半世紀の契約

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⑨祖父の薫陶

公開日時: 2021年4月14日(水) 07:41
文字数:4,978

小さな頃から可愛がってくれた、父方の祖父である倉田公典の葬儀に、藤宮家は一家揃って参列する事になり、美子は生後半年の娘の美樹よしきを抱えて参加した。読経の最中にむずがられたら困ると懸念はしていたものの、その予想に反して美樹は終始大人しく、興味深そうに黒い服の集団を眺めて過ごした。

 そして葬儀が滞りなく執り行われ、会食の為にその会場に移動した途端、美子は最近では滅多に顔を合わせる事が少なくなっていた、父方の親族達に囲まれる事になった。


「やあ、この子が美樹ちゃんか。話には聞いていたが、美子ちゃんに似て可愛いな」

「私も初めて見せて貰ったが、随分賢そうな顔立ちじゃないか。お義父さんが自慢していたのも頷ける」

 腕の中でにこにこしている娘を覗き込みながら、伯母達の夫が声をかけてきた為、美子は苦笑しながら問い返した。


「まあ、長谷川さん、中野さん。お祖父さんから、一体どんな話を聞かされたんですか?」

「いやあ、世間話のついでに『孫の美子に続いて、将来有望なひ孫が生まれたぞ』とか」

「私はお義父さんが布団に横たわったまま、『美子同様、美樹も俺がしっかり鍛えてやるからな』と意気堅硬な事を仰られていたのを聞いたな」

「もう、お祖父さんったら。お二人の所には、何人も将来有望な孫やひ孫がいらっしゃるのに」

 呆れたように愚痴を零した美子だったが、義理の伯父達はどちらも笑って手を振った。


「いやいや、美子ちゃん。お義父さんにしてみれば、君はやはり特別だから」

「そうそう。特に“あれ”は並みの三歳児の言動じゃ無かった。インパクトが強過ぎて、何十年経っても忘れられないよ。末頼もしいと感心したからね」

 そんな事を言い合っていると、話を聞きつけた彼らの息子達が、面白そうに会話に割り込んでくる。


「俺も子供心に、美子ちゃんが将来なにか凄い事をしでかしそうだと思っていたら、現にとんでもない男を婿に捕まえたし」

「そうそう。秀明君があの白鳥の後継者とかにならなくて、良かったよな? そうで無かったら、政界を好き放題に荒らされてたぞ」

「本当にでかした、美子ちゃん」

 伯父達に交ざって従兄弟達まで上機嫌に盛り上がっている中、隣の秀明は笑顔のまま無言を貫いていたが、美子は困った様に言葉を返した。


「皆、披露宴の時に散々言ってたのに、まだ言うんですか? 秀明さんは対外的には、ちょっと優秀な中間管理職に過ぎませんよ? 政治家なんて務まらないわ」

 しかしそれを聞いた周囲は、益々笑みを深くする。


「ここで『対外的には』って付ける辺り、さすが美子ちゃんだ」

「久しぶり、秀明君。元気そうだね」

「披露宴以来だね。藤宮家の事はしっかり頼むよ」

 そこで漸く話を振られた秀明は、如才なく頭を下げた。

「お任せ下さい。万が一にも皆さんにご迷惑のかからない様、務めますので」

 それに満面の笑みが返ってきた。


「そうしてくれると、こちらとしても助かるよ。長年の悪事が露見して、あっさり議席も信用も失った某政治家の様には、なりたくはないからね」

「政治家なんてものは、どこで足を救われるか分からんからな。本当に、身内に足を引っ張られるどころか、陥れられたくは無いものだ」

「ですがそれは、そもそも某議員に人を見る目が皆無だったのが原因ですからね」

「ああ、そうそう。本業も忙しいだろうけど、他で足元をすくわれない様に注意した方が良いな」

「他人の手を借りる様な事は基本的にはしないが、何かあったら親戚の誼で、特別料金を設定してくれたら助かるよ」

「……分かりました」

 含み笑いで好き勝手に喋りまくる男達に、秀明が表情を消して頷くと、横から美子が笑いながら口を挟んできた。


「軽い冗談よ。本気にしないでね? この人達は、そうそう他人の力をあてにしたりしないから」

「分かっている。その上で助力を請われたら、相当拙いって事だろう。その場合は料金等は無視してお手伝いするさ」

「あら、ありがとう、あなた」

 そんな夫婦のやり取りを思わせぶりに眺めている周囲の視線を意識しつつ、秀明は密かに舌を巻いた。


(まだ数えるほどしか顔を合わせていない連中だが、本当に食えない人間ばかりだな。俺の副業の事もどうやってか察しているらしいし、全く侮れない)

