再び長い坑道を抜けて地上に顔を出すと、メヴェ・サルデの町はすでに薄暗くなっていた。メヴェ・サルデは洞窟の中にできた巨大なドーム型の町だ。けれども、天井や外壁に点在する魔導石が太陽と連動するため、町は薄暮の様相を呈している。
正義たちは人影がまばらな広場に再集結した。
ゲオルグや兵士たちからは大任を果たした充足からか、笑顔がこぼれている。そして、メヴェ・サルデの技術者や鉱夫たちはジョルジュ、グレイ、ドグたちと互いに労いの言葉をかけ合っていた。
「「サリューさん、今日はありがとうございました」」
正義と勇人がそろって頭を下げると、サリューは微笑んで手を差し出した。
「こちらこそ、これからもよろしくお願いします。勇者、アボー」
正義と握手を交わしながら、サリューは勇者の名前を呼んだ。どうやら、サリューまでもが正義の名前をアボーだと思い込んでいる。
「ちょ、ちょっと待って下さい!!」
正義は慌てた。考えてみれば、正義と勇人はサリューと正式な挨拶を交わしていない。ずっと、勇者という代名詞に頼りきりだったのだ。遅ればせながらその事実に気づいた正義と勇人はあらためて自己紹介をした。
「俺はアボーじゃなくて、前田正義と言います」
「俺は須藤勇人です」
朗らかな声で挨拶する二人を見て、サリューの頬が緩む。
「ではあらためまして……わたしはサリュー・ドラモンドと申します。正義勇者に勇人勇者、どうぞよろしくお願いいたします」
「「よろしくお願いします!!」」
正義と勇人はサリューと再び固い握手を交わした。一時はサリューを疑っていた勇人も、今は心からサリューを信頼して握手を交わしている。
「サリューさん、俺たち明日また市庁舎へお伺いします」
「はい、お待ちしております。勇者さま、今日はゆっくりお休みください」
正義と勇人は明日の再会を約束してサリューに別れを告げた。
メヴェ・サルデ坑道への探訪は、『揚水機関』という新たな希望を見出し、世迷人との遭遇で幕を閉じた。
× × ×
ホテル『グラスゴー』へと戻った正義と勇人は部屋に入るとベッドに突っ伏した。
見知らぬ世界で勇者として行動する……どこかで緊張していたのだろう。その緊張の糸が切れたとたん、蒸し暑くて長い坑道を延々と歩いた疲れが、纏めて襲ってきた。
「……勇人、先にシャワー使っていいぞ」
「……アボーが先でいいよ」
「……」
またアボーと呼ばれて腹が立ったが、言い返す気力も無い。正義は疲れ果てた身体を強引に引き起こした。
「じゃあ、先に使うぞ……勇人も入ったらメシ、食いに行こうぜ」
「……わかったよ、アボー」
「……」
正義はシャワールームへと向かった。
その時。
ドレッサーの上に置かれた『バレッサリア坑道の秘密』が目にとまった。
──……ガンバルフさん……。
正義は古代遺跡『ラ・サ』に旅立った無責任な大賢者を思い出した。
× × ×
熱いシャワーを浴びると、汗や泥と一緒に疲れも幾分か流れ去ったように感じる。正義はレッドバロンから持ってきた町人風の服に着替え、ドレッサーの前に座った。入れ替わりに、勇人が重くなった足を引きずってシャワールームへと向かう。
正義は目の前に置かれた分厚い本に視線を落とした。
──『バレッサリア坑道の秘密』……。
正義はざらざらとした茶色い革表紙を捲った。そこには入り組んだ坑道の地図や説明が挿絵付きでぎっしり書き込まれている。
冒険者たちの記録を眺めていた正義はふと、思いついた顔つきになった。
──もしかして……。
正義は本の後ろを確認した。すると、そこには索引が設けられている。
──よ、よ……よ……あ、有った!! 世迷人!!
正義は『よ』の項目に世迷人を見つけると、表示されているページを捲り、読み始めた。
世迷人について書いたのはリルだった。
× × ×
112頁
第18層の主要坑道から斜坑に逸れ、更にそこから竪穴を下った所で世迷人と遭遇する。幸運なことに彼らの咆哮をサリアが聞いたので、わたしたちは隠れてやり過ごすことができた。
彼らは『バレッサリア坑道』の扉を守る番人だ。
彼らに出会ったならば気をつけなければならない。
彼らは不吉の前兆だ。
× × ×
──不吉の前兆……。
確かに世迷人の姿は不吉そのものだった。正義は脳裏に世迷人の姿がよぎり、生唾を飲み込んだ。
「真面目に読書か? メシ食って寝ようぜ」
シャワーから出た勇人が正義に声をかける。
「……世迷人について調べてたんだ」
「なんでだよ?」
勇人はバスタオルで頭を拭きながら、呆れて笑った。
「ほら、サリューさんも世迷人は『門を守る番人』って言ってただろ? 気になって調べてみたんだ。ほら、ガンバルフさんに見せてもらった『翼竜の紋章』が彫り込まれた扉の絵……これが『バレッサリア坑道』の入口なら、世迷人はこの扉を守ってるんだよ!!」
正義は扉が描かれたページを開いて勇人に見せた。
「やけに熱心だな……まさか、探してみようとか思ってんじゃないだろうな?」
「え!? んなワケねーだろ!! あれだけ怖い思いをしたんだぞ!?」
「だよな……でも、その本どうするんだ? さっさとガンバルフさんに返さないと……敬が見つけでもしたら、『ロマンじゃないか!!』とか言ってまた消えるぞ?」
「確かに……敬なら有り得るな……」
正義は魔法使いの格好で札幌までコスプレイベントに出かけた敬を思い出して笑った。
そういえば……。
敬、佳織、そして沙希は今頃レッドバロンでどうしているだろうか? 茜と京子は無事、バッバーニを説得できただろうか?
