都市伝説体験日記

杜都醍醐
杜都醍醐

闇の救世主

公開日時: 2020年9月1日(火) 07:00
文字数:9,869

「お兄さん。本貸してくれてありがとう」


 俺がカフェでレポートをまとめていると、中学生ぐらいの女の子がいきなり本を差し出してきた。遺伝学の本だった。俺の専門は物理だ。その分野の本なんか、持ってない。


「え? 貸した覚えはないけれど?」


 しかし本を受け取ると、少女はすぐにカフェから出て行ってしまった。

 何のために、俺に? よくわからない。一応本は確かめておくか。

 俺はページをパラパラとめくった。


「ん?」


 紙が一枚挟まっていた。そのページを開いてテーブルに置き、紙を手に取る。書かれていたのはたったの一文。


「山寺で待つ…?」


 何の話だ? 他にヒントはないのか?

 俺はテーブルに開いたまま置かれた本を見た。


「クローン技術…。そりゃあ、アフリカツメガエルなら可能だろうけど」


 いや待てよ? クローンと言えば四年前、ホムラの前に現れたことがあった。

 なるほどわかってきたぞ。クローンの偽俺があの女の子にこの本を貸し、ここにいるから今日のこの時間に返してくれと言った。


「とすると、俺のクローンが山寺にいるということか? 四年前に探しても見つからなかったアイツが」


 俺は机のレポートを全てかバンにまとめると、カフェを出た。



 仙山線に乗って山寺に着いた。問題は山寺の何処にクローンがいるのかだ。無駄に階段を登ることは、できるだけしたくない。

 俺は一応、スマホで電話をした。


「ホムラか? 俺は今、どこにいる?」

「はい? 龍堵はカフェに向かったんじゃないの?」


 ホムラの前にクローンはいないようだ。


「何でもない。心配するな」


 俺は辺りを見回したが、ここにホムラがいるようにも見えない。


「ホムラは研究室に残ってるんだよな?」

「そうよ。それがどうかしたの?」

「いいや。なら大丈夫だ」


 電話を切った。

 しばらく待っていても、誰も俺に向かって来ない。しょうがないので俺は階段を登ることにした。

 最後に登ったのは三年前で、その時は勢いよく駆け登ったが、今日は一段一段慎重に行く。クローンを見逃さないためだ。


 ところがどっこい、隅々まで探しても何処にもいない。「待つ」と言っておいて不在とはどういうことだ? 失礼にも程がある。

 俺が町を見下ろすと、もう夕暮れ時だった。周りの観光客も、ほとんどいなくなっていた。


「一日が無駄になったぜ…」


 こんなことするぐらいなら、大学院一年目のレポートまとめをやればよかった。そう思って階段を下ろうとした時だ。


 黒いヘリコプターが一台、赤く染まる空を切り裂くようにこちらに向かって飛んでくる。バババババババというローターの騒音が静かな山寺に響く。


「何だアレは?」


 見るからにこの夕焼けの寺にそぐわないヘリだが、俺は違和感を抱かなかった。俺は寧ろ、ヘリが来るのを待っていたような心境だった。


 ヘリは山寺駅周辺の駐車場に着陸した。


「俺が速く来すぎたみたいだな」


 紙には時間なんて指定されていなかったし、それにクローンが、観光客が大勢いる昼間にお披露目されるわけにもいかないしな。


 俺は階段に腰かけた。そっちが来るまで、待ってやろうじゃないか!