 そして義父の実弟、義兄二人が全員代議士であり、且つ大臣や常任委員会委員長などを歴任している豪華な顔ぶれである事を再認識した秀明は、自分と血縁関係がある男の事を思い出し、密かに呆れた。


(しかし本当に、お義父さんの実家の閨閥は煌びやかだな。あのバカ男もきちんと調べておけば、美子の事を『食い物屋の娘風情』呼ばわりすれば、どんな事になるか位察しが付いただろうに。本当に救いようがない阿呆だな。もう俺には関係無いが)

 白鳥が期待をかけていた三男を勘当した顛末を、周囲の人間に声高に語って聞かせた為、それを人伝に聞いて実の姪や義理の姪を侮辱されたと感じた彼女の叔父達が、陰に陽に白鳥の与党からの放逐に積極的に関与したのを察していた秀明は軽く笑った。そして先程の会話で、気になった事を尋ねてみる。


「そう言えば、先程仰っていた『インパクトが強すぎる三歳児の言動』と言うのは、どんな事ですか?」

「あなた、何でも無いのよ」

 何故か僅かに動揺した様に弁解した美子を見て、彼女の従兄である長谷川隆介が怪訝な顔になった。


「あれ? 叔父さん辺りから聞いていないのか?」

「ええ、全く」

「別に大した事じゃ無いから、気にしないで」

 尚も話を打ち切ろうとした美子だったが、同じく従兄の中野吉雄が、にやりと笑いながら確認を入れてくる。


「そうそう。大した事じゃ無いから、君の旦那に教えても支障は無いよな?」

「吉雄さん……」

 思わず美子が恨みがましい目つきで見やったが、ここですかさず別の声が割って入った。


「やっぱり、俺達だけが美子ちゃんに関する記憶を共有しているのは拙いだろう。良い機会だ。秀明君に教えてあげよう」

「……了さんまで。もう勝手にして下さい」

「あはは、怒らせちゃったかな?」

 美子は拗ねた様にそっぽを向いたが、隆介は苦笑いしながら秀明に声をかけてきた。


「すぐに機嫌を直してくれるだろ。それより、本当に聞きたいかい?」

「はい、できればお願いします」

「それなら教えてあげよう。あれは生後三か月の美恵ちゃんと、三歳の美子ちゃんを連れて、昌典叔父さん夫婦がお祖母さんの誕生日の祝いに来た時の事なんだが……」

 そして事情を知っている年長者達が、徐々に笑いを堪える空気を醸し出す中、美子の幼少の頃の思い出話が始まった。



 ※※※



 美子の父方の祖母である倉田康子の誕生日を祝う席には、夫妻の娘二人と息子二人、加えてその伴侶と子供達が一堂に顔を揃え、賑やかに開催されていた。


「おう! 来たな、美子」

「はい、おじいちゃん、こんにちは。おばあちゃん、おたんじょうび、おめでとう」

 両親と並んで、ちょこんと上座の祖父母の前に正座した美子は、持参した折り紙で作った小さな花束を、祖母に手渡した。それを受け取って眺めた康子が、嬉しそうに顔を綻ばせる。


「あら、嬉しい。これを私にくれるの?」

「うん。よしこがつくったの。おかあさんに、おそわったのよ?」

「上手にできたわね。凄く綺麗よ? ありがとう」

「どういたしまして」

 にこにこと言葉を返す美子を、この家の主である公典は、慈愛に満ちた眼差しで眺めた。これまでに何人かの男孫は誕生していたものの、初めての孫娘である美子を溺愛していた彼は、何を思ったか急に沈鬱な表情になって、溜め息を吐く。


「本当に美子は可愛いな。将来、変な男にちょっかいを出されないか、今から心配だぞ」

「ちょっかい?」

 聞いたことの無い言葉に美子は首を傾げたが、それを聞いた昌典は呆れ顔になった。


「親父……、美子はまだ三歳だぞ? 今からそんな心配をしてどうする」

「お前は黙ってろ。美子の下に妹も生まれたんだぞ? 益々油断できないじゃないか」

「あのな……」

 完全に本気の父親に、昌典は疲れた様に溜め息を吐いたが、当の本人は大真面目だった。


「よし、良い機会だ。美子、ここに座りなさい」

「はい」

「あなた、何をする気ですか?」

 トントンと自分の目の前の畳を叩いて示しながら、公典が美子に言いつけると、彼女は素直にやって来てきちんと正座した。訝しんだ康子が夫に声をかけたが、彼はそれを綺麗に無視して美子に言い聞かせる。


