天幕に入ると、焚きこめられた甘い香の薫りが鼻孔をくすぐる。
中は思ったよりも大きく、中央には黒地に赤でサソリの文様が縫い込まれた絨毯が敷かれている。そして、その奥には巨大な木の台座が置かれてあり、その上で一人の女性が横たわっていた。
女性は目鼻立ちのハッキリした美女で、真っ赤な髪を纏めてアップにしており、そこに煌びやかな簪を幾つも付けていた。
女性は肩に薄いベールをかけ、肘掛に身体を預けている。そして、片手に鉄製の細長い煙管を持ち、気怠そうに紫煙を燻らせていた。
台座の左右には精悍な面構えの戦士たちが並んでおり、茜たちを案内した戦士は女性に黙礼すると、その列に加わった。
戦士がその場を退くと、バッバーニが絨毯の中央まで進み出た。
「サーシャ・アディールさま、こちらが以前お話した勇者さまでございます。勇者さまよりお話が有るとのことで、こちらまでご案内いたしました。お疲れのところ恐縮でございますが、何卒、お二人の話をお聞き届けください」
バッバーニが丁寧に挨拶すると、サーシャは億劫そうに上半身だけを起こした。
サーシャはザハの女性たちと同様に、ベリーダンスの衣装と似た格好をしている。薄いベールが起き上がる動作に合わせて落ちると、その褐色の肌が露わになった。
サーシャの引き締まった身体には、兵士たちと同じく炎をモチーフにした刺青が施されている。
トン。
サーシャが煙草盆に灰を落とすと、腕に付けられた金色の腕輪が軽く揺れた。その腕輪にはラピスラズリのような青色の美しい石が嵌め込まれている。
「そなた達が……勇者かえ?」
サーシャは低い声で言うと、茜と京子を見た。
「ああ、ウチは高橋茜、コイツが伊藤京子。ガンバルフの爺さんに召喚された勇者だ。今日は話が有ってアンタの所まで来た」
「……このわらわをアンタ呼ばわりするとは……今時の勇者は礼儀作法を知らぬと見える。どうなっても知らぬぞ……」
呆れ気味に笑いながらサーシャが呟く。
茜と京子にはその声色が外の熱気とは真逆の、冷気に満ちたもののように感じられた。言い知れぬ緊張感が茜と京子を包みこんだ。
京子は心配そうな顔で隣の茜を見た。すると、茜の口の端がニヤッと上がった。
「寝転んで客を迎えるようなヤツに礼儀作法がどうのこうのなんて言われたくねーよ」
「……くっくっく。それは失礼したな。わらわが非礼であった。勇者よ、許せ」
サーシャは小気味良さそうに笑うと、姿勢を正して立ち上がった。
「「……!?」」
立ち上がったサーシャを見て茜と京子は息を呑んだ。
サーシャが態勢を崩していたせいで気づかなかったが、サーシャはかなりの巨躯を有していた。頭上が天幕の天井に付きそうなほど、サーシャは身体が大きい。砂漠の兵士たちもサーシャの前だと子供に見える。
サーシャは茜と京子を見下ろして腕を組んだ。
「さて……わらわに何の話か? くだらぬ申し出ならば……勇者と言えども砂漠の塵にするぞ」
サーシャは静かに残虐な言葉を並べた。すると、それを聞いていたバッバーニの口元が微かに綻んだ。それは陰湿な笑みだった。しかし、バッバーニの些細な変化など誰も気づかない。
バッバーニは勝ち気な茜がサーシャと対峙するなら、きっと揉めるだろうと考えていた。バッバーニはバロンプリンの時に受けた屈辱の意趣返しを目論んでいたのだ。
バッバーニは狭量な大人の代表で、バロンプリンの一件で茜にやり込められたことを深く根に持っている。
きっと茜はサーシャやガルタイ族の迫力に驚き、挫け、泣き出すだろう……。そう期待していたバッバーニは予想通りの展開にほくそ笑んでいた。
しかし……。
「いちいち脅してんじゃねーよ」
聞こえてきた茜の声に、バッバーニの目は驚愕で見開かれた。
バッバーニだけではない。
筋骨隆々としたサーシャに凄まれ、その剣幕に呑まれようとしていた京子は隣から聞こえて来た茜の声に耳を疑った。隣を見ると、茜は怯むどころか、真っすぐにサーシャを見つめている。
「テメーは凄むことしかできねーのか?」
サーシャを見上げる茜は余裕の笑みを崩していない。それどころか、その笑みを嘲笑に変えてサーシャや周りの戦士たちを見回した。
「砂漠を支配する勇壮な部族って聞いてたけど……ウチと京子を武器を持って取り囲んで脅すヘタレ部族じゃねーか!!」
「な、なんだと!?」
茜の侮辱が堪えたのか、数人の戦士が腰の剣に手をかけた。
「ちょ、ちょっと茜!!」
京子もその顔に焦りを浮かべて茜の手を引いた。無鉄砲な茜のせいで状況は悪化するばかりだ。
しかし、茜の悪態は止まらない。
「お前ら、女子供相手に凄むしか能が無いんだな……砂漠の勇士が聞いて呆れるぜ!!」
「も、もう容赦しねぇ!!」
そう言って戦士の一人が剣の束を握った。
戦士は剣を抜き、その切っ先を茜へと向けた。しかし、茜に怯む様子は無い。逆にその兵士を睨みつけながら口を開いた。
「こういうところが、ヘタレなんだよ」
茜の鋭い視線に兵士はたじろいだ。
「なあ、サーシャ。アンタは話をしに来た相手に向かって剣を向けるのか?」
そう言って、茜は気迫の宿った眼差しをサーシャに向けた。
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