半世紀の契約

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(10)裏工作

公開日時: 2021年4月4日(日) 00:06
文字数:3,863

新婚旅行から戻って、すぐの土曜日。美子は秀明を伴って、父の実家である倉田家を訪れた。

「こんにちは、おばあちゃん。照江叔母さん」

 出迎えてくれた叔母と祖母に美子が挨拶すると、女二人は笑顔で声をかけてくる。


「いらっしゃい、美子ちゃん、秀明さん」

「うちの人が、首を長くして待ってたのよ? お話が済んだら、顔を見せてあげてね。挙式と披露宴の時に一人だけ置いてけぼりを食らったから、その後ずっとブツブツグチグチ文句を言っていて」

「でも、今日美子ちゃんが秀明さんを連れて家に来ると聞いてからは上機嫌で。新品の下着と寝間着も準備させたのよ?」

「そうだったんですか」

 既に歩行が困難になり、介護を受けている祖父の様子を聞いて苦笑してから、美子は旅行のお土産を差し出した。


「叔母さん。これは少しですが、新婚旅行のお土産です」

「ありがとう。本当に、好天続きで良かったわね。それじゃあ、和典さんと荒井さんが待っているから案内するわ」

「じゃあ後でね、美子ちゃん」

「はい」

「後程、お伺いします」

 上がり込んだ玄関で美子達は康子と別れ、照江の後に付いて歩き出した。


「あなた。二人がいらっしゃいました」

「ああ、入ってくれ」

 座敷に通されると、男二人が座卓の片側に並んで座っており、美子は秀明と並んでその向かい側に座った。


「和典叔父さん。今日はお時間を頂いて、ありがとうございます」

「良く来たね。後で父に顔を見せてやってくれ」

「はい。そのつもりです」

 笑顔で叔父に挨拶をしてから、美子は旧知の人物に向き直って頭を下げた。


「荒井さんもお久しぶりです。こちらが、私の夫の藤宮秀明です」

「初めまして。今日は宜しくお願いします」

「こちらこそ」

 穏やかな笑みを浮かべる老人に秀明を紹介すると、和典が早速話を進めた。


「さて、単刀直入に話をしようか。君は荒井さんにもう一仕事して欲しいそうだが、できれば詳細について聞かせて貰いたい」

「それではご説明します」

 一度戻った照江が持ってきた茶碗を座卓の上から取り除き、秀明は以前に説明した地図をその上に広げて、事細かく説明し始めた。美子が密かに驚いた事に、この前同級生達に披露した時よりも、更に詳細に地図に書き込まれていた上に、付随するプランも幾つか増えていた。


(旅行中は計画を練っている素振りなんか見せなかったし、戻ってからこの何日かは普通に仕事をしていたのに、一体いつの間に?)

 そんな風に美子が唖然としているうちに、秀明は滞りなく説明を済ませた。


「取り敢えずこれで、一通りの説明を終わらせて頂きます」

「この一連の計画の、初期政策の一つが町長選だと?」

「はい、そうです」

 さすがに年長者達も呆気に取られていたが、和典がまだ訝しんでいる表情で確認を入れると、秀明は真顔で持参した鞄からファイルを取り出した。


「取り急ぎ、立候補予定者の略歴に加えて、町内人口動態の最新版、町の財務状況、行政区毎の産業種別と就業割合など、必要と思われる資料を一通り持参してみましたので、ご一読下さい」

「失礼します」

 秀明が差し出したそれを荒井が受け取って開き、ざっと目を通し始める。そして数分後には静かにそれを閉じ、しみじみとした口調で正直な感想を述べた。


「白鳥は……、随分と、馬鹿な事をしたものですね」

「…………」

 暗に「この人を後継者にできれば良かったのに」と言っている荒井に、和典と美子はコメントに困って顔を見合わせたが、秀明はそんな事には構わずに話を続けた。


「それから、今現在町内の中学校卒業生のうち、二十年前から四十年前の世代について全員調査中です」

 それだけで荒井は、秀明の目的が分かった。


「それは……、町長擁立後の政策立案スタッフや、腹心となりうる町議会議員のなり手を探す為ですか?」

「はい。やはり外部から金を払って招聘するより、地元に愛着を持っている出身者の方が間違いは無いかと」

「確かにそうですが、対象者はどれ位ですか?」

「およそ二千六百人でしょうか。それだけ当たれば、各分野に通じた人間が数人は見つかると思います」

 そこまで聞いた荒井は、はっきりと難しい顔になった。


「しかし、それだけの人間の経歴を調べるのはただでさえ大仕事ですし、地元を離れているとなったら尚更大変ですよ?」

「それは新婚旅行中に、桜査警公社の調査部門に調査を依頼しました。何とか半年以内に、調査を終わらせてくれるそうです」

「桜査警公社……。あそこは一個人がいきなり調査を依頼しても、すんなり受けてくれる所では無い筈ですが……」

 長年政治の世界に身を置いていた人物らしく、桜査警公社がどんな組織か熟知してたらしい荒井が怪訝な顔で疑問を呈すると、横から和典が口を挟んでくる。


「荒井さん。実は二人の披露宴に、加積康二郎夫妻が新郎側の招待客として列席していた。全く、義兄さん達と揃って度肝を抜かれたぞ。慌てて兄貴を締め上げたら『悪い。バタバタしていて話すのをすっかり忘れていた。美子と秀明の知り合いだ』の一言で済ませるし」

