正義たちが篠津高校の体育館へ戻って来ると、時刻は12時を15分ほど回ったところだった。
現実世界では4時間ほどしか経過していないが、正義たちはレッドバロンで約四日間を過ごしてきたことになる。
「ん~!! なんか、スゲー疲れたな……」
茜が背伸びをしながら、みんなの気持ちを代弁した。
茜の言う通り、地下坑道を探検したり、砂漠の英雄と『マラソン勝負』をしたり、かつての勇者の冒険譚を聞いたり……とても濃い四日間を過ごしてきたのだ。疲れて当然だった。
「本当だね。久しぶりに帰って来た感じがするよ!! 懐かしいなぁ……」
敬が茜につられて欠伸をする。
──いやいや、敬は本当に『久しぶり』だろ!! お前だけ一か月近くもレッドバロンで過ごしたんだぞ!!
と、のん気な敬を見て、誰もが思った。
「時間の感覚がおかしくなっちゃうよね……。みんな、疲れて帰りたいと思うけど……『篠津町農業祭り』の準備も頑張ろうね」
沙希が体育館に置かれた行灯や看板を見ながら言った。
「了解だぜ!! かっちゃん、ウチも看板描くよ!!」
「ありがとう!! じゃあ、『レタス侍』を仕上げちゃいます!! 茜ちゃん、頑張ろうね!!」
「正義、工具持って来るから先に行灯の下に入っててくれ」
「わかったよ、勇人。……また、『レタス侍』の顔を見ながら作業すんのか……」
「みんな、お昼はどうするんだい?」
「敬、お前一人で食べろよ。バラメシでいいだろ?」
「勇人、一人は寂しいじゃないか……」
「あ、あのさ……みんな……」
みんなが作業に取りかかろうとした時、京子が進み出た。
「みんなには悪いんだけど……わたしには……」
「ああ、わかってるよ。テッサとの約束があるんだろ?」
言い出しにくそうな京子の代わりに、筆を持った茜が補足する。
京子はテレサ・アディールと、『走り方を教える』という約束を交わしているのだ。
「そっか……そうだったね。いいよ、京子。行って来なよ」
沙希も微笑みながら京子の背中を押す。
敬が一か月近く無事に過ごしたことで、一人でレッドバロンへ向かうことのハードルが低くなっていた。しかし、それでも沙希は京子の身を案じることを忘れない。
「でも京子、何かあったらすぐに帰ってきてね」
「わかったよ沙希。気をつける」
「総理大臣殿、郵政大臣殿が心配なら、この僕が一緒に行ってもかまわないよ!!」
勇人の家へ来た時と同じ、魔法使いの格好をした敬が挙手をする。敬はどうしてもレッドバロンへ戻りたいらしい。そんな敬を見て、佳織がオロオロしはじめた。
「ダメだ。お前はかっちゃんを手伝って看板を作れ!! もうみんなに心配かけんな!!」
バチツ!!
懲りない敬の肩を勇人がパンチした。
「アッ痛ッ!! 痛打だよ、勇人!!」
「うるさい。これ以上、かっちゃんやみんなに心配かけんなら、ケツバットするぞ」
「ケ、ケツバット!?」
敬が慄いていると、今度は行灯の下から正義が参戦する。
「あ、俺はその『魔法使い』の衣装を取り上げる」
「ケツバットして、服を取り上げるなんて……君たち、追剥ぎじゃないか……追剥ぎなんて、時代劇でしか見たことないよ……」
敬はようやく諦めたのか、仕方なく工具を握った。
一連のやり取りを見ていた京子が、クスクスと笑いながら語りかける。
「敬、心配してくれてありがとう。でも、大丈夫だから」
京子はテレサとの『熱波苦悶開脚走』を経て、幾分かたくましくなっていた。
「京子ちゃん、テレサさんとの約束を守ろうとするのは凄いと思う……でも、一人でレッドバロンに行くなんて……」
佳織は感心しているが、やはり心配らしい。眉根を寄せて俯いた。そんな佳織の肩に茜が手を回す。
「かっちゃん、京子なら心配いらねーよ」
「お前が言うな、暇ゴリラ」
京子は茜に釘を刺すと、不安気な佳織を見つめた。
「かっちゃん、わたしなら大丈夫。だってわたしは、篠高のクールビューティー」
京子は白い歯をこぼしながら微笑むと、親指を立ててみせた。
「ガラスのハートがカッコつけてんじゃねーよ。さっさとテッサのとこ戻れ!!」
「うっさいな。今、行くってバカゴリラ」
茜と京子は笑顔で悪態を吐き合った。なんだかんだ言って、二人ともお互いを信頼しているのだ。そして、信頼し合っているのは、みんなも同じだった。
「じゃあ、みんな、ちょっと行ってくるね!!」
「京子、テッサによろしくな!!」
茜の声を背に、京子は駆け足で体育準備室へと戻って行った。
正義たちは黙々と『篠津町農業祭り』の準備に取り組んだ。
異世界に行ってたんで作業が遅れました……。なんて、言えるはずがない。
行灯の骨組みの補強、看板の色塗り、祭りの当日に配布される篠津町のパンフレットと『レタス侍』のヌイグルミを紙袋に入れる作業、行灯に使われる材料や『レタス侍』が入っていた段ボールの片付け……みんなは真剣になって作業を進めた。
忙しそうに校内を駆け回る正義や沙希たちを見て満足したのか、桃ちゃん先生はチラリと見回りに来ただけだった。
それでも、桃ちゃん先生が伊藤京子の不在に気づいた瞬間があった。
