秀明が帰宅して奥へと進むと、賑やかな義妹達の声が聞こえてきた。
「こんなに一気に出すのは、本当に久しぶりね」
「お祖父さんが亡くなって以来じゃないかしら?」
「ねえ、ちゃんと埃は拭き取った?」
「大丈夫! 具合の悪い人を、咳き込ませるわけにいかないものね!」
秀明が迷わずに声の聞こえてくる方に足を進めると、各自様々な大きさと形状の木箱を重ね持った、彼女達に遭遇した。
「あら、お義兄さん。お帰りなさい」
「美子姉さんは客間にいますよ?」
「少し前に門の前で行き倒れになった人がいて、大変だったんです」
「それはともかく、皆、その箱を何に使うんだ?」
恐らく美子が電話で言っていた、彼女流の泥棒への『おもてなし』に使うのだとは見当が付いたが、内容についてはさっぱりだった為、怪訝な顔で尋ねた。すると美恵が廊下を歩きながら、呆れ気味に話し出す。
「さっき美野が言った行き倒れの人、歴史を専攻しているうちに古美術に目覚めてしまって、古美術商になりたいと言って親に勘当されてしまったそうなの」
「それで大学院生なのに親からの仕送りを止められて、バイトだけじゃ生活できなくて、最近ろくに食べていなかったそうよ。何をするにも体が資本だってのに、自己管理がなってないわ。そんな調子じゃ、何をしても大成できないんじゃない?」
美恵に続き美実の辛口コメントが炸裂し、秀明は彼女達に続いて歩きながら、思わず苦笑した。
「確かにそうかもな。それは分かったが、その人の事情とこの荷物との関係は?」
「その人が人心地付いてから、客間に飾ってあった掛け軸を見て『なかなか良い物ですね。こんな物をさり気なく飾っておられるとは、羨ましいです』って褒めたそうなの。それで美子姉さんが『それなら我が家に滞在して貰う間、こういう物で良ければ前途有望な若い方の審美眼を少しでも養って貰う為に、色々見て貰いましょう』と言い出して、美子姉さんがリストアップした物を、納戸から出してきたの」
「……へえ? そうなんだ」
美幸が懇切丁寧に説明してきた内容に、まだ納得しきれないまま秀明が相槌を打ったが、何故か美恵と美実は笑いを堪える表情で囁き合った。
「でも……、絶対見るだけで済まないわよね?」
「そうよね。“これ”まで持って来るように言ってるんだし」
手元の細長い箱を見下ろしながら、思わせぶりに笑い合っている美恵と美実に、秀明は首を傾げながら尋ねた。
「二人とも、どうして見るだけで済まないんだ? それに“これ”って何の事かな?」
しかし二人は、曖昧に笑って誤魔化す。
「ええと……、現物を見た方が早いから。インパクトあると思うし」
「ほら、もう着いたしね。美子姉さん、お待たせ。言われた物、これで全部揃ったわよね?」
そして両手で箱を抱えつつ、器用に客間の襖を開けながら美実が声をかけると、振り返った美子が笑顔で礼を述べた。
「ええ、ありがとう。皆、ご苦労様。……あら、お帰りなさい、あなた」
「ああ、今帰った。美子、そちらは?」
電話で聞いた内容など素知らぬふりで尋ねると、美子は神妙な顔付きで申し出た。
「先程、うちの門の前で倒れられた方なの。佐藤大輔さんと仰るんだけど、事情があってここ数日、満足に食べておられないみたいで。お気の毒だから体調が回復されるまで、うちでお世話する事にしたの。あなた、構わないでしょう?」
「ああ、勿論構わないが……」
今一つ美子の考えが分からないまま秀明が頷くと、そこで布団に寝ていた二十代半ばに見える男がゆっくりと体を起こし、秀明に向かって如何にも申し訳なさそうに頭を下げた。
「ここのご主人ですか? 正月早々ご迷惑をおかけして、申し訳ありません」
それに秀明は、見事に取り繕った笑みで応じた。
「本当にお構いなく。それに厳密に言えば、ここの当主は妻の父親です。ですが義父も体調の優れない人を放り出す様な人ではありませんから、ここで佐藤さんをお帰ししたら、私どもが叱られます。本調子になるまで、遠慮なく我が家に滞在して下さい」
「ありがとうございます」
男二人が含みのある笑みを交わしている間に、美恵達が美子の元に箱を運び、何やら小声で会話しながら中身を幾つか取り出した。
「あなた、ちょっと良いかしら? 準備ができたから、佐藤さんにお見せしたいんだけど」
「見せるって何を?」
怪訝な顔で振り返った秀明は、その視線の先に酷似した二つの茶碗を認めて、益々不思議そうな顔になった。しかし美子はそんな戸惑いを無視して、自称佐藤に向かって二つの赤と青の対比が美しい深鉢を押し出しながら問いかける。
