砂漠の民であるテレサは人間離れした視力を有している。遥か前方を走る京子に起きた異変がすぐにわかった。
──え!? 京子が転んだ!!??
テレサの心はざわついた。
勝負を諦めかけていたテレサにとっては、突如訪れた好機なのだ。
しかし……。
京子の転倒は激しく、遠目にも立っているのがやっとの様子に見える。
京子との友情を考えると、立ち止まって介抱するべきではないのか? との思いがテレサの脳裏をよぎる。
──京子は友達なんだ。助けなきゃ……。
──でも……ガルタイ族の名誉が……。
──相手の不幸につけこんで勝利するなんて、そんなの勝利と呼べる??
──いや、これは正々堂々とした勝負なんだ。情に流されちゃダメだ!!
様々な声がテレサの胸中で湧き起こり、交錯する。
立ち止まって京子を介抱するべきか、それとも放置して進むべきか。思わぬ出来事に、テレサの心の針は勝利と友情の狭間で揺れ動いた。
結局……。
テレサは京子を抜き去った。「勝利の為だ」と良心をねじ伏せ、駆け去ったのだ。なるべく京子を見ないようにして……。
京子とテレサに並走していた砂船からの声援は、いつのまにか消えていた。
× × ×
京子の転倒は『砂船の幽霊船』にいる茜やレオたちの目にも映った。
一行からは「勇者さまが転んだぞ!!」と悲鳴が上がり、茜も思わず身を乗り出した。
京子は起き上がって再び進みはじめたが、その姿はもはや走っているとは言えない。足を引きずる京子の姿からは、重傷なのが一目瞭然だ。
「あのバカ……」
呟くと同時に、茜は船べりから砂の大地へと向かって飛び降りた。
「「「あ、茜さま!!??」」」
咄嗟の出来事に、レオやチーム茜のみんなは驚愕の声を上げる。
茜は着地の衝撃を両膝でめいっぱい吸収すると、バネが弾けるように駆け出した。そして、『熱砂回廊』に入ると京子めがけて大声で叫んだ。
「京子!! 止まれ!! もう走るな!!」
茜の声が届くと、京子は慌てて振り返った。声の主は一直線にこちらへ向かって駆けて来る。
京子は立ち止まると、その整った顔に怒りをにじませた。
「茜、来ないで!! 失格になっちゃう!!」
京子はそう叫ぶので精一杯だった。そして、気力を振り絞って叫ぶと、心のどこかで緊張の糸がプッツリと切れるのを感じた。今まで堪えてきた痛みや違和感が、倍増して身体を襲ってくる。
京子は苦痛に顔を歪めて、その場にフラフラと崩れ落ちた。
「京子!!」
茜は倒れこむ京子を寸での所で抱きとめた。腕の中で京子は真っ青になった顔を茜に向けた。
「茜……これで失格だよ……」
「……」
茜はかける言葉を探すが見つからない。そんな茜をよそに、京子の瞳には涙がたまってゆく。
「ごめん……ごめんね、茜。わたし、勝てなかった……ごめんね……」
京子はポロポロと涙をこぼした。この期に及んで、京子は自分を責めている。その姿に、茜は言い知れぬ悔しさがこみあげてきた。
──ウチのせいだ……。
茜が小さく歯ぎしりをしていると、後ろからレオやチーム茜の声が聞こえた。
「「「勇者さま、だ、大丈夫ですか!?」」」
勇者の身を案じたレオや戦士たちも船を飛び降り、茜を追いかけて来ていた。
「なあ、医者は居ないか?」
茜はレオたちに向かって呼びかけた。
「も、申し訳ございません!! 我々は全員が戦士でして、治療が出来る医者や魔法使いは随行させておりませんでした……」
レオは下唇を噛んで俯いた。
その時、石道沿いに停船した『砂漠の幽霊船』から声がした。
「わらわが診よう」
みんなが船上を見ると、サーシャがこちらを見下ろしている。サーシャはその巨躯を揺らして宙に舞うと、そのまま砂漠にフワリと舞い降りた。
「勇者よ、派手に転んだな……」
茜と京子に歩み寄ると、サーシャはその身を屈める。
「ちと、痛むぞ」
サーシャは京子の右の肘に手を添えた。そして、その肘を京子の身体の内側へと、押し込むように曲げて行く。
「うぅ……」
京子が痛みに耐えていると、再び「グキン」という衝撃が右肩に走った。脱臼した肩が元に戻ったのだ。
「どれ、後は筋肉の損傷と関節の治療じゃな……」
サーシャは立ち上がると、茜に抱きかかえられたままの京子に向かって両手をかざした。
「砂漠の女神にして、大地母神ガルハンドラ。その慈悲と加護をここへ……」
サーシャが魔法の詠唱を終えると、その両手が淡く輝き始めた。