 数分後、メンインブラックの三人組と俺そっくりの人物が階段を登って来た。


「骨谷龍堵…。まさか馬鹿正直に、ここにやって来るとは」


 メンインブラックのリーダー格が俺に言った。


「俺の下宿先に来られても迷惑なもんでな!」


 ここで隙を見せると、弱そうだ。だから強がった。


「骨谷龍堵…。君は一般市民としては、ちょっと道を外れすぎている」

「そうか? 幼小中高大院と進んでるが、これといった非行はした記憶がないが? まあ就職しなかったと指摘はできるが、院に進むのも俺の自由だろう?」


 リーダー格は、サングラスで目は見えないのだが、イラついた顔をしている。口がムカついている。


「く、口だけは流石に達者だな。そしてその口で都市伝説を語り継いでいこうと考えているな」

「さあね」


 俺はしらを切ってみた。どうせ通じやしないんだろうが。やってみただけだ。


「こちらとしても計画を邪魔されるわけにはいかない」

「何の計画だよ?」


 リーダー格がフフっと笑う。


「まさか君が知らない話であったとは。四年前に一体の実験体が逃げ出した時にバレてしまったとばかり思っていたが、いらぬ心配だった」


 俺には、メンインブラックの話が理解できなかった。


「何の話をしてるだ?」

「骨谷龍堵…。果たして君がそうであるのか?」


 ますます意味がわからなくなり、俺は首を傾げた。


「本物の骨谷龍堵が君であることは、誰が知っている? 誰が決めている? まさか、親に名付けられたからと答えるわけではないだろう?」


 俺はクローンに目をやった。すると、


「少し察したようだな。今はクローン人間で偽物と呼ばれるかもしれない。しかしだ、生物に価値があるかどうか…。それを決める基準は何だと思う?」

「どんな経験をして、何を考え思い行ったか。俺はそう思うが? それが…」


 犯罪でなければ後世の人たちに批判されず、正しければ評される。俺はそう言いたかったが、メンインブラックが遮った。


「不正解だ。ラマルクの用不用説を知らないのかね? 獲得した形質…つまり思考や技術は次世代には受け継がれない。生前に何をしようが、生物的に価値などない」


 専門外の話を持ってこられたら、それは黙って聞くしかない。


「生物の全ては遺伝情報に記憶されている。遺伝子を紐解けば、優秀な人材と下等なゴミが分別できるのだ」

「…じゃあ、下等な存在と判断されたら、生きてはいけないのか?」


 俺が突っ込むと、


「一部は削除することになろう。だからと言って減らし過ぎるのも良くない。労働力の問題や我々をはじめとする世界の裏側の存在が、得をできなくなってしまう。しかし一部の人間は、我々の存在を疑問視し始めており心の奥深くまで洗脳するのは難しい…」


 リーダー格が手を広げた。


「そこでだ…。世界中の人間を我々が用意したクローンに置き換える。もちろんクローンには我々の英才教育が施されている。そして生物的に見れば遺伝情報は全く同じ。我々を無駄に詮索せずただ従うだけの存在。我々がいなければ生きて行くことすらできない存在。生物としての価値を古代より十分受け継ぐ存在…」


 コイツの話が飲み込めてきた。それと同時に恐怖も感じる。


「あらゆる人類をクローンに変えることで人類の管理を行う究極の闇の計画……ヒューマン・クローニング・プラン、即ちHCP…! どうだ、君としてはこれほど魅力的な話はないのではないか?」


 それが究極の都市伝説か…。確かに聞く分には面白そうな話ではある。だが疑問もある。


「どうして俺が選ばれたのか。それが全くもって理解できないが、どう説明するつもりなんだ?」

「我々としては、最初の一人は誰でも良かったのだ。候補を絞っていく段階で、我々と三回も接触したことのある人物がいることがわかった。それが骨谷龍堵、君だ。君は我々が用意した地球外生命体見学サンプルに選ばれ、実際にUFOの撮影をし、過去に逃げだした実験体の話も聞いている。我々としては、それ以上を知られるわけにはいかない要注意人物でもある。二重の意味で最初の一人に相応しい」


 今度は俺が口を開いた。要するに、


「遺伝情報が全く同じクローンで全人類を置換して、全てを管理する計画があると。お前たちとしては俺は、早々に潰しておきたい人物であり且つ、過去四回も接触しているので色々と情報があって近づきやすい人物でもある」

「そういうことだ。そして今ここに連れてきた君のクローンが、ここで君を始末して本物の骨谷龍堵になる。最初にHCPを実行する人物。最初の人工人類。これからの人類を我々の傀儡という形で救済する、言わば救世主となるのだ!」


 ふん。全然面白くないぜ。これならホムラと討論している方がマシだ。


「随分と余裕だな」

「遺伝情報が同じなら、どちらに軍配が上がるかまではわからないはずだ。いや、経験が豊富な俺の方が有利だ。たったの四年しか過ごしてないクローンの方が、外の世界を始めて体験するという意味では圧倒的に不利」


 俺が言い終ると、三人とも笑い出した。


「フフフ、ハハハハハハ! 確かにこのクローンは、四年ばかりしか生きてはいないだろう。しかし、四年で君と全く同じ外見をしている。それ程速く成長させることが我々にはできるのだ。そこからさらに身体能力を向上させることもできた!」


