円形闘技場の正面入り口には両手で砂時計を抱える女神像が建てられていた。
テレサの説明によると、この女神像は『時の女神 フィリス』の姿を模したものらしい。そして、巨大な女神像の足下からは、砂漠へと向かって真っすぐに一本の道が伸びている。この道が、かつては軍用道路として使われた『熱砂回廊』だった。
『熱砂回廊』に隙間なく敷き詰められた石は綺麗に研磨され、眩い太陽の光を反射している。その姿は、悠久の時を経た今でも往時の姿を保っており、さながらアスファルト舗装の道路だった。
ガラガラガラ!!
『熱砂回廊』をバクダの引く馬車が疾駆している。その馬車には『熱波苦悶開脚走』の行程を説明するテレサと茜、京子が乗っていた。
木でできた車輪が勢い良く回転する度に、乾いた音が響き渡る。
防砂の魔法がかけられた『熱砂回廊』には砂が一切、侵入していない。それどころか、砂漠の暑さも幾分か和らいだようにも思える。
『熱砂回廊』を10キロ程進むと、砂丘の合間に巨大な石柱が見えてきた。
頑健な姿を誇示する石柱は壮観で、茜と京子は歴史の教科書で見たパルテノン神殿を思い出した。
「あれは『無慈悲な終焉の地』の神殿で、聖なる場所なんだ。明日は闘技場を出発したら、あの神殿まで走って、そこから折り返すんだよ」
御者台に座るテレサが後部座席の茜と京子を振り返って説明した。
× × ×
程なくして、馬車は神殿の前に到着した。
並び立つ石柱の何本かは倒壊しており、その奥にレッドバロンの聖堂に似た建物が見える。そして、その建物の前には幾つかの出店が並んでいた。出店は食べ物や衣服を売っているらしく、観光客と思しき人たちが並んでいる。
「この神殿は墓所でもあったんだ。今は観光名所としてザハの観光協会が管理してる」
御者台から飛び降りたテレサが説明した。
「墓所……お墓だったのか?」
茜と京子も後部座席から降りて、神殿を見つめた。
「うん。かつては『無慈悲な終焉の地』の信仰を集める場所で、祭場だったんだ。……地下には地下墓地が迷路のように広がっていて……その通路の一部は遠くビフレスト山脈にある古代都市『ラ・サ』まで繋がっているらしいよ。まあ、伝説だけどね」
テレサは茜と京子に説明しながらひと際大きい石柱を指差した。
「明日はあの石柱で折り返して闘技場に戻るんだ」
テレサの指先を追いかけると、神殿の真横に天を突かんばかりに屹立する石柱が見える。石柱には羽の生えた人間や獅子が武器を手に咆哮する、雄々しい姿が彫り込まれていた。
「これは『不屈の柱』って呼ばれていて、さっき話したレギリオが建てたって言われているんだ。……かつては闘奴として仕えた王国の墓所に、魔族が彫り込まれた石柱を建てる。それは、レギリオにとって、独立闘争と解放……そして、報復の証だったんだよ」
長い時を経てガルタイ族に語り継がれている歴史なのだろう。誇らしげに語るテレサを見て、茜の口元がほころんだ。
「なんだか、テレサは楽しそうだな」
「茜、夢中になって話しちゃった……ごめん、退屈だった?」
「いや、観光案内をしてもらってるみたいで楽しいぜ。な? 京子」
「え? あ、ああ……」
どこか上の空な表情の京子を見て、茜は首を傾げた。
「どうしたんだよ……お腹でも空いたのか?」
「……それはお前だろ」
京子は眼光鋭く茜を睨んだ。
茜は京子の視線の意味が解らず、「京子、どうしたんだよ……」と、小さく呟いた。
──このバカゴリラ、どこまでのん気なんだ?
