昇天

伊集院アケミ
伊集院アケミ

第一話「昔話」

公開日時: 2022年12月24日(土) 16:52
更新日時: 2022年12月25日(日) 09:57
文字数:2,296

「赤瀬川さんとの商売はうまく行ってますか?」

「順調よ。今度また店を出すわ。えっちゃんや、ハナヱちゃんにも時々手伝ってもらってるの」

「高校生を夜の店で働かせちゃダメですよ」


 随分後になって知ったことだが、彼女は僕の後ろ盾である赤瀬川さんとも深い関わりを持っていた。師匠の死後、彼は故郷の仙台に戻り、コクブンチョウの再開発事業の黒幕として暗躍していたのだが、台場さんは、地上げに必要な資金を彼に回していたのである。


 紛争地のトラブルを解決するのは、元筋者の彼にはお手の物で、今でも二人は手を組んで仙台市から予算をブン捕っては、市民の血税をほしいままにしてるらしい。


「最近は本を読む人も少なくなってね。学生さんもあまり顔を見せなくなりました。キャンパスも郊外に移転してしまいましたしね」


 台場さんと話をしながら、僕は大学生の頃を思い返していた。小説のお話ではなく、リアルの僕の話だ。


 物書きを目指していた当時の僕は、まずは経済的に自立しようと考えて株を始め、地場の証券会社に出入りしていた赤瀬川さんと深い繋がりを持つようになった。そして、師匠の剣乃征大に見初められ、仕手の世界にずっぽりと嵌っていったのである。


 相場が苦境になるたびに、実家に戻っては家財を持ち出す僕は、親類・縁者の怒りを度々買っていたのだが、大して気にも留めなかった。財産は曾祖父が築いたものであり、虎の門の実家を売却して入ったお金も、まだたんまり残ってることを知っていたからだ。



 大学を卒業する頃、僕は手切れ金の一千万を渡されて、実家から勘当された。台場さんはその話を聞くと、「本当に貴方は、ひいお爺様によく似てるわ」と呆れた。その頃の僕は、もはや台場さんが人間ではないことを微塵みじんも疑ってはいなかった。


 雌伏の数年間を過ごした後、僕はネットを駆使した新しいタイプの仕手筋となって、相場の世界で財を成すことになる。だが、増えていく資産と反比例するように、この店に顔を出す機会は減っていった。


 創作の道を捨て、相場の世界にのめりこんでいった自分が、なんだか恥ずかしくてならなかったのだ。


「物書きの方は最近どうなの?」


 台場さんが、物思いにふける僕にそう問いかける。


「ようやく、コンスタントに本が出せるようになりました。台場さんのところにもちゃんと届いてますよね?」

「頂いた小説は、ちゃんと読んでますよ。『全力さんと海』、あれはなかなか良かったわね」

「ありがとうございます。あれは翻案ものだけど、僕の好きな人たちの事を、沢山書けて良かったです」


 それは、僕が相場師として復帰する少し前に、『老人と海』をモチーフにして書いた作品だった。『ちくねこだん。二〇四五』の前日譚にあたるお話だ。


 だが、本当の狙いはちょっと違う。本尊として、相場作りの熱狂に狂う前に、僕にとって大切な人たちへの思いを、ちゃんと記録に残しておこうと思って書いたのだ。


「私も少し出ていたわよね」

「ええ。えっちゃんや台場さんはそのままだし、DJ君の事も、アケミ少年に託して書くことが出来ました。でも僕は、千代子さんの事だけはどうしても書けなかった……」

「奥さんに逃げられたという訳ね?」

「簡単に言えばそうです。もしかしたら僕は、自分の傍からいなくならないと、人の大切さがわからない人間なのかもしれません」


 現実の千代子さんは――つまり、これから物語る小説のヒロインではなく、リアルの僕を傍で支えてくれた彼女――は、僕が相場で大失敗して一番苦しかった時代に、僕の事を傍で支えてくれた人だった。


 僕が「もう一度、創作に打ち込む」と言って小説を書きだした時、フォロワーの大半は蜘蛛の子を散らすようにいなくなったのだが、彼女だけは本当に親身になって接してくれたのだ。


「相場で当てて、ようやくこれで恩返しが出来ると思っていたのに、彼女は突然、僕の前から姿を消してしまったんです」

「私たちとは、随分違った見識をお持ちのようですからね。おそらくは、貴方が突然、相場に復帰したことが関係しているのでしょう。居場所の見当はついてるの?」

「赤瀬川さんの実家です。今朝、いきなり押しかけて来たと連絡がありました」

「そう」

「玄関先で倒れたそうですが、命に別状はなく、今はよく眠っているそうです」

「何だか話が良く見えないわね。居場所がわかっているなら、私の所に顔を出す理由はないと思いますけど?」

「ところがこれが、大アリなんです。これを読んでいただければ、事情はだいたい分かると思います」


 僕はちーちゃんの残した置手紙を、台場さんに差し出した。


「失踪前に、彼女が僕宛に残したものです。多少の誤解はありますが、書いてあることは概ね事実だと考えて頂いて構いません」

「拝見いたしましょう。でも、その前にお茶でも入れるわ。どうやら、長いお話になりそうですしね」


 そう言って台場さんは、店の奥にある給湯室に消えた。そしてすぐに、ティーポットになみなみと紅茶を入れて戻って来る。僕がまだ学生だった頃に何度も見た風景だ。


「貴方もここにかけなさいな。こういうやり取りも、随分久しぶりね」

「すみません。大泉の時は、資金集めに必死だったので……」  

「いつもの事よ。では、読ませてもらうわね」


 淹れてくれた紅茶を飲みながら、僕は彼女が手紙を読み終わるのを静かに待った。なんだかとても懐かしい気持ちだった。まだ相場に足を踏み入れる前、僕は雨の日を狙っては、しばしばこの店に駆け付け、彼女の物語る不思議なお話に耳を傾けていたのだ。


 あの頃の僕は、一人の女性として、台場さんの事を愛していたと思う。彼女が人間ではないことを知った今となっても、その気持ちは変わらない。

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