日が変わり、砂漠に昇った太陽が『無慈悲な終焉の地』の円形闘技場を照りつける。
前夜祭の盛り上がりが示した通り、円形闘技場には大勢が集まって客席を埋めている。人々は『勇者』である京子や最強の剣士であるテレサの雄姿を一目見ようと、朝早くから円形闘技場に詰めかけていた。誰も彼もが、召喚された勇者と砂漠の姫君の対決を心待ちにしている。
人々の期待と興奮が最高潮に達した頃、満を持して闘技場にサーシャが現れた。
サーシャは昨夜同様、レギリオ・バンデラの石像の前に立つと拡声器をかざした。
「皆の者、よく集まってくれた!! これより、ガルタイ族主催の『熱波苦悶開脚走』を行う!! 皆の者に戦う二人を紹介しよう!! まずは大賢者ガンバルフに召喚された勇者、伊藤京子!!」
サーシャが声高らかに宣言すると、金属楽器がブオォーと吹き鳴らされ、闘技場への入口から京子が現れた。
京子は陸上競技で見かけるセパレートユニフォームに似た競技服を着ている。競技服は鮮やかな青で統一されており、京子のショートヘアには細い組紐のカチュームが巻かれてある。
陸上競技で鍛え上げられた京子の身体はしなやかかつ強靭に見え、勇者としてその存在感は申し分ない。人々は京子の放つただならぬ雰囲気に、「オオ……」と感嘆の声を上げた。
ガラスのハートの持ち主である京子は、会場の反応を気にしないように目を閉じ、軽く屈伸してテレサの登場を待った。
サーシャは京子や観客の様子を確認すると、フフッと笑って拡声器を口に当てる。
「そして、強敵たる勇者に挑むのは……我らがガルタイ族の英雄、テレサ・アディール!!」
サーシャは京子が来た入り口とは反対方向の入り口を指差した。すると、京子と同じ競技服を着たテレサが悠然と現れた。
テレサは赤髪を後ろで束ね、髪と同じ真紅の競技服を着ている。競技服から覗く剣技で鍛え抜かれた身体には、サーシャや他のガルタイ族と同じ燃え盛る炎の刺青が施されていた。
「京子、いい勝負をしよう」
テレサはチラリと京子を見ると、そう言って爽やかな笑顔を見せた。
「……ああ」
短く答える京子を見て、テレサは昨日の京子とはどこか別人のような違和感を覚えた。しかし、その違和感も『熱波苦悶開脚走』を前にした緊張ですぐに消え去った。テレサはその双眸に気高さと闘志を漲らせて前を向く。
京子とテレサが闘技場に引かれた白線の前に並ぶと、サーシャは頷いて続けた。
「『熱波苦悶開脚走』は『熱砂回廊』を走り、神殿の『不屈の柱』で折り返す。そして、先にここまで戻って来た者の勝ちとなる……良いな!!」
京子もテレサも『熱波苦悶開脚走』の道程については把握しており、黙って頷き返した。
次に、サーシャは客席に向かって声を張り上げた。
「皆の者、『熱波苦悶開脚走』を始めるにあたって一つだけ申しおく!! 何人も『熱波苦悶開脚走』が行われている間は、その走者に触れてはならぬ!! もし、第三者が走者に触れたなら、即刻、その走者は敗北となる!! 良いな!!」
サーシャの言う約束事とは、第三者が競技者に触れてはならないというマラソンのルールと同じだった。
京子とテレサは開始の合図を待って前を向いた。
サーシャは大きく息を吸い込み、拡声器を持ったまま天を仰いだ。そして、強い日差しに目を細めつつ、その声を拡声器に叩きつける。
「『熱波苦悶開脚走』始め!!」
ジャーン!! ジャーン!! ジャーン!!
サーシャのかけ声と共に、銅鑼がけたたましく鳴り響く。
ダッ!!
