半世紀の契約

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(7)繰り返す言葉

公開日時: 2021年4月2日(金) 11:30
文字数:4,559

「いい加減にしないと、本気で怒るわよ?」

「……美子?」

 呆れ顔で言ってきた美子を、秀明は驚いた顔付きで見下ろしたが、美子は彼の戸惑いなど無視したまま、真顔で話を続けた。


「頭の中で色々考えるのは自由だけど、誰もがあなたと同じ位の理解力と決断力があると、思い込んだら駄目でしょう。せめて指名するつもりの武田さんと勝俣さんのお二人だけでも、事前にちゃんと説明しておくべきだわ。お気の毒に、お二人とも凄く驚いていらっしゃるもの」

 美子が秀明に向かってそう言い聞かせるのを聞いた良治と靖史は、心底安堵した表情で囁き合った。


「良かった……。美子さんが、もの凄く真っ当な感性の持ち主で」

「全くだ。これで秀明同様ぶっ飛んだ性格の女性だったら、誰も押さえられないぞ」

「取り敢えず、秀明はこれ以上暴走しないよな?」

「確かに言いたい事は分かるが、荒唐無稽なデカすぎる話だしな」

 二人で顔を見合わせ、頷き合って納得していると、秀明が面白く無さそうに言い返してくる。


「美子は、俺の計画に不満でもあるのか?」

「不満以前の問題よ。全くしょうがないわね」

 明らかに(誉められると思ったのに、逆に怒られた)的な、拗ねていると分かる秀明の様子に、美子は疲れた様に溜め息を吐いてから、周囲に向き直って声を張り上げた。


「すみません! さっきこの人が、次の町長選が二年後だと言ってましたが、その時期をもう少し正確に、何年何ヶ月単位でご存知の方は、この中にいらっしゃいませんか?」

 突然の美子からの問いかけに、会場がざわめき出す。


「え? どうだったかな……」

「おぅ~い、役場勤務の奴! 誰か知らねえか?」

「あ、はい! 正確には、一年十ヶ月後です!」

 そこでどこからか女性の声で現町長の任期が告げられると、美子は驚いた顔になった。


「まあ、大変! もう二年を切ってるじゃない。ベテランの現役町長に、まるっきり新人の若造が挑むなんて、普通だったら正気の沙汰じゃないわ」

 その美子の感想を聞いて良治と靖史は深く頷き、秀明は若干腹を立てながら言い返そうとする。


「普通に考えれば、その通りですよね」

「本当に良かった。美子さんが冷静な人で」

「だから美子。それは」

「それなら尚の事、叔父さんに荒井さんを寄越して貰わないと。善は急げね。秀明さん。私、ちょっと外に出て電話して来るから」

「はい?」

「え?」

 なにやら一人で納得して、長机の方にスタスタと歩き出した美子を見た良治達は当惑したが、秀明は彼女の腕を素早く掴んで問い質した。


「ちょっと待て、美子。何をする気だ?」

「だから電話をかけるんだけど?」

「答えになって無いぞ」

「美子さん?」

「あの『荒井さん』って誰の事ですか?」

 男達が揃って怪訝な顔をしているのを見て、美子は自分の説明が足りなかった事を悟った。


「そう言えば、秀明さんは知らないわね。荒井さんは叔父、正確に言えば祖父の代から倉田事務所に所属している、ベテランのスタッフなの」

「倉田代議士事務所の……」

「叔父って……」

「美子さん?」

 それだけで秀明はおおよその内容を悟ったが、良治達はまだ要領を得ない顔付きだった為、美子は二人の方に向き直った。


「私の父方の叔父が現代議士の倉田和典で、祖父の倉田公典が前代議士ですが、名前はご存知でしょうか?」

「勿論、知ってますよ!」

「与党内でも、かなり有力な議員じゃないですか!?」

 驚いて頷いた二人に向かって、美子は笑顔で説明を続けた。


「その叔父と祖父の連続当選の立役者が、選挙の度に選挙運動を取り仕切っていた荒井さんです。倉田家の選挙以外にも、関係のある都議や県議の選挙に応援に入って選挙運動を仕切って、その候補は負け知らず。その筋では『常勝参謀』とか『当選請負人』とかの二つ名で有名な人で」

