高杉さんと別れたあたしは、龍馬さんと共に呉服屋へと足を運んだ。
茶屋から呉服屋まではそれなりに距離があり、龍馬さんは歩くのが早い為、到着する頃にはだいぶ疲れていた。だけど、龍馬さんに心配を掛けるわけにはいかず、そんな素振りを見せないように努める。
呉服屋に到着すると、あたしは龍馬さんの後に続き、お店の奥に入っていった。
「萌華、金のことは気にせんで良いぜよ。オマンが気に入ったヤツを買うちゃるき、好きに選びや」
「ありがとうございます」
店内には、沢山の着物が衣紋掛けに掛けられていた。どの着物も、眺めるだけで満足してしまうほどに美しく、とても色鮮やかだ。
女物の着物を一通り見終わり、どうしようかと改めて店内を見回した時、男物の着物が目に入った。
男装……悪くないかもな。
あたしは美少女というわけでも、スタイルが良いわけでもない。
それなのに沖田さんは、あたしにセクハラ発言をしてきた。きっと、かなりの女好きなんだろう。
特にしつこいのが沖田さんというだけで、あたしは彼を始めとする神鬼狼に目を付けられている。こちらがまだ名乗っていないにも関わらず、何故か名前を知られていた。
だったらあたしが男装していれば、彼等の目を欺けるんじゃないだろうか?
沖田さんには顔を覚えられてしまったけれど、まだ見ぬ他の神鬼狼の人達が知っているあたしの情報といえば、きっと名前くらいだろう。仮に色々知られていたとしても、男装することにデメリットはないはずだ。
「男装って変ですかね?」
試しに、龍馬さんに意見を聞いてみると、彼は微笑みながら首を横に振った。
「そんなことはないぜよ。オマンがしたかったり、する必要があるち思うがやったら、してみたら良いがやないかえ?」
「そうですか……。じゃあ、男物の着物も見て良いですか?」
快く頷いてくれた龍馬さんと共に、あたしは男物の着物が並んでいるエリアへと移動する。
――やがて、呉服屋に入ってから30分ほどが経過した。
色々迷った挙げ句、ピンク色の長襦袢との白袴、赤色の帯、桜の模様が入った下駄を選んだ。
着物は全て男物を選んだけれど、下駄だけは女物にした。身長が147cmと小柄で、足のサイズもかなり小さいあたしには、男物の下駄で合うものが無かったのだ。
「早ようオマンの着物姿が見たいぜよ。明日着て、ワシに見せとおせ。さっきの茶屋で待ちゆうき」
「はい、勿論です!」
龍馬さんって、本当に良い人だな――そう思いながら、あたしは彼の後に続いて帳場へと向かうのだった。
その日の夜も宿に泊まり、翌日待ち合わせていた茶屋に向かうと、龍馬さんは既に来ていた。
約束通り、買って貰った着物を着てきたけれど、長襦袢をピンクにしてしまった所為か――あまり男装には見えない。小柄だから、尚更だ。
「龍馬さん!」
縁台に腰掛けている龍馬さんに、あたしは笑顔で声を掛けた。
「ん? おォ、まっこと似合うぜよ! のゥ、陽之助!」
顔を上げてあたしを見た後、ニコニコと微笑みながら隣を見る龍馬さん。
――陽之助?