「あの三田の御大とお知り合い、ですか……」

 疲れた様に和典が溜め息を吐くと、呆然としながら荒井が呟く。しかし秀明が淡々と説明を加えた。


「私の知り合いと言えば確かにそうですが、もっと正確に言うと、今現在の桜査警公社の社長が私で、美子がオーナー兼会長です。それに、加積夫妻と先に知り合いになったのは美子の方なので、詳細は彼女から聞いて下さい」

 それを耳にした途端、向かい側の男二人は血相を変えて腰を浮かせながら絶叫した。


「美子ちゃん! 何だね、それはっ!!」

「美子さん!? 一体どういう事ですか!?」

「え、ええと……。それは、ですね……」

(どうしてこの場面で、私に話を振るのよっ!!)

 そしてすました顔でよけておいた茶碗を取り上げ、静かに茶を飲み始めた秀明を恨みがましく睨み付けてから、美子は加積夫妻とのあれこれを包み隠さず語って聞かせた。すると案の定聞き終えた二人は、本気で頭を抱えてしまう。


「美子ちゃん……。今の話、くれぐれも親父には内密に。耳に入れたら確実に血圧が上がる」

「分かりました」

 そして荒井は顔を強張らせながも、確認を入れてくる。


「それなら……、こちらで各種調査依頼をした場合、優先的に引き受けて頂けるのでしょうか?」

「内容と状況によりますが『ある程度は融通を利かせる』と、実務を取り仕切っている副社長に保証して貰いました。その代わり他のプライベートな事に関しては、極力依頼しないつもりですので」

 その秀明の説明を聞いた荒井は、ファイルを座卓に置いて力強く頷いた。


「分かりました。これだけ条件が揃っていれば十分です。ベテランの現町長の対抗馬に、ど素人の新人。面白いじゃありませんか。絶対に当選させてみせましょう」

「ありがとうございます。宜しくお願いします」

 どうやらやる気満々らしい荒井に秀明が頭を下げると、美子が安堵した様に和典に声をかけた。


「良かった。それに付随して、叔父さんにもちょっとお願いがあるんですが」

「何だい?」

「現町長はこれまで与党県連の後援を受けているんですが、次回の選挙ではそれを白紙に戻して欲しいんです」

「美子ちゃん? それは流石にちょっと……」

 途端に難しい顔になった叔父を、美子は笑顔で宥めた。


「勿論、後援をこちらが押す候補に変えてくれと言うつもりはありません」

「と言うと?」

「『党のスローガンとして地方創生を掲げる手前、ベテランの一層の奮起と若手の台頭を促す』とかなんとか適当な理由を付けて、どちらの陣営に対しても表立った応援をしないように、やんわりとその県選出の国会議員に話をして頂ければ、県連組織にもそれとなく伝わると思うので」

 にこにことそんな事を言ってのけた姪に、その言わんとするところが分かった和典も、苦笑いで返した。


「たかが町長選一つに肩入れしただけで、次回の国政選挙時に、その県に大物が応援に入る回数が少なくなるかもしれないと、含ませながらかな? これはお義兄さんから囁いて貰った方が良さそうだ」

「私も長谷川さんに動いて貰った方が、より効果的だと思います」

「毎回後援して貰っていたのに急に手を引かれたら、周囲はその人物が何か大きなへまをしたのかと邪推しそうですね。中立なら上等。寧ろこちらに有利です。町議会議員の日和見主義者も炙り出されるでしょうし、この際敵味方をはっきりさせます。早速女房に言って、現地への引っ越しの手配もさせましょう」

 一見穏やかな笑みを浮かべつつ、ちょっとした謀略話を交わす叔父と姪の会話に、満足そうに荒井が加わる。そしてあっさりと頷いて転居まで明言してきた為、秀明と美子は揃って頭を下げた。


「宜しくお願いします」

「奥様に宜しくお伝え下さい」

「それでは他に取り急ぎの話が無ければ、二人で父に顔を見せて貰えないかな? 気が短い年寄りは、始末に終えなくて」

「分かりました。叔父さん、荒井さん、失礼します」

 苦笑した美子は、再び頭を下げてから秀明を連れて座敷を出た。そして案内も無しに廊下を進み始めた美子と並んで歩きながら、秀明がからかう様な口調で話しかける。


「しかし、お前も意外にあくどいな。議員を動かすなんて」

「動かすなんて大げさな。ちょっと耳元で囁いて貰うだけじゃない。俊典君の時のデータの事もあるし、それ位やってくれるわよ。長谷川さんがこの時期に選挙対策委員長に就任していて助かったわ」

(本当に、変な所で肝が据わっていると言うか、何と言うか……)

 さらりと言い返す美子に秀明は苦笑を漏らしたが、彼女が足を止めた瞬間、真顔になった。


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