京子は茜の戸惑う顔を見て、ため息を吐いた。
京子はここまでの道のりを思い返し、明日の戦略を考えていたのだ。
『熱砂回廊』の高低差を意識してペース配分を考える……明日の『熱波苦悶開脚走』を控えて考えることは多い。
真剣な自分と比べ、どこか他人事の茜を見て京子は腹が立った。
最早、『郵便システム』を賭けて『熱波苦悶開脚走』を戦うのではない。『高橋茜』を賭けて戦うのだ。
テレサと健闘を誓い、決意を固めていても、責任の重大さはやはり京子に重くのしかかる。
もし、『熱波苦悶開脚走』に負けて茜がガルタイ族に入ることになったら、沙希やみんなに合わせる顔が無い。それどころか、茜だって自分の家に戻れないかもしれない。そうなったら……と、京子は思いつめていた。
しかし、そんな京子の心中を茜は推し量ることが出来なかった。
「だから……どうしたんだよ? 言いたいことが有るなら言えよ」
京子の怒気を含んだ態度が気になった茜は、思わず京子の手首を掴んだ。
「うっさい!! 触んな、バカゴリラ!!」
思わず京子は茜の手を強く振り払った。
「な、なんだよ急に……」
茜は払いのけられた手を見つめた。茜が困惑するばかりで、ゴジラ対キングギドラは始まらない。
相変わらず、京子の不安に思い当たらない茜を見て、京子の心中は暗くなった。
「……別に。なんでもない。もういい」
諦めに似た気持ちが湧き起こると、京子は下唇を噛んで俯いた。
「二人とも急にどうしたの? 喧嘩?」
眉根を寄せてテレサが尋ねた。大陸随一の剣士と謳われるテレサも、勇者同士が喧嘩となると心配するらしい。
「何でもない。気にしないでいいよ、テレサ」
京子はそう言うと、「いつものことだから」と付け加えた。
「いつもって……二人とも、大丈夫? ……あ、そうだ!? 屋台で何か買う?? バロンプリンも売ってるよ!!」
「え!? マジで!? こんな砂漠のど真ん中でか!? スゲーな!! 京子、食べようぜ!!」
テレサが暗くなった雰囲気を変える為に明るく切り出すと、茜もノリを合わせる。
テレサと茜は不機嫌になった京子に気を遣ったつもりだが、その二人の気遣いが京子をさらに苛立たせた。
まるで、テレサと茜は昔からの親友みたいに見える。
──わたしだけ、取り残されてバカみたいだ……。
京子は真剣に悩んでいる自分がバカらしく思えた。
「……二人で食べてきなよ。わたしは馬車に居るから」
冷めた口調で言うと、京子は馬車へと戻った。
× × ×
「ハイ、バロンプリン!!」
屋台でバロンプリンを買うと、テレサは笑顔で茜に差し出した。
屋台には冷却魔法がかけられた保冷庫が備え付けられており、渡されたバロンプリンはひんやりとしている。
茜は陶器に入ったバロンプリンを受け取ると、渡されたスプーンで口に運んだ。
炎天下の砂漠で食べるバロンプリンは格別だった。よく冷えたプリンが口の中でプルンと弾み、心地良い甘さを口内に広げて溶けてゆく。
「やっぱ美味しいな。……ありがとう、テレサ」
「何言ってるんだよ、茜。勇者さまがもたらしたおやつじゃないか……」
「ま、まあ、そうなんだけど……」
自分たちがプリンを開発した訳じゃない……。そう考えると、茜は素直に喜べなかった。それに、バロンプリンを作ったのは沙希やかっちゃん、そして京子だ。
「勇者って……凄いなぁ」
茜の複雑な思いをよそに、テレサは勇者に対する畏敬の念を口にした。
「その勇者と戦えるんだから、わたしは幸せ者だよ」
茜の隣で微笑みながらバロンプリンを頬張るテレサ。テレサは心から『勇者』という存在を尊敬しているのだろう。その笑顔を見た茜は、馬車に居る京子へと視線を移した。京子はこちらを見向きもせず、身動きすらしない。
──急にどうしちまったんだよ……京子……。
普段から京子は些細なことで茜に悪態を吐いてくる。しかし、今回はどうも様子がおかしい。思い当たるフシが見つからない茜は、バロンプリンを口に運びながら首をひねった。
茜は京子の不機嫌が自分に起因するとは露ほども考えなかったのだ。
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