 他のメンインブラックが続きを話す。


「それだけではない。君のクローンは何十何百と作られた。その中でもずば抜けて優秀な一個体のみを残した。生まれながらも失敗作として処分された他のクローンたちに魂があったと言うのなら、それらに対してもこの一個体は救世主。報われない思いは、君を潰して昇華される…」

「それがHCPによる人々の救済!」


 三人が後ろに下がった。俺のクローンは反対に前進した。


「さあやるのだ、骨谷龍堵よ! その手で本物を倒し、自らを本物と証明してみせるのだ」


 俺のクローンが口を開いた。


「俺は救世主、全ての人を救う者!」



 腕を構えている。素手でやり合う気なのか? だとしたら助か…らない。身体能力を上げたって言ってたし、こちらにも武器にできる物がない!

 俺のクローン…救世主が動き出した。俺は反転して階段を登る。


「…無駄だ。我々のクローンに弱点はない。あらゆる点でオリジナルの上位互換となっている。もっともそのオリジナルも、あと数分でその意味がなくなるがな…」


 メンインブラックが何か言っているのが聞こえたが、今は気にしていられない。とにかく逃げられるところに走った。

 だが、あっと言う間に追いつかれた。足速すぎだろお前、俺の偽物の分際で! 林の中に逃げ込んだが、木々がかえって邪魔になった。


「オリャァー!」


 救世主が足を俺に向かって振る。間一髪しゃがんで避けたが、直後にボキッと、何かが折れる音がした。


(自滅したのか…?)


 俺がそう思って顔を上げると、隣の樹木がへし折れている。どう見ても直径五十センチ以上はあろう大木が、である。いくらステータスアップしたからって、人間の限界超越するなよ! それと同時に、俺がまともに戦っても勝てないことも判明した…。

 流石に痛かったのか、救世主はしゃがみ、自分の足を押さえている。今のうちに逃げるしかなさそうだ。

 俺は林の中を走り出した。救世主もすぐに立ち上がって追いかけてくる。


「…くっ!」


 木の枝が邪魔だと感じたのは人生で初めてだ。全部折り曲げてやりたい気分になる。

 一瞬だけ俺は振り向いた。救世主の方も避けるのに苦労してるんじゃないのか?

 違った。救世主は手刀で解決している。素早く腕を振り回し、枝を切り落としながらスピードも落とさず前進している。マジでどうなってるんだヤツの体は? もう色々とやることが人間じゃないぞ…。


「あっ!」


 林が開けた。これで木を気にしなくて済む、とはいかないようだ。目の前は崖だ。出鱈目に走るあまり、林から抜けてしまった。

 救世主が距離を詰める。

 ここまで来たらイチかバチか。救世主は必ず腕か足…つまり体のどこかで俺に攻撃してくるはずだ。それをかわして、逆にこの崖から突き落とす。いくら体が丈夫でも、重力には勝てないだろう。仮に落ちて生きていたとしても、まともに動ける状態で済むはずがない。後から俺がトドメを…。

 頭の中では計画ができている。だが問題は、救世主の方にあった。

 救世主は俺の後ろが崖と気がついた途端、距離を縮めてこなくなった。


(俺の思惑に気がついたのか…?)


 しかしそうなら、その辺にある石でも拾って投げればいいだけの話。目は俺のことを睨んだままだ。

 救世主がいきなり両腕を上げた。空に突き上げた手を握りしめ、拳を作る。何をする気だ…?

 一瞬だけニヤリと笑った。そしてその拳で、勢いよく地面を殴った。


「な、何!」


 地面に突き立てた拳は、手首が隠れるほど地中に深く刺さっている。そしてそこから、俺の方に向かって亀裂が走る。


「滅せよっ!」


 救世主の狙いは、これだった。ヤツは俺を直接叩くのではなく、この崖の一部ごと、俺をここから落とす気だった。

 俺の足場が揺れ始める。そして崩れ始める。俺は一瞬遅れ、向こうに飛び移ることができなかった。


「うおおおおおっ?」


 視界から、救世主が消えた。俺は今や、自由落下の中だ。俺はこのまま地面に落ちて死ぬことよりも、偽者に負けたことの方を考えていた。



 バシっと、誰かが俺の腕を掴んだ。そして俺のことを、グイッと引き上げた。


「だから都市伝説に深入りするなと言ったのに。全く危ないところだった」


 聞いたことがある声だ。顔を上げると、


「く、口裂け女じゃないか? どうしてここに?」


 あの口裂け女だ。どういうわけか山寺におり、俺を助けてくれた…?