京子とテレサは同時に砂を蹴って走り始めた。
× × ×
京子とテレサがスタートしてから少し経つと、オアシス都市に停泊した『砂漠の幽霊船』の前にサーシャが現れた。
屈強な戦士たちを従えたサーシャを確認すると、『砂漠の幽霊船』の船員たちは喜びの声を上げた。
「「「統領のお帰りだ!!」」」
船員たちは船主の帰還を喜び、船べりに整列して出迎えた。
サーシャの乗船が完了すると、「出航!!」と声がかかり、『砂漠の幽霊船』は緩やかに動き出した。
慌ただしく船上を行き交う船員たちをしり目に、サーシャはクルドを呼んだ。
「クルド……観戦料、試合の賭金は大丈夫であろうの?」
「ハッ!! 万事ぬかりなく管理して御座います」
ガルタイ族の側近は慇懃に答えて頭を下げた。
「さようか……ならば安心じゃ」
サーシャは船外へと視線を移した。視線の先には同じように停泊地を出航する大小様々な砂船が見える。どの砂船も京子とテレサの『熱波苦悶開脚走』を観戦するために出航しているのだ。
帆に風を受けて並走する砂船を眺めながら、サーシャは腰に下げた煙管入れから銀煙管を取り出した。そして、右手人差し指の先から炎を出して火をつける。
「では、愛しきテッサの雄姿を見届けに参ろうか……」
フー。と優雅に紫煙を吐き出したサーシャは、少し離れたマスト付近に佇むレッドバロン一行に目をとめた。
勇者である茜は何やら難しい顔をしている。そして、レオや『チーム茜』の面々はどこか意気消沈しているようにも見受けられた。
──そう言えば……。あの高橋茜と申す勇者は『熱波苦悶開脚走』の開始時に居らなかったのぅ……。勇者の二人は仲が良いとおもうておったが……はて……。
サーシャはその他者を圧倒する巨躯の上で首を傾げた。
× × ×
『チーム茜』の親衛隊隊長を自認するレオは恐る恐る茜を見た。茜は腕組みをしてマストに寄りかかり、その顔は険しく、人を寄せ付けない。
レオは茜の人を拒絶する雰囲気に昨日を思い出した。
昨日、茜と京子は宿屋へ別々に帰って来た。
京子の無事を喜んだレオは、『熱波苦悶開脚走』に向けてささやかながら激励会を催そうとした。しかし、レオの申し出を、京子も茜も丁重に断ったのだ。
『チーム茜』の女戦士によれば、茜と京子は部屋こそ一緒だが、食事も、入浴も、別々だったらしい。それだけならまだ普通かもしれないが、会話をしているそぶりも確認出来ないという。今も、茜に張り切って京子の応援をする気配が無い。
二人の間に何か有ったのではないか? と、危惧するレオは茜の「レッドバロンに来づらくなる」という言葉を思い出し、気が気ではなかった。
レオの心配をよそに、砂船は『熱砂回廊』へと近づき、マストの上に登った物見が京子とテレサを視認した。
「二人が見えて来たぞ!! 右舷前方!!」
物見の大音声が聞こえると、ガルタイ族も『チーム茜』の面々も一斉に右舷へと駆け寄った。しかし、茜は依然としてマストに寄りかかったままだ。そんな茜を気にして、レオだけは茜の傍に居ることを選んだ。
やがて……。
「どっちが先頭だ!?」
「……あ、赤!! テレサさまが先頭だ!!」
ガルタイ族の誇らしげな声が声が聞こえてきた。その声に、茜がピクリと反応する。
そして……。
「勇者さまもやるじゃねーか!! ピッタリ追走してやがる!!」
勇者を讃える声が聞こえると、茜は思わず駆け出していた。茜は居並ぶ屈強な男たちを押し分けて船べりから身を乗り出した。
茜の視界に砂漠を縦断する『熱砂回廊』が飛び込んでくる。
白く輝く『熱砂回廊』の中心を先頭切って走っているのは赤色の競技服を纏ったテレサだった。そして、その真後ろに青色の競技服を着た京子が続いている。
「行け!! テレサさま!!」
「頑張れ!! 勇者さま!!」
「ウッヒャー!!」
様々な声援や歓声が船上を飛び交う。
茜は思わず、「行け!! 京子!!」と叫びそうになった。しかし、喉元まで出かかった声を、寸での所で呑み込んだ。
茜の頭の中に「アンタと絶交する」という京子の言葉が去来する。
──今さら……どの面下げて応援するんだよ……。
茜は震える手で船べりを握りしめた。
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