サーシャは輝く手で京子の左足、右肩へと触れてゆく。すると、傍目にも転倒時の擦り傷がふさがり、治癒していく。
京子は左足の痛みと右肩の違和感がスッと引いて行くのを感じた。それどころか、疲労も癒えて身体の芯から活力が湧いてくる。
サーシャの治療が終わる頃には、京子の顔色も良くなっていた。
「もう大丈夫じゃ」
サーシャがそう告げると、レオや戦士たちから安堵のため息が漏れた。
「いつまで抱きついているつもり?」
京子は抱きとめる茜の顔を見上げながら言った。茜の腕の中は心地良いが、絶交を宣言した相手に介抱されるのは、どうも落ち着かない。
「早く放せ、変態ゴリラ」
「な、なんだと!? 京子、テメーこそさっさと起きやがれ!!」
悪態をつく茜の顔もどこか嬉しそうだ。
京子は立ち上がるとサーシャに深々と頭を下げた。
「サーシャさん、ありがとうございました」
京子の隣では、茜も「ありがとうございます」と言って頭を下げている。
「些細なことじゃ。礼には及ばぬ」
サーシャは腕組みをして事の成り行きを見守っていた。
次に、京子はレオやチーム茜の戦士たちに向かって頭を下げた。
「レオさん、みなさん……せっかく応援してくれたのに……すいませんでした」
申し訳なさそうに言う京子を見て、レオたちは困惑して顔を見合わせた。
「頭を上げてください、勇者さま!! 京子勇者さまの闘志は、それはもう見事なものでした!! 我々も見習わねばならないと思っていたところです!! なあ、みんな。そうだろ!?」
「「「そうだ、そうだ!! 俺たちは勇者さまに、不屈の闘志を学んだぞ!!」」」
レオが周囲に声をかけると、戦士たちは頷き合って京子に拍手を送る。
讃えるレオたちに微笑むと、京子は茜を見た。
「茜……本当にごめん。わたし……」
「……京子が気にしてんじゃねーよ。後はウチの問題だ。……さて……」
茜はサーシャを見上げて、両手を上げた。
「降参だよ。確か、部外者が競技者に触れたら負けだったよな……」
「そうじゃ」
「このマラソン、ウチらの負けだ。煮るなり焼くなり、好きにしな……」
「……大人しくガルタイ族に入ると申すか? 勇者にしては諦めが良いな。殊勝な心掛けじゃ」
サーシャは満足そうに笑った。しかし、納得のいかないレオやチーム茜の戦士たちが色めきだった。
「何を仰いますか、勇者さま!! そもそも、こいつらに有利な勝負だったのですぞ!!」
「そ、そうだ、そうだ!! 勇者さまを引き渡す訳にはいかない!!」
「勇者さまを失って、おめおめとレッドバロンに帰れるか!! 勇者さまをお守りしろ!!」
レオたちは口々に叫んで茜とサーシャの間に割って入った。戦士たちの中には剣に手をかけている者もいる。
「ほほう。約束を反故にし、わらわに刃を向けると申すか……」
レオたちの反応を見たサーシャの目つきが変わった。
「大地母神ガルハンドラの加護は癒しのみではないぞ……。砂漠の塵になってみるか??」
サーシャの雰囲気がガラリと変わり、戦闘態勢に入ったのがわかる。
バチバチ。
サーシャの両手が今度は放電を始めた。
気づくと、いつの間にかサーシャの後ろには抜き身の大剣を持つガルタイ族の戦士たちが並んでいる。そして、『砂漠の幽霊船』の上ではガルタイ族の戦士たちが弓や弩を構えていた。
「ちょ、ちょっとやめてくれよ!!」
茜はレオを押しのけてサーシャの前に出た。
「レオさん、約束したのはウチなんだ!! 今は黙って引き下がってくれよ!! サーシャ、約束はちゃんと守るから矛を収めてくれ!!」
サーシャとレオの間に入った茜は、二人の顔を交互に見て説得する。
しかし……。
納得の行かないレオは帯剣に手をかけたままだ。
レオを睨みつけるサーシャの放電も増してゆく。
緊張は高まる一方だった。
一触即発の事態に、茜はザハでバロンプリンを売った帰り道を思い出していた。
ザハからレッドバロンへと戻る途中で、茜たち勇者一行はメヴェ・サルデの住人に襲撃されて戦闘になった。
死人まで出た悲劇を繰り返す訳にはいかない。
戦闘なんてウンザリだ。
茜のこめかみに血管が浮かぶ。
「だーかーらー。……ヤメロって言ってんだろーが!!!!」
ついに茜は大声で叫んだ。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!