「話は後だよ。今はアイツから逃げることが先だ」


 口裂け女は頭上を見上げる。俺も首を上げた。俺が死んだことを確認するために下を覗いている救世主と目が合った。


「逃がさんっ!」


 救世主は反転し、走り出したようだ。道を回ってここまで来るつもりだ。


「お前は戦えないのか?」


 普段なら、鎌やらハサミやら持っていてもおかしくないが…。


「私には無理だね。次元が違い過ぎる」


 なら早く逃げることに越したことはない。俺が一歩を踏み出そうとすると、口裂け女が肩を掴んだ。


「あんたよりも私の方が早く走れる。乗って」


 言われてみれば…。少し恥ずかしいが、俺は口裂け女におんぶされた。そして走り出した。今の口裂け女に時速六十キロメートルを出せるかどうかは怪しいが、救世主を撒くのには十分すぎる速さだった。

 山寺を抜け、こけし神社に着いた。しばらく辺りの様子を伺ったが、誰もいない。


「何とか、逃げ切れたようだな。感謝するぜ。でもどうしてあそこにいたんだ?」


 俺が聞くと口裂け女が返す。


「私があんたに出くわさなかったのはどうしてだと思う?」


 そうか。最後に会った時以降、俺は口裂け女に見張られていたのだ。だから俺がいくら歩き回っても、発見できなくなったワケだ。口裂け女は俺がどこに行こうとしてるか、常に把握できているから。


「全く深入りするなって言ったのに。でももう、後戻りもできないわ。今のうちに何か作戦を練らなければ、本当に死んでしまう」


 作戦か…。だが俺も口裂け女も敵わない救世主とどうやって戦う?


「俺には、ヤツの攻撃を避けるだけで精一杯だ。避けている間にお前が何かするってのはどうだ? いや、駄目か…」


 俺が提案しておいて、俺は直後に否定した。確かに力を合わせれば勝算はあるだろう。だが確定しない事象に、他人を巻き込むのはマズい。あくまでも確率が上がるだけで、倒せるかまではわからない。


「私は別にいいけれど? あんな都市伝説は野放しにしておけない」


 しかし俺は断った。口裂け女の意志もわからないのではない。

しかし、都市伝説は都市伝説でなければいけない。口裂け女が協力してくれるなんて話は何処にもない。口裂け女は「他人に自分が美人かどうかを聞き、返事次第で行動に出る女の都市伝説」でなければいけない。その枠組みから外れては、都市伝説ではなくなってしまう。だから最後に会った時に起きたイレギュラーは、俺は誰にも伝えていない。


 手詰まり感が出てきた…。


「携帯、鳴ってるんじゃないの?」


 口裂け女に指摘されて、俺はスマホに電話がかかってきていることに気がついた。


「こんな時に…。まさかメンインブラックじゃないだろうな…?」


 俺は電話番号を見ると、すぐに電話に出た。


「私、メリーさん」


 その番号は、俺がガラケーを使っていた時の番号だった。


「アイツなら今、あのプールに浸かってるの」


 電話の内容はそれだけだ。


「んん? メリーとかいう女の子は何を言っているの?」


 口裂け女はわかっていないようだ。だが俺はメリーさんの発言で全てを理解した。


「なるほどな…。目には目を、歯には歯を、都市伝説には都市伝説を、だ」


 ここから目的地まで行くとなると、所要時間はちょっとどころでは済まない。だが公共の交通機関を使ってはすぐに居場所がバレてしまう。


「作戦が決まったぜ」


 俺は電源を切ってポケットにスマホをしまった。


「どういう?」


 口裂け女が問う。だが俺は、


「悪いがお前は巻き込めない」


 ポケットからある物を取り出した。


「最後に会った時に、渡せなかったんでな。今、やるよ」


 俺はべっこう飴を投げた。口裂け女は転がっていく飴を追う。今のうちにこけし神社から、俺は離れた。



 俺は歩いた。かなりの距離を一人で。時刻を確認すると、もう日にちが変わっている。時より遠くでヘリコプターのローターの音がする。奴らも必死で俺を探しているようだ。

 見つけ出される前に、病院にたどり着いた。俺はスマホを取り出し、立ち上げるとホムラにメールを送った。


「ちょっと足を挫いたから、前にバイトしてた病院に行ってくる」


 しかしこんな夜中に病院がやってるはずがない。さて、どうするか? エアダクトからなら中に入れるか? 俺は標準体型だが、それでもエアダクトは狭すぎる。


「久しぶりだな、骨谷」


 俺は後ろから声がしたのでビックリして飛び上がった。


「なんだ人面犬かよ。おどかすなよな?」

「どうしたんだこんな時間にこんな場所で?」


 ん? 俺が駄目でも、犬なら入れるんじゃないか?


