ラブ・バーチャルリアリティ

あなたもVR空間で理想の恋人見つけませんか?
遊浦 区鳥
遊浦 区鳥

取り扱い説明書

素人童貞おじさんと怪しいゲームソフト

公開日時: 2022年7月9日(土) 09:08
更新日時: 2022年7月9日(土) 10:30
文字数:5,158

 

「あの、……もう時間ですね。すみませんが私、次のお客さんいるので」

「……え、あ、あぁ。そうですね……ちょっと待ってください」

 ベッドの上で淡々と着替えを始めた女を片目に、俺は財布から薄汚れた一万円札を二枚出した。緊張で指先が震えてしまい、札が床の下にひらひらと舞ってしまう。手汗をシーツで拭いて、ドレッサーの前で念入りに化粧を直している女の側に近づいた。

「あの、これ……今日のお金です」

「そこ置いといてください。じゃあ、さよなら」

 女は身支度を整えると俺を一瞥し、哀れみの瞳を向けてから部屋を足早に出ていった。指の震えが徐々に足腰に伝わってきて、俺はみっともない裸を晒したまま呆然と立っていた。結局今回も、一度も勃起することなくプレイ時間が過ぎてしまった。

 素人童貞。悪夢のような言葉が脳裏にちらついて離れない。三十六歳にもなって俺は女に欲情することが出来ない身体になってしまっていた。全裸のまま後ろに倒れ込むと、ほとんど乱れていないベッドシーツに皺が寄った。大きな枕を抱き寄せてしばらく目を閉じた。童貞は情けない。セックスは恥ずかしい。女は恐ろしい。頭の中で三つの単語がぐるぐると回ってしまう。

「別に一生このままでもいいけど、……いや、本当は嫌だけど……もう諦めるしかないのか」

 少年時代は至って普通の性的欲求を持て余す子どもだった。トンネルの片隅に落ちていた成人向け雑誌をこっそり持ち帰ってオナニーしたことだってあれば、水泳部の女子更衣室を友人と覗こうとしたことだってある。至極真っ当なやんちゃ坊主だった。それなのに……どうして。

「恐れ入ります。ルームクリーニングのお時間なのですが、チェックアウトはお済みでしょうか?」

 ホテルの従業員のドアノックの音に飛び起きて慌ててトランクスを身に付け、シャツを着込み、スラックスに尻をねじ込んだ。靴下を省略して革靴を直履きし、鞄とスマートフォンを持ち、ネクタイを絞めながらドアを開ける。ベッドを振り返ってないはずの忘れ物チェックも一応した。

「遅くなって申し訳ありません。電話が長引いてしまっておりまして。ははは……」

 電話どころか、定職すら危うい身分だった。乾いた笑い声が喉に張り付いた。

「いえ、こちらこそ急かせてしまいまして。失礼いたしました。ご利用ありがとうございました」

 ルームスタッフはさきほどまでいた女より二周りほど歳上にみえた。別段恐怖などは感じないが、当然、性的魅力も微塵も感じさせない。

 金属的な掃除機の排気音を耳にしながら暗い色合いの絨毯ばりの廊下を歩いた。

 ベッドの上で女と裸でじっとしているだけの時間とはなんなのだろう。自分でもよくわからなかった。


 家に帰るとまずシャワーを浴びた。後悔と懺悔のヌルい雨が体中を容赦なく責める。

『三十歳になっても童貞のままだとね、魔法使いになれるんだよ? だって。馬鹿なの?』

『頭がお花畑になってるのを魔法にかけられてるのかなにかと間違えてるんじゃない? だっさ』

『そんなキョドってるからさぁ、誰にも相手にしてもらえないんじゃなーい?』

『だよねだよね! だってアイツのアレ、とんでもなく小さいらしいよ? 今度うまいこと騙して見せてもらおうかな。しゃぶってやったらアクセサリーくらい買ってくれるっしょ』

『ハナコ、やめときなって! 彼氏面されたらどうすんの』

『冗談に決まってんでしょ~! あたしはちゃんと彼氏いるし、婚約もしてるっての』

 先週給湯室を通りがかったときに聞こえてしまった女子数人の言葉がフラッシュバックしてくる。俺宛てのものではないのに、まるで自分が地雷原を棒で突かれながら歩かされているような気がしてしまう。

「くそ……」

 いつ爆発するのか。いつ解放されるのか。いつ終わりがくるのか。いつ。いつ。いつ……俺は頭を掻きむしった。排水口に流れていく細くなった髪の毛。筋肉が落ちてきている太腿。腹の肉がだらしなくなるのも時間の問題だろう。それなのに、女の一人も抱けない。多分、一生抱けない。