あたしが龍馬さんと同じ方向に視線を投げると、女性のように美しい青年の姿があった。瑠璃色の髪を、後ろでポニーテールにしている。
「……はい、良ェんと違います?」
龍馬さんを一瞥し、青年は関西弁で答えた。
笑顔の絶えない龍馬さんとは対照的に、彼はニコリとも笑わない。そればかりか、まだ目も合っていない。
「うん、萌華はこんまいき、尚更めんこいぜよ」
「そうですか? ありがとうございます。あの……貴方は――」
龍馬さんの隣に腰掛ける美青年のことが気になり、あたしは控えめに尋ねてみる。
心なしか鬱陶しそうに顔を上げた彼と、ようやく視線がクロスした。
美しい赤銅色の瞳が、睨むような鋭い眼差しを送ってくる。
「……陸奥陽之助」
中性的で落ち着いているけれど、それでいてハキハキした声音で、青年は名乗った。
まるで精巧な人形のように美麗な顔と、色白で華奢な体格が、儚さと色気を醸し出している。
お腹が見えるくらいの位置までしかない、麻の葉模様の紫色の着物を身に纏い、藍色の帯を括れの辺りで締めていた。下半身は白袴だが、左足が大きく露出した巻きスカート型で、履物は龍馬さんと同じブーツだ。
露出の多い着物ではあるけど、モデルのようにスタイルが良い為、全く違和感がなかった。
「初めまして、あたしは織田原萌華です」
「……敬語なんか使わんといて。あと、私のことは好きに呼んで良ェさかい」
「え? あ、うん……! 『陽之助さん』って呼ぶね」
敬語を使わないと怒られそうな人だと思ったけど、どうやら敬語は不要みたいで、一瞬戸惑ってしまう。
もしかすると、あたしと仲良くなりたいと思ってくれているのかもしれないな――。
けれどそんな淡い期待は、彼の冷ややかな声によって一瞬で打ち砕かれた。
「……貴女やったんやな、坂本さんに着物買わした女っちゅうんは。坂本さんに感謝しやなアカンで。毎日お仕事で忙しゅうされとる坂本さんが、貴女みたいな子供の為に着物買われたんやさかい」
刺々しくも的を射た陽之助さんの言葉に、あたしはハッとする。
龍馬さんの予定や仕事のことを、何1つ考えていなかった。忙しい中、あたしと共に呉服屋へと足を運んでくれたのかもしれない。完全に、そういった面への配慮が欠けてしまっていた。
罪悪感を覚え、思わず視線を落としたその時だった。
縁台から立ち上がった龍馬さんが、腰を屈めてあたしの顔を覗き込んでくる。
「……まっことスマンけんど、陽之助はこういうヤツながじゃ。迷惑らァ思うちゃァせんき、顔を上げとおせ。オマンが気落ちする必要はないぜよ」
あたしが顔を上げると、太陽のように優しい笑顔が目の前にあった。
縁台に座ったまま、ずっとあたしを睨んでいる陽之助さんを振り返りながら、龍馬さんが口を開く。
「陽之助……萌華を傷付けたらいかんろう。オマンはそうやって、人にケンカを売る癖を直した方が良い。オマンが同じことを言われたら、どう思うがぜ」
僅かに怒気を孕む上司の声に、ビクッと肩を揺らした陽之助さんが、大きく目を見張る。けれど龍馬さんと目が合うや否や、無言で俯いてしまった。
陽之助さんの前に行き、視線の高さを合わせるようにしゃがむ龍馬さん。
何も言わず、目すら合わせようとしない陽之助さんを見つめて、彼は諭すように言葉を紡ぐ。
「もしオマンが同じ立場やったら、オマンも傷付くろう? ほいたら、自分が言われて傷付くようなことは、人にも言うたらいかんぜよ」
反省しているのだろうか? それとも、単に拗ねているだけなのだろうか? いずれにせよ、今の陽之助さんに先程までの気の強さはない。
陽之助さんが、その病的なほどに細い肩を震わせ、グッと唇を噛み締める。
どうしたんだろう?
何なら、あたしにキツい言葉を放った陽之助さんの方が、傷付いているように見えた。
「……陽之助?」
龍馬さんも、そんな彼に気付いたのだろう――心配そうな口調で彼の名を呼び、そっと顔を覗き込む。
「陽之助……大丈夫かえ? 優しゅう言うたつもりやったけんど、オマンには強すぎたかもしれんにゃァ。けんどワシは、オマンに理解って貰いとうて言うたがぜよ」
そう言って、龍馬さんが陽之助さんの頭を優しく撫でた。
だけど、そんなに強く叱ってたかな? 別に怒鳴ったわけでも、陽之助さんを過度に責めたわけでもないのに。
しばらく頭を撫でた後、龍馬さんが顔を上げてあたしに視線を注いできた。
「萌華、陽之助はちっくと人付き合いが苦手やき、心無いことを言うてしまうかもしれんけんど、仲良うしてやっとおせ」
仲良くなれるならなりたいけど、なれる気がしないな――そんなことを思いながらも、あたしは龍馬さんの言葉に頷いたのだった。
【第4話の用語解説】
※『涙色の夢路【解説・設定資料集】』(https://estar.jp/novels/25390137)にて、更に詳しく説明しています。
❀オリジナル用語❀
・神鬼狼…織田信長と彼に味方する者達の組織。
❀方言❀
・こんまい…小さい【土佐】
・めんこい…カワイイ【土佐】
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