「良いか? 美子。お前は藤宮家の長子だ。長子という者は常に下の者を庇護し、正しく導く存在でなければならない。分かるか?」

 そう問われた美子は、真っ正直に答えた。


「わかりません」

「何だと?」

「おじいちゃんのおはなし、むずかしいの」

「うぬうっ……」

 困った顔になっている美子を見て、公典は子供が相手なのについいつもの調子で喋っていた事に気が付き、思わず唸った。それを見て康子は小さく笑ってから、分かり易い言葉で言い直す。


「美子ちゃん。さっきのお話は、お姉ちゃんは妹を大事にして、守ってあげなきゃいけないって事よ?」

「うん、だいじょうぶ、できる! よしえ、かわいいから、だいすきよ?」

「そう。美子は良いお姉ちゃんね」

 元気一杯頷いた美子にその場がほっこりと和み、康子は笑顔で孫娘を褒めた。そんな中、公典が仕切り直しとばかりに軽く咳払いしてから、真剣な顔付きで再び美子に言い聞かせる。


「それでだな、美子。お前はまだ小さいから分からないと思うが、世の中は実に危険が一杯だ」

「きけん? いっぱい?」

「そうだ。それで、もし美恵と二人だけの時に危険な事があったら、お前が美恵を守って戦わなければいけないんだ。分かるな?」

 そう言われた美子は、目をパチクリさせて固まった。そしてそのまま考え込んだが、周囲の者はその無茶振りに本気で呆れる。


「あなた……、何を言っているんですか?」

「戦うって……、親父。一体、どんな場面を想定してるんだ?」

(よしえとふたり……、きけん、いっぱい、まもる……)

 大人達が顔を見合わせて溜め息を吐いている間、美子は一生懸命考えた。そして真面目な顔で宣言する。


「うん! よしこ、おねえちゃんだもん! たたかう!」

「良く言った!! それでこそ俺の孫!」

「……あらあら、可愛い事」

「盛り上がってるな、お義父さん」

 美子の宣言に上機嫌に応じた公典を見て、美子の伯母やその夫達は必死に笑いを堪えた。すると益々公典が暴走する。


「よし、ここでお前の意気込みが本物かどうか見極めてやる。さあ、美子。どこからでもかかってこい! 俺を賊だと思って、殴るなり蹴るなり好きにしろ!」

 そう言って立ち上がり、座布団から畳に下りた公典は仁王立ちになった。その祖父を、美子は不思議そうに見上げる。


「ぞく?」

「敵や悪者って事だ。さあ、俺をやっつけてみろ!」

「うん! がんばる!」

 こちらもやる気満々で美子が立ち上がった為、流石に周りの大人達も止めに入った。


「あなた! いきなり何を言い出すんですか!?」

「親父! ふざけるのもいいかげんにしろ!」

「あ、あの……、お義父さん。美子も止めなさい」

 そこで公典は妻と息子の声は無視したが、流石に嫁の深美に対しては安心させる様に声をかけた。


「深美さん、心配するな。美子の様に小さい子供に殴られたり蹴られたりしても、痛くも痒くも無いからな。この子の意気込みを見るだけだ」

「そう言われましても……」

 どうしても不安を払拭できない深美の視線の先で、美子が難しい顔で公典の周りをぐるぐると回り始めた。


(どうやって、やっつけよう……。おじいちゃんおおきくて、て、とどかない。けってもよしこのあし、いたくなる。いたいの、やだなぁ……)

 時々立ち止まり、公典を頭からつま先まで眺め直しては再び回り続ける美子を見て、さすがに康子が夫を窘めた。


「ほら、可哀想に。無理難題を言われて、美子ちゃんが困っていますよ? すぐに止めて下さい」

「それなら無理と悟って、『やり方を教えて下さい』と言えば良いだけの話だ。俺は美子に、適切な判断力を身に付けさせるぞ」

「……もう、勝手になさい」

 平然と言い切った夫に、康子は完全に匙を投げた。そして他の者達がどうなるのかと、興味津々で見守る中、漸く方針を決めた美子が迷わず行動に出た。


(うぅんと……、よし、きめた。これ!)

 そして公典の横で足を止めた美子は、目の前にあった彼の左手を両手で掴んだかと思うと、その指先に力一杯噛み付いた。


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