頬から伝わる石畳のひんやりとした感触で正義は目を覚ました。そこは中世の教会を思わせる石造りの建物の中で、正義は中央にある祭壇の前に倒れていた。
「うぅ……」
まだ頭痛は治まらず、意識も少し朦朧としている。呻きながら顔を上げると、鮮やかなステンドグラスが嵌め込まれた窓が見えた。
「……ここは……どこだ??」
正義が上体を起こすと、突然、ずんぐりとした体格の男が視界に飛び込んできた。
「ようこそおいで下さいました。勇者さま!!!!」
「ウぇあッ!?」
正義は素っ頓狂な声を上げてのけ反り、後退った。
男は西欧人を連想させる中年男性で、満面の笑みで正義ににじり寄ってくる。
「驚かせてしまって誠に申し訳ございません。勇者さま、わたくしめはビンス。レッドバロンの町長でございます」
ビンスは恭しい態度で正義を『勇者』と呼んだ。
「あなた様で、1、2、3、4……7人目の勇者さまでございます。ほら、他の勇者さまもいらっしゃいますよ」
ビンスは指を折って数えながら、周囲にいる沙希たちを見た。
状況を把握できずに混乱していた正義は、辺りに沙希やみんなの姿を見つけて安堵のため息をついた。
「どうなって……いるんだ……?」
正義は立ち上がると、絞り出すような声で誰ともなく尋ねた。
「またビンスさんが説明すると、茜が7回も聞くことになっちゃうから、簡単に説明するけど……そこのガンバルフって言うお爺さんがわたしたちを召喚したんだって」
やけに冷静な口調で沙希が答えた。
沙希の視線を追いかけると、祭壇の近くで灰色のローブを纏った大柄の老人が腰に手を当てて蹲っている。見事な白い髭を蓄えた彫りの深い顔。中世ヨーロッパの修道士が羽織るようなローブを纏う姿は『魔法使い』と言われても納得できる。
しかし……。
今はその威厳に満ち溢れた顔が苦痛に歪んでいた。
「やっぱり、少し横になった方がいいですよ……」
見かねた京子がガンバルフに声をかけた。京子はガンバルフに手を貸して長椅子に横たわらせる。
「す、すまんのぅ……」
長椅子に横になるガンバルフを見て、茜が呆れた顔になった。
「ウチらを召喚する魔法を唱えてる最中にギックリ腰になったんだとよ」
「しょ、召喚!?」
目を丸くする正義に佳織が補足する。
「あのね……魔法とかで他の世界から人を呼び出すことだよ」
「そ、それは知ってるけど……」
正義が戸惑っていると、横から敬が進み出た。
「召喚……素晴らしいじゃないか!! そして異世界に召喚されるのは大抵、勇者や救世主になると設定で決まっている!!」
嬉々として語る敬は一人だけこの状況を喜んでいるようだ。
「た、敬君……そ、それはアニメとかゲームの中の話で……」
佳織は不安気な顔で敬を見ている。
アニメ、ゲーム……。
正義は小学校の頃夢中になって見ていたアニメを思い出した。そのアニメは未来から来た犬型ロボットとダメダメな主人公が一緒に宇宙や魔界といった異世界を冒険するという内容だった。子供心にそんな主人公と自分を重ね合わせ、いつかこんな冒険をしてみたいと思ったのを覚えている。
だが……。
本当に自分が見ず知らずの世界に、突然やって来るなんて誰が想像するだろうか。それに、いくらアニメやゲームで多少の予備知識があったとしても、それが役立つとは限らない。
「つまりは……誘拐だろ」
それまで黙っていた勇人が核心を突いた。
「ゆ、誘拐とは人聞きの悪い!!」
「事実だろーが!!」
ビンスは青ざめた顔で必死に否定したが、茜に一喝されて項垂れてしまった。しょんぼりとしたビンスは、腰を押さえて呻くガンバルフに近づくと、ヒソヒソ声で話しかけた。
「ガンバルフ先生、今回の勇者さまは人数も多いですし……前回とは勝手が違いますね」
「ウ……ウム……」
ガンバルフは相変わらずその顔に苦悶を浮かべながら頷いた。
× × ×
正義は着ている制服のポケットをさぐり、スマホを探した。しかし、スマホの感触は無い。
「スマホとか誰か持ってきてないのか??」
「誰も……。ポケットの中身もみんな消えてる」
もうみんなに確認したのだろう。沙希が答えた。みんな、着ている篠津高校の制服以外は何も持っていない様子だった。
「「「……」」」
正義も含めて、誰もが無言になった。
「とりあえず、外へ出てみようぜ」
埒の明かない状況に嫌気がさしたのか、茜が切り出した。
茜に促されて、正義たちは重々しい聖堂の扉を開けて外へと向かった。ビンスもガンバルフに肩を貸して正義たちに続く。
× × ×