 黒い塊を胸に隠しながら、右手でペニスを握った。今頃になって張り詰め、先端が苦しくなるほど興奮している。一体俺がなにをしたっていうんだ。畜生、畜生めが……

 シャワーの水圧を上げてから、こっそり涙を流した。


 翌朝は日曜日で、目が覚めたのは十一時を過ぎたあたりだった。あの後冷蔵庫から出した発泡酒とコンビニの惣菜で適当に済ませ、そのまま床で転がるように寝てしまった。寝違えてしまったのか、首が左に傾けられなくなっている。

 ゴミ出しに行って戻ってくると、玄関の前に段ボールが置いてあるのに気付いた。

「昨日寝ぼけて通販でなにか買ったかな? それともお袋から?」

 差出人の名前がなく、商品名にも雑貨としか書かれていない。普段なら警戒して調べるところだったが、その日の俺は軽い気持ちで箱を開封した。

 箱の中から出てきたのは、意外にも日頃利用しているアダルトサイト監修のゲームソフトらしかった。時代の進化もあって、VR対応のようだった。

「誰かが間違って届けてるんじゃないのか? それに俺、ヘッドセットなんて持って……ん?」

 ソフトの奥に、薄型のヘルメットが入っている。どうやら一式揃えてあるようだった。付属の小冊子を広げてみて、俺は思わず息を飲んだ。

「ラブ・バーチャルリアリティ……セックス体験型VRソフト……?」

 身体の中心がぞわっとして加速度的に熱くなっていく。恐る恐る冊子をめくり、内容を読み込んだ。



 《ご挨拶》

 珍矛 ぴーの助様


 平素は弊社の商品をご愛顧いただきまして、まことにありがとうございます。

 弊社ではお客様に対して常に最新のアダルトサービスを提供してまいりました。しかしながら、昨今の時勢を顧みると、人口の拡大や通信環境の整備に伴ってサービス内容へのご要望が多様化し、生身や映像を介した性体験というものだけでは理想の実現が難しくなってきております。こうした諸般の事情を鑑みまして、弊社といたしましては新規サービスの拡充よりも、既存のお客様のユーザビリティに合わせた改善が先決と判断いたしました。

 今作はゲームでの体験を通じて大々的に統計を取り、今後のサービス展開の試金石とするべく開発した製品となっております。

 日頃の感謝の気持ちといたしまして、まずはゴールド会員様宛に、本商品を先行利用いただきまして、使用感やご意見を賜りたいと存じております。

 株式会社ハルシネイション



 《ラブ・バーチャルリアリティ(セックス体験型VRソフト) 簡易説明書》

 ・体験者はVRソフトを起動し、フルダイブすることでリアルなセックスの思い出を作ることができます。


 ・初回起動時にご自身の外見のカスタマイズ、好みのシチュエーション設定や性的指向、性的嗜好の質問事項に回答することで、AIが学習し、理想のプレイを実現します。


 ・キャラクターメイキングは手動設定の他、有料オプションで各種モデリングの読み込みにも対応しています。


 ・モデリングの詳細は設定から変更可能です。バストサイズからペニスサイズ、ほくろの位置などの調整もお任せください。別途追加のオプションではふたなりや、出産未経験者の母乳の噴出エフェクトなど、無限に拡張可能です。


 ・好みのシチュエーションを作る時間がない方のための、「忙しい人のための軽ヌキシチュエーション」が付属しています。行為をする場所、相手の種族、性別、体型、性格を選ぶとその時のプレーヤーの気分に応じた相応しい状況を模したプレイが可能です。


 ・実装済み種族:ヒューマン、オーク、エルフ、ドワーフ、ワーキャット、ワーウルフ、マーメイド、ドラゴン、人形素体型アンドロイド(他、有料オプション多数)


 ・肌の色や瞳の色など、基本的な外見の調整項目多数


 ・プレイ可能な年齢設定:18歳~1000歳 ※特別有料オプションにて変更可能です。


 ・対象の知能レベルは考慮しないものといたしますが、特別有料オプションにてIQ150以上や80程度に設定することも可能です(※会員限定コンテンツとして今後の提供予定です)