「佐藤さん、こちらの同一の伊万里焼の深鉢に見える二つのうち、どちらかが江戸時代中期作の柿右衛門様式色絵花鳥文深鉢ですが、もう片方はそれを手本にして私のすぐ下の妹が作った、れっきとした贋作なんですの。本物を見極めて頂けますか?」
「はい?」
「贋作って……」
男二人が当惑した顔になると、美恵がちょっと腹を立てながら小声で文句を言った。
「もう、姉さんったら人聞きの悪い。贋作じゃなくて模写しただけよ。模倣品って言って欲しいわ」
「だけどこれだけの贋作を作れる腕を持ってるのに、『これだけ簡単に作れるなんて面白くないし、オリジナルを作っても褒めてくれるのがジジイばかりでつまらない』とか言い出して、美大の造形学部を卒業した直後に、通販の衣料品会社を作っちゃうなんて、色々間違ってるわよね~」
呆れかえった口調で美実が突っ込みを入れてきた為、美恵は小声で言い返した。
「どこが間違ってるのよ? コスプレは立派な芸術で文化よ! しかも変身願望なんてものは、老若男女共通の、永遠に尽きる事のないテーマだわ!!」
「だからと言って、裁縫なんか全くできない美恵姉さんが、通販の衣料品会社を立ち上げると聞いた時は、何の冗談かと思ったわよ」
「パティシエでも無い人がケーキ会社の社長になったり、医者でない人間が病院のオーナーだったりするのよ? 別に不思議じゃないわよ」
二人がそんな言い合いをしている間に、面食らっていた自称『佐藤』が、当惑しながらも恐る恐る深鉢の一方を指差した。
「……あ、あの、こちらが本物かと」
しかし最後まで言わせず、美子の右手が宙を切った。
「ざけんな!! この節穴がっ!!」
「ぐあぁぁっ!!」
二人の会話に気を取られていて、バシィィィッ!!と常には聞かれない衝撃音の生じた方に秀明が慌てて目をやると、どこから取り出したのか五十センチはありそうな真っ白なハリセンを握り締めた美子が、恐らく佐藤の頭を力任せに叩いたであろう光景が目に入った。
「うわあ……、凄い。やっぱり最高級品の和紙を張り合わせて、その間に極薄の鉄板を仕込んだハリセン。何年経っても威力が衰えて無いみたい」
「だって美子姉さん、毎年虫干しして、防虫剤もきちんと入れ替えていたしね」
「本当に、変な所で真面目よね」
「あの……、あれって何?」
「今、美子姉さんの手の動き、見えなかったんだけど……」
何やら納得している上二人とは別に、美野と美幸は驚愕の顔付きになっていたが、秀明は動揺を押し隠して無言を貫いた。そんな中、客間に美子の怒声が響き渡る。
「こんな素人が作った作品と、れっきとした美術品の見分け位付けられなくてどうするの!? それでも古美術商志望なの!?」
「そ、それはっ……」
頭頂部を押さえながら真っ青になっている佐藤を眺めて、美恵が物憂げに溜め息を吐く。
「……美貌だけじゃなくて美しい物を作り出す才能まであるなんて、私って本当に罪作りな女ね」
「贋作作りの才能なんて、文字通り罪作りよね」
「だから贋作じゃないって、言ってるでしょうが!?」
そんな言い合いをしている上二人を無視して、美野と美幸は果敢に美子の前に回って、宥めようとした。
「あ、あの、美子姉さん。弱ってる人にそれはあんまり……」
「美子姉さん、ちょっと厳し過ぎるんじゃ……」
「引っ込んでいなさい」
「……はい」
「失礼しました」
しかし二人は憤怒の形相の長姉に一睨みされて、すごすごと引き下がった。それと同時に、美子が木箱にかけられていた紐を何本か手に持ち佐藤に肉薄したと思ったら、あれよあれよと言う間に手際良く彼の手首を縛り上げてしまう。
「さあ、この機会に、じっくり性根を入れ替えてあげるわよ?」
そう言って至近距離で不気味に微笑んだ美子に、佐藤は僅かに後ずさりしながら問いかけた。
「あ、あの……、奥さん? どうして縛ったんでしょうか?」
「あら、嫌だ。体調が万全にならないうちに逃げださない様に、ちょっと拘束しているだけじゃない。主人が手錠を持っているそうだから、そちらの方が良ければ変えてあげるから、遠慮なく言って頂戴」
「て、手錠……」
秀明の方を視線で視線で示しながら、一見優しげに微笑んだ美子に佐藤は完全に腰が引け、益々顔色が悪くなった。しかし美子はそんな事には全く構わず、他の箱から緑色と取っ手の湾曲が美しい、変則的な角皿を二つ取り出す。
「さあ、次はこれとこれよ。安土桃山時代の古田織部作の皿で、もう一つはさっきと同じく妹が作った模造品。本物はどちらかしら?」
にっこりと問いかける美子に、佐藤は脂汗を流しながら口ごもった。