正義たちが門扉をくぐって外に出ると、そこは丘陵地帯の頂上に位置する、のどかな草原だった。
吹き抜ける風に目を細めながら正義は辺りを見回した。眼下には城壁に囲まれた町並みが広がっている。家屋はどれも白い壁面で、鮮やかな朱色の三角屋根が印象的だった。
「パルマノーヴァ」
正義は思わず呟いた。すると沙希が、「?」という表情で正義の顔を覗き込む。
「……イタリアの城塞都市だよ。侵入してくる敵を側面攻撃できるように、都市そのものが設計されて作られているんだ」
「だから? サクッと説明してよ」
「ほら、函館の五稜郭みたいな町並みだろ? 日本にはこんな城壁で囲まれた、多角形の城塞都市なんて無いはずだよ」
正義に言われるまでもなく、沙希たちにとっても、篠津町近辺でないことは一目瞭然だった。高い城壁で囲まれた城塞都市の先には、草原や湿地、大河……見たことも無い風景が広がっている。
フワッ。
ひと際強い風が吹き抜け、沙希の髪がなびく。
沙希は髪を押さえながら空を仰ぎ見た。
「……そもそも、地球じゃないかもね……」
沙希は言って空を指さした。空には昼間だというのに巨大な二つの月が出ている。
「……キレイだな……」
「そうじゃないでしょ」
思わず見とれた正義の頭を沙希はポンと叩いた。
× × ×
聖堂の前にある広場には二頭立ての馬車が用意されていた。御者台には麦わら帽子を被った農夫が座っており、正義たちに気づくと帽子を取って会釈をする。
今となってはビンスやガンバルフと行動する以外に術が無い。正義たちは覚悟を決めて馬車へと乗り込んだ。
馬車には幌が付いておらず、みんなは荷台に向かい合って座った。農夫が馬に鞭を入れると、大きな縦揺れと共に馬車は進み始める。
「今から勇者さまを『レッドバロン』へとご案内します。わたくしめは、その『レッドバロン』の町長なんですよ!!」
先程眺めた町は『レッドバロン』と呼ばれているらしい。ビンスは「わたしは町長なのです!!」と何度も得意気に語った。
× × ×
蔦の這う石造りの城壁を通り過ぎると、馬車は櫓が設けられた城門を抜けてレッドバロンへと入った。
城門から続く大通りには綺麗な三角屋根の建物が建ち並んでいる。どれも巨大な建築物で、看板には『ホテル マッサン』『サルーン ナンバー7』『ガツント食堂』と書かれていた。
荷台から景色を眺めていた正義は隣の勇人に話しかけた。
「なあ、勇人……看板の文字、読めるか?」
「ああ、読めるよ」
「異世界の文字が読めるなんて、不思議だと思わないか?」
「別に……文字が読めないよりマシだ」
勇人はいたって冷静だった。勇人の言う通り、意思疎通が図れるだけマシなのかもしれない。
やがて……。
大通りを馬車が進むにつれて沿道に人々が集まり、正義たちに向かって手を振り始めた。
「召喚に成功したんだ!!」
「これで町は救われる!!」
「勇者さまバンザーイ!!」
人々は口々に歓声を上げている。
「こんなに人が集まるなんて、久しぶりですよ!! さあ、手を振ってあげてください!!」
町の様子に興奮したビンスが正義にも手を振るように催促した。
「そ、そんなこと、出来るわけが無いじゃないですか……」
何を言ってるんだこの人……。と、ビンスを迷惑に感じながら、正義は人々の熱狂的な歓迎を目の当たりにして混乱した。何が起きているのか全く理解できない。
その時だった。
急に敬が立ち上がった。
「そう、僕こそが勇者!! 救世主だ!! みなさん、よろしく!!」
敬は得意気に手を振って歓声に応えてみせた。
敬の素振りを見た沿道の人々は、「おおー!! 勇者さまがお応えくださった!!」と異様な盛り上がりをみせる。
「なにを余計なことしてんだ!!」
正義はすぐに敬を取り押さえた。
「だって……僕たちの状況を考えたら、どう考えたって勇者で主人公じゃないか!! 素晴らしい!! 僕の求めていた世界だ!!」
敬は正義の手を振りほどくと、再び立ち上がって手を振りはじめた。
何が何だか解らないうちに、正体不明の『勇者』に祭り上げられている。満足気な敬や手を振る沿道の人たちを見て、正義は得体の知れない恐怖を感じた。
やがて、馬車は町の中心部にある五階建ての建物の前で停車した。建物の入り口には豪快な書体で『勇者の宿』と書かれた看板が掲げられている。
館内に案内されて群衆の喧噪が遠くなった時、正義は心からほっとした。
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