「あれ? 伊藤さんの姿が見えないみたいだけど……」
みんながギクリとしていると、敬が進み出た。
「伊藤さんなら、大会が近いとかで、自主練習してます。僕たち、伊藤さんの作業を肩代わりしたんです。篠高のクールビューティーには、活躍して欲しいですからね!!」
敬はペラペラと出まかせを言った。みんなはペラペラ星人の言葉に冷汗をかきながら、頷くことしかできなかった。
「そうなの!? みんな、友達思いで素晴らしいわ。伊藤さん、素敵な友達に恵まれたわね!!」
桃ちゃん先生は満足そうな顔で職員室へと戻って行った。
桃ちゃん先生が立ち去ると、正義は冷汗をぬぐいながら敬を見る。
「た、敬、お前……ウソが上手くなってないか……?」
演技が上手いのか? それとも、ウソが上手いのか? 正義は敬がわからなくなった。
× × ×
夕方の6時を過ぎると、やっと陽が傾いて涼しくなってくる。
今日の作業を終えてみんなが体育館の清掃をしていると、京子が戻って来た。
「京子ちゃん、おかえりー!!」
体育準備室の扉が開くと、佳織が顔をパァッと明るくさせて京子に駆け寄った。
「かっちゃん、みんな、ただいいま!!」
「「「京子、おかえり!!」」」
みんなもホッとしたのか、笑顔で出迎えた。
京子は午後1時から午後6時まで5時間ほど居なかった。つまり、レッドバロンで5日間ほど過ごしてきたことになる。
爽やかに笑う京子は、また一段と日焼けしていた。
「みんな、遅くなってごめん。もうちょっと早く帰るつもりだったんだけど、テッサに引き留められちゃって……」
「で? どうだったんだよ、京子。テッサにはちゃんと教えられたのか?」
茜が京子にクーラーボックスから取り出したスポーツ飲料を手渡しながら尋ねる。
「バッチリ。テッサは飲み込みが早くて、驚いたよ」
答える京子は、どこか嬉しそうだった。きっと、新たな好敵手に出会えてうれしいのだ。
「じゃあ、京子も無事に帰って来たことだし、今日は帰りますか~♪」
「あ、沙希。それにみんなも。ちょっと待って……」
沙希が帰宅を促すと、京子がみんなを呼び止めた。その顔が少し曇っている。
「京子、どうしたの?」
「それが……ガンバルフさんのことなんだけど……まだ帰って来ないんだって……」
「「「えっ!?」」」
京子の言葉に、みんなは顔を見合わせた。
ガンバルフは正義や勇人と一緒にメヴェ・サルデを訪ねた。そして、ビフレスト山脈の最奥にある古代都市の遺跡、『ラ・サ』へと勝手に向かってしまったのだ。
「メヴェ・サルデに残ったグレイやジョルジュさんたちから連絡があったみたいで……。ガンバルフさんが行方不明ってことで、大騒ぎになってるんだって。帰り際にビンスさんに頼まれたんだ……『勇者の皆さまに伝えてください』って……」
「つ、伝えられたって、俺たちにはどうしようも……」
悪い予感が当たった正義は、呟きながら隣の勇人を見た。勇人も腕を組んで困り顔になっている。
「正義の言う通りだ。こっちに居る俺たちにはどうしようもないよ……。とりあえず、ガンバルフさんは反則的に強いから大丈夫だと思うけど……」
「そうか? ウチらを召喚してる最中に、ギックリ腰になるような爺さんだぜ?」
「あ、茜ちゃん、言い過ぎだよ……」
みんなは困惑の顔つきで顔を見合わせる。すると、魔法使いの格好をした敬が、羽織ったローブをバサッとひるがえして声を張り上げた。
「みんな、大賢者が古代都市へ向かったまま消息を絶つなんて、事件じゃないか!! 戻ったらガンバルフさんを探す旅に出ようよ!!」
例によって、敬はとんでもないことを言い出した。
メヴェ・サルデの地下坑道だけでも、あれだけ大変だったのだ……。ガンバルフを探しに、『ラ・サ』へ向かうとなったら、何が起きるかわかったものじゃない。きっと今度は、勇者たちが集団失踪してしまう。
「無茶を言ってないで帰るぞ」と、正義が言いかけた瞬間だった。
「敬の言う通りだよ……今度、レッドバロンに行ったらガンバルフさんを探そう……」
「「「!!??」」」
沙希が真剣な表情で提案した。
みんなは慌てて鉄血宰相の顔を覗き込んだ。
「……ガンバルフさんが居ないと……若槻さんが無事に帰れるかわからない……」
沙希の言う通りだった。
ガンバルフは勇者を召喚できても、現実世界に戻すことのできないデタラメな魔法使いだ。それでも、現実世界とこちらの世界に居る若槻優香を助けるためには、どうしてもガンバルフの力が必要に思える。
「「「そっか……そうだよね……」」」
ガンバルフは見つかるのか? 見つかったところで、若槻優香を救う手立てがあるのか? そもそも、若槻優香は篠津町に戻りたいのか? ……様々な疑問や困惑がみんなの顔に浮かんだ
「……今日は帰って、またレッドバロンに戻ったら考えよう……」
沙希は黙りこくるみんなにそう言うしかなかった。みんなは沈黙したまま頷き合うと、それぞれ帰途についた。
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