「…………」

 そこまで言われて話の筋が見えない二人では無く、顔色を無くして黙り込んだ。そして周囲が静まりかえる中、美子は秀明に向き直って冷静に説明を続ける。


「その荒井さんが今年七十になるから、そろそろ若手スタッフに後を譲って引退したいと、叔父さんに申し出たそうなの。確かに荒井さんが育てたスタッフの力量に問題は無いし、叔父もそのつもりだと言っていたから、叔父に頼んで荒井さんをこちらに差し向けて貰うわ」

「できるのか?」

 先程から黙って話を聞いていた秀明が口を挟んできたが、それに美子は怒った様に言い返した。


「できるかどうかじゃなくて、やるのよ! 最短でも投票の一年半前までに選挙事務所を立ち上げて、必要なスタッフを集めつつ地域で個別に集会を開いて、辻立ちしてチラシを配って、顔と名前と主張をどんどんアピールして。本気で武田さんを二年足らずで当選させようと思ったら、コネを総動員して裏工作して、徹底的にやるしかないわ。手段を選んでいられますか!」

「いや、やっぱり手段は選びましょう!」

「ちょっ……、なんだかどんどん具体的な、怖い話になってるんですが!?」

 美子の主張に良治達が益々顔色を無くして悲鳴を上げたが、美子はそれを無視して、更に秀明に言い聞かせた。


「勿論、荒井さんにボランティアでお願いするなんて厚かましい事はできないから、例の役員報酬は全額こっちに回すわ。あなたの分もそうして頂戴」

 ついこの前聞いたばかりの、桜査警公社の報酬について言及してきた美子に、秀明は真剣な顔で確認を入れた。


「良いのか?」

 それに美子も、難しい顔で答える。

「正直、それでも足りない位よ。この場合、当選したら終わりじゃ無いのよ? 武田さんの当選後の政策決定と遂行の為のブレーンも、並行して選定する必要があるもの」

「そうだな。足りない金と人員は、俺がどうやってでもかき集める」

 そう真剣な顔で頷いた秀明に、美子は本気で怒りながら言い聞かせた。


「全くもう! 荒井さん位有能な人だと、引退するって言っても色々な条件を提示して、どうにかして自分の陣営に引き入れたいと考える人は多いのよ? 秀明さんがこの二ヶ月間秘密にしていたせいで、そんな人達に遅れを取ったら、悔しいどころの話じゃないわ。秘密主義も時と場合によりけりよ。しっかり反省して頂戴!」

「すまない。これからはなるべく早く、美子に相談する」

 秀明はそこで神妙に頭を下げたが、美子は素っ気なく頷いて話を続けた。


「そうして。それから町議会議員にも、息のかかった人間を配置しないとね。すみません! 今の町議会議員の任期満了は、何年何ヶ月後になりますか?」

「ちょっと待って下さい!!」

「はい。何でしょうか?」

 再びフロアに向かって問い掛けた美子に、その答えが返ってくる前に良治が叫んだ。それに彼女が不思議そうな顔を向けると、良治は先程よりも顔色を悪くしながら尋ねてくる。


「あの! 先程から美子さんは秀明の計画が実現可能で、成功すると思っている様な言動をしているんですが、本当に本気なんですか!?」

 そう言われた美子は、どう答えれば良いか一瞬小首を傾げて考えてから、静かに話し出した。


「実は……、私と秀明さんは初めて顔を合わせたのが三年前で、それから暫く没交渉だった事もあって、付き合いとしては私よりも、皆さんの方がはるかに長いと思うんです」

「はぁ、そうですか……」

 真顔でそんな事を言われた良治は曖昧に頷き、他の者達も美子が何を言い出すのかと、怪訝な顔になった。


(と言うか私達、まともに付き合った期間って、殆ど無いに等しいんじゃないかしら?)