「……あ、あの、……奥さん?」
「さあ、どちら?」
ハリセンを手に、ゆらりと立ち上がった美子に心底慄きつつ、佐藤は震える声と指で片方を示す。
「そ、その……、こちらかと」
「このボケがぁっ!!」
「ひぃぃぃぃっ!!」
佐藤が選択した途端、美子が鬼神の形相で力一杯ハリセンを彼の頭上に振り下ろした。しかし一度受けて学習した佐藤は、手を縛られたまま上に上げて必死に頭をガードする。しかしそれを予測していた美子は、躊躇う事無く無防備な彼の顎に蹴りを入れた。
「甘い!!」
「ぐわぁっ!!」
(まともに入ったな……。あれは結構ダメージ大きいよな)
布団の上にまともに転がった佐藤を見て、かつて見合いの席で同じ目に遭った秀明は、思わず憐憫の情を覚えた。そこで美子が佐藤を見下ろしながら、冷たく告げる。
「さあ、夕飯の支度を始めるまでは、まだまだ時間があるわ。それまでじっくり、色々教えてあげようじゃない。……皆、後は良いわよ。ご苦労様」
そこで秀明と妹達の方を振り向いた美子は穏やかに微笑んだが、そのいつも通り過ぎる笑顔に、妹達はこれ以上この二人に関わってはならない事を、本能的に悟った。
「じゃあ、私達は戻ってるわ」
「年始客とかは私達で対応するから、心配しないで」
「ありがとう。お願いね」
美子の側でへたり込んでいる佐藤が、縋る様な眼差しを送ってきているのは分かっていたが、秀明以下全員がそれを見なかった事にして廊下に出て、静かに襖を閉めた。
そして一団になって歩きながら、美幸が不思議そうに姉達に尋ねる。
「ねえ、どうして美子姉さんは、あんなに怖い顔をしてたわけ?」
その問いに、美恵と美実はチラリと顔を見合わせてから、事情を説明し始めた。
「ああ、あんた達は覚えてないか。お祖父ちゃんが美術品に関しては、物凄く厳しかったのよ」
「何でもお祖父ちゃんの父親、私達の曽祖父に当たる人が、大して美術品を見る目が無かったのに、悪徳古美術商の口車に乗って模造品や贋作を高値で購入しまくって、一時期身代が傾きかけたんですって」
「そんな事があったの!?」
「それは初耳だわ」
目を丸くして驚いた妹達に、二人は淡々と話を続けた。
「それでお祖父ちゃんは、自分の身内に『すべからく本物に触れ、本物を見極める力を養うべき』と主張して、姉妹、義兄弟、娘や婿、孫娘に至るまで、美術品に関する知識を習得できる様に、徹底した指導をしたわけよ。美術館や博物館巡りはもとより、古美術商を回って実際に買わせて、その鑑定眼を見たりね」
「された方は、ありがた迷惑だったと思うけどね。特に母さんは総領娘、美子姉さんは総領孫だから、教え方も姉妹の中で一番きつかったわけ。ひいお祖父さんが買い込んだ紛い物と同じ作者の本物を並べて、間違った方を指定しようものなら、あのハリセンで正にあんなふうにビシバシ叩かれてたのよ?」
そこで既に亡くなった人物であり、好々爺然とした記憶にしかない美野と美幸が、本気で驚愕した顔つきになった。
「うそ! あの優しいお祖父さんが!?」
「私、叩かれるどころか、そんな見極めなんかもさせられた事ないけど!?」
「あんた達が小学校に上がる頃には、お祖父ちゃんも体調を崩して、弱ってきてたしね」
「いい加減、飽きたんじゃないかしら?」
そんな身も蓋も無い事を美実が口にすると、美恵が溜め息を吐いてからしみじみと言い出した。
「美子姉さんは我慢強い方だから、叩かれてもお祖父さんに反抗なんかしてなかったけど、結構不満が溜まってたみたいね。あの容赦のない叩きっぷりをみると」
「丁度良いんじゃない? 長年の鬱憤を、あの人相手に晴らして貰えれば。暫く衣食住を世話してあげるんだから、それ位良いでしょう。それに本調子じゃないんだから、幾ら美子姉さんだって手加減するでしょうし」
肩を竦めながら美実がそんな事を口にした為、美野は言われた内容について考え込んでから、神妙に頷いた。
「そうね……、この際佐藤さんに頑張って貰いましょう」
「うん、こっちにとばっちりが来るのは嫌だしね。私達もきちんとお世話するから」
なにやら姉妹間で話が纏まったらしく、そこで各自目的の場所に散って行ったが、彼女達を見送りながら秀明だけは(良いのか、それで?)と納得しかねていた。その為一人で客間に戻り、襖を少しだけ開けてこっそり中の様子を窺うと、相変わらず佐藤が叩かれている音と、美子の叱責の声が室内に響き渡っていた。
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