「あの……。その手記……本はどんな内容なんですか?」
興味を惹かれた正義は前傾姿勢になった。
「さよう……」
ガンバルフは『バレッサリア坑道の秘密』をパラパラと捲った。
「坑道に潜む魔物の倒し方、太古に築かれた地下迷宮の正解ルートや罠の回避方法、そして、真水が湧き出る水場まで……『バレッサリア坑道』について事細かに記されておる」
「……そこまで書いたのに、二人はどうして入口がある場所を書かなかったのだろう……」
「わしが思うに……」
ガンバルフは備え付けの煙草盆に灰をポンと落とした。
「二人は入口の在処を人々に教えてはならぬと思ったのじゃろう……そう思わせる何かがあったのかもしれぬ。かと言って、自分たちの成した偉業がこのまま埋もれるのも耐え難かった……冒険者ならそう思って当然じゃ。二つの相反する気持ちから、入り口の在処を記さず、坑道の進み方のみを記した……と、わしは考えておる。まあ、全ては憶測じゃ。リルとサリアの真意は二人だけにしかわからぬ」
「……結局、本の真偽はわからないんですね……」
正義がそう言うと、今度は勇人が顔を上げた。
「ガンバルフさんはどう思っているんですか? 口ぶりだと、『バレッサリア坑道』があると思っているみたいですけど……」
「わしか? わしは『バレッサリア坑道』が実在すると思っておる。疑っておらん。何故なら……」
ガンバルフは再び『バレッサリア坑道の秘密』をパラパラと捲った。そして、あるページを開いた。
そこには火を噴く双頭の翼竜が彫り込まれた巨大な扉と、扉の前で微笑む少女が緻密に描写されている。
署名によれば、描いたのはサリアであり、『地底湖のほとり近くにて。リルと共に』と記されている。扉の前の少女はリルなのだろう。
「かつて、わしが勇者と共に古代遺跡『ラ・サ』を目指したことは話したな? その当時、『ラ・サ』も伝説上の古代都市で、その存在は確認されておらなんだ。わしや勇者たちがその存在を証明したのじゃ。わしが初めて『ラ・サ』に足を踏み入れた時……壊れかけた王宮の扉に、この絵と全く同じ双頭の翼竜の紋章を見たのじゃ」
ガンバルフは本に描かれた扉の紋章を指さした。
「もし、リルとサリアが『ラ・サ』を発見していたなら、『バレッサリア坑道』の時と同様、見つけたと発表だけはしていたはずじゃ。しかし、そういった記録は無い。つまり、二人は『ラ・サ』を発見しておらぬ……それなら、どうして『ラ・サ』を知らぬサリアがこの紋章を描けたのか? それは、この絵に描かれた扉が実在したからじゃ。『バレッサリア坑道の秘密』はデタラメの創作なんぞではない。れっきとした紀行文じゃ」
ガンバルフが正義と勇人を見ると、二人の瞳は冒険譚を聞いた幼い子供のように輝いている。ガンバルフは満足そうに頷いて、目を細めた。
「伝説上の『ラ・サ』が実在したなら、『バレッサリア坑道』も実在する。そして、『ラ・サ』と『バレッサリア坑道』には何がしかの関係がある……わしは、そう睨んでいるのじゃ」
話を締めくくると、ガンバルフは『バレッサリア坑道の秘密』を正義に手渡した。
「……ガンバルフさん、どうしてこの本を俺たちに渡すんですか……?」
「……それはじゃな……」
ガンバルフは再びキセルに火を点け、煙を燻らせる。
「わしは明日、『ラ・サ』と『バレッサリア坑道』の関係性をさぐりに『ラ・サ』まで行って来る。わしが戻って来るまでの間、預かってて欲しいのじゃ」
──は?
正義と勇人はガンバルフの言っている意味が理解できず、思わす顔を見合わせた。
明日はメヴェ・サルデの坑道を見に行く大事な日だ。
もう一度考えてみるが、明日は大事な日だ。それに間違いはない。グレイやジョルジュ、茶飲み友達のドグだってガンバルフが一緒に来るものだと思っている。
しかし……。
「なに、わしのことは心配するでない」
目の前の大賢者はメヴェ・サルデより古代遺跡が気になるらしい。
明日がよほど楽しみなのか、ガンバルフは鼻歌でも歌うようにラップもどきを披露した。
「お主、坑道♪ わしは行動♪ 行くぜ暴走♪ チェケラッ!!」
──何を言ってるんだ? この爺さん、正気か?
