『ビンスはかく語りき』
バルザック王国の西の果てには『斃れた貴婦人の傘』と呼ばれる、年中火山灰が舞う、枯れ木と岩だけの不毛な山岳地帯が広がっています。そして、その山岳地帯を越えてさらに進むと、ゼノガルド帝国と呼ばれる魔族の国家があるのです。
魔族は外見が人間と似ています。ですが、体格が非常に良く、中には額に角を生やし、背中に羽や細長い尻尾を持った者もいます。そして、トロルやセイレーンといった魔物と意思疎通ができるのです。
わたしたちは彼らを『災厄をもたらす種族』……つまり、魔族と呼びますが、彼らは自分たちのことを翼竜族と呼んでいます。
え? 彼らはわたしたちをなんて呼んでいるかですって? ……彼らはわたしたち人間を愚族と呼びます。『同胞同士で争う愚かな種族』……だから愚族だそうです……酷いですよね。
さて、バルザック王国とゼノガルド帝国の間では、遥か昔から諍いが絶えませんでした。『斃れた貴婦人の傘』にも昔は緑あふれる豊かな王国が栄えていたみたいですが、バルザック王国とゼノガルド帝国の戦争に巻き込まれて滅んでしまったそうです。
古の叙事詩によると、その王国を治めていたのは美しい魔法使いの女王で、国が滅ぶ間際、国土に呪いをかけて荒廃させたそうです。それから『斃れた貴婦人の傘』と呼ばれるようになったとか……きっと、バルザック王国にもゼノガルド帝国にも国土を利用されたくなかったのでしょう。
今となっては叙事詩の真偽はわかりません。ですが、荒れ果てた山岳地帯を、バルザック王国もゼノガルド帝国も領有しなかったのは事実です。
バルザック王国とゼノガルド帝国は『斃れた貴婦人の傘』と接する国境沿いに延々と続く長城を築きました。『斃れた貴婦人の傘』を挟んで、お互いの侵入を警戒したのです。
『斃れた貴婦人の傘』が緩衝地帯となってくれたお陰で、数百年の間は軍事衝突が起きませんでした。その間に、バルザック王国とゼノガルド帝国は交流を図り、使節団の行き来や商人による交易も行われました。
それはもう、平和な時代が過ぎていったのです……ところが、30年前……突如としてゼノガルド帝国はバルザック王国へと侵攻して来ました。
きっかけですか? それは未だに不明とされております。ですが……囁かれていた噂がございます……。
当時、ゼノガルド帝国には若くて聡明な皇帝が君臨していました。その皇帝には、これもまた美人で才気煥発な妹がいました。その妹がバルザック王国への遊学中に消息を絶ったのです。妹はバクラマカン砂漠にある古代遺跡を見学中に忽然と姿を消したそうです。
バルザック王国で妹が行方不明になった……悲嘆に暮れるゼノガルド帝国の皇帝は、その悲しみを癒すように「バルザック王国に責任を取らせる!!」と怒りの軍を発した……そう噂話は物語っています。しかし、全ては噂話です。バルザック王国への侵攻が皇帝の個人的な感情によるものなのか、はたまた他に何か事情があったのか……真相は今もってわかっておりません……。
え!? 勇者さまがいつ出て来るかって?? も、もう少々お待ち下さい……。
ゼノガルド帝国軍は『斃れた貴婦人の傘』を抜け、バルザック王国の長城を急襲し、電光石火で領内へと侵攻してきました。
長年の平和に慣れ、防備を怠っていたバルザック王国は、不意を突かれてひとたまりもありませんでした。防衛線は次々と突破され、一時はザハまで陥落しました。バクラマカン砂漠を押さえたゼノガルド帝国軍は王都バルティアまで迫ります。
ちなみに、当時のわたしは20代半ばでレッドバロンの町長補佐を務めておりました。これはちょっとした自慢なのですが、レッドバロンは今までに外敵の侵入を一度も許したことがありません。
ザハが陥落した時も、レッドバロンだけはガンバルフ先生の活躍もあって、持ち堪えていたのです。わたしも徹底抗戦を叫んで、獅子奮迅の働きをしたのですよ!!
