息を呑んだ。
正義を見つめる沙希の瞳が少しだけ潤んでいる。
やがて……。
沙希は双眸から気持ちが溢れ出るのを堪えようと、抱えていた膝から手を放し、ソファーに寄りかかって顔を上げた。
──多分、俺にはかけるべき言葉があるはずだ……。
正義は必死になって自問したが答えは見つからない。
「…………オヤスミ」
長い沈黙の後、沙希は囁くように言ってベッドへと戻って行った。
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