「人面犬よ、後で高級ミルク飲ませてやっから手伝ってくれないか?」

「おお、いいぜ。エミリが注いでくれるんだろうな?」

「今は留学中だ。それはお前も知ってるくせに」


 俺はエアダクトの中に人面犬を送り込んだ。そして正面玄関の真ん前で待つ。

 バババババババと音が近づき始めた。俺を悪戯に焦らせてくる。

 人面犬の方が速かった。器用に正面玄関の鍵を開けた。俺はドアを開いて病院の中に入った。


「サンキューな! 先に実家に戻ってろよ。ミルクのついでにエミリの恥ずかしい写真も特別に見してやろう」


 人面犬を家に逃がす。俺は階段を下りて病院の地下室に向かう。

 あの扉はもう眼前だ。だが、いくら力を込めても開かない! あまり使われなくなったから、錆びついてしまっているのか?

 俺が扉と格闘していると、足音が聞こえた。この状況、ここに来る人なんていない。一人を除いて存在しない。いやその一人も、本来なら存在があり得ない。


 救世主だ。もうやって来た。俺がホムラに送ったメールから場所を特定したのか、電源を入れたスマホの位置情報を割り出したのか…。いづれは来るとはわかっていたが、こんなに速いとはな。

 俺は気付いていないフリをした。ここはあえて演技をせず、無駄に力を入れて扉を開けようとする。

 救世主は階段を降り切ったようだ。足音的にあと数メートル。そんなに距離は残っていないはずだ。


 焦るな。ここでミスれば全てが台無しになる。


 コツ、コツ、コツ。俺の心臓の鼓動が大きくなるが、足音ははっきり聞こえている。

 コツ、コツ…。足音が止まった。恐らく救世主が立ち止り、拳を握りしめているのではないだろうか?


 ならば、頃合いだ。


 俺が首を少し動かす。そしてすぐに足の力を抜き、その場にしゃがむ。

 救世主は両腕で思いっきり拳を突き出した。それが扉に直撃する。

 俺がいくら頑張ってもびくともしなかった扉が、ひしゃげている。隙間から、部屋の中が少し見える。


「消え去れぃ!」


 救世主が叫び、今度は手刀を構える。対する俺は…。

 俺は、何もしない。何故なら既に、俺の勝ちだからだ。


「やはり経験に敵う物は、ないよ。俺とお前じゃ、天地の差。月とスッポンだ」


 次の瞬間、轟音と共に扉がはじけ飛んだ。


「何だ?」


 救世主が部屋の方を向く。隙を見て俺も立ち上がる。


「メリーさんが言っていた通りだ。ここにいたか、ふぅ」


 それは地下室からゆっくりと出てきた。俺が前に目にしたヤツとは別個体なのか、頭が四つ。胴体は蛇のように長く、所々に手足が生えてまるでムカデのようだ。


「異形なるもの…」


 シボウシャが俺の言うことを聞くなんて思ってはいない。だが、俺を襲わないことはわかっている。俺はもう子供じゃないからな。


「だが、救世主さんよ。お前はどうだ? まだ四年しか生きてないんだろう? 見た目は俺と同じでも、歳で言えばまだ立派な幼稚園児だぜ?」

「貴様、何を言っている? 状況が理解できていないのか?」

「それは俺の台詞だ」


 俺には確信がある。何故ならシボウシャ、俺とは目を合わせようとしない。四つも頭があるのに俺の方を向いてる顔は一つもない。全て、救世主に照準を合わせている。


「ミ…ツ…ケ…タ…」


 シボウシャがそう呟くと、救世主に向かって突進する。


「デイヤァー!」


 救世主の手刀がシボウシャの頭を一つ、スパッと切り落とした。だがシボウシャは全く堪えていない。残った三つの頭で救世主に噛み付くと、体と手足を使って救世主を絡めとった。