 ・開発モード(恋人モード)かクラブモードかの選択

 いわゆる処女や童貞から攻略したい場合は開発モードで相手を好みの恋人(または愛人)に育てることができます。時間はそれなりにかかりますが、青春時代が体験できます。

 クラブモードは性風俗店を模したプレイモードです。ご自身のご要望を伝えるとキャラクターが応じてくれます。ゲーム内の通貨(ゲーム外でアンケートに答えたり、広告を見たりするともらえます)を使って幅広く遊ぶことができます。弊社在籍のコンパニオンキャストも登用予定です。



 気づけば俺はデスクトップを起動し、ソフトをインストールしていた。細かい仕様は後で読むことにして、とりあえずどんな代物か試してみようと思ったからだった。多少の期待はあったが、所詮はゲームだ。リアルですらこのザマなのだ。ゲームなんかで恋愛体験ができるわけがない。そうも思った。ちょっと遊んだら飽きるはずだ。そう自身にいい聞かせて勝手に納得し、ヘッドセットを頭に装着する。説明の通りにカチッと音がするまで被ると、ベルトが伸びて首元が固定された。

「うっ……いってぇ……」

 鈍い痛みに寝違えたままだったことを思い出したが、いずれ物理的に疲れてやめるだろう。後頭部の電源ボタンを探して触れてみる。しばらくすると目の前に白い空間が出現し、客観的な視点での俺の裸体モデルが映し出された。目を伏せたくなってしまう。

【ラブ・バーチャルリアリティにようこそ。お名前は 珍矛 ぴーの助 様でよろしいですか?】

 機械的な音声が俺の名前を読み上げた。慌てて他の名前を登録した。ふざけたユーザーネームにもほどがあった。耳障りにも思えた音声はワントーン声音を落とし、幾分落ち着いたボリュームになった。

【お名前は 暗黒大魔王 様でよろしいですか?】

「……どうしたらいいんだ」

【お困りでしたら 後ほど変更することも可能です】

 しばらく無言で考えていると、アナウンスが機転を利かせてくれた。

「じゃあそれで頼むよ。すぐに決められないみたいだ」

【それでは 暗黒大魔王(仮) 様のプロフィールを設定いたします。質問事項に正直に回答をお願いします。なお、十分な時間を確保してからの回答が望ましいと思われます】

 画面にはデジタルの時刻が映し出される。まだ午後一時三十七分だ。たっぷり猶予はあった。

「プロフィール設定は今からできそうだ。登録方法は?」

【かしこまりました。回答はこちらのフォーマットに入力してください。筆記用具はこちらになります】

 眼の前の俺の裸体モデルがすっと消え、いつの間にかパイプ椅子とローテーブルに座っていた。テストの答案用紙のような紙が置いてあり、シャープペンシルと消しゴムが用意されている。用紙はマークシートや記述式になっている。また、テーブルには薄型の液晶画面が埋め込まれていて、どうやらここでモデリングの変更も行うようだった。

 用紙を開いて質問事項を記入していく。身長や体重、生年月日、肌の色、瞳の色、ヘアスタイル……自分に関する設定は無難なところでおさめておいた。年齢はまだどうするか決めかねたので、次の項目に移った。

「ええと、好きな種族と性別?……あぁ、エルフとかオークとか選べるんだったな」

 冒険はしてみたいが、とりあえず人間の女性にしておく。外見的な特徴を細かく設定する。俺は自分が好きそうな女を思い浮かべた。……優しくて、酷いことをいわなくて、巨乳で、恋愛経験はあるけど処女で……黒髪ロングで……胸の谷間にほくろがあって……。

【設定事項には相手の生殖器の造形や性的嗜好も含まれております。細部につきましてはディスプレイで調整をお願いします】

 ぼんやりとした理想像を思い描いていた俺は、ディスプレイに映し出された黒髪ロングの大きなおっぱいの女性を見て、なんだか恥ずかしくなってきて、一旦筆記用具を置いた。まだ見ても触ってもいないのに、裸の状態で全身の部位調整ができるのだ。理想の相手を考えるのだから妥協はしないと決めたはいいものの、なんだか違うような気がしなくもない。

「あのぉ、これってある程度そっちで決めてくれたりしないのかな。多少違ってもいいからさ」

【かしこまりました。それでは今ご希望されている要素以外につきましてはこちらでランダムに決定させていただきますが、よろしいですか?】

「お願いします」

【このキャラクターの名前はいかがされますか?】

「それは……」


 結局、簡易設定が終了したのはそれからニ時間後だった。完成したキャラクターの作成にしばらくかかるというので、一度ゲームから退出し、俺は外に散歩に出かけがてら、自分の名前をああでもない、こうでもないとブツブツ唱えながら考えたのだった。


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