……ええ、わたしの話など、どうでも良いですよね……続けます……。
ゼノガルド帝国軍が王都バルティアまで迫ると、王府は勇者の召喚を議会一致で決めました。ついに、「勇者を召喚せよ」との王命がレッドバロンで孤軍奮闘するガンバルフ先生に下ったのです。
そして……。
ガンバルフ先生はみなさんが召喚されたあの聖堂で、勇者を召喚しました。
それが……。
先の勇者さまにして、バルザック王国の現女王。
若槻優香さまなのです。
× × ×
話がひと段落すると、ビンスはお茶をゴクゴクと飲み干した。
「じゃあ……若槻優香さんは戦争の真っ最中に召喚されたんですか?」
沙希が尋ねるとビンスはコップに新たなお茶を注ぎながら頷く。
「ええ、そうなります。当時、バルザック王国はかなりの劣勢で、王都バルティアもゼノガルド帝国軍に包囲されかかっておりました。敗色が濃厚となっては、勇者さまにお頼りするしか方法が無かったのです……」
「でも……ビンスさん……」
小さな声で言いながら、佳織が顔を上げた。
「戦争中に召喚されるなんて、若槻さんかわいそうだよ。いきなり召喚されて、『戦え』って言われたんでしょ……そんなの……無理だよ……。しかも、たった一人で……」
若槻優香の心情に想いを馳せて佳織は眉を寄せた。
家族や友人と離れ離れになり、たった一人であの聖堂に立った若槻優香。その孤独と悲しみはどれほどだっただろうか? そう考えると、佳織は胸が痛かった。
「……そうだよね……。わたしたちを召喚した時も無責任に感じたけど……ちょっと次元が違う」
沙希と佳織は、どこか非難する眼差しでビンスを見た。
「確かに、わたしたちは自分たちの戦争に全く関係のない優香さまを巻き込んでしまいました。お二人が仰るように、優香さまには酷いことをしたと思っています。……それではお尋ねいたしますが、勇者さまの世界には戦争が無いのですか?」
「そんなのありませ……」
言いかけて沙希は言葉を失った。
確かに、沙希や佳織の日常に戦争の影はない。しかし、スマホやパソコンの画面の向こうには、いくらでも戦争の断片があふれている。
銃を掲げて神の名を叫ぶ人たち。大地を揺るがせて進む戦車。轟音で空を威圧する戦闘機。大海にそびえる空母。そして、平和を呼びかけながら戦争を始める政治家。
そして……。
砲撃で爆破された線路。爆撃で破壊された住宅街。逃げ惑う人たちに、一人取り残されて泣き叫ぶ子供。寒空の下で食料を求める長蛇の列と、彼らに食料を配給する銃を担いだ兵士。
スマホやパソコンの画面の向こう側。その切り取った情報のどれもが、戦争の輪郭を教えている。戦争を目の当たりにしてその恐怖と混乱を実感していないだけで、世界では戦争や紛争が絶え間なく続いているのだ。誰が戦争なんて無いと言えるだろうか。
沙希は何も言えずに俯いた。隣では佳織も同じことを考えたのか、無言で肩を落としている。
「……勇者さまの世界にも、戦争はあるのですね……」
二人の沈黙を見て、ビンスはそう結論づけた。
「戦争は殺し合いです。家族や友人が殺されるのです。負ければ全てを失うのです。勇者さまたちだって……自分だけでなく、家族や友人も殺されるとなったら……救世主を求めるのではないですか?」
「「……」」
沙希と佳織は何も言えなかった。
勇者、救世主、神……呼び方なんて本当はどうでも良い。
命に危険が及ぶ切羽詰まった状況になれば、誰だって危機を打破する存在に救いを求めるだろう。縋りつく相手が何者かなんて、二の次だ。
バルザック王国が若槻優香を召喚したことは褒められない。けれども、当事者でない沙希と佳織にはバルザック王国が「悪い」とも断じられなかった。もし、自分たちがバルザック王国の人間だったなら、戦争を止める勇者の召喚を願ったかもしれないのだ。
深刻な顔つきで黙り込む沙希と佳織を見て、ビンスは額に汗を浮かべた。
「も、もちろん、沙希勇者さまや佳織勇者さまを無計画に召喚したことは反省しております。……ですが、当時の我々の苦境も少しは理解して欲しかったのです……」
申し訳なさそうに言葉を並べ、ビンスは沙希と佳織のコップにもお茶を注ぎ足す。
「あ、あの……」
再び佳織が小声で手を上げた。
「はい、なんでしょう? 佳織勇者さま……」
「召喚された後……若槻さんはどうなったんですか?」
「……それでは……」
催促されると、ビンスは椅子に深く腰をかけ直した。
「続きをお話しいたしましょう……」
ビンスは静かに目を閉じると、瞼に浮かぶ遠い記憶を語り始めた。
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