「ク…ウ…ゾ…」

「やめろぅー!」


 シボウシャはそのまま、地下室に戻った。俺は階段を素早く駆け上がった。地下室のプールにシボウシャがダイブする音が聞こえ、少量のホルマリンが扉の外にも飛び散った。



 全ては一瞬だった。俺は地下から上がって病院から出た。玄関の前にはヘリコプターが降りており、メンインブラックもいた。


「我々の救世主…いや、本物となった骨谷龍堵が戻って来たぞ!」

「やはり我がクローンは完璧だったようだな」

「良し。計画を実行に移すぞ。ディレクターにそう伝えろ!」


 どうやら三人とも、勘違いしているようだな。


「メンインブラック…。俺は正真正銘の骨谷龍堵だ。クローンは死んだ。随分とあっけなかったよ」


 俺が言っても信用されるのか…。そういう疑問もわからなくはない。だがどうやらクローンとは少し喋り方か違うのか、すぐにバレた。


「そんな馬鹿な? クローンに敵う人間など存在するはずが?」

「人間じゃなくても…。クローンに勝つんならいくらだって方法はあるからな。だから言っただろう? 生物の価値は、経験だってな!」


 俺が言い放つと、三人とも地団太を踏んだ。


「こんなこと、あってはならない!」


 メンインブラックが懐に手を突っ込む。この期に及んで記憶を消すだけか? 取り出したのは拳銃だった。

 これは厄介だ…。とか言ってる暇はない! こっちは何時間も歩いて、さっきまで心臓バクンバクンだったし…。これ以上戦うのは正直言って絶望的だ…。

 何か、ここで使える都市伝説はないのか…?


 その時だ。


「待たれよ! それ以上の横暴は許さぬ!」


 俺の目の前に、二人の人がどこからとなく現れた。


「おお、いつぞやの現代忍者!」


 現代忍者とメンインブラックの対決。しかし、拳銃よりも強力な忍術がなければ負けてしまうのでは?


「どうする気なんだ?」

「心配無用! こんな輩に面と向かっての戦い…正々堂々など必要あらぬ!」


 現代忍者は懐から二つの球体を取り出した。


「撤退忍術…閃煙弾!」


 片方を地面に投げつけた。すると眩しい光を放つ。どうやら閃光弾のようだ。だが光った後、大量の白煙を上げる。閃光弾と煙玉の融合体か。これならサングラスをかけているメンインブラックにも効果がある。

 現代忍者は空いた手で俺の腕を掴んだ。そして残った一方の球体を、ピンを外してヘリコプターに向かって投げた。


「攻撃忍術…爆裂四散!」


 こっちはただの手榴弾なのか…。俺は現代忍者に連れ出されてその場を後にしたためよくわからないが、数秒後に大爆発の音が聞こえた。


 気がつくと、山寺に戻っていた。階段にはホムラがちょこんと座っていた。


「任務完了! 我らは修行に戻る」


 現代忍者はそう言うと、また勢いよく階段を駆け登っていく。


「…ホムラが頼んだのか?」

「違うわよ」


 ホムラは後ろを向いて、


「この人が、ここに来いって呼んだの」


 ホムラの後ろから、男が降りて来た。


「伯爵じゃないか、久しぶり」

「いかにも。また、無茶をやらかしたようだな? まあそれにしても今回は、半分以上は奴らに非があるが…」

「おかげで助かったぜ!」


 俺は伯爵と握手した。


「何々? どういうこと?」


 事態を全然理解できていないホムラに、俺は解説を入れた。


「…というワケで、奴らの陰謀は防いだ。HCPなる計画は、オジャンだぜ!」


 俺は経緯を把握したホムラとハイタッチした。


「しかしだな」


 伯爵が眉間にしわを寄せて、言う。


「奴らの一人が、これで終わりではない、と。終わりは来ないとも言っていたぞ?」

「まあ、いいさ。好きにさせておけよ」


 俺はそう返した。


 都市伝説は好き勝手語られる。俺に奴らを止める権利はない。逆に俺が止めなければいけない義務もない。



 これは噂程度の話でしかない。だが、信じる人がいるからこそ、都市伝説は語り継がれる。


 明日には、町中の人が知っているかもしれない。それが都市伝説というものだ。

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