そして……。
「ガンバルフさん、まだ帰って来ないのかな……」
正義は『ラ・サ』に向かったガンバルフの厳めしい顔を思い浮かべた。
「ガンバルフさんは無責任だけど、無敵の魔法使いだから大丈夫だよ……心配してないでメシ、行こうぜ」
「……そうだよな」
正義は頷いて立ち上がり、勇人と共にカフェテラスへと向かった。
× × ×
正義と勇人がカフェテラスに着くと、ちょうどジョルジュ、グレイ、ドグも夕食を取るところだった。五人は一緒になってテーブルを囲んだ。
揚水機関という希望が見つかった今は疲れも心地良い。それに、敬が路銀を稼いでくれたおかげで、目の前には豪華な食事が並んでいる。みんなは談笑しながら空腹を満たしていった。
しかし……。
しばらくすると……。
「ガンちゃんには本当に困ったもんじゃワイ!!」
肉汁滴るステーキをガツガツと頬張りながらドグが言った。ドグの言うガンちゃんとはガンバルフのことである。
「勝手に出かけて、まだ帰らんとは……大魔法使いの名が聞いて呆れるワイ!!」
ドグは口に詰め込んだ肉をメヴェ・サルデ産のエールで流し込むと、ジョッキを勢い良くテーブルに置いた。ダン!! というジョッキの着地音と共に、テーブルに置かれた食器が揺れる。
「まあまあ。ドグ爺、そう怒りなさんな。ガンバルフさんは今頃、『ラ・サ』の探検を終えてこっちへ向かってるはずだ」
「ボクもそう思う。ガンバルフさんは明日にはきっと戻って来るよ!!」
ジョルジュとグレイは赤ら顔のドグを宥めた。
「帰って来んかったら、置いて帰ればいいワイ!! その方がガンちゃんも頭が冷えて少しは態度が改まるかもしれんワイ!! そもそもガンちゃんは……」
「まあまあ……ドグ爺、今日はこのくらいにしとこうじゃないか」
ジョルジュが気炎を上げるドグに近づき、肩を組む。
「さあ、ドグ爺、そろそろ部屋へ戻ろう」
「わしはまだ飲むワイ!! 今日だって長き坑道を踏破したのじゃ!! まだまだ若いワイ!! まだまだ飲めるワイ!!」
「それはよしといた方がいい。明日はドグ爺の鋭い考えが頼りなんだ……明日に響くとマズイ」
「ム……そうじゃったワイ。明日はわしの優秀な頭脳が必要なんじゃったワィ……」
「そうそう。さあ、部屋に戻ろう……」
ジョルジュは荒れるドグに慣れているのか、宥め賺しながら席を立った。
「勇者さま、お先に失礼するよ。おやすみ」
ジョルジュは小声で言うと、ドグを連れてカフェテラスを後にした。
そんな二人の背中を見ていたグレイが苦笑いを浮かべる。
「ドグ爺、ああなったら長いんだよね。でも……ドグ爺の言う通り、ガンバルフさんが帰って来なかったらどうするの? 置いてくの?」
グレイに尋ねられ、、正義と勇人は顔を見合わせた。
予定では明日、市庁舎でサリューやメヴェ・サルデの技術者たちと打ち合わせをする。その打ち合わせを終えたらレッドバロンへと戻るのだ。その時までにガンバルフが戻って来なかった場合はどうすれば良いのだろうか。
「今、ガンバルフさんのことを心配してもきりがない。俺たちは俺たちで、今できることをするしかない……と、思う……」
勇人は正義に言ったことと同じことを言った。
「……確かに、勇人の言う通りだよね。じゃあ、ボクは戻って高熱と高圧に耐えられる紋章を考えるよ!! じゃあ、勇人、正義、また明日!!」
紋章師のグレイはそう言って席を立った。
グレイがいなくなると、急に静かになった気がする。正義と勇人は人の減ったテーブルを黙って見つめていた。
「なあ……勇人……」
正義がポツリと口を開く。
「なんとなくなんだけど……ガンバルフさん……帰って来ないんじゃないかな?」
「……実は……俺もそう思う」
ガンバルフが戻って来ない確証があるわけではない。しかし、二人とも何故か嫌な予感を覚えていた。
それは、『バレッサリア坑道の秘密』で、『世迷人は不吉の前兆だ』という一説を読んだからかもしれない。
「……正義、この話はやめようぜ」
そう言って勇人が立ち上がると、正義も頷いて席を立つ。二人は足並みを揃えて自室へと戻って行った。
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