湿度の高い空気が重く纏わりついてくる。
正義は額から滴る汗を拭って歩き続けた。
勇人やグレイ、ジョルジュ、ドグも黙々と歩を進めている。
坑道は一車線ほどの道幅で、高さが2.5メートル位だった。進んで行くと、横道や竪穴と合流して複雑になってゆく。もし、この一団とはぐれたら一生、坑道から出られないだろう。
前方では先導する兵士たちのカンテラが揺れている。兵士たちは数名に分かれて先を進み、横道や竪穴に魔物が潜んでいないか確認していた。
「勇者さま。とんでもない所に来ちまったな……」
正義の後ろを歩くジョルジュが肩越しに話しかける。
ジョルジュは声をひそめた。
「なあ、勇者さま……ここで襲われたら……ひとたまりも無いな」
「ま、魔物にですか?」
正義はレッドバロンに来てからまだ魔物を見たことが無い。できればこのまま見ずに過ごしたい。
「いいや……あいつらにだ……」
ジョルジュは前方を歩くサリューや兵士たちに視線を送った。
「それは……」
正義は言葉を失った。
正義たちレッドバロンはメヴェ・サルデと交戦し、メヴェ・サルデ側には死人も出ている。昨日、サリューと握手したとはいえ、ジョルジュの心配が杞憂とは言い切れない。正義は不測の事態への対応が全く思い浮かばなかった。
「……」
「……すまない。余計なことを聞いちまったな……」
正義が黙りこくると、ジョルジュは無理に笑顔を作った。
「俺が言ったことは気にしないでくれ、勇者さま」
ジョルジュは正義の肩を叩くと、グレイやドグのいる後方へと戻った。
──俺はどうして、何も考えなかったんだ……。
今さらながら正義は後悔した。それと同時に暗い考えが頭をよぎる。
ガンバルフが居ない今は復讐するには絶好の機会だ。それに、メヴェ・サルデの地下深くで殺されたなら、証拠だって残らない。
──もし、兵士を連れたサリューさんが暴挙に出たら……防ぎようがない。
正義は、奥へ進む一歩一歩が急に重くなるのを感じた。
そして……。
それは勇人も同じだった。
勇人はサリューの隣を歩いている。そして、ジョルジュに言われるまでもなく、サリューの一挙手一投足に気を配っていた。勇人はサリューを完全に信用していなかったのだ。
不審がる気配を敏感に感じ取ったのか、サリューはカンテラで前方を照らしながら勇人に話しかけた。
「勇者さま、そんなに警戒しなくても、わたしは何もしません」
「別に……警戒してませんけど」
勇人は一瞬、ギクリとした顔つきになったが、声は冷静そのものだった。
「そうですか? わたしのそばにピッタリ張りついて、時々、帯剣の位置を確認しているじゃないですか。もしもの時は、わたしから剣を奪うおつもりなのでしょう?」
「……」
勇人の沈黙を肯定と捉えたのか、サリューは小さく頷いた。
「わたしが勇者さまの一行を襲ったのは紛れもない事実。一度握手したくらいで信用できないのは当然です。わたしが勇者さまのお立場なら、同じことを考えるでしょう……」
憂いを帯びた顔でサリューが言った時、前方を進むゲオルグの声が聞こえた。
「第6層が見えたぞ!! 駄目だ、水没している!!」
ゲオルグの声が響くと、瞬く間に坑道の中が騒がしくなった。
× × ×
「第6層まで水没したって!?」
「あまりにも早すぎないか!? これじゃあ、手の打ちようが……」
「俺たちの鉱山が……もうダメだ……」
ゲオルグの報告に動揺したのは、メヴェ・サルデの鉱夫や技術者たちだった。みんなは顔を見合わせ、口々に悲嘆の声を上げている。中にはその場にしゃがみ込む者まで居た。
「みなさん、落ち着いて下さい!!」
凛としたサリューの声が坑内を突き抜ける。メヴェ・サルデの人たちは一斉にサリューを見た。
「まずはプラットから大穴を覗いて、それから善後策を考えましょう!!」
サリューは動揺を見せずに坑内の奥を指差した。
微笑みすら湛えて指示する指導者の姿に、みんなは冷静になってサリューの背中を追いかけた。
正義たちは今、斜坑と呼ばれる緩やかな下り坂を下っている。斜坑は折り返し階段のようになっており、折り返し地点はちょっとした広場になっている。その広場は垂直坑道や水平坑道と交差する地点であり、プラットと呼ばれていた。
資材や鉱石の中継地点であるプラットには、昇降機用の大穴に向かって窓が作られている。プラットに到着した正義たちはその窓から下を見た。
露出した魔導石のおかげで少しは辺りが見えるが、下は暗闇に覆われていて確認できない。
「「「発炎筒を投げますので、下がってください!!」」」
ゲオルグと二人の兵士が進み出て、手に持った発炎筒から伸びる紐を引っ張った。とたんに、筒の先から眩い光ともに大量の煙が噴出する。ゲオルグたちは発煙筒を昇降機用の大穴へと向かって、高く放り投げた。
パアァ。
発煙筒の光が辺りを昼間のように照らし出す。そして、その光は数メートル下まで迫った暗い水面に映し出された。
昇降機用の巨大な縦穴は、巨大な溜池へと変貌していた。
水上には木でできた運搬車や椅子が浮いている。
ジュッ。
炎の消える音がして、辺りは再び薄暗い世界へと戻った。
強い光を見たせいで、正義は先程より視界が暗くなったように感じた。そして、視界だけではなく、みんなの気持ちも暗くなっていた。悲惨な光景を目の当たりにして、誰も彼もが意気消沈している。
「これは……桶を使った排水なんかじゃ無理じゃワイ……」
誰もが無言になっていると、レッドバロン一行から声が上がった。みんなが声の方を向くと、声の主は木工職人のドグだった。ドグはガンバルフの茶飲み友達で、レッドバロンから来た技術者たちの重鎮だ。
健脚ぶりを披露してここまでやって来たドグはおもむろに口を開いた。
「レッドバロンにも地下水の汲み上げ技術や送水技術はあるワイ。じゃが、それは馬や風車に頼るもので、メヴェ・サルデとたいして変わらんワイ。じゃが……勇者たちのもたらした蒸気を使った技術なら……なんとかなるかもしれんワイ」
「それは本当ですか!?」
サリューが身を乗り出して聞いた。
「絶対とは言わんが、可能性はあるワイ。少なくとも、今までよりは期待が持てるワイ。それにしても……」
ドグは突き出たお腹をポンと叩いた。
「若き領主よ、まずは飯にせんか? だ、ワイ。腹が減っては良い知恵も浮かばんワイ」
「ちょっと、ドグ爺!!」
無遠慮なドグの発言に、グレイが慌てて注意する。
「いえ、いいんです。ドグさんが仰るように、まずはお昼にしましょう。わたしもお腹が空きました」
サリューは爽やかに笑うと、食糧班に食事の用意を命じた。
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