なんと、優香さまの腰まで伸びていた美しい髪がバッサリと無くなっていたのです。驚いた将校たちは慌てふためいて騒ぎ立てました。
「どうされたのですか!?」
「カインハートが無体を働いたのですか!?」
「乙女の髪を奪うとは、カインハートはどこまで卑劣なのだ!!」
と、将校たちはカインハートを罵ります。彼らにとって、神格化された優香さまの髪を奪うなど、言語道断の行為なのです……。
優香さまは矢継ぎ早の質問に首を振り、「自分で切った」と仰って静かに笑ったそうです。その顔はどこか清々しく、憂いが晴れた様子だった……。と、陣中の書記官は書き記していました。
ちなみに……。
短髪となって帰って来た優香さまは、すぐにその髪を綺麗に整えました。その髪型は「ぼぶかっと」と言うらしく、バルザック王国の女性たちの間で大流行……失礼いたしました……お話を続けます……。
優香さまは居並ぶ将校たちに向かって宣言しました。
「停戦は約束された。今後、ゼノガルド帝国軍が『斃れた貴婦人の傘』に進軍することは無い。バルザック王国軍もまた、『斃れた貴婦人の傘』へは進軍しない」
優香さまは昔のように『斃れた貴婦人の傘』を緩衝地帯と取り決め、カインハートと停戦の約束を交わしたのです。
しかし、一部の将校は「何を以って停戦の確約となさるのですか?」と停戦に懐疑的でした。そこで、優香さまは馬荷から布に包まれた、円筒の細長い箱を取り出しました。その箱を開けると、中から鞘に納められた剣と茶封筒が出てきたのです。
剣には美しい装飾が施されており、みんな一目で宝剣だとわかりました。
剣の持ち手の後部には竜頭を模した見事な刀剣装具が付けられ、鍔は龍の翼を模しています。そして、鞘には龍が爪を立てて握るかのような装飾が施されていました。どの細工も見事で、剣を見た将校たちは思わず嘆息したそうでございます。
茶封筒の方は、バルザック王国軍の将兵へ宛てたカインハートの親書でした。封筒こそ、簡素なものでしたが、封蝋にはゼノガルド帝国の紋章が入った印璽が使われています。
優香さまは、みんなの前でナイフを封蝋の下に差しこみ、開封して手紙を取り出しました。そこにはこう書かれていたのです。
× × ×
『バルザック王国軍の全将兵に告ぐ』
勇者の帰還を信じつつも、その憂慮と焦燥はいかばかりであったろうか。まずは、無下に勇者を呼び出した非礼をここに詫びるものである。しかし、余は勇気ある『バルザックの乙女』を刀光剣影で迎えるほど、無粋でも、ましてや臆病でもない。
貴君らが余の策謀に怯えるのならば、それは自身の影に怯えたにすぎぬ。貴君らは奸計によって、余が師父と慕う大魔導士カルマンを葬り去ったのだ。それだけは忘れてならぬ。
勇猛果敢な余の軍隊も、忠勇無比のバルザック王国軍も、互いに多くの血を流した。これ以上の流血は余も望むところではない。
軍旅を退けたいとバルザック王国軍が願うのであれば、余もまた、ここに剣を捨て、勇者の手を握るであろう。
停戦の約定は確かに成った。その証として、ゼノガルド帝国の神器である神剣ミスリルレインを勇者である若槻優香に贈るものなり。
ゼノガルド帝国 皇帝
シュトラス・カインハート
× × ×
ゼノガルド帝国に伝わる神剣ミスリルレインは、バルザック王国の絵本にも出てくるほど有名です。
将校たちは驚愕しました。さらには「向こうが証として神剣ミスリルレインを渡すのなら、こちらは何を差し出したのだろうか?」と想像しました。そして、優香さまの髪が短くなった理由に思い到ったのです。
優香さまはその美しい髪を切り。自身の誠実を証明なさったのです。
わたしたちの世界では、『髪は乙女の命』と言われております。髪には神霊が宿ると考えられ、髪型で地位や権威を表すこともございます。
勇者である優香さまが髪を切ってまで誠意を示した以上、将校たちは何も言えませんでした。それに、ゼノガルド帝国も国宝である神剣ミスリルレインを差し出したのです。誰も停戦に反対しませんでした。
優香さまは長城に守備隊だけ残して、全軍を撤兵させようとしました。しかし、そこへ王府から急使がやって来ます。
「直ちに長城を出撃し、『斃れた貴婦人の傘』を突破してゼノガルド帝国に攻め入れ」
と、王府の使者は告げました。
優香さまは驚いて、ゼノガルド帝国との停戦が結ばれたこと、これ以上の戦いが無用であることを王府に伝えました。しかし、王府は聞く耳を持ちません。
きっと、王府のヒネモス国王や議会の連中は、相次ぐ戦勝報告に浮かれて感覚が麻痺していたのでしょう。失地を回復しただけでは満足せず、ゼノガルド帝国への侵攻を望んだのです。
いつの時代も、自分だけは安全な場所で、椅子にふんぞり返っている人が、戦争を決めるのです。
困り果てた優香さまは、自ら最高司令官の職を辞めようとなさいました。最高司令官の職を退けば、戦争の継続が困難だと考えたのです……確かにその通りでした。
しかし……。
最高司令官を辞任しようとなさる優香さまに、王府が激怒します。
せっかく戦争に勝っているのに、これ以上戦わないとは何事か。上級大将の地位を与えた恩も忘れたのか。カインハートを捕まえられたのに逃がすとは、勇者はゼノガルド帝国と繋がっているのではないか。勇者は裏切った、勇者は反逆者だ……優香さまは散々な言われようでした……。
優香さまの活躍をその目で見ていない王府の連中にとって、優香さまは自分では戦えない非力な少女のままでした。
