「グフッ!! ナイスパンチ……」
敬は親指を立てて呟くと、鼻血を吹き出しながら倒れた。
「た、敬君!!??」
佳織が悲鳴を上げて敬に駆け寄った。みんなも心配そうに敬を取り囲む。すると、今度はテレサの後ろから激高した声が上がる。
「よ、よくもテレサ姫に不敬をはたらいたな!! この狼藉者!!」
ガルタイ族の戦士たちがこめかみに血管を浮かべて叫んでいる。戦士たちは剣の束に手をかけて、今にも敬に斬りかかる勢いだ。
ガルタイ族の剣幕に慄いたビンスが慌てて正義たちに事情を説明する。
「ガ、ガルタイ族では、女性の肌への口づけは求婚を意味します……」
「「「きゅ、求婚!!??」」」
正義たちは一斉に目を丸くした。
「は、はい。ですから、初対面での口づけはまず、有り得ません。この場合、敬さまは面白半分に求婚して、テレサさまを侮辱したことになります」
ビンスは冷汗を浮かべて捲し立てた。
「「「無礼者を斬り捨てろ!!」」」
ついに数人の戦士たちが剣を抜き放った。
「「ちょ、ちょっと待って下さい!!」」
正義と勇人が慌ててガルタイ族との間に割って入った。
「意味不明の挨拶をしてしまってすいません!! コイツは白鳥敬って言って、一応、勇者なんです!!」
「正義の言う通りです。悪気があってやったんじゃないんです!! 茜、京子、二人からも説明してくれ!!」
勇人が茜と京子に呼びかけると、二人も焦りながら敬のフォローをする。
「そ、そうなんだ!! このバカはこれでも、ウチらと同じ勇者で、ダチなんだ」
「テッサ、ガルタイ族のみなさん、非礼を許してください。本当に申し訳ありませんでした」
茜と京子が必死になって謝ると、テレサは不審そうな顔で敬を見る。
「……本当に、コイツは勇者なの!?」
「テレサさん……信じられないかもしれないけど、敬はわたしたちと同じ勇者で幼馴染なんです」
沙希が進み出て、テレサの目を真っすぐに見つめた。
「テレサさん、申し訳ございません。わたしたちの世界では、相手に親愛の印として、手や頬にキスをする習慣があるんです。敬はテレサさんへの敬意から、あんな行動を取っただけで、他意なんてありません。侮辱しようとか、これっぽっちも考えてないんです。……どうか、敬を許してやって頂けませんか? お願いします」
沙希は毅然とした態度で事情を述べると、深々と頭を下げた。
価値観の相違での衝突。この場合、『郷に入っては郷に従う』の精神が必要だ。
沙希の誠意が伝わったのか、テレサの顔つきから険しさが取れた。
「そっか……そうだったんだね……」
テレサはガルタイ族の戦士たちを振り返った。
「もう、問題事にしないで。みんな、剣をしまって」
「し、しかしテレサ姫……」
「剣をしまえって言ってるんだよ……意味、わかんない?」
テレサが首を傾げながら言うと、ガルタイ族の戦士たちはギクリとした顔つきになって、剣を鞘に納めた。
テレサは敬の方を向いた。敬は相変わらず昇天したままだ。
「わたしの方こそ、すぐに手を出して悪かったよ……」
テレサはそう言って敬を介抱する佳織のとなりにしゃがみこんだ。すると、佳織がテレサをキッと、睨んだ。
「敬君が悪かったのかもしれないけど……気絶するほど殴る必要が有ったの?」
それは、今まで佳織が見せたことのない、怒りを湛えた双眸だった。その表情に、正義たちは戸惑い、困惑する。そして、それはテレサも同じだった。
「……ごめん」
テレサは小さく呟いて敬の顔に手をかざした。すると、今度はその手が淡い光を放つ。きっと、回復魔法なのだろう。少し経つと鼻血が止まり、敬はムクリと起き上がった。
「……あ、あれ!? みんなどうしたんだい?? 深刻そうな顔して……」
敬はキョトンとした顔つきで、不思議そうに辺りを見回した。
「敬君、良かった!!」
佳織がホッとした様子で、笑顔になる。
「い、一体、何が……八ッ!? これは異国の姫君……」
敬はテレサの顔を見ると、再び挨拶を始めた。どうやら、テレサの鉄拳は敬の記憶をも吹き飛ばしたらしい。記憶を無くすのが敬のお家芸になりつつある。
「ややこしくなるから、お前はもうしゃべんじゃねーよ」
「敬、かっちゃんが心配するから、大人しく寝てて」
茜と京子が敬を鋭く睨んだ。ゴジラとキングギドラに釘を刺された敬は、「イエッサー!!」と答えて口を噤《つぐ》んだ。
テレサはその場に立ち上がると、申し訳なさそうな顔つきでみんなを見た。
「みなさん、ご迷惑をおかけしました……わたし、動揺しちゃて……」
「んなこと、わかってるよ。初対面で求婚されたら、誰だって動揺するよ」
「茜……」
「茜の言う通り。もし、相手がテッサのお姉ちゃんだったら、敬はもう砂漠の塵になってる。テッサはまだ優しいよ」
「京子……」
テレサは茜と京子の顔を交互に見つめる。その表情は、自責の念に苛まれているようだった。
知らぬとは言え、一線を越えた敬が悪いのか……それとも、問答無用で制裁を加えたテレサが悪いのか……誰も簡単に判断なんてできない。
「ねえ、テッサ」
重い空気がみんなを包み込もうとした時、沙希がポツリと口を開いた。
「自分たちにとっては平気なことでも、相手にとっては凄く嫌なことだったり……これからは、お互いの常識や習慣がわからなくてぶつかることが、いっぱいあると思うんだ……でも、それを乗り越えて仲良くなれたら……嬉しいな」
「……そうだね……沙希、ありがとう」
沙希が笑顔で綺麗にまとめると、テレサも笑顔で頷いた。
ただ……。
佳織だけは二人のやり取りを複雑そうな表情で見ていた。
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