正義と勇人の輝いていた瞳からフッと光が消えた。
× × ×
翌朝、正義と勇人が目覚めると、ガンバルフはすでに出発していた。聞けば、ガンバルフは黄泉の国から羽の生えた漆黒の馬を召喚し、颯爽と駆け去ったという。
ガンバルフの旅立ちはすでにレッドバロン一行にも知れ渡っている。その突飛な行動に、ガンバルフの茶飲み友達であるドグは腰を抜かしていた。
結局、ガンバルフはガンバルフ。正義たちを無責任に召喚した大賢者のままだった。
「なあ、正義。ガンバルフさん……敬と似てると思わないか?」
カフェテラスで朝食を取りながら勇人が呟いた。
確かに、ガンバルフの予測不能な行動は敬に似ている。
「ああ。もしかしたら、敬みたいなヤツじゃなきゃ、ガンバルフさんのような大魔法使いになれないのかもな」
頷きながら正義は呆れ気味に笑った。そして、カフェオレに似た乳白色の冷たい飲み物を飲み干して勇人を見る。
「ガンバルフさんはきっと、もう俺たちに危険が無いと判断したから、旅立ったんだよ」
「そう願ってるよ」
「今は、勇人の蒸気機関が排水機として応用されることだけを考えようぜ」
「ああ、わかった」
爽やかな笑顔を見せ、勇人は食事を続けた。
今日が勝負だ……。と、決意を新たにしながらも、正義はガンバルフの冒険に思いを馳せた。
ビフレスト山脈の最奥。
人知れず眠る古代遺跡で、巨大な扉を見上げるガンバルフ……。
伝説に挑むガンバルフを想像すると、正義の胸は少しだけ踊った。
× × ×
広場にはレッドバロン一行の他に、メヴェ・サルデの鉱夫や技術者、そしてその家族と思しき数十人の人たちが集まっていた。
集まった人たちは、誰も彼もがその顔に緊張と不安を浮かべて、正義と勇人の顔色を窺っている。きっと、昨日のウエイターのように勇者を恐れているのだろう……。
「みなさん、よくお集まりくださいました。それでは、これから坑道へ行き、浸水状況を確認します」
甲冑に身を包んだサリューが配下の兵士たちを引き連れて広場に現れた。サリューは軽装の甲冑だが、兵士たちは分厚い鎧兜を着込み、弩や斧、槍、盾を持っている。
「サ、サリューさん。これは……?」
兵士たちの重装備に驚いて正義が尋ねた。
サリューは振り返って兵士たちを紹介した。
「勇者さま、彼らはメヴェ・サルデの戦士たちです。坑道から人の火が消えて久しくなります。今はどんな魔物が棲んでいるか……見当もつきません。わたしと兵士たちで勇者さまをお守り致します。そういえば……ガンバルフ殿はどうなされたのですか? お姿が、お見受けできませんが……」
サリューは正義たち勇者一行を見渡した。
思い立ったが吉日で、『ラ・サ』に行っちゃいました。なんて伝えたら、サリューはどんな顔をするだろうか……。大事な時に居なくなった大魔法使いのせいで、正義は赤面した。
「……それは……」
恥ずかしさで言い淀んでいる正義の脇腹を、勇人が肘で突いた。その顔は「お前が説明しろ」と言っている。
「……ガンバルフさんは『ラ・サ』に行っちゃいました……」
「えっ!? 『ラ・サ』に!? え!? 今日?? 本当に??」
『メヴェ・サルデの復興は成ったようなものじゃ!!』と宣言したガンバルフが居ないのだ。驚いて当然だ。
信じられないのか、サリューは瞳を大きく見開いて正義を見る。
「大事なことなのでもう一度、聞きますけど……勇者さま、ガンバルフ殿は『ラ・サ』に……」
「行っちゃいました」
「そうですか……行っちゃいましたか……戦力として期待していましたが、仕方ありません」
「サリューさん……申し訳ございません」
「勇者さまが謝ることではありませんよ……」
ようやく信じたのか、サリューは苦笑いを浮かべた。
「では、気を取り直して……坑道へと参りましょう!! みなさん、油断なさらないように!!」
サリューは剣の束を握ると、みんなを先導して歩き始めた。
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