ゼノガルド帝国軍に勝てたのも、優香さまではなく王国軍が強かったからだ。優香さまが総司令官でなくとも勝てた……と、思っていました。優香さまを軽んじていたのです。
王府は優香さまが最高司令官を辞任する前に、最高司令官職の解任と上級大将の地位剥奪を通告してきました。優香さまが辞めたのではなく、王府が辞めさせたことにしたかったのです。
王府は勇者より権威が上であると、世間に知らしめたかったのでしょう……。自分たちの地位や面子ばかり気にするヒネモス国王と議会議員たちには呆れるばかりです。
いよいよ、王命を帯びた使者がバルザック王国軍までやって来ます。使者は高らかに宣言しました。
「勇者に反逆の疑い有り。よって、若槻優香のバルザック王国軍最高司令官の任を解き、上級大将の地位を剥奪する」
反逆者……それが、バルザック王国が優香さまに与えた最後の称号でした。バルザック王国を救った優香さまの胸中、察するに余りあります。
気丈にも、優香さまは戦争が終わるならばそれで良いと考え、この屈辱を黙って受け入れると決めたそうです。大人しくバルザック王国軍を出ようとなさいました。
しかし……。
優香さまに対する王府の仕打ちに、バルザック王国軍の将校たちが激高します。生死を共にして戦ってきた優香さまが謂れのない罪で最高司令官を解任され、軍を追放されるのですから当然です。
それに、優香さまを追放するということは、将校たちから、崇拝する『バルザックの乙女』を取り上げるということでもあります。焦った将校たちは密かに集まって重大な決断をしました……。
ある日、将校たちは「優香さまの送別会」と称する宴を開きました。しかし、優香さまが行ってみると、宴ではなく軍事会議が開かれています。
将校たちは王府からの使者や軍目付の目を誤魔化すために「優香さまの送別会」と言ったのでした。何より、軍事的な集まりだと知れば、軍を去ると決めていた優香さまは来なかったでしょうから……。
驚く優香さまに将校の一人が進み出てこう言います。
「最高司令官や上級大将の肩書は捨てられたとしても、勇者という肩書は捨てられません。多大な影響力を持つ優香さまを王府の連中は放っておかないでしょう。必ず、優香さまを恐れて亡き者にしようとします。そうなっては優香さまを信奉する兵士たちが内乱を起こし、バルザック王国は泥沼の内戦状態となります。リーハ村の悲劇が、今度は自分たちの手で繰り返されてしまいます」
この将校は『リーハ村の悲劇』という言葉を出せば、優香さまが話しを聞くと思ったのでしょう。こう言って話を結んだそうです……。
「リーハ村の悲劇を繰り返さないためにも、王府打倒の軍を挙げましょう。王府を倒して、優香さまがバルザック王国の女王となるのです。民も勇者である優香さまが女王となられるのであれば、喜んで背中を押すでしょう。我らも、優香さまを推戴して、どこまでもついて行きます。どうか、ご決断ください!!」
軍を手放して死ぬか。それとも王府を打倒して女王となるか。優香さまは究極の決断を迫られたのです。
即断を迫る将校たちの顔ぶれを見た優香さまは、その場で「王府を打倒する」と決断なさいました。
バルザック王国軍の中枢を占める将校たちは、諸侯の息子や部族長の息子たちばかりで、バルザック王国の次代を担う青年たちでした。
つまり、優香さまは次期領主や族長の協力を取りつけたことになります。その事実も、決断を後押ししたのでしょう。
優香さまの決断に歓喜した将校たちは、既に手筈を整えていたのか、即座に行動します。
使者や軍目付を捕らえ、バルザック王国軍の名前を『バルザック連合軍』と改称し、王府や国民に対して布告を行ったのです。
× × ×
布告
現王府、女神フィリスの御使いたる勇者を弑逆せんと画策す。よって、ここにバルザック王国軍は解散し、新たに勇者による正統なる軍隊、バルザック連合軍を組織す。
バルザック連合軍の目的は国民を傷つけることに非ず。奸計と腐敗に塗れた現王府を打倒し、勇者のもとに清廉なる王府を新たに樹立することこそ、その寄って立つ使命なり。
『バルザックの乙女』こそ、バルザック王国を統べるに資すると、確信するものなり。
バルザック連合軍 一同
× × ×
将校たちは布告を全国に発するとともに、捕らえた王府の使者たちを「勇者の暗殺を目論んだ」として全員、処刑しました……。使者たちが本当に優香さまの暗殺を企んだのか、今となっては不明です。死人に口なしですから……。
さて、優香さまが挙兵なさると、王府に激震が走ります。
王府の議会議員たちは「なんたる暴挙!! すぐに優香を討て!!」と騒ぎ立てますが、兵士たちは誰も言うことを聞きません。皆、勇者に弓を引くことなんてできませんでした。むしろ、王都バルティアの民たちからは優香さまを待ち望む声が上がったくらいです。
いよいよ、優香さまはバルザック連合軍を率いて長城を出ました。
王都バルティアを目指して進軍する優香さまに抵抗する者は皆無です。国民たちは『バルザックの乙女』が率いるバルザック連合軍を歓呼で迎えました。
バルザック連合軍が王都バルティアに迫ると、まず、ヒネモス国王が国外へと逃亡します。そして、議会議員たちは王都バルティアの無血開城を決め、保身に走りました。
こうして、難なく王都バルティアに入城した優香さまは、新王府の樹立を宣言しました。優香さまがバルザック王国の女王となった瞬間でした。
勇者として旅立った優香さまは、バルザック王国の女王となって帰って来たのです。
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