 併せてそんな事実も思い出し、思わず遠い目をしてしまった美子だったが、何とか気を取り直して話を続ける。


「そんな皆さんがご存知の『江原秀明』と言う人間は、自分では達成不可能と思われる事を大言壮語する見識の無い人間や、一度やると言った事を途中で投げ出す様な、無責任な人間でしょうか?」

「………………」

 如何にも不思議そうに、事も無げに美子に問われた良治を初めとする秀明の同級生一同は、互いの顔を見合わせながら黙り込んだ。そして数秒程静まり返ってから、ホール内にこれまでで一番の爆笑が沸き起こる。


「ぶぁはははははっ! そうだよな、秀明だからやっちまうよな!?」

「江原君だものね! これ位大風呂敷広げるわよね?」

「なんかこの町の将来、ムチャクチャ明るくないか?」

「そうだよな。俄然やる気が出て来たぜ!」

「こりゃあ、良治に相当頑張って貰わないとな!?」

「おう!! こうなったら当選の前祝いだ! 飲むぞ!!」

「武田町長、ばんざ~い!!」

「この町の未来に、かんぱ~い!!」

 そして一気に周囲が騒々しくなる中、美子は真っ青になっている良治に、冷静に声をかけた。


「武田さん。そういう事なので、一ヶ月以内にご家族を説得した上で、職場に報告と説明をして下さいね? 出馬するとなったら、周囲の理解と協力は欠かせませんから」

「マジかっ……」

 そこで美子は低く一言呻いて片手で顔を覆った良治から、靖史に向き直った。


「勝俣さん、いつから本格始動するか現時点では確約できませんし、購入した土地が塩漬けになって本業の不動産業が火の車になる可能性もありますけど、燃え尽きて灰になる前にはこの人が何とかするかと思いますので、宜しくお願いします」

「美子さん……、容赦ないですね」

 軽く頭を下げた美子の前で、靖史が盛大に引き攣った笑顔を見せると、横から秀明が声をかけてくる。


「美子」

「何?」

「やっぱりお前は良い女だ。惚れ直した」

 満足げにそう言ってきた秀明を見上げて、美子は「ふふっ」と小さく笑いを零した。それに秀明が不思議そうに応じる。


「何がおかしい?」

 するとここで美子は不敵に笑ってみせる。


「これで二日連続で『惚れ直した』と言っちゃったわね。このペースなら、同じ言葉を私の方に多く言わせるなんて、夢のまた夢じゃないかしら?」

 そう指摘された秀明は、それで初めて気が付いた様に「くそっ」と如何にも悔しそうに呟いてから、真顔で言い聞かせてきた。


「今日は油断したが、これから挽回してやる。今に見てろよ?」

「そう? 何だか昨日も似たような台詞を聞いた気がするけど。あまり期待しないで待ってるわ」

 しかし秀明の力強い宣言を、美子は笑って受け流しながら中断していた事をするべく歩き出す。


「ここはちょっと五月蠅いから、外で電話をかけてくるわ。詳しい話は旅行から帰ってするにしても、荒井さんに勧誘の話が出ていないか叔父さんに聞いて、無ければこれからそういう話があっても断って貰う様に頼んでおくから」

「ああ、頼む」

 苦笑した秀明に背を向けて、美子は椅子に置いてあったバッグの中から携帯を取り出し、喧騒が満ちているホールから抜け出た。そしてドアを閉める寸前に、再び同級生達に取り囲まれている秀明を遠目に見て、苦笑いする。


(本当に面倒くさくて、困った人よね。でも仕方がないわ)

 秀明の遠大な計画に、とことん付き合う事を決意しながら美子は廊下を少し歩き、騒々しさが感じられなくなった所で倉田家に電話をかけ始めた。


「もしもし、美子ですが、照江叔母さんですか? ……はい、叔父さんがお手すきなら代わって貰いたいのですが。……ええ、ちょっと急用と言えば急用で……」

 その口調は神妙なものであったが、自分が楽しげな笑みを浮かべているであろう事を、美子は自覚していた。しかしその一時間後、美子は先刻口にした言葉通り、秀明に対して本気で怒る事になった。


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